山谷崖っぷち日記

深く共感する。映像屋という職業が、一見煌びやかに見えることで眩く隠れてしまっているが、畢竟、僕も社会から脱落してここにたどり着いただけの男であることを再度確認する。

同時に、この「適応を諦めた」人間に対して「それは甘えだ」「お前がだらしないだけだ」「他のみんなはちゃんとやっているのに、お前は逃げてごまかしているだけだ」という槍が次々と飛んでくる現状。僕はいい。僕はもう気にしないことにしている。
が、この「強者の暴力」によって潰れてしまう人間が多々いることを忘れないようにしたい。そしてその人たちに武器を与えたい。僕にできる、わずかな抵抗だ。

社会(会社)に、過剰に適応しようとして潰れるくらいなら、逃げた方がマシだ。そして、逃げても生きていける。

(下記 引用)
少年期から、自分がまともな大人の世界の中で生きていけるとはどうしても思えなかった。社会に出て仕事をもち、一人の女性と家庭をつくって子供をもうけるというような生活が、私にも訪れてくるだろうとは、心の深い部分ではどうしても信じられなかった。そういう生活がしたいかどうかというよりも前に、そういう生活が自分にはどうしても現実感をもっては感じられなかった。
自分は人生に向いていないという深い確信があった。この確信を振り払うように、ある時期までは社会への(つまり会社への)過剰な適応努力を続けたこともあったわけだが、結局その努力も生理的に限界があったことがわかり、むしろホッとした気分になった。そうなのだ、、あんなところ(会社や社会)が私の生きる場所であるわけはないのだと、深く納得するところがあった。

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