輔見会

花見の季節です。

輔見会が行われました。

「また変なこと言い出した」「痴呆が始まったか」「誇大妄想かな?」「まだ50代なのに」「春だからな」という前に、聴きたまえ。

真実だ。輔見会が行われたのだ。

僕が見られたのだ。

50代のおっさんを見に大勢の人が集まってくれたのだ。誇大妄想ではない。

皆様がお酒だ食べ物だを用意してくれて、僕が仕事をする姿をひたすら眺めながら飲み続ける1日。もちろん仕事は捗っておらぬ。

「パンダのような生き方をしよう、人に愛嬌振り撒くだけでゴロゴロしながら人の役に立とう」と思い始めて6年。あらぬ方向に自己実現している。

もともと、僕は極度の寂しがり屋だ。

そのベースには「実家が学習塾」だったことが起因する。

実家の一室で学習塾をやっていたことから、みんなが僕の自宅に集まっていた。中学時代、僕が家に帰ると数名の同級生±2学年くらいの仲間が先に自宅に転がっていた。授業が始まるまで、思いのままにジャンプを読んだりお菓子を食べたりファミコンしたりしていた。大鍋で出てきた夕食を7人くらいの同級生プラス兄弟プラス親で一緒につついて食べていた

その空間が、僕にとっては当たり前であり、居心地の良い空間だった。

「自分の空間に、人がいる。」

それ自身が耐えられない人もいるのは理解するが、ある意味「孤児院的」というか「児童館的」な実家で育ち、外に出てはお祭りだなんだで公民館や集会場に顔を出す毎日を送っていた僕には

「自分の空間に人がいないなんて信じられない」

という精神性が出来上がってしまった。

寂しがりというか「僕のパーソナルスペースに人がいない!緊急事態だ!」と思うくらいに精神性が幼稚、ある意味病んでる、ある意味狂ったまま大学生を迎え、それこそ毎日のように友人宅に泊まりに行き、付き合えば同棲し、気がつけば結婚し、今では学校の先生として皆様にチヤホヤしていただくお仕事を行っている。ひとりで過ごした時間などほとんどない。孤独に耐えられぬ。死ぬ。

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で、輔見会である。

上記のまま大人になった僕は、大体皆に囲まれて幸せな日々を過ごしているが、リアルに「事務所に押し寄せて突然パーティを開始していただいた」のは僕にとって「35年前に実家で経験していたことじゃないか」と懐かしい思いに浸れる時間でした。心地よい空気が溢れていました。

結論、とても楽しかった。嬉しかった。

「人の仕事場に突然押し寄せるなんて!」と憤る方もいらっしゃるかもしれませんが、もちろん事前にはちゃんと約束を取り付けてくださる方がいて、かつ楽しい時間を過ごせた僕にとって本当に嬉しい1日でした。

いや本当にこんなにチヤホヤされるのは「世間が正気ではない」と僕は思っている。が、利己的に考えてこの方が心地よいので黙っていることにする。

もちろん仕事は捗っていない。

人の前に立つ

「人前に立つ」という役割がある。

書くとそのままだが、非常に深い意味がある。

僕は田舎の長男坊だ。

別に本家とか分家とか関係なく、田舎の長男はそれなりに古いしきたりの中で生きる。

祖父の時代から、家長が箸を持つまで家族は手をつけないとか、父が席に座る際は全員姿勢を正すとか、そういう教育を受けてきた。多動な僕はできてなかったけど。

長男は「その次の家長になるべく」して、それなりの教育を受けてきた。いわゆる「長男教育」。田舎の長男は案外多いんじゃないかな、と思ってるんだけど。

僕が教育されてきた部分はこうだ。

間違っていたらすまぬ。

「冠婚葬祭含め、家を代表して挨拶する日が必ず来る。そのときに堂々と振舞え。お前の役割はそれだけだ。だから、生きていろ。健康でいろ。生活や経済観念など、他はどうでもいい。生活感あふれる汲々した男になるな。堂々としていろ。堂々と遊んで、酒を飲んでいろ」

僕の理解としては

「普段は平々凡々、昼行灯で構わない。女中(時代錯誤なお言葉失礼)妾(時代錯誤な以下略失礼)丁稚(時代錯誤)に助けられつつ、皆に頭を下げてできないところを守ってもらいつつ、そして愛されつつ、普段を和やかに過ごすのが務め。基本「何もできない自分で良い。ただ、不機嫌にはならない。こうべを垂れて、皆に愛されていじられて『うちの大将はなにもできないんだから』と陰口叩かれて笑ってるくらいがちょうど良い」

「ただ、冠婚葬祭、喪主や総代など、いざ自分がその場の顔看板として立った際だけは、誰よりも堂々と。葬式であれお祝いごとであれ、最後の締め言祝でも乾杯の挨拶でも、答辞であれ送辞であれ、しっかりと堂々と「引き締まった会だった」と思ってもらえるように、座長の振る舞いがきちんとできること。

「田舎の長男」の仕事はこの一点に尽きると思っている。

僕が人前に立つ時は、この思想を根元に持っている。

その結果か知らぬが、僕は最近「人前に立つ」仕事が多くなった。それもただの先生業や登壇者じゃない。

「締めのご挨拶」だったり「卒業式の送辞」だったり「乾杯の発声」だったりと。

なんだこれは完全に「顔の人」ではないか。

まあでもいい歳だからな、そういう役割が来るのならば受けて立たないといけない。

話長くなった。

で、ハッピープレビュー(BYND卒業生主体運営の映像作品発表会)。こちらが2/29に銀座で開催されました。

参加映像作品は14作品。観客は70名いるかいないか…くらいでしょうか。

その中、今回もコメンテーターとして喋り倒してまいりました。

確かにこれは冠婚葬祭ではない(若干「祭」ではあるかな。)そして僕は主催者でもない。

だが、これで初回からずっと「前で喋る役割」を続けている僕自身、「顔役」を任されているという自覚があった。(それが不遜な勘違いであれば次回から辞退する。)

だからこそ僕は、堂々と振る舞い、堂々と語り、堂々と祝う。それで喜んでくれる方がいるならば、僕はいくらでもこの役割を続けよう。しっかりとその訓練、心意気をもって生きてきたのだからな。

「この人が『顔』を張ってるイベント」は間違いない(誠実だ/楽しい/ちゃんと締めるところ締まってる)と思っていただければ、僕はここにいる意味がある。

僕の仕事は、意外と「顔」になりつつある。

だからと言って昼行灯が許されるわけではないのだが、普段のんべんだらりとしていても「決めるときに決める」男でありたいものだ。

いや、基本がだらしない性分。

のんべんだらりと生きていきたいものだ。

浦霞の熱燗もう一杯頂戴。

…この「のんべんだらり」にも品格が求められると思ってるのだが、その辺りはまた今度。

綺麗に蕎麦が食べられる、とかね。

お金のために生きている訳じゃない

「好きなことをして儲かる」から嬉しいんじゃないんだ。

楽して稼いだり、老後の蓄えを作ったり、本当に興味がないんだ。

もっと極端にいえば、お金は嫌いなのだ。

ただ「お金が嫌い」と言うと、「じゃあ下さい」とか「貰ってあげよう」とか「お金なしでも働け」と言われるから、僕は口を閉じるのだ。

その!

人間という愉快な存在が!

お金という欲で醜く変容する姿を見たくないから、お金が嫌いなのだ。

僕がこの仕事をやっていて、しかも沢山報酬をもらっているのには訳がある。

「好きなことを表現できる」こと自体が嬉しいからなんだ。

更に、自分が表現したものに対して、みんなが大好きな「お金」と言う対価を差し出してくれることが嬉しいんだ。

一所懸命に「僕が表現するものに対して」方々に頭を下げたり稟議を通したり交渉したりを繰り返して「これだけ用意しました!」と言ってくださる方の心意気と覚悟に対して仕事をするのだ。

不遜かな。僕はそうは思わない。

これは、クライアントに対する「誠意」の形の一つなのだ。

故に、(簡単な話にすると)資本金10億の大企業が「ほれ」と差し出す1000万の案件は食指が動かない。

個人で頑張って、自身が赤字になってでも用意してくれた10万円のために頑張る。

もちろん、自分の手元に利益を確保しながら「少額だけどなんとか!」なんて言う輩は論外だ。ビジネスのためでなく、身銭を切る方のために協力したいのだ。

その上で、その覚悟のまま、大きなお金が動く表現者たり得る様行動しているのだ。

極論、僕は(失礼でなければ、法律違反でなければ)差し出された報酬をその場で焼き尽くしてみたいのだ。

それは「報酬が要らない」のとは訳が違う。

儲かりたい訳じゃ無い。

でも、安くは引き受けない。

これが理由です。

ただ、税金分と、僕が優雅に暮らす分くらいは頂くよ。優雅は大事なモチーフなのだから。

放蕩の日々

相変わらず放蕩の日々。狂った50代でごめんなさい。

狂った50代の代表にも挙げられる盟友Akkyのイベント「welcome 2 the dawn」なんだかんだと3年近く継続しております。プリンス関係のイベントと考えたらもう8年近いコンビです。

ひたすらにPrince系Funkを流しながらVJと酒に浸る夜。今回はあのPringoとGroovynameの初共演もあり、業界騒然のイベントとなりました。ひたすらdance & Fallin’ love 2 niteです。

明日からまた3日連続授業です。そして2月〆切案件が10本です。僕は生きてます。

「BYNDロス」という言葉がある。

僕が講師を努めさせてもらっている動画の学校「BYND」は、わずか1ヶ月という短期間で入学から卒業までを駆け抜けるのだが、その濃密さたるや尋常ではないため、様々な受講生がその1ヶ月後から「来週から授業がない」という状態に対して精神的虚無を感じてしまうことに由来するらしい。民明書房刊。

今日もまた、1月から開始したクラスの卒業式。通称ワークスプレビュー。今回初めての場所「都内某所」から配信をお送りしました。(どこからお送りしたかは企業秘密となっております)

素晴らしい作品群。配信における機材セッティングから照明、リハーサルを経ての台本構成作りまで皆スタッフが綿密に作り上げてくれる。僕はそれをニコニコと眺めて喜ぶだけの役割だ。こんな贅沢な人生を送っていいものか。

今日もまた、本当に楽しかった。素晴らしかった。

本日をもって、20人近い方々が、モーションやカメラ、撮影を含む映像技術…というより映像演出を学んで卒業していく。

僕とスタッフは、BYNDロスを経験する間も無く、明日から次のクラスの準備に取り掛かる。というか僕は今日も明日も明後日もBYND卒業生向け授業だ。

でも、いつの日か、僕もこの場所を卒業する日がくるのだろうと、心のどこかでは思っています。5年後か10年後か…。

いや、決して辞めたいわけではないのです。気持ちはその逆でずっとここで楽しみ続けていたい。ただ、ずっとこの「幸せなポジション」を独占することは組織運営としても健全ではないし、僕は僕で生物としてどんどん年老いていく。BYNDは今後永劫に続くように、僕がしっかり協力していくとともに、僕はいつかこの場所を遠くから見つめていられる環境を作り、心穏やかに去り行ける心理状態になるまで達観しなければならない。

その時に、僕はどれほどのBYNDロスを感じるのだろうか。

年に8回の卒業式にて受講生を見送って8年。この「宴」もしくは「祭」を味わっては次をスタートするという回転から抜けた時、僕は何を思うのだろうか。

やっぱり、嫌だ。

それを感じたくないし、ずっとずっと、僕は皆さんの作品を味わい続けたいから、僕は歳を取らずに、ここに居続けるのです。

人間を辞めて神出鬼没の変態紳士に生まれ変わったのです。

今日のお酒も最高でした。

本当に皆さまありがとう。

僕の人生の中で、こんな幸せな時間を体験させてくれてありがとう。

そしてそのためには、僕は少し「講師」の姿以外の部分「もっともっと遊びまくる映像作家」であるところを強化しないいけない。だって僕が遊んでないのに、遊び方を体現できるわけがない。

僕らは「プロ」を育てる学校ではない。「お金稼ぎ」をさせる学校じゃない。もっともっと根源的に「動画、そして映像という面白いメディアを使って、あなたに見えている素敵な世界を私に見せてほしい。それでコミュニケーションが取れる世界は宴のようなものです」というマインド、その先として「この武器を手に入れることで、経済的自由を得ることができると信じているし、僕は確実にそう生きているぞ」ということを伝えていきたいと思っている。

そのためにも、遊ばなきゃ。もっともっと遊ばなきゃ。

なので僕が遊んでる間は社会保険と税金は一回大目に見て(こればっかり言ってる)。でも僕遊ばせといたらいい仕事するよ(真顔)。

本日のたすく塾。

今月数えると授業18回ラジオ放送5回YouTube4本配信3回寄稿2本の間に映像を作りまくっており、もう何が何だかよくわからない。これと言うのも社会保険と税金が悪い(最近こればっかり言ってる)。

「ともかくも人に恵まれてさえいれば人は死なない」「こうべを垂れて謙虚に生きる」

と頑なに信じて人に囲まれる会を催して僕がご馳走されている。これを月30回主催すれば食費がかからないことになる。うん、ありがとう。

今回はひたすらにAE触りまくり。

どちらかというと演出や構成寄り、ツール使いは午前のみに限って、クライアントワークの構成手法、僕の個人作例における丸三角四角への図形モーション哲学を「開かれた自閉症」として人前で一人語りしてきました。

こんなコトをやって生きている。

今日はこれから都内某所のスタジオで配信です(出演側)。モノづくりや二割、変態紳士八割の山本輔です。

デジタルハリウッドで変わった人生。

そりゃもう変わったさ。明らかに。そして劇的に。

僕の人生はDH退職を境に、とてつもなく鮮やかになった。

デジタルハリウッドを追い出されてから1年後、僕はフリーランスの映像作家・モーションデザイナーになった。

先生業を営み、数多の方々に慕われ、ラジオDJになり、執筆業を行い、VJになり、オペラの舞台にも立った。昨年は法人化した。

DHにいた8年。僕は膨大な映像知識、CG知識、Web知識、更には「これからやってくるであろう近未来の見据え方」を手に入れた。それは業界人との関係性や、そこにある書籍、様々な授業のカリキュラム作り、聴講生としての学びを通じて…。

これが現状、僕にとって「本業の柱」になっている。

僕にその道をマンツーマンで教えてくれた師匠も、最初のクライアントも、今お世話になっている10年頼のプロジェクト仲間も、全てDHの同期や先輩。

DHがあったからこそ、僕は「今、生きている」「みんなを生きずに自分を明確に生きている」しかも「バカにされて、世界を変える仕事」を真正面から行っている。

愛憎は共に心に渦巻いている。もちろん、感謝の気持ちは計り知れない。

退職から10年経った今、振り返ると、様々な組織の軋轢、組織でしか経験できないこと、その醜さ、政治的行動…「おお、会社ってこうなんだ」という発見に満ち溢れていた。まるで島耕作のような、放擲、権力闘争、上場に向けての強烈な組織改編、三国志の様な権謀術数、金銭絡みの不祥事、権力が絡む男女の有象無象…それらを見ることができたのは大きな学びでした(もう20年前のことなので今はクリーンなのかもしれませんが)。

「うつ病になったあなたを置いておく場所はない。自主退職してほしい」とも言われた。復職して半年後、一方的に基本給を下げる印にサインをさせられた。その一年後、転籍という形で事業部ごと売り飛ばされるときに、僕の意向は無視されて(僕を次の会社に渡すことが前提で話が進んでいた。これは僕の尊厳を大きく傷つけて、今なお燻っている)追い出される際には「退職届を書いてください」と明確に言われた。もうその時の戦いは弁護士も付けて言質の記録も扱って身を守ろうと徹底抗戦した。もし僕が不幸になれば、あの音声ファイルはいつかどこかで刺し違えることになるだろう。パワハラが過去遡及可能になり、ニュースになる時代があればね。(こちらも10年以上前の話です)

今でも、自問自答する。

どうして、追い出されちゃったのかな。

あれは、僕が悪かったのかな。僕がそんなに何もできない社員だったのかな。何もできないという理由だけで、追い出されちゃうのかな。転籍だったら法的にもクリアなのかな。そこまでして、追い出したかったのかな。僕は…何に弾かれてしまったのだろう。

しかし、僕は結論、今は幸せに生きている。さらには、明確に「ハリウッドスタイル」で、学長が開校当時に目指した姿に近い形で「社会貢献」「近未来の技術」を取り入れながら映像、CG、AIを取り入れたコンテンツメイキング、お金に囚われない貨幣経済の構築、先を見据えた若手の教育、等々に携わりながら「受注産業でなく、自らが世界を発信する」活動をして、黒字を出している。

こんな40代に誰がした。というか気がつけば50代だぞ。

うだつのあがらない、何もできない、書類もかけない30代を、どうしてこんな形で羽ばたかせてしまったのか。

これは、感謝するべきことなのか、何を思うべきなのか。

うん…基本的には感謝をしている。そこに居た人たちやスタッフOB、先生方に今も守られて僕は生きている。どう考えても僕自身が「DHネットワーク」の中に存在し、学長のマインドをベースに持っているからこそ、僕は生きていられるのだ。

そして「僕は幸せにならなければならない。僕が未来を指し示さねばならない」と意地を張って、今は後進の育成にも携わっている。

…結局、僕はDHとの関係性の中で今も生きている。

かみさんは言う。「もういいじゃないですか。赦すもなにも、もう違う地平に立ってるじゃありませんか」と。

確かに、収入も、社会的信頼も、あの頃とは比較にならない。

が、同時にその根っこは、やっぱり「DHから頂いたもの」だ。

今年はDH創立30周年。

僕は創立11年目に入社し、19年目に退職している。記念式典には参加していない。

きっと僕は30周年にも40周年にも参加することはないだろう。声も掛からないだろう。

でも、校友会長や校友会事務局の方など、僕が(それぞれ個人としては)大好きな方々が頑張って「素晴らしい環境」を作ろうとしていること自体は、遠くから応援したい。

潰れて欲しいとは微塵も思わない。DHのマインド、先見性は唯一無二のものだ。永続して欲しいと、心から思う。

そう、結論。

僕は感謝している。

そこにいる人たち、居た人たちに今も助けられて生きている。

転籍当初は一瞬、負の感情を持ったが、それも時間が昇華してくれている。なんだかんだ言いつつも、創業一年目、DHは僕の独立を応援してくれて、お仕事くれたしね。

まだひよっこの頃、ポンと任せてくれたスマートワーク50万の案件、嬉しかったなぁ…。

あと…もう一つ。

今は完全にフリーランスとして、制作会社の社長として、クリエイティビティに携わっているし、明らかに「サラリーマン」よりフリーが水に合っていると自覚している。映像作家は「なるべくしてなった」職業だと思っている。

でも…

誰も信じないかもしれないけど

僕は、サラリーマンで居たかったんだ。

最後まで、デジタルハリウッドを愛していたんだ。

会社を離れたくなかったんだ。1999年から2005年まで、6年かけて3度も入社試験を受けて、どうしても入りたかった会社だったんだ。出会った人も、先生も、卒業生も皆素晴らしかったんだ。杉山学長の語る「Re:Designing the Future」を僕は真剣に信じていたんだ。この世界を作るお手伝いをしたかったし、それはそれは本当に楽しく働かせてくれたと思っている。

今でもなお、CGや映像の世界に飛び込みたい方にはデジハリ大を勧めている。

でも…仕方ない。僕は去らなきゃいけない運命だったのだろう。

去り際が、僕の人生観を大きく変えた。

・僕は、会社組織には馴染めず追い出される存在だ。

・会社に依存しちゃいけない。

・人の役に立っていれば、ご飯は食べられる。

・自分の発言を防がれる場所にいちゃいけない。

・言いたいことを言う。

・言いたくないことを言わない。

・僕は僕を最大限に活かす場所で、自分を発信して生きていく。

・自分の苦手な場所を矯正しようとしてくる人は、ありがたいが、距離を置く。僕はストレスなく笑顔でいる時が、人の役に立つ様なんだ。僕をコントロールしないで欲しい。

このような教訓を与えてもらった。

僕自身は、とても幸せだ。

結果論、僕は僕を生きている。

去った結果、DHマインドを(多少は)体現しているんじゃないかな、と思っている。

みんな、ありがとう。

—–

でも…「今が幸せなら、過去のことはもういいじゃないか。語らずに黙すのが大人だ」と言うのは結果論だ。その言葉は聞きたくない。

あの時無理やり辞めさせた(転籍)こと。事業部長から社長まで出てきて、あたかも「僕の本意で転籍します」というサインを強制的に書かせようと何日間も監禁したこと。

「社長を出してこないとサインしません」と言った次の日、本当に社長が僕を説得に来た時、僕は本当に寂しかったね…「そこまでして辞めさせたいのか」と。

会社として「どうしてもスタッフごと事業売却をしなければならない」のっぴきならない事情があったのかもしれないが、それで僕の人生を勝手に(良かろうと悪かろうと)勝手に変えられるのは許せない。僕の人生は僕が決める。会社の都合で僕の人生を変えるにも関わらず、頭を下げるでもなく「副業してるの知ってるんだぞ」「このままじゃお前の居場所は無いぞ」様々な言葉で僕を疲弊させ強引にコトを進めようとしたこと。二度と忘れない。

最後まで戦ったし、結果タイムリミットまでにサインは書かなかった。その理由は単に「僕の尊厳を傷つけた人は許さない。たとえ不利益を被ってでも」という僕のポリシーのためだ。

でも、そうなのよね。会社員なんて、他人の都合であっちこっちに飛ばされたり、法の穴すり抜けていくらでも辞めさせられたりするのよね。うん、僕が馬鹿だった。若かった。

もう、自分の尊厳を傷つけられる仕事はしない、と、心に決めて、独立10年目になる。

でも、あの時のことは、今でも、僕の尊厳に対して、ただ一言、詫びて頂きたい気持ちはずっと残っている。

それでも人として侮辱・侮蔑をした人間だけは、今後も赦すつもりは無い。

——–

僕にとっては、デジタルハリウッドに関わった方々との人生は「壮大なオペラ」だと思って、楽しんでいます。僕はオルロフスキーか、ドンジョバンニか。いつか石像に刺されて倒れるのか。最後にシャンパンを浴びせられるのか。

「自分の言葉に酔いしれているんですか」

その通り!端くれとはいえ10年近く作家を名乗り飯を食べている身だ。「僕が陶酔して見えている世の中」を映像表現にし、それを喜んで依頼してくださる方々によって僕は生きているのだ。

DHを去って10年、まだまだ、僕はみんなに助けられて生きています。愛憎渦巻く人間関係、人生のオペラは続いていくのです。

「さあ、宴を始めよう!」

(歌劇:Die Fledermaus-こうもり-より)

※ちなみに、こんなことを書くな!と言われたとて、僕は「言いたいことを言う」ためならダメージを受けても惜しくない、自分の言葉に嘘をつかない覚悟で生きているので、削除することはありません。

たすく塾

「たすくせんせいは枯れ足りない」とはどう言う意味か。

イケオジ(イケている好感度高い中年男性)好きの女性からこの言葉をいただく意味を改めて考える深夜。新しい日本語だな。褒め言葉なのか貶し言葉なのか。毀誉褒貶などという日本語が頭をよぎったぞ。

そして昨年末忘年会で「たすく先生の投稿は長いから冒頭3行しか読んでない」という方に複数お会いしたので、今後冒頭3行は本題と全く無関係な内容で埋め尽すことにする。

たすく塾だ。

なんだかんだと8回も続いているたすく塾である。

最近はこの書き見出しがパターン化してきたのでそろそろ新たな表現を考えたいところである。

今回も撮影技法、AEのモチベーションアップに始まり、大トリは映画監督の福島さんをお招きして、映画演出論、構図論を語っていただきました。と言えるほど引っ張り出せたとは思えないのだけどね。まだまだ引き出したいことは山ほどあります。

映画について、映像について知見がある方と語らうのは本当に楽しい。とても楽しい。

映像というか、死生観なんだよな。

かっこいいんじゃなく、格好をつけようと意識すること。服装はしまむらだって構わない。

ダサくならないこと。

「かっこ良くはなれなくてもダサさは避けられる」

「上機嫌な大人でいる」

変態紳士の道は孤高(というか誰もこない)と思っていたけれど、とてもとても近いところに先輩がおりました。

素敵な五十代を生きるために必要なエッセンスをたくさん僕がいただいて、さらにお酒もいただいて、幸せな日曜を過ごさせていただきました。

人生はブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブである。

ちなみに次回開催分は募集開始しました。

参加希望者はいつものところから。もしくはご連絡ください。毎回参加者無料何も勧誘しない壺売らないただし晩飯ご馳走してくれスタイルです。

次回はモーションデザインの演出思考、コンテの切り方です。

新年は地元の震災から

新年になって、まず起きた出来事が故郷・富山県高岡市の被災。

すぐに両親兄弟ともに安否が確認できたので、「まずは自分の身の回りから」という意味では、落ち着いていますが…同じ故郷を持つ同窓生、仲間達、親戚はじめ富山石川で生まれ育った方々への想いは尽きません。

2024年、まさかこのような形で迎えるとは思っていませんでした。

僕の生まれ育った地元、高岡市福岡町は強いて言えば若干内陸部でもあり、被害は(あくまで比較の中で)大きくはなかったそうです。実際には水道を開くと泥水が出てきたとか、生々しくは大変なところもありますが…。

同時に、僕のもう一つの故郷。高岡市伏木。祖母の実家であり祭りの縁がある土地。

港町でもあり地盤が強くなく、液状化も甚だしい。

今年のお祭りがどうなるか、なんて考えていられる場合でもない。みんなの生活と命の方が優先だ。

果たして、僕に一体何ができるのか。

母と話した中では「みんな元気です。今は戻ってくる時じゃない。むしろ慌てて動くことが混乱を招くこともある」と気丈に話してくれたけれども、いつ何があるとも限らない。

悠々と放蕩息子を興じてはいたが、こういう時に何の力にもなり得ない自分へのもどかしさを感じる。

放蕩者だからこその、他者と違うアプローチでみんなを助けられる力を持っていなければ大人とは言えない。

大人になり切れてない自分に恥ずかしさも覚える。

今年は重い年になりそうだ。それでも軽やかにしなやかに行くけどね。

クリスマス2023

3年ほど前に同じようなことを書いた気がするが、まあ良い。単発的なことではなく毎年こうだと言うことを証明しよう。

たすく先生というキャラクターはなんだか羽振り良いように思われており、さぞやおモテモテになられるみたいな風評をいただくことが多いが、まずそれは僕の顔を見てから再度語っていただきたい。羽振り良さそうに見せてるのはフリーランス上の演出だおい聞いてるか。

そしてその証拠に、この聖なる夜に、メリーなクリスマスの夜に一人ラーメンを食べている50代の男性がここにいるのだぞ@山手通り沿い東中野にて。

もう一度いうこのメリー(略)。

寒い冬には味噌ラーメンが似合います。この後ライスも参ります。お腹幸せクリスマスです。

そしてその後は一人創作。

今日のような夜は一人作業が捗ります。寂しくなんかない。