久々に、ブログの体裁を整えなおしました。

いや、ね。僕にとってはブログがとても重要なアイテムなのですよ。かれこれ16年、途切れずに記載してきた重みを我ながら感じるのです。そりゃ27歳当時書いてた文章を開陳し続けることの恥ずかしさたるやないのだけど。でもそれも僕だ。今も僕だ。世の中の全てが俺を見よ刮目せよ僕に興味ない人間は二度とインターネットに接続するなという不遜極まりない態度でこれまでもそしてこれからも頑張るのです。

これまで、ネット上に限っても、テキストサイトやMixi、Facebookと自分のフィールドを転々とすることに対して、少し疑問を感じてまして。

自分の書く文章は、あくまで自分のメディア、いわば自分の雑誌のようなトータルな存在にまずトーナルコードがあって、そこから寄稿という形で他のメディアに乗せるのが筋ではないか、と感じていたのですね。

なので、基本的にはBlogがベース。ここにまず書く。

いや、それって精神的なものではなく、2つの理由があるのですよ。

たとえば有名SNSのFacebookを例にとると

1.Facebookにたくさん投稿するとうっとうしがられる。

いや、僕ね、思ったことを次々と吐き出さないときりがない人間で、その意味では1日に20も30も投稿したくなるわけです。ほっといたら無限に投稿するのです。

でも、様々な方々の文章と同時に流れるFacebook上では、一人の人間が書き続けていると鬱陶しいことこの上ないでしょ。僕だって他の方々の文章と自分の文章が並ぶのは本意ではない。

なので、自分のブログで好き勝手書く。

そして

2.Facebookに長文を書くとうっとうしがられる。

これまでも「たすくさんはFacebookに長文書くよね」と幾人かに言われたことがあります。特に悪意をもって言われたわけでもないのでしょうが、少し引っかかってまして。

「なんや長文書いたらあかんのか」という思いが常にありまして。

短文にして読みやすくして人の時間を奪わないようにしましょう。みたいなブログ論もあるけど、僕は真っ向から反対するのです。

「読みやすいか読みにくいかどうかではない。僕が書きたいかどうかであり、書きたい量は誰に制限されるものでもない。結果、僕の文章に興味ある人は読んでくれるかもしれないが、読んでくれない方はさようならで仕方ないビジネスじゃないんだから」という思いです。

そう、これが商業雑誌と個人メディアの大きな違いです。僕が主体です。誰に依ることもない、僕が好き放題遊んでいることに価値を感じてくれる方への僕からの鬱陶しいくらいの愛なのです。

でもFacebookに書くといやでしょ。いやでしょ。鬱陶しいでしょ。

だからってInstagramやTwitterは長文書けないし。長文が書けるメディアそのものが少ないのよね。時代がそっち方向じゃないというか。でもね、時代とかどうでもいいのです。僕が書きたいから、書きたい分だけ、書きたいように書くのです。

それゆえに、ここでひたすらグチグチ書き連ねるのです。