相方、という言葉

 突然だが、「相方」と言う言葉について。
 いつごろからかな。自身の配偶者、伴侶に対して「相方」と言う言葉をあてがう風潮が出てきたのは。
 いやね、誰かが使う分には何も意見はないのですよ。ただ僕個人が使わない、むしろ使えない、というだけでして・・・。
 
 いい言葉、だと思います。仲間意識、族意識の強い僕としては、こういうパートナー意識、大好きです。
 今まで、仕事上は相方が常にいましたし、相方の存在なくして何かを作ることはいまだにできません。
 また、相方ならぬ敵娼は大好きです。
 でも、自分のかみさんに対して。
 僕はね、使わないんですよ。使えないんですよ。
 決して彼女は「相方」ではないんですね。
 僕よりも大きな存在として、上に位置する「かみ」さんであり
 一生涯を共にする「伴侶」であり
 法的な位置では「配偶者」であり
 かつ、かみさんから見たら僕は「旦那様」であり
 「主人」です。
 どんなにへべれけでも一家の長です。
 古い考えですが、外に出ればうちのかみさんは僕の三歩後を歩きますし
 家に帰ればかみさん仕切りの中で僕は遊ばせてもらってます。
 その意味で、第三者的な意味合いではいろんな言葉になりますが、どこをどう切り取っても「相方」という意図がまったく含まれないのですね。
 だって、パートナーじゃないし。
 のろけるわけじゃなく、結婚相手って生涯一緒に連れ添う覚悟をしての相手でしょ。その時点で自分の肉体と同化してると思います。自分の心臓に対して「相方」とは言いません。
 あ、そうそう、ここもひとつのポイントかも。
 結婚ってそんな簡単にできるものじゃないし、相当な覚悟が要ります。
 「生涯愛する覚悟」をすることが結婚なんじゃないかな、とね、思うわけです。
 すごいいやな部分を見たり、どうしても許せない部分を見たり
 それが結婚後に現れたとしても、それでも許容できるかどうか。
 そんなことまで覚悟せにゃならんのか、と思うくらいの覚悟がいると思います。
 そういうと結婚が遠のく人も居るかもしれませんが、それで遠のくのは度胸と覚悟の問題です。
 腹くくればなんとも思いません。命取られるわけじゃありませんから。
 あ、でも、ここで。
 僕一言も「生涯『この人だけ』愛する覚悟」とは一言も言ってません。
「男の人って、いくつも愛を持っているのね」はうる星やつらのエンディングテーマですが
これはニーチェやゲーテに通じる大変大事な真理です。真理です。大事なことなので2回言いました。
 そう思えば、男子の皆様は一気に気が楽になるでしょ。人間、やっぱり無理しちゃいけないよ。自分に嘘ついちゃいけないよ。
 僕はかみさんを一生背負い込む覚悟ではありますが、なんとかトレーニングを続けて後何人かを背負い込む体力(経済力)を就けておきます。背負い込ませてくれる人が居るかどうか知らんけど。たくさん生涯愛すればいいじゃないですか。体力の続く限り。
 こういう考え方で、背負い込む、とか生涯、とか言う言葉が出る時点で、やはり僕には、妻を「相方」という文化にはうまく釣り合わないのですね・・・。
 むしろ相方と思える人は、まるこだったりよっちだったり、QZだったりヒロポンだったりしました。男女混合ですけれど、彼ら彼女らは常に僕の仕事やプライベートで、相方として共に過ごした人たちです。彼らに対する敬意もあって、「相方」の称号はこの皆様に使わせていただきます。
 

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