国を愛する方への追悼として。

投票する先は、一人一人が真に日本の未来と向き合い、自分で決断した先であればそれで良い。その先が自民党でもれいわでも共産党でも構わない。

忌むべきは「あそこに入れろ」「あそこはやめろ」「こうあるべきだ」と、他者の意思を捻じ曲げること。そして、考えずに付き従うこと。

議論は良い。議論は大いにしよう。だが、強制(誘導や説得、同調圧力といった手段含む)は断じて許されない。

一人一人の意志と信を問う。

それが民主主義ではなかったか。

常に考えろ。教養を身に付けよ。思索から逃げてはいけない。

僕の意志。僕の言葉。僕の所作。

お仕事を抑えております。

いや、えーと、お声がけいただいたものは断らず、こんな僕がお役に立てるものはなんでも尽力するスタンスは変えておりません。そして元来営業なんてしたこともなくただ口を開けて寝っ転がっているだけのスタンスで生きてまいりました。その中で「抑えるもへったくれもあるか」と言われそうですがまあ、なんというか、皆様にご協力いただいてすこし自分の手元で行う作業を削減しております。決して代理店業務で飯を食おうなんて思ってるわけじゃなく、ちょっと自分の作業負荷を減らしているのです。

とはいえ生来の作り手気質。もっというなら喋り手気質。そもそも手を動かして口を動かしてなんぼの僕は、ここの負荷を減らすことは死を意味します。利益も出なくなります。売り上げも下がります。(結論から言うと下がってないんだけどね)

それでもあえてのお仕事抑え。これは畢竟「いつか仕事を制御しなければならない日が来る」と5年前あたりからずっと思っていたことで…。

ずっとずっとずっと、ありがたくもお仕事をいただいてなんとかご飯食べることができてまいりました。しかしながら、ずっとずっとずっとアウトプットばかりに勤しんでいたら、当然自分自身の作るものはパターン化し、楽に稼ぐ方法ばかり覚え、ノウハウを身につけて右から左に横流しでお仕事が進められる様になり…。

それ、あかんやつ。

腐っても物作り屋の端くれに居させていただいている人間としては「ビジネスや商売へのスタンスはさておき、ものづくりに対して誠実であれ」は根幹姿勢なのです。芸事の神様弁財天、物作りの神様ヴィシュワカルマ神(舌噛んだ)、工芸の神アテナ、芸術の神アポロン。古今東西神様はみんなその姿勢を良しとして、僕らを見守ってくださっておるのです。

いやまじで、別に宗教も信仰心もなんもないけどさ。神様(及びそれを伝承してきた人間の叡智や姿勢)は間違いないものがあると思ってるわけで、その神様に、ご先祖様に嫌われない様な姿勢で生きることによって僕はなんとか生き延びてこれたと思っているのです。

で。

今できること、昔見てきた作品の残滓だけでモノ作ってたらダメになる。

ちゃんと「仕事やビジネス抜きで」作る側も鑑賞する側も自分の時間を確保しないとダメになる。

そして5年後には野垂れ死ぬ。

と、最近お仕事をしている中で、自分の演出が通用しなくなりつつある危機を間近に感じてしまったのです。その結果「もっと自由にならなければ」と思い至ったのです。

仕事をする時間を削り、ちゃんと作品を見て、街を歩いて写真を撮って、楽器を奏で、絵を描いて、ゲームと戯れてCGに触れて…。

もともと学生時代はその辺りが日常にあったはずなのに、気がつくととてもそんな余裕のない毎日を送っていました。

ダメです。それではダメなのです。

僕は一般人ではありません、真っ当な社会人ではありません残念ながら。そうなりたくて20年くらい頑張ってみたけれど社会の方が受け入れてくれませんでした。なんとか生きていける道を探して結果が「遊んでることで価値を生み出す人間」というポジションです。

遊ばなくなれば…一般人になるかといえばそうでもなく「社会人にもなれない上に価値も出せないただの残念な人」になります。故に遊ぶのです。

昨日はぶらっと深夜1時にカメラを持って大久保の裏通りを歩き、深夜2時にはふらっと新宿で一本映画を見て、朝の4時に散歩がてら徒歩で帰宅。

こう言う日々を送ることで、価値を産み出さなければいけないのです。

なんの映画を見てきたかって?

そんな野暮なことを聞いちゃいけない。

秘すれば花。

私の、好きな言葉です。

OSAKA

大阪に行って帰ってきました。出張仕事でございます。

映像なるものを仕事にする中で、出張に出てカメラを持って外に出るのであるならば、ひたすらにスナップを撮りまくろうではないかそれが放蕩無頼の生きる道を思ってはいるのですが、元来クソ真面目で頭が固く「仕事で来ているのだから遊興するなんて人の道にあらず」と考え、基本が臆病者であるがゆえに「もういやだおうちかえりたい」としか考えていない僕は出張先で羽を伸ばすなんてことがほとんど無いわけであります。スナップシューター失格。

しかしそれでも西成〜あべの〜天王寺と賑やか極まりない歓楽街に出たならば、せめて名物たこ焼きの一つか二つは食べて帰ろうと相成りまして、ふらっと街を歩いてまいりました。たこ焼きとハイボール、時に時間を見つけてはあべのハルカスに登って庵野秀明展を覗き見し、物づくり屋の極北を感じ取って更にたこ焼きを食べ、裏通りに出ては写真を撮り、ただひたすらにフーテン尽くしの夕べを過ごしてまいりました。

そして東京に戻ってきたら山のような仕事。もういやだおうちかえりたい。

ローライコード Ⅰ / 20220610

気、気がついたらな、手元にあったんだ!

ほんの出来心だったんだ。

「最初からデジタル、というか磁気テープ」で映像業界に飛び込んだ僕にとって、フイルムは別世界。

いつか覗いてみたかった、知らない世界。

海外旅行に行く様な心持ちで、未知の世界を眺めてまいります。

プリンスBirthDAY Party

告知しろ馬鹿者、と言われそうだが「今回は1ヶ月前からラジオでずっとプリンス特集とこのイベントの大々的告知やっておったわいお主実は僕のファンではないな?SNSのみならずラジオだ講演だYoutubeだ執筆だとあちこちでいろんなことをアピールしている僕を追いかけてないな?」と鬱陶しいお返しを致します。

というわけで6月5日、神田イゾルデ、DJ AKKYのプリンスBirthDAY Party、今回もVJさせていただきました。

DJに合わせてのVJももちろんですが、今回はスペシャルバンド「Pringo and the Confusion」のバックも務めさせていただき、非常に楽しいステージとなりました。

毎月のようにこうやってパーティができる日々が…もう少しでやってくるかな…人生にパーティは必要だよ…。

その時には僕もまたハッピーな映像と音楽を提供できるように、まだまだ頑張るからね。

歌と踊りと酒と恋の人生だ!

(動画は個人情報を少しでも控えるためにモノトーンにいたしました)

伏木曳山祭

3年ぶりに、1日の休暇をいただきました。

弊社彌榮制作は年中無休、労働基準法無視企業です。これがフリーランスの生き方です。正月もお盆もGWもありません。

そんな僕も、基本は年に一度だけお休みをいただいています。

そうです。地元富山県高岡市のお祭り「伏木曳山祭」の日だけは何があろうとお休みにしております。

この日だけは、地元に戻りお祭りのために1日を捧げるのです。

しかしなんということでしょう。2019年のお祭り以降、2020年はお祭りが延期、2021年は(県外在住者として個人的に)自粛、と相なって、僕は3年間一切無休で働き詰めることになったのです。

いや、休めばいいんだけどね。それは、ほら、僕のクライアント様様方に言うとくれ。

と、言うわけで、若干はコロナが落ち着き?、今年はお祭りが開催され。

僕は3年ぶりに伏木の街に戻り、曳山を堪能して参りました。

あいたかったよおおおおおおおおおお提灯山車!!!!

(町の「ま」にアクセント)

紫の幕かっこええやん上町!

ひっさしぶりやなあ本町!

今年も元気やな中町!

当番町頑張られじぃやま!

今年もやっさくっぞ千枚!

この変態的な気質は他の誰にも分かってもらえなくていいのです。

だけど伏木に生まれ育ったもの(もしくは僕のように祖父母に連れられて幼少期から毎年曳山を見続けていたもの)には土着のマインドとしてご理解いただけるものと思います。

いや、本当の山キチ(山車を愛する方々)は、365日山倉で面倒を見ているわけですから会いたいも何もなく、淡々と「来年の祭りのために」準備をし続ける日々を送っているものと思います。地元を出てしまった僕はその段階でもう山キチではないのです。はよ稼いで伏木に家借りないといけないな。

今年もいい祭りだった。来年までまた生きよう。

そしてやまを堪能しよう。

そう思えたらもう十分なのです。

僕はもう年齢的にも、自分が楽しむより、若手に楽しんでもらう、未来永劫続くために何ができるかを考えていかなければならない世代です。

この祭りをずっと続けていけるために。この街が繁栄していくために。

彌榮制作がこの名をつけている理由はまさにこれです。

永彌に榮える。ずっとずっと栄え続ける。

そのために何ができるか。

強いていうならば、僕の事務所の社是はこれです。

この祭りの掛け声は「いやさ、いやさ」

そう、僕の事務所「彌榮制作(いやさせいさく)」はまさにこの祭りの掛け声そのものです。

明日からも、また粛々と頑張ってまいります。

気持ちは、来年の5月に向かっています。

キリのない投稿ですが、僕はずっとこのまま生き続けて参ります。

末期哀れは覚悟の上

ある芸人さんの訃報を聞いた。

ご冥福を祈ると共に、他人事では無いとも思う。

明日は我が身。どこにも属さず芸事で生きてる身として、この先の年齢になると、五十六十で思い悩むこともきっと出てくるのだろう。

若い才能はどんどん出てくる。特に僕みたいな、いわば「デジタル芸人」はあっという間に若手に駆逐されるだろう。

あれだけ慕われている方でさえこの世を去るほどに思い悩む可能性があるのなら、僕なんて塵芥だ。

今こそ、ありがたくも楽しく豊かな日々を送らせてもらっている。

けれども、それがいつまで続くかわからない。

明日転落することも、明日体が壊れることも、全員からそっぽを向かれることも覚悟しながら、生きるしか無いのだ。

しかしながら。

芸事独立のみでなくとも、雇われの立場であっても、経営者でも富豪でも、きっとこの「壮年の悩み」は変わらないんじゃ無いだろうか。

であれば、今この瞬間、思い煩うこともなく、仕事も人間関係も悩みなく、楽しい日々を過ごしている、僕は幸せなのかもしれない。

いつだって覚悟しながら、毎日楽しく生きるのだ。

レンズという名のワープスタビライザー

忙し過ぎる自分へのご褒美。

褒美の言う名の仕事道具。

何やっても仕事になるのだから仕方ない。

言うなれば動物園のパンダのようなものだ。

生きてることが仕事だし、それが苦じゃないし、休憩なんて概念も要らないのだ。

Premiereの前に座ってることそのものが憩いになると言う特殊体質なものでな。

「Premiereにレンズは要らない」と言うなかれ。

これはレンズという名のワープスタビライザー なのだ。

妻の母が逝去しました。

妻の母が逝去しました。

以前より容態については伺っており、妻ともども心づもりはできておりましたので、ご心配なき様。皆様のご配慮に感謝いたします。

GW、仕事三昧の予定が昨日バタバタと僕の右腕的存在に仕事を急遽依頼して出立。とりあえずGW中の撮影はほぼ無かったのが救いです。TYさんYSさんありがとう。こういう時にフリーの弱さと、信頼できる方々の貴重さを思い知ります。