もう一度戻ってきたよ。

 昨日まで富山に居たけど、また戻ってきたよ。
 初七日も終わり、その後けっきょく祭りを見に行きました。祖母の形見をもったまま。
 家族会議の末、祖母の町の祭りですから、これもひとつの供養かな、という事に落ち着きました。
 喪中の身体としては、御神体のやまには手を触れない、というのを一応の不文律として、見るだけに徹してきました。
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 相変わらず朝の11時半から夜の3時までひたすらやまを追いかける一日。
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昼の12時。曳き出しを待つ石坂町の字やま。
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6台勢ぞろい。3台しか写ってないけど。
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夜の20時。かっちゃ(ぶつけあい)の一場面。今年の千枚は本気で強かった。坂上からでも坂下からでも平気で突き返す圧倒的な勢い。特に湊町との激突はすさまじいの一言。ほとんど全てがど真ん中に決まって木っ端が飛び散る飛び散る。五発に対して五発で返すお互いの総代の見得の切りあいもカッコいい。最後に付長手が折れて決着。けんかやまの真骨頂でした。
参考:昨年の千枚 対 湊町
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 そして本町の美しい立ち姿。このやま姿に惚れないやつは男じゃない。(当社比)
 で、年に一度の充電完了。

パロディは細部まで精巧に作りこむことで感動を生む

これこそ職人の仕事。これこそ教育。NHK教育がこのテンションで居てくれるのなら、喜んで視聴代金払います。何の説明も無くいきなり子供たちにコレを見せ付ける傲慢パワーこそが、僕の知る、輝けるNHK教育テレビジョン。真剣に誉め言葉ですよ。

SOTWとステインアライブ、ボヘミアンラプソディが出色の出来。

ビートルズメドレーが大好き。作った人、本当に聞き込んでるよなぁ。特にジョンのガニ股ぶりとストラップの位置。

ABBAに納得し、マーヴィンゲイで感動する。カメラワークからファルセット、コーラスまで完璧。NHK本気出しすぎ。何時が都合いいのWhat’s going on。

実家の絶品料理

富山郷土料理、と言うより、山本家名物料理ですな。これ。

刺身

食べきれない量の刺身。甘エビ。さより。マグロ。イカ。その他。

これだけで絶品。富山の海産物は世界一ィィィィィ

食べきれないので、もったいないながら残す。

それを

味噌汁

翌日朝に味噌汁の具にする!

イカと甘エビとマグロの入ったお椀。刺身を味噌汁に入れるこの贅沢さ。味の調整はこれまた刺身から大根の千切り。半端無く美味い。二日酔いも一気に抜ける最高の味噌汁です。食べた後、顔を上げて満足の溜息が漏れます。生きている幸せ。充実感。

 
 
 

えーと、僕は喪中※です。

 
 

※あまりその辺(ナマグサ食系)には厳密でないそうです。

戻ってきましたよ。

カノン

 帰郷しておりましたが、本日上京してまいりました。

 親戚一同とも会して、無事みんなで祖母を見送ることが出来たかな、と思ってます。

 それにしても、冠婚葬祭は大変だね。

 僕の美徳観念では、どうしてもこの類のことを蔑ろにはできなくて、きっちりしないと気が済みません。いや、僕の気が済もうが済まなかろうが、きっちりして当たり前なのですがね。

 いつ何が起きても、ちゃんとその場を礼節をもって仕切れること。経済的な面も含めてね。

 将来、主としてちゃんとするためにはやはり畳三十畳くらいにぶち抜ける広間がある一軒家を持たなければ。床の間をもっておかなければ。紋付袴を用意しておかなければ。何億稼げばちゃんとした大人になれるのだ。こういう変な思想を持っているから鬱陶しいのです。個人主義が嫌いなのです。僕の人生は周りの皆様のために成り立っているのです。(逆もまた然り、と思っているところが僕の不遜なところです)

 冠婚葬祭は、「祭り好き」と言うこととは別にして、大人になるためにちゃんとクリアしたい礼節と考えています。

 そしてその意味で僕がまだやってないこと「結婚式」。

 そうなんです。まだ結婚式も披露宴もしてないのですよ。

 あーた10年前に披露宴したじゃないですか。と言われる方もいるかと思いますが、あれは富山の親戚筋だけに面通しした形で、新婦のご友人方々と、私の友人方々にまだ披露してないのが心残りなのです。あ、でも数人の友人には10年前、富山まで来ていただきました。その節は本当にありがとうございます。。。

 富山で身内の披露宴はしましたが、新婦的には決して披露宴ではないので、一度ちゃんとしなければなりません。式も挙げていないので、それもずっと気がかりでした。

 うーむ、結婚して9年目。来年あたりが目処だと思ってます。

 ああ言っちゃった。これで後戻りできない。でもなんといえばいいのだ。結婚式兼10周年パーティ、か?どんな体裁を取ればいいのだろう。皆さんご意見ください。

※写真は全く無関係な実家の愛犬 カノン

祖母が他界しました。

 個人的な事で恐縮ですが、昨日5月7日、祖母が他界しました。

 奇しくも妹の21歳の誕生日。全ての孫が大人になるのを見届けて、それから旅立っていった、という感じでしょう。あ、まだ僕が子供ですが。5歳と365ヶ月です。

 非常にかわいがってくれた祖母、ちょっと心に空洞を感じます。

 通称「伏木のおばあちゃん」。僕の大好きなけんかやまの町・伏木に居を構え、幼少期は毎週のようにこの町で遊んでました。祭り好きの僕のベースラインをひいてくれたのは間違いなくこの祖父母です。港町の荒くれやんちゃっぽさとかもね。

 母方の祖父と祖母がどちらも他界した今、伏木の町と僕とのリンクが切れ掛かってしまいましたが、祖父母と伏木の町に対する愛着は変わりません。

 でも、まあ、今年の祭りには参加できないけどね。やっぱり大事な祭りですから、逆に喪中の姿ではやまに触れることはままなりません。

 とりあえず、明日より実家に戻ります。皆様本当にご迷惑をおかけしてしまい申し訳ありません。

 ばたばたしますが、また帰ってくるね。

ものづくり

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 何かとここ半年くらい、作るものが多かったので、GWを利用して自分が作ったものを取りまとめて一枚のDVDにしました。昨年12月にあった某取り締まられ役の結婚式映像や、その他もろもろ、細かいものやテンプレになってるものを含めると50コンテンツ以上になってます。

 作ること自体は決して嫌いではないし、気がつけばそれで糊口をしのいでた時期が多いのだけど、僕自身は「作る」ということに向いていないと常々感じていました。何よりも大雑把。雑。この性格、何とかならんものかなぁ。

 最近は先生や先輩にも恵まれて、ものづくりの何たるかを改めて学びなおして、一から出直すつもりでがんばってます。うーむ、仕事もしなければならないのだけど・・・。

 そんなこんなで、いろいろ考えながら、自分の作品をアーカイブする休日。

 そしてDVDも仕上がって、落ち着いたところで僕の尊敬する先輩からSKYPEが。「今編集終わったばかりの映像、送るから見てみて」

 …クオリティの差に改めてへこみます。世の中で学ぶことは限りないです。

メモの整理。情報整理。

 メモ整理。かなりこだわりがあります。

 パソコン上では何も考えられない紙メモ野郎を15年近く続けてます。アナログと言うか、書く道具に制約されると、その中でしか考えられなくなるのがいやで、一番自由度の高いものを使ってる、と言う感じですね。

 僕のメモ帳選びには十訓があります。

  • 留めがリング状のものを買わない(左ページが書きにくい)
  • タイトルに開始日と終了日を必ず書く。
  • 仕事関係も、遊び関係も、todoも、思いつきも、素敵に恥ずかしい大人妄想も、必ず一冊にまとめる。
  • 必ず時系列で書く。
  • (矛盾するようだけど)追記できるように余白は多めにあけておく。
  • 終了したtodoリストも塗りつぶさない(終了マークの見つける)
  • 筆記用具を必ず挿しておく。
  • A4に限る。(常に取りやすいところに並べるので)
  • ナルシストのように昔のものを遠慮なく見直す。

 ポイントは

  • 書くときにストレスにならず
  • とにかく気がついたら何でも書いて
  • 昔のものも恥ずかしがらず読んで

 てな感じで18の頃から書きとめてあります。本棚が一つノートで埋まってます。

 イロイロ転々と職を変えてきているので、昔のものを読むと結構斬新だったり、今のヒントになったりして面白いです。

 最近では、ランジェリーパブ店員時代の集客メモが、今の仕事に活きてきて「おお、19歳の自分が一番適切なアドバイスくれた!」と自分ながらに驚いたことがあります。

…時々訳のわからない青臭い戯言をみつけ、メロスはひどく赤面します。

恋をする。恋をした。恋心。

 もう15年以上も昔の事ですが、とある女性に猛烈に片思いをした事がありました。そりゃね、人並みに生きてるから、いくら軟弱な僕でもそんな記憶もあるのよ。きもいとか言うんじゃねえ。

 ほとんど一目惚れに近い状態で、今思うと一世一代の片思いでした。何に惹かれたのか今では良くわからないけれど、まあ恋なんてそんなもんだからしょうがない。若かったからねぇ。勢いがあったんだわ。でも、その感覚は間違ってなかったと思ってます。本当に僕は人を見る目がある、女性を見る目がある、と自信を持つことができた、今でも胸を張って信じられる片思いでした。

 その想いが適うことは無かったけど、あのときの気持ちがあるからこそ、その後の幸せな恋愛、幸せな結婚ができる道しるべを築けたのだと思ってます。本当にひねくれていた僕が、ちゃんと女性と話ができて、好きになることが出来て、想いを伝えられた、というのが僕にとってどれだけの自信になったことか。

 5月4日はちょうどその子に想いを伝えて失恋した日です。忘れもしないこの日。えーと、嘘。今ブログの記事を見直してみましたが、全く忘れてたみたいです僕。10年書き連ねて一回も触れてないし。

 16年前のこの日、僕はその子と高田馬場駅で待ち合わせをして、新宿のジャン・コクトー展へ。チョイスが微妙なのは若さのパワーだ許せ。その日までにも飲み会や電話など、密なやりとりをしていたので、もう気持ちを伝える気満々でした。今の僕が司令塔につくなら絶対に「待て」の指示を出すけどな。

 当時、勘違い野郎の僕は気持ちが成就する気満々でした。なんでそうなるのだ。若かったんだねぇ。痛いねぇ。「ごめんなさい」言われた後の記憶が全くありません。不思議なもので、その後の方が想いが募り、胸が締め付けられるような恋心にさいなまれました。いやー、なんてウブなんでしょ。今の僕が当時の僕に会えば、絶対に純情な気持ちを踏み躙るようないたずらをする事でしょう。大人って汚い。まあそれはさておき、当時は悶々とした月日を送ってました。ウブでしたから。今ならそのまま何度もアタックしたことでしょう。余韻も感傷もありゃしねぇ。大体一人でウジウジ悩んでても始まりゃしねえんだから(略)

 女性への想いを吹っ切るべくランパブで働いてみたり、急速に文学に傾倒してみたりと、溢れる気持ちをもてあます日々でした。うん、書いてみて思う。とっても普通の文学部生キャンパスライフを過ごしているじゃないか。なんだ僕にも青春時代があったんだ。

 失恋の夜、家に帰ってウィスキー瓶を一人で空けて、布団にこもって徹底的に泣きじゃくりました。僕の泣き上戸の原点です。本当に若さって痛いですね。でも痛いことをちゃんと経験してきた事が、きちんと自分の根っこになってると、この年になって思います。

 その日から16年。

 月日を重ね、不思議な縁から、今ではかみさんの親友になってます。一緒に買い物をし、コンサートにいく仲。週を空けずに電話する仲。不思議なものです。

 それはいいのですが、

 かみさん宛てに我が家に電話してきて、僕が出たら
 「え、おとこ?誰?」などとのたまうのはやめてください。ここは僕の家です。僕のこと忘れないでください。しくしく。

 恋話にまでオチは要りません。僕の人生にオチは要りません。間に合ってます。勘弁してください。

清志郎 天国へ

 ニュースブログのような見出しですが、今日はさすがにこれがショッキングすぎて・・・。

ロック歌手の忌野清志郎さん死去、58歳

意外かもしれませんが、忌野清志郎、好きだったんですよ。

 高校時代にライブ版を友達に借りてから、ずっと愛聴してました。
「い・け・な・い・ルージュマジック」「雨上がりの夜空に」「スローバラード」「トランジスタラジオ」「僕の好きな先生」・・・今でも、全部iPodに入ってます。

 特に「僕の好きな先生」は、教育産業の端っこに居るものとして、「こういう人になれたらいいなぁ」という一つの指標でしたね。というか、この歌、思いっきりうちの親父(反面教師)まんまですが。ええ。

 そんな清志郎も鬼籍に入る年になってしまったのね。。。
 それでも、清志郎のもつブルースの感情は、ずっと感じ続けていきたいです。

 Wikipediaにも載ってるけど、僕の好きなエピソード。

(「夜のヒットスタジオ」に出演時、テレビカメラに向かってガムを吐きかけるなどの悪ふざけをしたことに関し、「自分に社会性はあると思うか?」という雑誌のインタビューに答えて)
「あるよ。ある予定なんだけど、残念ながら社会の方にないみたいね(笑)。」

自信を持ってこう発言できる大人になりたい。全うな大人でありたい。