本屋で坂口安吾の堕落論を何と無く購入。
んなもん文学部卒なら十代の頃にさっさと読んどけよ、と言われそうだが、あー、確かに読んでた。読んでました。
でもまあ、30越えて所帯持ってから読む堕落論と10代の頃に若気の至りで読む堕落論じゃあ、なんつーかぜんぜん違う読み物に感じるものなのね。
もう、健全とか堕落とか反逆とかデカダンとかそー言う言葉から遠く離れてしまってるのですね。年を取るとはこー言う事か。
いまや精神論壇的なことからは遠く離れてひたすら生活!売上!業務!仕事と家庭と満員電車!と言うサラリーマン島耕作な毎日を送っています(そうでもないか)。
なんだけど、これがまた、この生活の中で読む坂口安吾がしみじみくるんですね。
その昔、きっと大人は凄いと思っていて、僕達の知らない世界に在籍してて、僕たちの知らない言葉を使える人種だと勝手に妄想し、そんな中に居る作家達はきっと僕達には解らない哲学を持って生活してるのだ。きっとそうなのだ。そして生活に埋没してるから精神は堕落してるのだ。そうに違いない。といかにも勝手に文学青年なことを考えてた時期がありました。高校時代とかね。
実際に30越えてみたら、別に学生時代と精神年齢大して変わらないやん、経験は増えてるけどその分失ってるものも多いわねぇ、わけのわからん議論なんかよりもまず家庭守らなあかんやん、なんて思うわけですよ、ええ、奥さん。
そんな時に安吾を読むと、面映いような恥ずかしいような、でも、あー、それ、解るかも、なんて共感する気持ちが出てきたりして。いろんな意味で、今青春文学を読むのも面白いかも、なんて思いました。
ふと、この中の「日本文化私観」を読んでると、昔読んだロランバルトの「表徴の帝国」なんかを思い出してしまいました。また押入れから引っ張り出そうかな。
まあ、何はともあれ、休日はのんびり過ごしました。まる。