出勤しない生活が1000日目突入

僕が、勤め人最後の出勤をしたのが、2014年10月3日。
そして、今日は、最後の出勤からちょうど1000日目。

僕は1000日間も、へらへらと、職場に行くこともなく、生き続けることができた。本当にみんな、ありがとう。
勤続しなくても、生きてはいけるのだ。いや、まあ、世の価値を生み出す活動はしてるけどさ(労働してるとは言わない。言えない。そしてそれが価値かどうかを判断するのは僕ではない)。

いわゆる、自分の時間と収入源の確保を最大限にコントロールできるようになって1000日。果たして、僕は自分の1000日間を有効に自己価値を高めて世に貢献できるように生きてこれただろうか。

…うん、少なくとも僕において。勤め人の時以上の価値貢献はできてる、だろうね。間違いなくね。(※個人差がありますので、決して独立をお勧めするものではありません)

だって苦手なことしてないんだもん。得意なことで好きなことで求められることだけやってるんだもん。それは価値が倍増するに決まってる。

その分どこかに負荷をかけていることも承知。そのことに対する詫びや申し訳なさを持つと共に、10迷惑をかけて誰かに負荷をかけても、その代わりに1000の価値を生み出すように心掛ける。大事なのは、価値を産み出さないとただの迷惑野郎に成り下がってしまう、マイナスの存在になると言う意識。それではいけないという気概。そして愛される愛嬌。たくさん稼いで税金払ってやるわい。今はちょっと待ってすみません。(税務署に愛嬌は通じません)

(注:この思考は本来とても危険思想であり、100000の価値を産むために1000の迷惑をかけても良いという非人道主義にも繋がるのです。が、世の会社機構と言う奴が(中略)あっさり手のひらを(中略)で切り捨て(中略)負荷どころか傷を負わせて(中略)非対称性をいいことに二枚舌で(中略)(中略)(中略)なので良いのです。)

そして成長が止まってるかといえば、そんなことも全くない。確実にこの「好きなことだけやってる」3年間は、これまでの社会人人生の中でも1、2を争うほどに自分自身を磨いてくれている。何より、毛が成長した。苦髪楽爪って言うだろう。アレだ、アレ。

そして、1000日ということは、2〜3年目。近いうちに、必ず正念場がやってきます。ここで踏ん張らないと、僕が世間に問うたこの生き方を否定される可能性がある。足元に気をつけよう。こうべを垂れよう。誰のおかげで生きてるのか、もう一度見直すのだ。
…うん、かみさんだ。(いやもちろん皆様のおかげです)

こうやって突っ張ってるけど、突っ張ってないとすぐ転落して溺れ死ぬからなんだよ。1000日生き抜いたなんてまだまだ序の口。もっともっとずっとこうやって生きてる自由人の先輩方を僕はとても尊敬するのです。

とりあえずレコードでもかけて歌えや踊れ。歌と酒とダンスと恋は、4000年以上前から人類が手にしてきたギフトだ。

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