営業上のポリシー

弊社の営業上のポリシーは

「僕のファンでもない人間が僕に仕事を依頼してくるな」です。

ちゃんと僕のブログ5回通し読んで(1999年から続けてます)YouTubeちゃんと見て、Note読んで、Twitter読んで、ラジオ聴いて、授業受けて、舞台観て、企業サイト見て、その上で「貴方面白い人ですね」と言ってくださる方の依頼を引き受けます。

いつものことながら写真に意味はありません。

たまにはラジオの告知

たまにはラジオの告知もしなければならぬ。

毎週放送していると、いつの間にか210回を超えてしまったではないかなんでこんなに喋っているんだ。

と言うわけでFM市川うららにて木曜深夜1時から放送中の「山本輔のビブリオフィリア」

FM83.0Mhz もしくはリアルタイムにこちらで視聴可能!https://www.jcbasimul.com/ulalafm

明日の深夜1時にオンエアします。

今週もお話ししております。今週は

・土曜日に新宿で行ったAE勉強会「たすく塾」のお話

・混声合唱団S.P.P.の定期演奏会のお話

・神田で定期開催しているDJ&VJイベント「Welcome 2 the Dawn」のお話

・BYND卒業式ワークスプレビューのお話

と、相変わらずてんこ盛りの人生経験話をしております。わかってるか上記のお話全部この土日に行われたことなんだぞ。さらに先週の放送から今週の放送の間に大阪〜大網〜横浜と走り回ってるんだぞ。何やってるんだ僕は。

そしてカメラを撮る側、映る側、喋る側、流す側、多方面に活動しております一体何をやっているんだ自分は。

と言うわけで、関係している皆々様、たまにはラジオ聞いてください。そしてお便りください。

お便りなくても喋り続ける番組になっておりますが、なければないで寂しいのでございますよ。何をやっているんだ僕は。お便りを待っているんだ。

今回取り上げる曲は内容に紐づいて、NWJNS、さだまさし、Princeと無節操すぎる幅広さでお届けしております。

WADAYAご挨拶

法人化して、まずご挨拶するのはここしかありません。僕が独立するきっかけをくれた、そして独立一年目を支えてくれた、そして僕を鍛えてくれた、師と仰ぐ方の事務所。株式会社WADAYA。

新しいスタジオを構えたこともあり、そのスタジオもご訪問。映像技術に関しては僕なんてもう足元にも及ばない。なんだこのクレイジーな最先端スタジオ兼MAルーム&バーカウンターは。studio 80(eighties)という名前に込められた意味がわかる方は相当なシネフィルです。

それも理解した上で、僕の立ち位置を考えられる。

僕はこの世界で何ができるのか。僕なんて比較にならないほどとんでもない人たちが身近にいる中で、僕に何ができるのか。

美味しい肉を突きながら久々の語らい。あまり挨拶できてなくてごめん。あまりに行かなさ過ぎて近くの東横インがなくなっておりました(独立一年目、ほぼ泊まり込みでココで修行してました)。

まだまだ、自分のやるべきことを頑張ります。

 たすく塾 開講

(お顔見えないように加工)

映像・AfterEffects勉強会しました。勉強会というか「僕が自分の好きなことを独り言として語り続ける」という自閉症の会です。故に参加無償です。場所代、運営費は自腹です。だって僕が僕のために好きでやってるんだから。

「何やってんの?」と言われるかもしれませんが、これが僕のケジメと義理とポリシースタイルなのです。

参加資格は「BYND出身者」。条件は「僕の話が役に立つと思ったら、その利益を母校に還元してください。何かあった時、率先してBYNDに尽くしてください」という覚悟求めスタイル。後はその日の飲み代だけ出して頂きました。へべれけに飲みました。

いや、これまでもさまざまなクラスで卒業後の任意勉強会が開催されては、一回限りで終わってしまう姿を見て歯痒くは思っていたのですよ。学びは「継続」でないと成り立たない。そのモチベーション維持はとても難しい。

僕は僕で、自分のキャラを知ってるから「絶対にセミナー・学校・オンラインサロン等々ナレッジビジネスはしない。徹底的に距離を置く」という意思を持っていました。教祖風味あるからな。すぐ壺売って稼げる自信あるからな。それやり始めたらすぐハルマゲドンとか言い出すからな。もし僕のtwitterが「山本輔@動画ビジネス副業で50万!」とか言い出したら羽交締めにしてください。自分の知識で金なんてとってたまるかみっともない。

でも、この勉強会は本当に僕のためなのです。授業が週四入っていた時期から、ちょっと喋る機会が減ると体調が悪くなってきたのです。喋らないと死にそうになったのです。自分でインプットし、アウトプットし、言語化することで得るものが多いのです。なんと言っても「僕が寂しくなくなる」からな。身内の会、お山の大将自覚の上です。

それでも、自分の大事なものを護るために、自分の意思と責任でやるべきことをやるのです。

僕が好きなことをやって、そこに邪気無く利益求めず、皆に愛されていれば、道は必ず拓けると思っているのです。

※参加希望のBYND卒業生はご連絡ください。「ここでだけ募集する」と決めている場所(卒業生LINEグループ)にご案内します。もちろん参加は任意です。ただ管理が面倒なことは僕がしない主義です。壺も売らないしNFTもお勧めしないし暗号通貨も説明しないし何より稼ぎにはなりません。楽しいだけです。

株式会社 彌榮を設立しました。

相変わらず長い文章です。しかもひねくれてます。いつもの僕です。何も変わりません。

●第一章

会社設立しました。実話です。

8年フリーランスとして、映像作家をやってきました。ドラマもCMも企業VPもわんさかわんさか作ってきました。今後もずっとフリーランスのままやっていこうと思ってましたが、まあ、その、いろいろと大人の事情の中で、背負わなければいけないものなんてーのも出てきてしまうわけでして、不肖山本、会社なんてものを立ち上げさせていただきます。

個人事業「彌榮制作」は

2023年6月2日をもって「株式会社彌榮」となります。

(個人事業契約の案件はそのまま継続します)

皆さまありがとうありがとう。本当に、こんな僕がなんとか生きてこられたのも、それがちょっと大きな責任でお仕事を始められるのも、皆様のおかげです。と言っても昨今100円で会社作れるんだけどな。

そんな僕が始める映像プロダクション彌榮。

やることはこれまでと何にも変わりません。

引きこもってPC前にして編集してモーション作ってたまに撮影現場出てを繰り返す毎日です。

そこに資金繰りと税制対策が乗っかってくるだけ…やっぱりやめようかな…。

とは言ってられない。そんな僕は、まずこの会社の社訓を作りました。こちらです。

〜彌榮十訓〜
・人を雇わない
・永続を求めない
・変革を求めない
・拡大を求めない
・他社と競争しない
・大きなビジョンを語らない
・自らの知見を後世に残そうとしない
・社会貢献せずに稼ごうとしない
・誰も幸せにならない作業をしない
・感謝を忘れない

「まーたはじまった。」
「そんなに斜に構えないで」
「奇をてらいすぎ」
「そんな社訓は大人としてどうかと思うよ」

…常識的な皆様のお声が聞こえてきます。


●第二章

会社組織には嫌な思い出しかない。

起業を目指していた訳でもない。

社会を良くして稼ごうなんてビジョンと情熱と強欲さを持ち合わせていない。

そんな僕が会社組織を構築できるわけがない。

嫌味とか文句とか言われるだろう。ああ言われるだろう。それでも言うさ。本音だからな。

「なりたくなかったけど流されてたら会社を設立する事になった」んだ。

やりたくないならやるな!という「純粋な人」の声も聞こえるけど、僕は人生そんなもんじゃないと思ってる。

自分がやりたいかやりたくないか、自分の意思なんて全く関係なくて。

やらなきゃいけなくなる時もある。

求められることもある。

逆もまた然り。

この社会から求められない悲しさ、切り捨てられる悲しさは嫌になる程経験している。

求められるなら、その事実をありがたく受け止め、自分の意思とは関係なく、楽しみながら行動するのが、僕の生き方なのです。

「本当はやりたくなかったのに」みたいな言い訳はしないよ。格好悪いから。

僕は自分の意思で自分の人生を切り拓こうなんて思っていない。

みんながお膳立てしてくれた場所で「僕を上手に使ってくれる方々がうまく僕を活用して」くれたらいいな、と思ってるだけだ。

その根底には、

お祭りに参加する、皆様から愛される、承認される等々…僕は自分の人生の目標を達成して、すでに(心理的に)満足してしまっているんだ。

後の人生、何かを求めるのは「欲張り」だと考えている。

強いて欲を出すなら「両親とかみさんよりは長生きしよう」くらいのものだ。

もう既に切り拓くもの、挑戦心なんてないんだ。

後は、先代たちの作ってきた音楽や写真や絵画や小説を楽しんで暮らし、時に僕が作ったものが後世に残っちゃったりしたら面白いかな、と思うだけで…そこに気負ったり人生を賭けたりはしない。


●第三章

生きていくためだったり飯を食うために設立するんじゃない。

好きなことを好き放題やって、それでみんなに喜んでもらうために設立するんだ。

僕のわがままなんだ。

ただ、わがまま放題で迷惑かけてたら人に嫌われちゃう。僕は嫌われたくない。

できれば喜んでもらってありがとうと言われたい。

その方が僕も嬉しい。

だから、永続性や他者の雇用なんて考えていられない。僕が飽きたらすぐ辞めるから。

社会を変えようなんて思わない。そりゃ良くなるに越したことはないけれど、僕のやりたいこと、の結果として良くなればいいな、くらいの二次的なもの。そんな幼稚な考えの社長について来る社員なんているわけがない。居たらむしろ困る。社会的に困る。

金持ち?僕が憧れたカッコいい大人達の中には、誰一人「太った富裕層」は居なかった。それ故に、荒稼ぎしたいと言う欲もない。

ただ、強いて言えば「金は敬意と覚悟の代償だ」の信念は一貫している。僕と言う存在に対して「山本さんに作ってもらいたいからお金をかき集めてきました!」と言う方のために全力を尽くしたい。「僕のために精一杯頑張ります!」と言う方にはできる限り金払い良くしていきたい。

ただ、安く手に入れよう、僕から金をせしめようという雰囲気が少しでも醸し出されたら、距離を取る。吝嗇は嫌いだ。


●第四章

同時に…僕が、社会に求める事。

「僕を変えてくれるな」

僕は今のままの僕が好きなんだ。自己変革する時は勝手に変わる。変革を強制しないでくれ。

僕の行動、僕の発言に「枷」を嵌められることが、何よりも苦手なんだ。

言いたいことを言う
言いたくないことを言わない
やりたいことをやる
やりたくないことをやらない

たとえそれが「立派な大人」の姿に反していても。

社会の公器?そりゃ一体なんのことだ?

確かに僕は社会の一員だしその責任は果たしているが、会社員時代に僕を社会から除け者にしたのはそっち側だろう。いまさら僕が作る会社に「社会の公器」を求めるのは筋違いってものじゃないか?

僕は僕のやり方で公共を、社会を考えていくよ。この世が嫌いなわけじゃないからね。

弟子も社員も要らない。自分の知見なんて後に残したくもない。役に立つものは他にいくらでもあるだろう。そりゃ、必要あって聞きに来てくれればいくらでも無償で伝えるが、それで商売をするつもりはない。同時に、僕の知見で自らの懐を暖めようとする輩とは距離を置く。臭いからだ。

自分の経験を後世に残したがる、自叙伝や「私の履歴書」を書こうとする老人になりたくないのだ。

「この世に生まれたからには何かを残したい」?。

その気持ちは理解するが、僕は自分が醜くなりそうだから持たないようにする。何かを残すより、格好良く生きる方が大事だ。

子供がいるわけじゃないし、無理して土下座しておマンマ稼いで長生きする必要も無い。

役に立つなら、使ってくれると嬉しいな。

一緒に泣いたり喜んだりしながら何か作ろうよ。

役立たずになったら食えなくなるだけ。

食えなくなったらさようなら。

別にやけっぱちになってる訳でもないんだ。

単に僕はもう自分の人生に満足したから、後は余生として今の僕を肯定してくれる人と共に、自分にできることで人の役に立っていこうと思っているのです。

同時に、自己変革しないと役に立てないのなら、潔く野垂れ死のうと云うくらいにエゴイスティックに生きているだけなのです。

言いたいことを言う
言いたくないことを言わない
やりたいことをやる
やりたくないことをやらない


●結論

その上で、結論は…

「敬意溢れる方々が ますます栄えますように。彌く榮えますように。」

僕の大好きな方々のお力になって、身近な方々が幸せになれば僕も嬉しい。

それだけなんです。

ここまでご視聴いただきありがとうございました。

補足:

Links to Hibi-no-log
(この書き方で、このサイトを紹介するのは15年ぶり、くらいだろうか)

僕は、全然アリじゃないよ。かといってキリギリスぶいてた訳でもない。
アリだと思って働いていたけれど、全くその素質がなくて落ちぶれた人間だ。
案外吹っ切ってキリギリスやってみたら、その方が人のお役に立てたみたいだ、ってだけでね。キリギリスのまま、たくさんの人にご愛顧いただいてお駄賃をもらえている、ってだけなんだ。

僕は早めにリストラされたことでこう転んだ、というだけだ。
人生、こればっかりじゃないよ。
みんなそれぞれ楽しく生きていけると信じているよ。

坂本龍一 逝去

大人になる前の僕が「生き方」として憧れた方々。

筒井康隆、米長邦雄、三島由紀夫、村上龍、(架空も入れたら)ブラックジャック、(悪魔も入れたら)デ略…。

アッサジ(写楽呆介)は憧れてない。ただ似てるだけだ。

そして、坂本龍一。

偏屈で、頑固で、社会的常識に囚われないで(もしくは意識的に、愉快犯的に反抗して)、芸事を紡ぐ大人の姿に憧れて憧れて生きてきた(余談だが若い頃に藤沢秀行の存在など知る機会がなくて良かった。本当に良かった)。

幼少期には父のステレオでYMOを聴いていた。

個人として意識した初めは、中学生の頃「音楽図鑑」を音楽鑑賞の授業で聞いた時だった。

その帰りに実家近くのショッピングセンター「サンエール」で3300円のCDを購入した。

部屋にあるコンポで何度も聞いた。レンタルダビングした「メディアバーンライブ」はテープが擦り切れるまで聴き続けた。

でも、僕にとっては「音楽の人」というより「生き方の人」だった。

一番強烈に覚えているのは「SELDOM-ILLEGAL」というエッセイ集を読んだ時だ。

中学生ながらに憤慨した。

大嫌いになった。

なんて生意気なやつなんだ、と。

こんな不遜な大人がいていいのかと。

そう思いながら最後まで読んだ。

こんな図々しく好き放題言いたいことを言って、ピアノを爪弾いてかっこいい写真を撮って、NYのスタジオにこもって、現実世界から遊離して哲学とか美術の会話を仲間とし続ける生き方をしている大人がいていいのかと。大人はスーツを着て山手線に揺られて残業をしなければならない存在じゃなかったのかと。

それを「頭がベラージュ状態なんだ。それじゃあまた」と煙に巻くような発言だけで本を出版していいのかと。大人の、社会的責任はどうなんだと。中学生ながらに思った。

こうなりたいと思った。

世界的著名人の「僕はあんまり売れたくなかったんだ。匿名性が好きでね」なんて発言に、承認欲求が強い僕は悔しくも憧れた。

中学三年になると「坂本龍一になりたい」と思って戦場のメリークリスマスを練習した。DearLizも黄土高原も練習した。弾けないけど。洒脱で偏屈な物言いも学んだ(大いに村上龍の影響もある)。

人生における「知の探究」の根にもなっている。

TibetanDanceを聴いては、父の書斎から中沢新一「チベットのモーツアルト」を読み耽った。

ピーターバラカンからラジオの世界を知った。

Ballet Mecaniqueからフェルナンレジェを経由しマンレイを知った。

音楽に対するアプローチ書籍を読んでは、(音楽的才能がない僕は)哲学的アプローチに置き換えてジルドゥルーズやロランバルトにたどり着いた。

社会問題に取り組むようになってからは…あまり聴いてこなかった、のだけどね。

それはアプローチというよりも「自分が大人になって忙しくなりすぎた」からなのだけれども。

それゆえにenergy flowやBTTBにはあまり思い入れがない。

一番最後に聴き耽ったのは、デビットシルビアンとの「Forbidden Colors」だったと記憶している。

僕にとっては、いまだに自分自身がアップデートできていない憧れの煌びやかな社会「80年代」の枠組みに存在する「文化人」の第一人者、なのだ。

さすがに僕も、不惑をとうに超え「天命を知る」年齢になってきた。

憧れた大人たち、指針になった大人たちが少しづつ舞台から退場している。

それを悲しんではいられない。

与えてくれた影響をなるべく大事に、宝物として扱っていきたい。

(決して後世に伝えたい、などとは言わない。僕の手垢のついたものなど残してはならない)

お会いすることはありませんでしたが、与えてくれた影響は多大でした。

合掌。

ぼくは 地図帳広げて 音楽

発表会@母

あまり父のことばかり書くと母が拗ねるから母についても語る。

嘘だ。両親のことを褒めると自分が「良い人」に見えるからだ。アクセス稼ぎだ。しかしFBでアクセスを稼いでもなんの利益もない。すなわちこれも嘘だ。露悪的だ。そして恥じらいだ。エイプリルフールだ。すなわちこの世は何が本当か、何が真実かなんてどうでもいいのだ。

少なくとも前の記事で「お父様素晴らしい」と賛辞をいただいたこと自体はとても嬉しく、息子としても嬉しい。皆様ありがとう。

が、同時に「父だけが凄いわけではない」と言わなければバランスが取れない。そんな父を支えてきた母はなお凄いと言わなければならない。

母本人は父を支える内助の功として、その姿を黙して語らぬが、父を支えていただけではない。

箏楽家として活動をしている。

同時に、箏の先生として留学生に向けて日本文化発信の一端を担っている。

このことは、誰にも話していなかったんじゃないかな。

それもそのはず、実は母が箏をプロレベルで演奏していると言うのを知ったのは他ならぬ(自分が)40を超えたあたりで…。母が練習してる姿なんて全く見たことがなかったのだ。

ほんのわずかに、僕が3歳になる頃までは、少し演奏する母の姿を見たことはある。僕は3歳の頃、箏曲「ロバサン」を母と一緒に演奏した思い出は残っているのだけれども。

ただの幼少期の思い出。ただの一日。それ以降二十年近く、母と箏の接点は何も無かった。日々、料理と洗濯、僕ら兄弟と父の世話をし続ける母だった。

しかし、妹も大人になり、手が離れたからか、いつしか母は再度、箏に向き合っていたようだ。

もちろん僕は既に社会人になり結婚もして、実家にほとんど帰らない不孝息子だったが故に、その練習姿を見たことはほとんどない。

不覚ながら、演奏活動をしていることさえも知らなかった。

確かに、自宅に箏は存在していた。ちゃんと手入れもされていた。そして職人の娘らしく、日々のルーティーンや練習をしっかり行える性格だとも知っていた。

純粋に驚き。「お母さんそんな上手かったんだ」と…。

それも一つ一つ教えてくれたのは父だった。

「お母さん頑張っているんだぞ」と。

まあ、父はあの通り僕と性格が瓜二つなため「こんなことやってる褒めて褒めて」と猛烈アピールが高じて周囲の人たちの頑張りも伝播してくるため、母の頑張りについても僕にこっそり伝えてくれていた。

端的に言おう。両親ともに凄い。

僕は…そりゃ生きるの大変である。生きててごめんなさいである。

ほんと地元あまり帰らない親不孝者でごめん。

この流れでは弟と妹についても語らねばならぬが、うぬらは現役なのだから自分たちで自己アピールしなさい。その筋でそれぞれ頑張っているのだから。Twitterはちゃんと見ているぞ。フォローはしてないが。

碌でなし人生はこの僕に任せておきなさい。

卒業式@父

一つ、人生の中でも痛恨の失敗がある。

お前いつも失敗ばかりだろうと言うな。

大学4年時、僕は卒業式に祖父を招く予定でいた。

祖父は僕の母校になんらか(よく分からないけど)憧憬があるようで、父も受験していたし、僕はたまたまこの大学を入学することになった。

祖父はもちろんのこと、両親も皆喜んでくれて、祖父はその日のために体調も整えて用意をしてくれていた。

で、蓋を開けたら…留年してました。

僕としても青天の霹靂。フランス語が不可になり、わずか二単位たらずの留年。

そりゃもうがっかりされましたよ。ええ。

とりあえず僕は翌年卒業したものの、流石に祖父の体力事情も変わっていて…。

その後、祖父はもう他界してしまって、この願いは叶わないものとなりました。

で、話は変わって。

それから25年、4半世紀の時を超えて。

いいか、話がややこしいから落ち着いて聞け。

ポルナレフのようなことを言うからな。

その祖父の息子、すなわち僕の父が、僕と同じ早稲田大学を本日卒業して、僕が保護者として父の卒業式に参加しました。

御年71歳。いったい何をやっているのだ。

66歳で何を思い立ったか早稲田に入学し、6年かけて卒業しました。

データサイエンス、教育工学…好奇心赴くままに学び続けておりました。

僕は僕で父が大学4年の時に生まれており、父の大学卒業式に参加するのはこれで2回目。49年越しで2回経験しております。

いやはや、僕は本当に追いつけない。この好奇心とバイタリティ。まだまだ僕も頑張らないといけない。

いや、もう、なんというか、子供がいない僕が保護者として卒業式に参加するなんて。

しかも僕の後輩が父とか、全く意味が分からない。

休憩所に並んでたら、どう見ても卒業生の父と祖父にしか見えなかったぞ。

父を見ていて思います。大学なんて、学問なんて、

就職のためだったり、お金のためだったり、メリットのためにやるものじゃないのです。

本当に父はただ純粋に好奇心のためだけに、データサイエンスと教育工学を学んでおりました。

仕事に活かす…というよりはそろそろ引退されなさい。僕が「疲れた」と言えないではないか。

ハロワ営業

独立初年度、僕は「ハロワ営業」というものをやっていた時がある。

まあ職業紹介所からすると噴飯物かもしれないけれど、生きるためだ許してくれい。

まずハローワークに行く。

映像関係のプロダクションを探す。できれば小さいところがいい。

最初の面接から社長レベル(決済者)が出てきてくれることが必要だ。

で、面接に行ったら、まず一言目「僕、就職する気ないんです」からスタートし、

自分の実績、技術を説明して「外注として使ったら社員にするより得ですよ。一緒に仕事しませんか」と持ちかけ、そのまま取引先になってもらう、という技です。

向こうには「必要な時だけ仕事を振れる」から不必要なコストはかからない。メリットしかない。僕も取引先が増える。メリットしかない。100社くらい社長に顔覚えてもらえれば、月1本〜2本くらいは仕事が来る。

だって紹介所って求人してるところが札を出してるわけでしょ。仕事があって人が足りないわけでしょ。営業先の宝庫じゃないか。スキルを売る個人事業主としては最強の営業先リストじゃないか。しかもメールアポとか全部すっ飛ばして最初から面接。使わない手はない。

当然、会社のマインドに合う「社員」を求めているところもあるわけですから、打率としては5割も行けばいいところ。

とはいえ、どの社長にも「面白いやつだな」と顔を覚えられていることには成功している。

意外と僕にはこういう図太さがある。多分自営の親譲りだろう。

仕事に困ることがあれば、またこういう仕掛けを思いつくであろう自分を(ちょっとだけ)信頼しているところがある。

真正面が渋滞してれば、脇道を選べばいいじゃない。

生きていくことはできるはずです。