カウンセリングの話

 唐突ですが、カウンセリング受けてます。
 僕が受けてます。
 僕の周りの人は様々な視点から様々な意味で「なんのこっちゃ?」と云う目を向けていることでしょう。字のごとく、僕がカウンセリングを受けてます。
 心理カウンセラー、と言うのでしょうか。僕の精神的なバランスを保つために医者の勧めでその医院内のカウンセリングを受け始めたのです。僕、精神的に危なかったり危険思想の持ち主だったりするもので。
 と、まあ軽口で済ませる話ではなく、何かしら精神のバランスを崩しやすい人と共に暮らしていると、闇に吸い込まれるように自分自身の精神バランスも崩れていくものなんですよね。これは精神的に強いとか弱いとか関係なく、誰でもそうなるものだと感じてます。
 人間の精神はもろいです。気をつけていないと、すぐに崩れていきます。
 それは決しておかしいことではなく、崩れていく事が当たり前、と云う前提で生活を行っていったほうがむしろ健全だと思います。崩れて、直して、また崩れての繰り返し。人の心は移ろうどころか、自分自身でも管理しきれるものではありません。
 因みに僕は幼稚園時代から崩れっぱなしです。
 そんな自分のバランスを常に保ち続けるため、自分自身にも療法が必要になってきたというのでしょうか。結構このサイトのおかげで精神的バランスをキープしていたのですが、最近サイトでも他人の目を気にする軟弱モノに成り下がってしまったもので、別の形で精神バランスを保たねばならなくなったのですよ。ええ。
 
 
 てな訳で、二週に一度、一時間をカウンセラーとの対話に充てています。
 
 感想。おもしろいねー、カウンセリング。
 いや、馬鹿にしてるわけじゃないの。本当にそう思ってるの。
 元来僕は自分のことを人に話すのが苦手です。自分は聞き役としていろんな人の話は聴くんですが、自分のことを相手に見せるのが不得意なんです。なんつーか、演出を加えて自分自身にラベリングして相手の望む自分を見せて満足するという、とっても嫌な奴スキルに恵まれているのですが、本心は自分自身でもよくわからなかったりするんですね。僕の本心は自分よりかみさんの方がよくわかってたりします。
 そんな自分にとって、自分の生い立ちから出来事、家族構成、生計、嗜好や思想に至るまでををきちんと一時間話す機会ってのはこれが生まれて始めてだったりします。ひょっとして、僕友達居なかった?
 もちろん、ここにも自分なりの演出は加えられてしまっていたり、自分なりのフィルターを通した話しかできないのですが、なるべくそういうものを取り払って話をしようとする自分に結構びっくりしまして。利害関係を伴わない相手に自分を伝え、そのうえで自分の解決策を探っていくというのは非常に面白い自分内知的探検でした。
 カウンセラーの人も何かアドバイスをする訳ではないのですが、とにかく僕から話を引っ張り出す。ただそれだけなのですが、自分で話して自分で整理して自分で解決していく、自分の中で垢が落ちていく感があります。不思議な感覚でした。
 自分が今まで病院にほとんどかかったことが無いくらい健康体だったため、こういう事を経験する機会がありませんでしたが、自分の心理の中に、新しい境地が開拓されたみたいです。
 
 
 カウンセラーって、面白い仕事だね。
 これからも、カウンセリングがんばります。

眠り その3

 元はといえば保育園時代より朝は起きれませんでした。もちろんそれを言い訳にするつもりは(ほんのちょっとしか)なく、ひたすら寝ることが好きでした。
 て、いったい僕は誰に向かって何を自己吐露してるのだ。なんでこんな流れになってるのだ。
 恐ろしいのは、保育園時代からすでに「正刻に集合する事ができなくても世の中は渡っていけるものだ」なんていう思想を身に着けてしまったことです。
 いや、わかるよ。社会人も10年やってみたら、定刻に出勤しないとか、そんなこと許されないし、もちろん軍隊などでは規律が何より重要だという事も身に染みて実感しております(何故)。
 いまやそんなことは極力無いようにに生活してますけどね、ええ、もちろん。
 学校って、もともとそういう社会性を身につける場所だったと思ってます。
 友達と仲良くする、時間を守る、掃除をする、etcetc…授業よりも大事なことはそういう「社会の規律」を身につけるために通う場所だと実感してます。
 でも、問題は「社会の規律が守れない」人には別のルートを用意することができず「守れるまでやらせる」しか方法論を示せなかったことじゃないでしょうか。
 やー、わかる、わかってますって。時間が守れないとか掃除ができないとか、それは人生の価値観とかいう問題でなく、集合体の否定であり組織を統制することを拒否することに他ならないこともわかります。それゆえに「何があっても可能でなければならない」事であることも理解してます。国家という枠組みの中で社会のメリットを享受するためにもね。それができなければ枠を外れてアウトローになるしかない(でもそれはひとつの選択肢として、常に国家※の枠を外れて生きる覚悟はしていかなければならないと思ってます…家族が居る限り難しいけどね)。
 つか、社会のルールを守るのに相当な労力を必要とする人には、それなりのケアが必要な時代になってきたのではないでしょうか。逆に、社会のルールを守るのに労力を使う人はそのことを覚悟して自分の生き方をセグメントする必要があると実感します。
 などなど、起きてると僕はどんどんこういうことを考え始めて、一見反社会的に見える発言が多くなってしまうので、ここらでゆっくり寝ることにしますおやすみなさいぐうぐう。
(全然反社会的でなく、リスクを背負って個人が立てれば良いと言うだけのことなんですけどね。その考え方が文化的に反社会性にうつりやすいのでしょう。脊髄反射的な受け取り方によっては個人=国家対等論になりますからね。言いたいこともいえないこんな世の中じゃぽいずん。)
 とまた青二才的な発言になるのでやっぱり寝ますぐうぐう。
 僕が寝るのは変なことを考えすぎないようにするためです。
 全然冒頭の話から支離滅裂になりました。すみません元々オチ無かったんです。
 
 
 別に何かに不満があるわけじゃなく、日々僕はこういう事考えて生きてるんです。信じてください。て、余計に変な人か。
 
※「国家」なんて怖そうな言葉使ってますが、僕は「国」と「国家」と云う言葉だけはどうしても同義に使えないのです。国は伝統や文化、土地や歴史を含みますが、国家は社会的組織です。国は好きだけど国家のやることは…とか、「愛国心」と「愛国家心」は別物である事とか、国のために国家をリニューアルするとか、は至極当然にあってしかるべきだと思います。と云うか、歴史を学んだ人には当たり前の事なのでしょうが…なんか今の日本では同義でしか語ってない上に、同義で語らせるように言論統制が敷かれてる気がして。あれ、なんか怖い事言った?

眠り その2

 先日、僕は良く眠る、と言う話を書きましたが、その続きをば。
 眠る事自体僕は大好きであり、欲求に従う生活を行う事により節制・道徳を守るという基準で生きている僕はとにかく眠たくなったら眠ります。無論、食べたくなったら食べるし、いたし(略)。
 そんな僕は欲求従属のプロフェッショナルであり、いつでも眠れる、いつでも食べられる、いつでもスタンバイといった本能丸出しの生き方をよしとしています。ごめんちょっと見栄はりました。
 そんな両生類な生活(両生類に失礼だ)を送る僕ですが、眠る事に関して一つ問題点がございまして。
 朝起きる約束が有ると緊張して眠れなくなります。
 なんじゃそれは。と言われそうですが、朝低血圧かつ意志力が弱く、睡眠量が多い僕は非常に朝に弱く、11時台以前の約束が有るとそれだけでドキドキして夜眠る事ができなくなります。
 無論、毎朝九時に出勤する会社などに勤めようものならもう大変です。と言うか社会人10年、一度も九時前出勤の会社に勤めたことはございません。自分の生命に賭けて、無意識に回避しているんでしょう、多分。
 そんな僕も今日は朝出勤(九時半)。更に色々予定があり、何があっても遅刻できない日でした。
 それだけで朝4時まで緊張して全く眠れませんでした。なんなんだこの小心者。9時半出勤で既にプレッシャーにやられるとは何かがおかしい。社会人としての性根をたたきなおさねば。
 そういえば、高校時代から、すでに昼登校していた記憶があります。あの頃から朝起きるのが辛くて仕方なかった。(続く)

眠る。

 家に帰ればひたすらにメトロイドとファミコンウォーズをプレイする毎日を送っていると、果たして僕は仕事の現実逃避にメトロイドを行っているのかメトロイドの現実逃避のために仕事をこなしているのかわからなくなる。ひょっとすると僕の本職はスペースハンターであり職場は戦う体を癒す慰安スペースなのではなかろうか。
 同じように。
 「僕らは起きてる時間の休息に眠るのではなく、眠っている間が成長期であり、質のいい睡眠をとるために時々起きているだけなのではないだろうか。」と云うことをふと帰り道に考えてしまいました。
 知る人ぞ知るように山本は超過眠体質であります。一度寝たら確実に10時間は起きず、また休日は確実にお昼寝を取り、また電車の中でも車の中でも、あるいはトイレの中でも睡眠をとることのできるのび太スキルを備えたボディです。
 で、これだけ寝てると「起きて活動するために寝るのか」「寝て成長するために起きているのか」が時々わからなくなります。むしろ成長していないという選択肢は無い方向で。
 寝てるときは行動がとまる、と云うイメージですが、なんのなんの、身体・精神・脳みそはみな寝ているときほど活発に活動しているわけであり、その時間帯こそが動物として最大の活動時間なのではないだろうか。
 なんてこと考えてたら、この過眠は「鼻腔の病気なのではないか」(=脳内に空気が行渡らず、結果として睡眠の質が悪く、よく寝るようになる)という疑念が沸き起こりました。ちょっと病院へ行ってきます。

I wanna be No.1 in this 世界

 すっごくクサい話。
 先日会社の皆様と朝まで飲んでまして。
 わけもわからずカラオケ行きまして。
 上司も同僚もぐてんぐてんになってまして。
 
 パーティカラオケのレパートリーが進んで光GENJIやら聖飢魔iiやらDJ-OZMAやらが歌われて一通り暴れた後
 
 お互いになんとなく心情吐露的なカラオケになり始めまして。
 入力した側はそういう気持ちじゃなかったのかも知れないけれど、初見の曲もあってなんとなく僕にはその人の感情が入った曲に聞こえちゃったのだ。そんな重苦しいカラオケ、どないするんだ。つかそれっぽい曲初めに入れたの自分なんだけど。
 
 
 
 それがまたクサいのだ。
 
 I wanna be No.1 in this 社会
 一番になりたいんだ     ~「No.1/スネオヘアー」
 お前が消えて喜ぶ者に
 お前のオールを任せるな  ~「宙船/中島みゆき」
 時の流れは妙におかしなもので
 血よりも濃いものを作ることがあるね ~「RUN/B’z」
 
 
 
 クサい。クサすぎる。クサ過ぎて死ねる。
 上記に自分が入れた曲もあるけど、どれかは内緒。
 でもなんかそのノリとその選曲の匂い方が、大学時代の仲間に触れるときと同じ触覚を刺激したのです。会社の場合、同じ目標を持ちそこに生活を賭けている、と云う意味で、上記の歌に対する気持ちも深まってきます。
 
 縁だなぁ、と思います。
 クサイ仲間と一緒にがんばれる事、幸せに思います。
 一番になりたいしオールは手放さないし血よりも濃いと勝手に思ってます。
 
 そして会社を一歩でたら、全く同じようなクサイ仲間がまだまだ居ること、それもありがたいことです。
 最近不義理ばっかりで申し訳ないです。
 
 
 
 とりあえず、僕がそろそろ加齢臭を気にする理由がわかりました。
 周りがくさいからです。そういうことにしておいてください。

3手詰めをミスる

 ただいま、将棋のような勝負事を行っておりまして。
 詳細はお会いしたときに語ります。
 読み違えで勝てる勝負を落としたときの荒れ方は半端じゃありません。
 序盤、中盤、終盤、どこでも挽回の手があった。何度も何度も何度も何度も譜を見直しながら、「なぜここで手を打たなかった!」「なぜここでこんなことをしてる!」と喚きながら布団とコタツを蹴っ飛ばしてます。
 「うるさいから先に寝るね」 (かみさん談)
 明らかに作戦ミス。ケアレス。挽回の手がぬるかった。この負け方は半端じゃないよ。きっついです。
 序盤である程度形を決めるも、綻びがあった。
 綻びが見えたときに、自分が陣に居らず、一手遅れる。
 中盤で綻びを繕う手を打つも、不発。
 序盤の形を終盤まで維持できず、守備の陣形が崩れ、タイムアップ。
 うむむむむむ。手が遅い。それに尽きる。
 打てる手がまだあったはずだ。きっと。絶対。
 死ぬ気で頭を使えば、負けそうな勝負も逆転できる。逆もまた然り。
 考え抜くことだ。それしかない。