ランジェリーパブの思い出

赤坂見附
赤坂見附に行った。みすじ通りのランジェリーパブで働いていたのはもう20年前か。当時まだ10代だった。あの頃の店長の年齢もとうに超えてしまったなぁ。1993-2013。
何故そこで働こうと思ったのか今となっては解らないけど、当時は若いなりに社会を知りたいという欲求に従ってアルバイトをチョイスしていたのだと思う。同時に「絶対に、家庭教師と塾講師はしない」という変な決意もあった。どんなに時給が高くても、やりたくなかった。実家が学習塾を営んでいる僕にとって、それは「実家に帰ればいつでもできる」事であり、自立しようとする意思から逆流することだった。
今は色々言われているが、当時は(今も?)水商売・客商売の下っ端は体罰も当たり前だった。僕は決して体罰容認派では無いが、客前に出せる行動、言葉遣いが出来ない若造を店に置くからには、身体で叩き込むしか方法論が無かったのだろう。
(それは、今振り返ると、社会経験の無い僕が役に立たなかったのは当然であり、それを教育するシステムも無いままに雇ったり店頭に出したりする仕組み自体が問題だったのだと理解している。当時は「現場でしごいて教える」という丁稚システムがまだまだ幅を利かせてた時代だったのだ。)
当時は大学生で、それなりに女性とも接する学生時代を送っていたとはいえ、所詮学内のオシトヤカなお友達づきあいだけの閉鎖的な空間に居た。恋愛関係なるものも経験した事がなく、まだまだウブな19歳だった。
ランジェリーパブでは、そんな僕の前に、数多くの女の子達が突然にして現れた。
もちろん、色恋沙汰は無い。だけど、ウェイターと女の子、全くクチを聞かないわけでもない。同じ店を盛り上げる仲として、オープン前やクローズ後、それなりに打ち解けて話をすることが多かった。
打ち解けるようになって1ヶ月ほど。初めに思った事。
精神的に自立もしてなければ社会も知らない僕にとって、彼女達のなんと精神的に立派な事か。経済的にも社会的にも自立している事か。
いろんな子が居た。仙台から出てきて、ホストの彼氏と二人で住みながら将来飲食店を持つために貯金している子。博多から出てきて、ただとにかくファッションの世界に身をおく事でしか安心感を得る事が出来ない子。読書が好きで、一人で居るのが好きだけど、その反面彼氏依存で、ヒモの彼氏に捨てられないために頑張る子。普通の大学生。様々な経緯でそこに集まってきた人たちが、また様々な経緯で出会い、関係を織り成していく。
(因みに女の子にとって、お客様(オトコ)はもう完全に「物体」でしかなく、オープン前もクローズ後もお客様に関する話題は一切出てきませんでした。本当に、興味をもたれてないと言うのが良くわかりました)
彼女達は、僕と同じ19時歳の子もいたけれど、皆仕事に対して(どんなカタチであっても)ポリシーを持っていたし、生きるうえで大事なものが何かを理解していたし、それをお互いに尊重する寛容さも持ち合わせてた。言葉を変えれば、人が生きる上での「こう生きなきゃいけない」みたいなレールにものすごい幅があり、そのどこを進んでも自己責任でいいよね、というものすごく割り切ったサバサバ感があった。お金というものに対する接し方も、人それぞれではあるが哲学が見え隠れしていた。
僕は、そんな彼女達と一緒の空間に居る事が、とても恥ずかしく、また、またとない社会経験の機会としても捕らえていた。
僕が勤めていたお店は、オープンが18時。閉店は午前2時。
17時からお店に入り、30分掃除をしたら、早速マカナイが出る。マカナイはいつもその日の食材で決まるオリジナル料理だった。開店時は野菜スティックやポッキー盛り合わせ、水割りを作ってるその厨房は3畳ほどのスペースしかなかった。そこで、あまり会話をしない寡黙な厨房担当は、少し塩味の強い東北風味の料理を作ってくれた。日替わりで出てくるオリジナルなチャーハンやカレー、サンドイッチはとても美味しかった。
それを食べ終わると、その場に居る店長、副店長、女の子、厨房、ウェイターがみんな集まって、通称「ジュージャン」をする。何のことは無い。「ジュースを掛けてじゃんけん」するだけだ。勝ち抜けじゃんけんで、負けた子が全額自腹でコンビニから各自のジュースをご馳走する。僕はあまり負けたことは無かった。でも、負けることはとても怖かった。それはジュースをおごる、という経済的負担より、みんなが「メモも取らずに全員分のジュースを間違いなく買ってこれる」人たちだったため、僕が負けた時に「覚えられるだろうか」という恐怖が先にたっていたのだ。間違えたら、「ヤマモトォ、お前そんなこともできねえのか!」と(本気では無いだろうが)膝蹴りが飛んできたのは間違いない。厳密に言えば、その体罰自体が怖いのでなく、「ジュースすらまともに買って来れない、役に立たない自分」に気付き、気付かれる事そのものが怖かった。
買い物と言えば、僕はその店でイロイロと社会の隠語も教わった。いまや普通に使う言葉だが「マイセン(マイルドセブン)」「PM(フィリップモリス)」「セッタ(セブンスター)」「マルメ(マルボロメンソール)」。こういった言葉は全部この店で教わった。もちろん煙草だけではなく、お酒用語も、接客用語(社会人になってからは使えないような水商売専門用語だが)も、沢山教わった。
店長と副店長、そしてメインで入っている女の子達の煙草を用意して、ウェイターの仕事は始まる。
(時代の後押しもあったのかもしれないが、男女共に喫煙率は100%だった。)
後はひたすら接客業。ビールを運んでひざまづき、うやうやしくビール瓶を置いて、会話の邪魔にならないように綺麗に去る。
この一連の行為が、またとても難しくって、僕は何度も叱られた。
ここでも、一番大事な事は筋肉だ、と感じていた。
当時、一緒にお店に入ってくれていたメンバーの一人に「アズマ」という名の男の子が居た。
年齢は僕と同じくらい。でも彼は、このランパブの親組織に属している青年で、メインの仕事は街場で女の子をスカウトする事だった。もちろん、それなりに細身で身なりにも気をつけている、いわゆる「イケメン」だった。
そんな彼は、「これから店を背負っていける立場になる為に」ということで、内勤も経験しなければならないという先輩からの推薦で、僕の居た店に配属されてきた。
彼は店に来た段階で、ウェイターは未経験。立場的には僕より3ヶ月後輩。ウェイターとしては僕の方が長くやっていた。その意味では、僕の方が先輩でもあった。
が、そんな自信はものの見事に打ち崩された。
気の配り方、身のこなし方、ジュリアナサウンドが大音量で鳴り響く中での女の子の合図の見逃さなさ、目利き、動き、そしてちょっとバックで休むこズルさ。ああ、これがこの業界で働くと言う事なんだ。と僕はその時に実感した。「人」「気配り」「応対」それが社会を形成してるスキルなんだ、とその時にはっきりわかった。と同時に「僕は、何も、できない。」という事も理解した。
これは僕が大学時代に得た経験の中でもかなり大きな比重を占める自己認識だ。
アズマとはその先もなんとなく仲良くなり、彼の家に泊まりに行ったり、僕の家に遊びに来たりした。ミスター水商売とも思える彼がどんな生活をしてるのか、僕はとても好奇心旺盛に彼の家をお邪魔したのだが、そこはあまり、僕ら大学生と変わることはなかった。ただ少し、ファッションが多く、散らかってはいるものの女性が見たときに不潔に思うような状況ではなく、後は丸まった葉っぱやそれを吸い込む道具があったりして、とても興味深かった。そんな彼と、一晩えんえんとテトリスをしながら、夜を明かした。水商売で生きる男女の居る世界と、ただの大学生である僕の居る世界、何が違っていて、何が一緒なのか、その距離感を少しづつ掴んできた。
店がクローズすると、夜は2時。もちろん、終電は無い。
その時間になると、お店の外には「送り」と呼ばれるバイトが店頭に集結しているのだ。彼らは、現金払いで運賃をもらい、僕らウェイターや女の子達を、自宅まで送り届けるのが仕事なのだ。要は、店専属・帰宅専属のタクシーということだ。
よく、僕の住む西武柳沢方面を担当してくれたヤスさんは、今で言うステップワゴンのようなワンボックスカーのオーナーで、裏道を高速で飛ばしまくるのが好きだった。今思っても、よく人を轢かなかったもんだと感心する。とにかくマンションの隙間を時速60~80km代ですり抜けるのだ。それを助手席で怖がる女の子達の動きを見て、喜んでいるところがあった。僕が乗る後部座席のその後ろには、コンサートででも使うような大型のスピーカーが2台、上向きについていた。そこから流れる曲は決まって「2-unlimited」(時代だなぁ)

爆音でテクノを聞きながら、女の子達とあわよくば、の下心をもちながら、ヤスさんは僕らを送り届けてくれるのだ。そこで起きる会話は、お店の女の子達との会話とは又一味違って、面白かった。
お店でも、それなりにセクシャルな話は飛び交っている。そんな会話に飽き飽きしながらも付き合ってくれる女の子達の集団だ。でも、夜のドライバーとの会話は、仕事モードから脱却された女の子達がリアルに彼氏の話とかホストの話とか、借金の話とかが(話、というより愚痴ばかりだが)飛び出してくる。その会話をかいくぐって口説こうとするヤスさん。後ろで素直に聞いている僕。
「そこの、俺のMA-1取って」
「え、え、え、MA、なんですか?」
「山本ぉ、お前ファッションにも詳しくなんねと、モテないぞ」
そんな会話を通じて、僕は少しずつ、自分中心の小さな世界から外の世界を見るようになってきた。
因みにMA-1とは・・・。

同じ方向で帰る女の子は二人居た。「優香」と「葵」。どちらも源氏名だ。本名は知らない。田無やその先から通ってきている女の子達だった。
そんな彼女達と僕の帰り道はほぼ同じ方向にある。だけど、帰り道は全く一直線じゃない。時には六本木のラーメン屋に寄って夜食を食べる。女の子が海にいきたいといえばなぜか晴海ふ頭に行く。そんなこんなで帰宅時間は6時を越える。拘束時間としては賞味13時間/日になる。でも、これがまた楽しい時間帯だった。若かったんだな。
そのバイトは半年ほど続いた。93年の秋から、94年の春ごろまで。
大学一年の後半、冬休みは、このバイトに精を出していたと言っても過言ではない。
大学時に入ったサークルがあまりにも居心地よく、そこを抜け出せない自分にジレンマを感じながらも、「東京に出てきたのだから、世界を知らないと」と無い頭をひねって考え出した結果が「水商売で働こう」だったわけだから、その脳みその短絡性たるや、と思う。
でも、今振り返ると、僕の経験値として、この店でのアルバイト経験は充分に、役に立っている。
・・・
論旨もなく、ただ漠然と筆の向くまま、思い出を書き綴ってしまった。
もう少し、この店の思い出を話そうか。
その店で、僕は「美奈緒」という女の子と、割と親しく話していた記憶がある。
(つづく)
ランパブへ行こう! (デザートコミックス)

先見の明

LOOKを見て「このバンドはブレイクする」と思い、MSXはファミコンよりも売れると言い張り、プレステよりサターンよりNINTENDO64が流行ると思い、えび天はイカ天より偉大な番組になると語り、Operaを見て「次世代はこれだ」と思い、QuickTimeよりWMVだと信じ、Mayaより3dsMaxを購入し、CSSは時代のあだ花だと目を背け、コスタビはウォーホル級と感じ、嵐はすぐに人気凋落し解散すると明言し、TumblrはTwitterより流行ると言い続け、ワンピースは10週で終わると思ってたほど、僕は先見の明が無い。

先見の明―隠された昭和史

働きたくない僕が考えた最良の学生生活プラン
読んだ。
さて、これを読んだ僕の感想。
まず、全体的に。
この電脳くらげさんの「脱社畜ブログ」、結構僕は好きで愛読しています。こうかくと会社の中でまた変な目で見られそうで居た堪れないのですが、僕自身は社畜とか社畜じゃないとか、そういう視点で働くことはしてません。自分で選んだ好きな会社に居させてもらっているので、この場所には不満も何も無いのです。この辺りのことも、一度改めて記さないといけませんね。
・自分は社会人になって、社会をある程度俯瞰してから、自分が行きたい会社を見つけて、その会社に入り自由意志で働いている。

僕自身は筆者の言うように「働かずに生きていきたい」とは思っていない。僕の希望は過去の価値観をもつ老人からも高度経済成長の価値観を持つ人からも21世紀の新しい価値観をもつ人からも押しなべて「納得して敬意を払ってもらう生き方」をしたいと願っているし、労働の楽しさ(それはあくまで主体的に動くものとして、またいつでも中断できるものとして)も、趣味の楽しさも、快楽の楽しさも、怠惰の楽しさも、一般常識人としての楽しさも、逸脱人としての楽しさも、全てを僕の一回の人生の中で詰め込むだけ詰め込んで生きていきたい、という願いがあるからです。
そこにはこの年になっても取捨選択がない。するつもりもない。全部やりたいのだ。だから「働かずに生きていきたい」という願望ではなく、「好きなだけ働いて、嫌になったら辞めて、また働きたくなったら働く自由を享受して生きていきたい。他者からは、働いている一般常識人、大人しての敬意も払ってもらいたいし、また働かずに自由を謳歌するアナーキストとしての敬意も払ってもらいたい。」というのが僕の本質的ワガママ願望なのです。ノブレスオブリージュ。僕は精神的貴族でありたいと願った学生時代を20年以上も引きずって生きているのです。
金の話をしない経営者を信用するな
会社が辛くなったら、いつでも逃げていい

女子会と会話


かみさんが衣装を作りました。衣装の元はこんな感じです。

Twitterから話が始まり、Twitter経由で引き受けて、都内で打合せして、作って納品。今はどこで何がつながるか本当にわからない時代です。ちょっと独り言をつぶやいて、それに誰かが反応して、気がつけば御縁が広がってる、そんな時代に生きてると思います。
まあ、それはいい。そんな真面目ぶった話は抜きにして。
先日、この衣装を作ったかみさんは依頼してくれた女性お二人に衣装をお渡しに新宿行ってきたんですよ。
ただ渡すだけもなんですから、女性三人で女子会的なムード。衣装の試着もするから、個室をご用意いただいて、そこで女性ばかり水入らずで、きゃいきゃいと仲睦まじく楽しく過ごしてきたそうです。
自宅に戻ってから、そのときの感想を聞きました。
うちのかみさんはいろいろ事情もあり、基本的に人と接することが極端に少ないため、こういった機会は年に1回あるかないかです。女子会なんて人生初めてじゃなかろうか。人とコミュニケーションを取る事に関して一切を遮断して生きているうちのかみさんにとって、今回の経験は非常に面白いものだったようです。
その時の感想で、僕が、感銘を受けた一言。
「私達、13年くらい、真面目な会話しかしてこなかった気がする」
ここでいう真面目、とは法的に違反していない、とか常識的、とかそういう事ではなくて、会話というものに対する姿勢の話です。うちのかみさんと僕が会話してる内容そのものは毎日エログロナンセンスなものばかりです。
少しばかりうちのかみさんの日記をmixiから引用。本人了承済み。
僕に負けじと文章が長いかみさんです。
————
で、この試着→写真撮影以外の時間は「女子会」だったんですが、世の中の普通の女性
というのは、通常とてもゆる〜いお話をしているのですね。
まあ、今回のメンバーが、「知人以上・友人未満」のような距離感の関係性だったので
(ああ。そういえば、皆デジハリ卒業生っていう共通点はあった! たぶん偶然だけど)、
そんなにいきなり深い話もしないだろう…、っていうのもありますが、それにしても、全般に
ワイドショー的な話とか、何と言うか本当に「ゆる〜い」会で、それがわたしには新鮮というか
今まで経験のない楽しさだったというか、おもしろかったです。
たまに会うリアル友人は、わたしがこのとおりド真面目なことを踏まえてくれてか、あるいは
相手も「類友」で普通に真面目だからか、すごく真面目な会話をするんです。
それは、「深刻な悩み」とか、「エグい愚痴」とか、暗いということではなくて、普通に近況報告
などをし合って楽しいんですけど、でもやっぱりすごく「真面目」なんです。
話にはちゃんと起承転結とか因果関係とかがあって、お互いに励まし合ったり、何と言うか、
すごく「意味・内容がある」。
友人とは、そういうふうにしか会うことがないので、「意味もない・生産性もない」話題だけで
何時間も、女の人同士は会話することができるんだなぁ、と知って、ちょっと目からウロコ
でした。←あれ? それが標準?・笑。
————-
まあ、文章の論旨を見ていただければそれだけでも十分お分かりかと思いますが、うちのかみさんは僕に輪をかけて論説口調というか、説明調、因果関係重視派、雰囲気だけの会話が出来ない人、なんですね。
更に、僕もそういう会話が出来ない。論理的な思考方法が出来ないくせに、なんとなくの「あー、わかるー」的な会話だったり、「ウェーイ!」といった一発飲み会盛り上げ系の会話が全く出来ないのですよ。
すなわちコミュニケーション能力皆無。面白い会話なんて出来ない引き篭もり系男子です。
そんなうちのかみさんと僕が結婚してうちに引き篭もってるとどんな会話になるかと言うと・・・例えば昨日はなした内容は
・人生における目的と収入及び労働の関係性とは
・教育における親の影響力の有効範囲について
・KinKiKidsにおける光一のポジションとバタイユのエロティシズムの関係性
・明日のお弁当におけるモティーフと2重膳のデザイン性について
なんてことになるわけです。息苦しい。
でも、そんな環境が13年間続いてても、お互い何も違和感を感じてなかったんですね。
僕もかみさんも、お互い会話というのは論旨があり、初文と結論があってその間に論理的整合性が保たれていないと話をしてはならぬというなんとなくの不文律があり、「何故今トイレに行かなくてはならないのか」「何故今日の晩御飯はハンバーグなのか」といった事に対して、逐一説明と解答がお互いに話されていたのです。この会話続けてると、正直、生き難くなります。
今回、女子会を経験して、うちのかみさんは新たな境地に達した模様です。意味の無い、生産性の無い会話、これが如何に大事な事か。それに気がついてくれた模様です。

2

1-404
少し前、Twitterでこのような事を書き込んだ。
「もうこの人生の中でやるべき事は二つしかないと気がついた。」
このTwieetに、そんなに反響があった訳じゃない。そもそも人は他人にそんなに興味が無い。僕のやるべき事が1つだろうが1024個だろうが、それに興味を持ってくれるのは親兄弟と妻ぐらいのものだろう(そして家族というのは常に目を掛けてくれていると言う意味で、本当に有難い存在だ)。
とはいえ、これは僕だけではなく、それぞれ目にした人たちに、「自分のやるべきこと」を思い返させたようだ。
・自分はこれから何をするべきか。
・何をする為に生きてきたのか。
糞真面目に言えばそういうことだ。青臭い20代の就職活動やうそ臭いセルフブランディングのような、でも、これからの時間の使い方や行動規範を決めてしまう結論を導き出す疑問。僕もそろそろ「不惑」だが、これは上記の疑問に対して、ある程度目処をつける年齢だと教えられているような気がする。
僕のやるべき事、はとてもシンプルで「家族を作る(守る)事」と「ある職業に就き、生涯貫く事」です。でも、まあ、僕のことはいいです。僕の事は置いといて。
様々なメッセージを頂いた。もちろん、僕の2つが何なのか、を問うてくれる方もいたし、何がそう思わせたのか、自分にとっては何なのか、見つけ出す方法論はあるのか、本当にその2つだと断定する事はできるのか、等々・・・。改めて自分自身でも振り返って熟慮させてもらいました。
僕が「この二つしかない」とTweetしたのは、逆説的ですが、「決めてしまえば後はなんとかなるかな」という開き直りと、「うん、まあ、大体間違い無いかな」という八割方の正解予測をあたかも100%正解の真実のように語る詐弁を使った事に他なりません。
大体、そんなもんだと思うんですよ。本当にやるべきことなんて、ひょっとしたら無いかもしれない。生きてるだけで丸儲け。何か義務感を感じる必要なんて無いというのも正直なところです。目の前が楽しければそれでいいんです。刹那の喜びを重ねていけば、良い人生になるというのも決して間違いじゃないと思ってます。究極のところ、食欲性欲睡眠欲だけ満たして生きると云うとてもシンプルな生き方もカッコいいと思ってます。
でも、逆に「やるべきこと」のような行動規範があったほうが、僕は楽しいし、楽なのです。
えーと、僕の考え方はこうです。プリミティブな欲求を満足させる事だけを、生きる目標とするとですね、結構メンドクサイなぁと感じたんですよ。例えば、食欲を満たすためには、当然だけどお金を稼がないといけない。稼いだお金で、自分の食欲を満たすためには、量をどれくらいにして、どんな質のご飯を食べるか考えなくてはいけない。ココ壱のカレー大盛りなのか、富山のマス寿司なのか、二郎ラーメンなのか、超高級料亭の懐石料理なのか。今、自分は何をどれだけ食べたくて、明日何をどれだけ食べたいのか。これを追求していくと、当たり前ですけど経済学のように大なる成果のためにある程度の資源を効率的に投入するかを考えていかなければいけなかったりするわけですよね。正直面倒くさい。
この、効率的に、って発想が僕は完全に欠落してるんですよ。
で、これはまた以前のブログ記事に立ち返った話になるんですが、ちょっと前までは沢山食べたらそれで満足という身体だったんですね。そこには計算も効率もへったくれもなく、「少しでも量の多いもの」「品数の多いもの」をチョイスすれば自分は満足する、というとても簡単な一軸による正解があったのです。睡眠欲も「布団の質とか枕とかどうでもいいから沢山寝ることが正解」だったし、性欲も(略)。量こそが正義。量こそが幸せ、という高度経済成長的肉体を有していたのです。効率とかどうでもいい、バランスとかどうでもいい。そういう行き過ぎとか足りないとか考えるのが一々面倒くさいというとっても怠惰な脳みそをもって生きてきたわけです。
(この「怠惰な脳みそ」というやつがまた厄介者なのですが、これを語るとまた終わらないので後に回します。)
でも、最近、「量こそが正解」じゃ、なくなってきた。
その経緯は先日のブログの通りですが、食べ過ぎるとお腹を壊す、寝すぎるとしんどい、後一つは僕の沽券に関わるので言わせるな、ということで、量と品質のバランスを取っていかないといけなくなってきたのです。
なのですが、先ほどから散々言ってる通り、とにかくバランスを取るだの調整するだの最適化だの、僕の性格では適度・適量を量るということがとにかく面倒で大嫌いで、これは何かの病気ではなかろうかというくらいにオンかオフ、100%か0%、死刑か無罪、仲間か敵、白か黒もしくは全部灰色と、決着をつけたがるのです。こういう極端な判断をする心理を、医学的には境界性人格障害というらしいですが、僕は別に障害を持ってるわけじゃなく(いや、わかんない。ひょっとしたらあるのかもしれない。調べてないだけです。これも面倒くさいから。)、ただ単に脳みそが考え抜くのを面倒くさがってるだけなのです。
僕は今一体何回面倒くさいといったのだろう。本当に駄目な大人だ。
で、話が長くなった。元に戻して。
年を重ねてくると、プリミティブな欲求だけを求める事が、全然シンプルでなくなってきて、いろいろ考えなくてはならなくなってきたのです。で、いろいろ考えた結果(矛盾してる)、やっぱりバランスを考えるのは面倒くさいという結論に達し、考えなくてもいいようにするためには「何をするべきか」明確にしてそれに沿って生きてけば考える必要は無いんじゃないか、と思った次第です。
こういう思考のタイプを、「労働者型思考停止タイプ」と言います。法律とか常識に疑問を持たないで会社に奉仕する、ちょっと頭の弱い、だけど資本家からすると一番使い勝手の良い一般社会ピープルなわけです。理想的サラリーマン。日本型雇用の申し子。それが僕です。
なので、「人生でやるべき事」なんて仰々しく書いてますが、何かを悟ったり目覚めたりしたわけじゃなく「このアタリで今のところ決めておいて、強く当たって後は流れでお願いします」と、自分が悩まなくて済むように、自分の中で適当に腹落ちさせておいたものになります。いうなれば僕にとっての憲法みたいなものです。(こう書くと憲法学者に怒られそうですが、憲法だって法律化しようとすると面倒くさい案件の方針を、根底的に規程してるものでしょ。僕そう思ってるんですが)
と、また斜に構えた言い方してますが、ココは僕、結構大事な事言ってると思ってます。
正直自分のやるべき事なんていくつになってもわかりゃしません。多分コロコロ変わります。んなこと理解してます。だからこそ、80%の確信があれば、それでもう行動規範にしていいんじゃないか、と。後になって変わってきたらまた変えればいいだけの話で。誰に迷惑掛ける訳でもない(かみさんは振り回されるかもしれませんが)。でも、考え続けてるくらいなら、行動したほうが早く結論に到達できる、と信じています。ここもまた、「思考するのが面倒くさい」型発想で、ある程度正解っぽいものが見えてきたらすぐ行動に移って思考を停止させるというお得意のパターンになるわけです。
というわけで、
「もうこの人生の中でやるべき事は二つしかないと気がついた。」
一応、ほら、もう僕も不惑近いわけですから。そろそろ気がついておかないと色々と大変になっちゃう訳ですよ。気がついたことにしておいて下さいよ。
なんだか、僕にメッセージをくれて真面目に質問してくれた方々にとても失礼な事をした気がする。
わが息子よ、君はどう生きるか

無題。

Sunny Day Macho
取り合えず生きてる、という事をもっと誇っていい。
自分の評価は他人がするもので、自分自身でやるものじゃない。だけど、どうせ自分で自分を評価するなら、徹底的に過剰評価しておいたほうが良い。どうせ正しい評価なんか出来ないのだから、自信をもって「俺は正しい」と叫んだほうが健全だ。
浄土 (講談社文庫)

7年前・2006年とのシンクロ

いわゆる山宿。
健康診断の結果が帰ってきました。
「脂質代謝障害の疑い」とのこと。ようするに中年太りということか。
そりゃ、昨年の診断から5kg太って腹囲も大変な事になってるから、そういう疑いが掛けられても何ら不思議は無い。ええ、はい。健康に気をつけます。
そんな事を言ってる間にもう2月です。あっという間に一年の1/12が終わってしまいました。
早い、というのも実感ではありますが、同時に沢山の人に会い、様々刺激を受けた一月であると実感しています。
先日のブログでも書きましたが、実家への弾丸帰省新年会をはじめ、Ryuchi、こまさん、大学同期仲間、yurichaとあっちゃん、いずみさん、etcetc…大事な、様々な方々との語らいの時間。そして充実した日々の仕事。興味を持って学ぶ語学。読書や運動に勤しむ余暇の時間。ブログ書きまくり。暖かい風呂。アタリの豆を見つけたおいしい珈琲。美味い飯。iPadminiで遊びつつのぐうたら三昧。これを幸せと言わずして何という。
そう、日々の生活でもう充分幸せなんですよね。特別な事しなくても。
でも、2月になったらそうはいかない。
・・・気がしてる。
すごく個人的で、すごく変なデジャヴを感じているのですが、昨年末から今年に掛けて、7年前(2006年)と妙にシンクロする事が多いのです。
大きな出来事があったわけではないのですが、日々の細かい事の積み重ねが、とても近似しているのです。
・年末に2005年末と全く同じ文面の長文メールを書いていた。
・年越しはKatyとスカイプしながら0時を迎えていた。
・某仲のいい友達と同じようなルートで遊んでいた。
・同月同日にサーバの中身吹っ飛ばした。
・・・etcetc。数え上げたらきりが無い。細かい事だからこそ、シンクロしてる事を強く感じるのです。
で、そんな2006年。様々な意味で2月と7月には大きな変革がありました。
ひょっとすると、幸運、不幸どちらかもわからないけど、同じ変革が、同じ時期にあるかもしれない。
オカルトな発想なのは百も承知。でも、悪い事に関してなら、少しでも心の準備、意識の準備をしておく事で回避できるのでは無いかと思っています。
そして、2006年と言えば。個人的なことですが、今もずっと覚えている事。僕は間違いなく、人生における大きな行動ミスをしたのです。ほんの一手、僕が判断を焦り、連絡や相談をしなかっただけ。その順番を間違えただけ。本当に、行動としてはただそれだけなのですが、住む場所も、勤める環境も、周囲からの視線も、僕の人生は大きく変わりました。詳しくはまたSNS輔家にでも記します。あの轍を踏まないように心がけるだけでも、僕はこのシンクロが教えてくれるアラートを大事に受け取る意味があると思っています。
ただ、その時のミスに関しては、人生は万事塞翁が馬。そのミスによって出会う事ができた仲間、感銘を受けた出来事、今につながる道のりがあった事も事実です。それを後悔する気持ちはありません。ただ、遠回りをしてしまったなぁ、遠回りの中で見つけてきた宝物も多いなぁ、と感じているだけです。
そんな、ターニングポイントともいえる2006年との、7年を超えてのシンクロ。これは一体何を意味するんでしょうか。
改めて、大きな波のあった2月7月を越えたタイミングで、総括してみたいと思います。
もし本当にシンクロしているとするならば、この一ヶ月、そして半年は大いに楽しみです。
一度経験した波を、今度は上手く乗り越えてやろうと、意欲に溢れています。
あの時に最も心強かったのが、周辺の友人、期待してくれる仲間、帰ってくる巣のような場所、そういったものがみんな味方として僕を救ってくれた事です。僕の個人的な解釈ですが、まるで山宿(やまやど)のような、祭りで熱くなった僕を迎えてくれる場所、それが常に機能し続けてくれました。
今年も同じように、今も僕を迎えてくれる大事な場所が、複数あります。
さあ、2月。楽しみな月間のはじまりです。
シンクロニシティ 未来をつくるリーダーシップ