偏狭読書情報


なんでまたデカルトに戻って読んでるかといえば、先日読んだビクターマイヤーの「ビッグデータの正体」からの推論に因るものです。今の世に起きてることとは、これが書かれた当時に神学や信仰から学問を形而上学と数学に導き出したのと同様、専門家の暗黙知から「N=全て」の統計に基づく判断への変革なのではないかと。となれば、社会との向き合い方、変革への付き合い方は、世界史を学ぶのと同様、歴史上の闘争者の声から教えを請うのが近道ではないかと。

こ れ が 登 録 さ れ て な い と は。
高校時代にヨーロッパで読み耽り、読み耽り、読み耽り、気がついたら僕の人生が大幅に捻じ曲がっていった偉大なる書物です。なにより巻末付録(なのに90ページ以上ある)が最高の読み応え。今読んでも首が外れるほど頷くくらい、この世の真実が描かれている。僕の文章の元ネタはほとんどココからと言っても過言ではない。
この本に影響されるくらいなのだから、さぞかし軽い人生に違いない。いまだに軽い。どうしてくれようか。

「急ぎつつ、待つ」
今更この歳でマルキシストもないけれど、クリエイティビティと脱資本(象限X)はものすごい親和であり必然なんだなぁと思う。好きなことばっかりやってて友人と強固な信頼を築くことはロシア的のみならずイスラム的にもユダヤ的にもダイスケ的にも最適解なのだ。
【以下引用】
-画家や作家と言うのは小商品生産者だから、労働力が商品化されている世界の住人ではないんです。看板屋さんやプログラマーさん(原文ママ)は労働力が商品化されている世界に居て搾取されているから、カテゴリーが違うんですよ。
-資本主義社会というのは(略)労働力と言う商品を自由に売買することで成り立っている。それに対して国家というのは、その背景において暴力があるわけで、国家と国民の関係は必ずしも自由ではありません。(略)われわれは国家に対して税金を支払わなきゃいけない。(略)暴力装置を独占する国家権力を背景にして、過剰に収奪をするわけです。
【引用終】
面と向かって逆らうことはないでしょう。が、この世界を生き抜く手段はココ20年で確実に多様化しています。Re-Designing the Future。

傲慢読書情報

正月から素晴らしい小説を読んだ。
大好きな作家の有名作品なのに、なぜか手にすることのなかったこの作品。エンタテイメントとして、物語として優れている上に、言語実験としても比類ない。本当に日本語話者で良かったと思う。翻訳も映像化も文字通り不可能。虚構かつ現実、そしてメタ虚構。そりゃこんな作品書いてたら哲学にも傾倒するだろう。
なにより、筒井作品の中でここまで物悲しくなったものはない。なんだろう、語ることのなかった自伝的性質も、情交も全てが消えていく夢のような悲しさを伴う。失われていく世界、記号が手に取るように見えるからなのか(それこそがこの作品の根幹でありテーマです)
この小説に敬意をしるして、僕もこの感想から、五十音の一番初めの音を落としてます。これだけで何の作品かわかる方はピンとくるでしょう。
と、隠すのも野暮なのでタイトルを言うと「残像に口紅を」です。

偏狭読書情報です。

今月も偏狭読書情報、行きます。
【われ敗れたり―コンピュータ棋戦のすべてを語る】
米長邦雄御大は何をしても何を言っても許されるのである。なぜなら、米長邦雄だから。いわば筒井康隆御大と同じ立ち居地に居ます。
【以下引用】
 しかし、妻の答えは驚くべきものでした。
「あなたは勝てません」
 このように断言されてしまうと、私もどこにいたらなさがあるのか、気になります。当然、「なぜ勝てないんだ」と問い返します。すると妻は「あなたは全盛期に比べて、欠けているものがある」というんですね。
(中略)すると、妻は「全盛期のあなたと今のあなたには、決定的な違いがあるんです。あなたはいま、若い愛人がいないはずです。それでは勝負に勝てません」といったのです。

【映像の修辞学 (ちくま学芸文庫)】
ようやく構造主義の理解がロランバルトまでたどり着いた(バルトというか蓮見重彦。なぜこの人はこんなに文章が特徴的なのだろう)。時間軸でありながらテクストと連携したり、排除したりを選択できるメディア「映像」。「テクストの快楽」では記号の再分配が示されていたけど、映像では記号の成立から構築しなおさなければならない(それは即ち色彩、構図、シニフィエなど)。その意味では少し入門書的なところで収まってしまった気がします(文庫にする必要もなかったのでは…)。
ハイパーテクストの誕生を予感していたバルトにとって、映像の「ハイパーテクスト」化は見えているのだろうか。そしてそれは可能なのだろうか。次のメディアのヒントはここにある気がします。

【読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門】
この手の本はあまり読まないのだが、先日実家に戻ったときに父から「新幹線の中、これ読んでいけ。すぐ読み終わるから」と父がマーカーを引いたこの本を渡される。
理解するべきは「知を積み重ねている人は強い」の一点。強くなるため、えらくなるため、儲けるために知を積み重ねるわけではないのだけど、功利主義的に高みに上ろうとしている人と、元から情熱と能力がある人の二種類と対等に渡り合うためには、ある種の仕組み化と基礎能力訓練が必要だと言う事。今からでも遅くない。そしてやればやるだけ、楽しいのだ。

【江戸・東京 歴史の散歩道―江戸の名残と情緒の探訪〈2〉千代田区・新宿区・文京区 (江戸・東京文庫)】
学生時代に文京に五年住んでいたが(五年しか居なかったのか。二十年ちかく住んでいた感がある。学生時代は濃いのだな)まあ知らない事ばかり。千代田に本社がある企業にも八年勤め、いろいろと考える事がある。あ、今の会社も千代田区か。
僕にとって東京とは、この一帯でほとんどの思いを占める。まあ、楽しみとしてゆっくり眺めています。

偏狭読書情報

かれこれ14年続けてるコーナー「偏狭読書情報」です。更新したのは20回ほどですが。ええ、年に1~2回の更新で続けております。
【ヨーロッパ退屈日記】

軽い読み物。でも高品質なものがいい。そういうときに良くぱらぱらめくっていたのがこの本。高校時代に父の蔵書から勝手に持ち出して読んでいて、改めて20年ぶりくらいに再読。
山口瞳を中心とする随筆書きの天才集団が僕は好きなのだが、その仲間の一人が伊丹十三だったと思う。相変わらず、村上龍とも引けを取らぬ鼻につく文体。真っ向からの本質主義。そしてそれは明らかな教養主義。その上にあるヒューマーとエセーの文体。その上ジャギュア。相変わらず、いつ読んでもすばらしい。
【大地の子】

現在拝読中。まだ終了してませんが、オープニングの情景からして明らかに他の小説と違う。これは中国文学だ。いやもちろん、日本人の日本文学なのだけど、政治と国家にこれだけ振り回される姿をリアルに描かれるのは、(実際は取材力の効果なのでしょうが)中国で生まれた文学と言っても過言ではない。
そう、今仕事関係で中国に関する文章をいろいろ読んでいるのですが、本当に僕は歴史というものを知らない。中学高校大学と一切遣ってこなかった事を、本当に後悔している(というかこういう人間が大学に合格してはならない)。今改めて勉強中ですが、ちゃんと遣ってこないと駄目ですね、人として。
そして、自分の興味としても、また後に書きますが、最近「九龍城砦」にはまっておりまして。「是非行きたい!自分の目で見てみたい!と情熱を感じたのですが、実はもう20年ちかく前に取り壊されていたとのことを最近知りました。こういう、知識を持たなかった事で失ったチャンスというのを、これ以上増やしたくないのですよね。
全く本の話と関係なくなってしまった。
【深き心の底より】

読みやすい小川洋子の随筆集。ただし文体は強固。「博士の愛した数式」に比べると(当たり前だが)小粒で読みやすい。妙に母校の造詣が似てるなぁと思ったら、案の定先輩だった。作家が多すぎる学校です。
【来福の家】

国をはさんだアイデンティティの物語が二編。中国と台湾と日本。日本の中に居ながら異邦の感触をぬぐえない人たちの悩みと葛藤が、さらりと青春小説のように描かれている。すばらしい。
台湾語、中国語、日本語を軸にしての、自分の基礎となる部分は何かを問うたもの。母語、や国籍というものを全く意識しないで生きてきたことは、むしろ僥倖であり、また自分を深く問う機会を少なくして生きてきたのだな、と感じます。それでも、千葉に居る富山県民、としてのアイデンティティの喪失感は持ってますけど。

快楽主義の哲学

社会にでて15年近く。この年になって、まだこういう書に感銘を受けているところが僕の駄目人間たる所以だろう。でも好きなものは好きなんだからしょうがない。僕はやはり文明的、経済的に生きるより、文化的、原始的に生きることが好きなんだ。で、そんな事はここに書いて宣言しててもしょうがないのだ。そのまま生きて行動するのみ。村上龍の「全ての男は消耗品である」を、圧倒的な知性と知識、信念を持って構造化したような面持ち。この書の前では、「全ての~」も児戯のように見えてしまう。(とはいえ、僕は村上龍も好きだけど)
感想を書くより、見出しを並べてその世界に没入して欲しい。
第一章 幸福より、快楽を。
・人生には、目的なんかない
・幸福は快楽ではない
・文明の発達は、人間を満足させない
・「快楽原則」の復活を
・幸福は、この世に存在しない
第二章 快楽を拒む、けちくさい思想
・博愛主義は、うその思想である
・健全な精神こそ、不健全である
・「おのれ自身を知れ。」とは愚の骨頂
・動物的に生きること
第三章 快楽主義とは、何か
・死の恐怖の克服
・退屈地獄からの脱出
・隠者の思想
・政治につばを吐きかけろ
・快楽主義の落とし穴
・好色ということ
・人工楽園と酒池肉林
・東洋的快楽主義と西洋的快楽主義
第四章 性的快楽の研究
・量より質を
・最高のオルガスムを
・情死の美学
・乱交の理想郷
・性感帯の拡大
・快楽主義は、ヒューマニズムを否定する
第5章 快楽主義の巨人たち
最初の自由人──樽の中のディオゲネス
・酔生夢死の快楽──酒の詩人 李白
・ペンは剣よりも強し──毒舌家 アレティノ
・生きる技術の名人──行動家 カザノヴァ
・リベルタンの放蕩──サドと性の実験
・調和型の人間──ゲーテと恋愛文学
・遍食動物の理想──サヴァランと美食家たち
・血と太陽の崇拝者──反逆児 ワイルド
・ユーモアは快楽の源泉──奇人 ジャリの人生
・肉体が夢をみる──コクトーとアへン
第6章 あなたも、快楽主義者になれる
・わたしの考える、快楽主義者の現代的理想像
・誘惑を恐れないこと
・一匹オオカミも辞さぬこと
・誤解を恐れないこと
・精神の貴族たること
・本能のおもむくままに行動すること
・「労働」を遊ぶこと
・レジャーの幻想に目をくらまされないこと
・結び──快楽は発見である
もう、これだけで僕の言いたいことは終わってしまった。プリミティブ!何度でも言うが、やはり僕は、文明的でなく、原始的かつ文化的に生きていきたいし、幸福より快楽を基準に日々を過ごしたい。本書は僕の思っていた事を流暢な言葉にしてくれた。ただその分、新しい発見や視座の広がりは薄く「自己の正当化」に終始してしまった事も否めない。それは全く澁澤龍彦の責任ではないのだけど。精神の貴族たれ!
快楽主義の哲学

偏狭読書情報

芦ノ湖 2012.1.27
 最近は少し不調気味で、集中力、思考力共に落ちてるなぁと自分でも理解してます。元々集中力なかったとも言いますけどね。
 自分は決して病気になってるわけではない、と頑なに信じているのですが、それでもときどき精神的な疲れから、将来や近い未来についてネガティブな想像をしてしまったり、それがずっと尾をひきずって、どこまでいっても粘着する感覚にさいなまれる、という状態になることがあります。今まで38年間、こんな状況は体験した事がなかったけど、結構体力を使うものですね。
 そんななか、時間はあるので読書に勤しむ日々ですが、なかなか読みが進みません。ゆっくり、気長に、一つ一つの文章を楽しみながら読める本に限定して、今を過ごしています。

●ロンメル将軍 / デスモンド・ヤング
淡々とした写実調の語り口で、ロンメル将軍の実績について歴を追って調べていく史実小説。僕は戦記ものではロンメル将軍に今フォーカスが当たっており、いろいろ付帯文書を探し回ってるところです。
この小説では英米兵から如何に敵軍のロンメルが支持されていたか、そのカリスマ性をしっかり味わえ、世界大戦中の現場の動き方がいろいろ見て取れます。

●こころ / 夏目漱石
何故今更!な大普遍小説ですが、教科書で読んでいらい、未読でした。というか教科書ってものすごくはしょられていたのですね・・・。1/5程しか載ってなかったんですね。
教科書でしか読んでない人はまだ結構居るのではないかと思います。が、これは通しで全部読む事をオススメします。先生と私の関係性や東京と実家との距離、そういうものを踏まえて先生が手紙を送るのです。前編の準備があるからあのシーンにカタルシスがあるのに、教科書は美味しいところ取りで逆に味をシンプルにしてしまってます。まあ、仕方ないのでしょうが。
やはり読んでおいて間違いのない、安心して読める私小説です。

●春の雪 / 三島由紀夫
こちらも何故今更!第二段です。三島ファンの中でもこの4部作読んでる人、実は周りであまり居ない気がします。相当代表作なのにね。今春の雪を読み終わったところですが、これから奔馬につながるこの輪廻感がたまりません。そして相変わらず言葉の的確美麗ぶりが金閣寺以上に炸裂。なんでそこでその単語!それしかないのか!とカウンターパンチを貰う端整で非の打ち所のない文体。これぞ三島ワールド。とっつくのに時間が掛かる場合がありますが、一度味を占めたらどこまででも読んでしまいます。

偏狭読書情報


【デジタルリーダーシップ】
これからの企業は、顧客をはじめとしたステークホルダーとどう付き合っていくか。何を発信していくか。そしてエンドユーザーからは草の根のようにブログやツイッターで発信される企業評価に、どうやってレスポンスを返していくか。今までのようにリリースを出したり声明を発表したりするだけで自分達を規定できない世の中になってきて、「周りがどう自分達を規定するか」をコントロールできない中で存在義を見出さないといけない。そのコミュニケーションツールとしてのFacebookやブログといったアイテム。コミュニケーション担当、フロントマンの役割が、これまでとは全く異質になってきた、その事を事例を通じて理解できる本でした。

【金閣寺】
 文学部卒業生なら当たり前に読んでろよ、という基礎素養ですが、なぜか今回初読。文章が綺麗。そして広辞苑をひきながらその文章力に耽溺してみたのですがこれがまた素晴らしい。面白い。ここではこの言い回ししかない、この単語を使うしかない、という適切な語彙配置の美しさに感動するのです。内容は童貞をこじらせた自己肥大青年の独白なのですが。それがこんなに美しく奏でられると、思わず共感してしまいます。安定した将来を壊しつつある僕も、何か永遠なるシンボルを燃やさなければ、と思いました。いやだからって陰毛に火をつけません。永遠のシンボルってそういう意味じゃない。

【族長の秋】
 おまえ本当に文学部生か。ガルシアマルケスすら読んでないとはあまりに文学的素養がなさすぎる。というわけでこれまた初読。圧倒的に素養が足りないことを自覚する38歳なのです。
 些細なエピソードですが、その昔僕が大学生だった頃、親しくしてくれた東京外語大の、一つ年上の先輩が居ました。見た目チンピラな風体も似合う、世の中を煙に巻いたような飄々とした兄貴分でした。「ヤス兄い」と僕らは呼んで、それこそくだらない遊びを沢山やってきたのですが、この本を読むと彼を思い出すのです。
 彼がこの主人公に似ている、というわけではありません。もっとすごく単純な理由。このヤス兄いと僕、そして女の子二人で何泊かの旅行に出かけたことがありました。94年の夏。河口湖畔でした。暑い日ざしと爽やかな風が吹いていました。コテージに着き、たゆたう時間が過ごせるような環境になったとき、コテージ脇の、日当たりの良いベンチで、煙草(しかもPeace!)をふかしながら、彼がこれまた飄々と、この本を読んでいたのです。
 その姿のあまりに文学部生らしかったこと!文士とは、文学の徒のあるべき姿はこれだ!と僕はそのとき勝手に思ったのでした。
 裸になって走り回ったり、あまり大きな声では言えない草に火をつけて吸ったりした悪い先輩と後輩の僕達でしたが、明らかに、彼には、文学の素養があった。大量の文章を咀嚼した上で、悪さをしていた。
 悪さと文学は関係ないじゃないか、と思う向きもありますが、僕にとっては「悪さ」=「文学」なのです。生きることに脆弱な僕は、一つ一つの反社会的行動に反芻的意味を付加していかないと納まりがつかないし、そのためには適切な語彙の力、物語の力、本質の力を借りないといけないのです。
 だったら反社会的行動しなきゃいいじゃないか、ともなりますが、そうなると今度は自分の中の語彙が、物語が、本質が、自由に行動できないために消化不良をおこすのです。なので、これからも反社会的に行動するのです。陰毛に火をつけたり。
 そんなわけで、僕は、今でも彼に憧れるのです。そしてそれを思い出しながら、この本を読むのです。
 そして全く本の紹介になってないのです。

今年見た映画・読んだ本 トップ10プラス1

 2011年もあとほんの少し。僕自身も、日本も、世界も、激動の一年でした。
 身辺に不幸や悲しい出来事は(もちろん、震災という大きな出来事の中では様々ありますが)少ない一年でしたが、自分自身では、いろいろな事が大きく動きすぎて、自分のバランスを取る為に、どのようなスタイルを保つか、非常に難しい一年でした。
 そんな中、自分の胆、礎を落ち着かせてくれたのは、やはり映画や音楽や、本。時間を割いた分量、心を動かしたボリュームで言えば、今はそこにWebサービスも入ってくるのでしょうが、とりあえず今年一年の中で、僕が思うところのあった作品を・・・。相変わらず流行を無視して古いものばかりですが。特に今年は冒険モノ、ミステリーモノに大きく舵を切って没入した一年でした。
 とりあえず、順不同で10作品!
 そして、一昨日亡くなった書評家・内藤陳さんに敬意を表して。
 
【おとうと】

 家族モノはあまり見ないのですが、釣瓶の演技力に見惚れました。釣瓶の演じる弟の姿に、様々な人が重なって、ああ、愛すべき人にぼくは囲まれて生きてきたのだなぁと改めて実感しました。え、僕自身がこのキャラだって?
【レスラー】

 齢三十も後半になってくると、「オレの全盛期はまだまだこれからだ」と嘯く声もほんの少し弱ってしまいます。いやいやまだまだ僕はこれからのオトコですけどね。そんな声と真逆の作品ですが、全盛期を超えた(と表現される)男の愚直な生き方。身体がガタガタになりながらも、自分の死に場所を自分で決めた気になって倒れこんでいく男の物語。しぶとく生きるより、華々しく散りたいのですよ。わかる。うん。オトコって、馬鹿ですね。上記「おとうと」もですが、どうも最近オトコの馬鹿さ加減を愛してやまない気がします。
【昭和残侠伝】

 馬鹿なオトコモノ三連発。池辺良がヤニ臭くてかっこよすぎます。高倉健はお決まりの、我慢して我慢して我慢して最後にオトコを魅せて散っていく。あ、やっぱり散っちゃうんだ。でもこの行動規範と美意識には僕らは逆らえないのです。意地と見得で生きていくのです。震災後、改めてこの作品を見たのですが、生き抜くことと見得を切ること、その両立の難しさ、険しさを改めて思い知り、(詳細はまた別途記しますが)ああ、這いづってでも生き抜く逞しさを持つ女性と、すぐに見得張って(切るんじゃなくて)散ってしまう男性は、結婚して夫婦になって生きる意味がそこにあるのだなぁ、と思いました。はい、ええ、僕子供だからよくわかんないけど。
【深夜プラス1】

 今年読んだ本ベスト1。詳細は以前のブログに書いたので割愛。
 内藤陳さんへの敬意云々関係なく、この本は読了した瞬間にトップでした。合掌。
【文学部唯野教授】

 筒井ファンとして、浪人時代、新刊で出たばかりの頃すぐに読みました。けど、その頃はまだ大学も知らず、教授という生き物がどのようなものか全く解らずに、いまひとつ面白みに欠けました。改めて大学を経て、現在も学術に関する場所で務めるものとして改めて読む。抱腹絶倒。あまり書くと僕の立場が大変な事になるので割愛します。ええ、割愛しますったら。詳しくは本著を是非。そして文学論は下手な専門書より断然わかりやすく詳細。さすが我らの筒井康隆様です。変態的天才的変態。
【炎の経営者】

 いろいろと近縁ある化学工業の会社社長奮闘記。読んでる側も燃えます。経営とはこんなにも熱く苦しく、情熱的なものか。これがノンフィクションだというのだから恐ろしい。そりゃ高度に経済も成長するわけです。と他人事に傍観できないほど「お前は熱く世界に価値を生み出しているのか!?自分を信じているのか!?」を両肩を掴まれて揺さぶられてしまいます。
【女王陛下のユリシーズ号】

 男シリーズ第4弾。今年はオトコの当たり年なんだなぁ。かなり有名な小説ですが、恥ずかしながら初見でした。600頁を超える中、登場人物は全て男男男。総勢?名全員オトコ。女性が一人も出てきません。そりゃ戦艦の中の話だから、乗組員だけなので当たり前といえば当たり前なのですが。でも、それゆえに読者に擦り寄るようなラブロマンスももちろんなし。あるのは極寒と敵襲と忍耐のみ。勝利の見込み不可能な作戦を言い渡されて、ただひたすら北海を行く三十三隻の英国艦隊。ドイツ軍に次々と撃破され、満身創痍の状態の中、最後に登場してくる独軍最強戦艦ティルピッツ号・・・と、少年漫画も真っ青な、困難に告ぐ困難のストーリー。手に汗握る、というか、手が凍傷になります。読んでて本気で寒くなります。因みに著者マクリーンの作品としては「ナヴァロンの要塞」も有名ですが、僕はどちらかというとこっちの方が好きです。
【台風クラブ】

 三浦友和が三十代先生の役どころ。「先生、貴方には幻滅しました。」と歯向かう中学生に向かって「いいか、お前らも、オレぐらいの年になったら、こんな大人になっちまうんだよ!」
・・・前にこの作品を見たときは、中学生。今の僕は三十代後半。いろいろと痛い。痛すぎる。そして僕はまだまだ中学生に近い痛さと幼さを内包したままこの年になってしまった。思春期の映画ですが、僕はまだまだ思春期であり、中二病です。よーく見ろ。これが、死だ!
【先任将校】

 更にオトコもの。というか軍艦モノばかり読んでる気がするな。今度は日本軍ですが。そしてユリシーズ号の時は極寒が敵でしたが、今度は飢餓。・・・人間にとっての最大の恐怖は飢餓と寒さと睡眠不足とはよく言ったものです。本当に怖い。そしてユリシーズ号同様、将校の統率力と機転でなんとか生き延びるその姿は、生きるとは何か。組織とは何か。を十分に教えられます。統率力とは即ち人間性なのですね。
 
【鷲は舞い降りた】

 深夜プラス1とこの本が並ぶと、誰の影響を受けてるかすぐわかってしまいますね。台風クラブ同様、これも昨年以前に読んだ再読ものですが。改めて読んでもやはり素晴らしい。英国軍ものを読んだ直後に今度はドイツ軍が主人公。主人公シュタイナのヒーローぶりは少し美化されすぎたきらいもありますが、何より活かしているのがアイルランド解放軍のリーアム・デブリン。深夜プラス1の副主人公ハーヴェイ・ロヴェルと並ぶサブヒーローです。ラブロマンスや美味しい台詞を全部もってっちゃってます。そうそう、こちらの作品はラブロマンスあり、危機につぐ危機あり、英雄譚あり、最後のどんでん返しあり、と、読書の楽しさてんこ盛りです。これこそエンターテインメント。
【Cutting Edge】

 番外編。映像編集で少しでもメシを食った事があるモノとして。
 これはバイブルです。編集とは何か。カットとは何か。全てはここに描かれています。
 ペキンパーの作品を、キューブリックの作品を見て、編集の妙に感動した上、この作品を見ると、衝撃波を受けます。
・・・
 
 以上10作品(プラス1)。それ以外にも「ソーシャルネットワーク」「虐殺器官」「クリムゾン・タイド」「ロンメル将軍」「言語姦覚」「若き数学者のアメリカ」・・・いろいろとトップ10に入れたいものがありました。またぼちぼちブログで紹介していきます。
 今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。

リピートに耐えられること

Japanese Princess
 一度会ったら良い人だけど、二度目は酷い人。
 一度見たときには面白い映画だけど、二度見たらつまらない映画。
 一度目は素敵だったけど、二度目見てみたらそうでもなかったライブ。
 再読に耐えられるもの。これは、僕がモノを作るときにいつも意識をしていることです。出来てないけど。全然出来てないけれど。そもそも人としては初回から酷い。そこからして駄目だ。
 いや、本当にコレは難しい。僕の作り物に限りませんが、再読、再々読に耐えられる作品というのはとてもクオリティが高いと思います。クオリティとは、大幹の頑丈さ、そして細部にわたる精緻。破綻がないというレベルではなく、トリックやギミックと関係のないところで別の味わいが見えてくる作品。ビリビリっとした刺激を求めて、再読に耐えうる作品に出会う為に僕は乱読をしています。
 人と同じ、読書や映画は全て出会いです。ご縁は大事。ご縁は大事。
 それゆえに、僕が作品を判断する一つの基準として「時間の試練を耐えていること」をいつも考えてます。伝統や歴史、が好きだという僕の嗜好もありますが、数多くの人の再読を経て、それでもなお面白く、その次から出てくる新鋭の作品達の中でも埋もれずに生き残ってきたもの。これを僕は上質と考えています。
 なので、読む本がどうしても旧作に傾いてしまうのですよね。過去の名作は大好きです。
 特に、その世代の若者が支持して、でも当時の権力世代が顔をしかめたもの。今になっては評価されている作品でも、その当時に抑圧、あるいは捨て置かれた作品って、また輝きが違います。時間の試練により浮かび上がってきた、ということですからね。
 自分の視点や感情は、ほとんどあてになりません。また、「今の僕の感情にぴったり!」なんて思える作品は、たまたまそのタイミングに出会ったからこその感想であり、その作品本来の魅力ではありません。
 で。
 結構前に読み終わった作品ですが、「深夜プラス1」。
 今のところ、今年読んだ本の中で最も再読に耐えられるミステリーでした。

 そう、ミステリー。
 再読に耐えられるという試練において、もっとも不利なポジションです。
 だって、ネタバレしたらあかんやん、魅力ないやん。最後どうなるかわかるやん。という状況で、それでも作品そのものを楽しめるか否か、これはミステリーの組み立てのみならず、筆力が一番問われる状況だと思います。
 「深夜プラスワン」でGoogle検索してみると、その賞賛はいくらでも出てくるのでここでは割愛しますが、80年代90年代のミステリーは、ああ、全部この種牡馬から生まれてるのね、と思えます。いや、真実なんだけどね。次元大介(ルパン三世)も、この作品からスピンアウトして生まれたキャラクターです。いや、本当に。ウソや思たら、ちょっと読んでみ。
 でも、翻訳は、僕の苦手な菊池光。
 ですが、この作品に関しては、苦手な菊池節をものともせず、ぐいぐいと引っ張っていきました。
 ディックフランシスの菊池訳はどうにも甘ったるく、論理的なのか情緒的なのか微妙に尻の座りが悪く感じてましたが、これだけスピーディに引っ張られるととても心地よい。
 とはいえ、60年代の作品なので、今の作品に比べたらゆったりしてますが、これがまた心地良い。
 この作品では、圧倒的に登場人物がお互いの信念をぶつけ合って、その上にトラブルがどんどん舞い込んできて、それでもなお成功に向けて話が進んでいく。その進行はリアリティある小道具やシニカルな会話によってのみ表現される。
 そうそう、この表現手法。「~と思った」「~と考えた」という文章や、説明口調の会話は無く、その上で、解り易いストーリー展開。小道具の見せ方は精緻を極めているのに、その小道具を知らない人でも気にせず読める。知ってる人だとなおさら唸る。
 文章学校では一番初めに学ぶことなんだけど、これが高度に出来ている小説って、実はあまりない。
 というわけで、今年の中で一番感動した本。もう一回読もう。
 今年は本の感動目標を達成したので、その他のフィールドでも感動していきます。
 (もちろん、小説も読むけどね)
 最近この本読んだ人、是非語りましょう。
 僕はロヴェルよりカントン派です。弱点がありながら、男義で弱点を克服するやさ男より、はじめから一貫した逞しいマッチョリーダー(マッチョすぎるところにトラウマ有)が、大好きです。
・・・正直、大学時代に英米文学専修にして、ヘミングウェイを卒論にしていた者としては「今更この作品かよ!」と言われる恥ずかしさはあるのですけどね。うん、日本文学を学んできた人間が今更三島由紀夫を絶賛するような。