たすく塾

「たすくせんせいは枯れ足りない」とはどう言う意味か。

イケオジ(イケている好感度高い中年男性)好きの女性からこの言葉をいただく意味を改めて考える深夜。新しい日本語だな。褒め言葉なのか貶し言葉なのか。毀誉褒貶などという日本語が頭をよぎったぞ。

そして昨年末忘年会で「たすく先生の投稿は長いから冒頭3行しか読んでない」という方に複数お会いしたので、今後冒頭3行は本題と全く無関係な内容で埋め尽すことにする。

たすく塾だ。

なんだかんだと8回も続いているたすく塾である。

最近はこの書き見出しがパターン化してきたのでそろそろ新たな表現を考えたいところである。

今回も撮影技法、AEのモチベーションアップに始まり、大トリは映画監督の福島さんをお招きして、映画演出論、構図論を語っていただきました。と言えるほど引っ張り出せたとは思えないのだけどね。まだまだ引き出したいことは山ほどあります。

映画について、映像について知見がある方と語らうのは本当に楽しい。とても楽しい。

映像というか、死生観なんだよな。

かっこいいんじゃなく、格好をつけようと意識すること。服装はしまむらだって構わない。

ダサくならないこと。

「かっこ良くはなれなくてもダサさは避けられる」

「上機嫌な大人でいる」

変態紳士の道は孤高(というか誰もこない)と思っていたけれど、とてもとても近いところに先輩がおりました。

素敵な五十代を生きるために必要なエッセンスをたくさん僕がいただいて、さらにお酒もいただいて、幸せな日曜を過ごさせていただきました。

人生はブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブである。

ちなみに次回開催分は募集開始しました。

参加希望者はいつものところから。もしくはご連絡ください。毎回参加者無料何も勧誘しない壺売らないただし晩飯ご馳走してくれスタイルです。

次回はモーションデザインの演出思考、コンテの切り方です。

新年は地元の震災から

新年になって、まず起きた出来事が故郷・富山県高岡市の被災。

すぐに両親兄弟ともに安否が確認できたので、「まずは自分の身の回りから」という意味では、落ち着いていますが…同じ故郷を持つ同窓生、仲間達、親戚はじめ富山石川で生まれ育った方々への想いは尽きません。

2024年、まさかこのような形で迎えるとは思っていませんでした。

僕の生まれ育った地元、高岡市福岡町は強いて言えば若干内陸部でもあり、被害は(あくまで比較の中で)大きくはなかったそうです。実際には水道を開くと泥水が出てきたとか、生々しくは大変なところもありますが…。

同時に、僕のもう一つの故郷。高岡市伏木。祖母の実家であり祭りの縁がある土地。

港町でもあり地盤が強くなく、液状化も甚だしい。

今年のお祭りがどうなるか、なんて考えていられる場合でもない。みんなの生活と命の方が優先だ。

果たして、僕に一体何ができるのか。

母と話した中では「みんな元気です。今は戻ってくる時じゃない。むしろ慌てて動くことが混乱を招くこともある」と気丈に話してくれたけれども、いつ何があるとも限らない。

悠々と放蕩息子を興じてはいたが、こういう時に何の力にもなり得ない自分へのもどかしさを感じる。

放蕩者だからこその、他者と違うアプローチでみんなを助けられる力を持っていなければ大人とは言えない。

大人になり切れてない自分に恥ずかしさも覚える。

今年は重い年になりそうだ。それでも軽やかにしなやかに行くけどね。