さよならだけが人生だ

 こんにちは、そしてさようなら。


 齢30を超えると、色んな事を経験します、て、最近年齢ネタばっかりですね。


 大学時代の友達にオメデタと不幸が、立て続けにありました。こういう事が起きると、生きるって何なんだろうなぁ、と考えてしまいます。


 生まれて食べて飲んで寝て死ぬ、と言うそれだけの毎日を送ることで、どういう価値が生まれてくるのだろう、そしてどういう意味があるのだろう。まあ若いころから若気の至りで考えちゃったりするものだけど、最近は身近な存在として「誕生」と「死」を考えてしまいます。



 僕の根幹には「人間の存在っちゃあ、畢竟、遺伝子の乗りものやぁ、だからな、お前さん、ちょっと、次の遺伝子を一緒に残そうやおまへんか、なぁ、なぁったら(略)」と言う口説き文句じゃなかった考え方があるもので、遺伝子の言いなりとして、次に遺伝子を残す事がそのまま生きること、残さなくても、ほかの誰かが人間の遺伝子を残してくれるから、まあそれはそれでよし。「人間」と言う生き物が次の世代に続く事だけが使命。そしていつの間にか淘汰されてても、それはそれでよし、てな思いがあるんですね。言ってみれば、個々人や個性と言うものにはあまり重きを感じずに、マスとしての人類が細胞のように増殖して、消滅して、はいそれまでよ、と言う気持ちが強いんですね。その中では「僕を見てくれ!」と言うエゴや、権力、理想と言うものにもあまり興味がわかなくて…まあ、死ぬときまで楽しくあれれば良いや、と言うエゴはあるけどね。


 そんなことを考えながら、今日も仕事の売り上げ収支計算表をにらめっこしてます。



 人生はみじかいっちゅーに。そんな暇ないっちゅーに。そんな事してる暇があったらな、お前さん、一緒に遺伝子を次の世代に(略)。


 おめでとう。ようこそ。

 そしてさようなら。いつかまた。

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