幸せを感じること

 自社自讃して良いですか。
 時に、幸せだなぁと思うことがあります。
 僕は今、「講座/授業」と呼ばれるサービスを提供する会社に勤めており、講座の広報に関する仕事を主に引き受けることが多いです(それ以外も多々ありますが)。
 その中で
 ・自分が広報している、その授業を(もう一度)受けてみたいといつも思える。
 ・実際に受講をしてみた経験から言うと、心から満足できた。本当にいい学校だと思えた。
 
 宗教じゃないですが、自分が実際に好きになれないモノ、信じられないものは当たり前ですが人に勧められるわけがありません。
 まして精神的にお子様な僕が、金のためと割り切ってマガイモノの商品を人に進めることは出来ません。多分お腹が痛くなります。
 でも、自信をもって、本当にいいものを紹介している、と胸を張っていえる事、誇りをもって仕事が出来る事は、我ながら幸せなことなんだなぁ、と感じます。
 デジタルハリウッドはすばらしい学校であり、会社です。
 その場に居られることは、やっぱり幸せなことです。
 今日、僕は年を重ねます。
 自分の人生の節目に、まず何を思ったか…「この家に生まれて、この家族、この友達と一緒になれてよかった」ということと同時に、「この会社に居てよかった」ということでした。
 (家族友人に関して語るとまた長いので別途ね。今日は会社側の幸福。)
 畢竟、僕は会社人間にはなれないのですが、(最終的に我儘すぎる「世界は自分中心主義」な僕ですが、『俺様が惚れたこの会社も、一緒に世界の中心に来い』的な意味で)忠義の心、というものを改めて見直してみました。(この書き方だと全然忠っぽくないな)
 このみんなと共に居られて感謝です。
 ただ、時代によって「良かった」の質は変貌していくから、授業の姿かたちにこだわることなく、常に「自分に嘘をつかないで済む」授業を展開し続けていきたいと思います。心から、良いと思えるものを。心から、何処よりもすばらしい場所であると言える学校を。
そのためには僕は自分に甘すぎるんだけどね。ええ、はい、もちょっと大人になります。もう18歳2人分の年を重ねてるわけだし。このおっさんなんとかしてくれや。

「幸せを感じること」への1件のフィードバック

  1. 12年後の自分から、過去の自分にコメント。

    その幸せな感情は、3年後に裏切られるのだぞ。
    そしてもう組織というものを、愛社心というものを一切信用できない人間になるのだぞ。

    それはそれで、幸せに生きていけるのだけれども。

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