僕は社会不適合者

時々、勘違いしそうになる。

映像を作り飯を食べ、あまつさえ(以下なんかすごいことやってる様にだけ見える実績・御託を並べると腐臭がするので割愛)なんて扱いを受けてると、自分自身が「すごいことができる人」「すごい人」「偉い人」になった気がしてしまうのだ。

ばーか

自分のばーか

何勘違いしてるんだ。自己認識のずれは恥ずかしいぞ。

僕は社会不適合者だよ。役立たずだよ。人様のお役に立つことをして生かして頂く立場だよ。

僕の肩書きは表向き「神出鬼没の変態紳士」そして裏の顔は「街のビデオ屋さん」。

そう、街のビデオ屋さんだ。

映像作家も名乗っちゃったりするけれど、ビデオグラファーなんて名乗ったりもするけれど。

隣の家のVHSが壊れたら駆けつけて直して、ダビングサービスをやり、町内で感謝をしてもらうために奔走するのが僕の仕事だ。業界的な意味で「かっこいい」ことなんて何もない。

そのスタンスを、決して忘れることなかれ。

(こういう書き込みが続く時は自分が揺れている証です。本物と世間のギャップに翻弄されている証です。)

いつでも浮浪雲

いつ、この生活ができなくなるかわからない。

お金も家も家族も手放さなければならない日が来る可能性はいくらでもある。

それを覚悟するのは怖いことだけど、そもそもフリーランスになった時に腹を括ったはずじゃないか。

今のような平穏で幸せな暮らしができる様な大層な人間じゃないはずだ。身の程を知れ。

…という心持ちを常に持ちながら、今日も生きるのです。日々のお仕事を頑張るのです。何より僕は好き放題に生きさせていただいています。何にも我慢しておりません。我慢して何かをすると「こんなに頑張ってるのに」といった妄言が出てしまいます。僕は頑張ってないので「すみませんありがとうこんな僕を生きさせてくれてありがとう」という気持ちしかありません。でももうちょっと頑張ってくれ髪の毛。

その代わりに、だ。

明日、段ボールにくるまって寝る日が来るかも知れない。自宅の近くにある公園を見るに「明日はあそこで寝ることになるかも知れないな」と常に思っている。
(かと言って浮浪の生き方をする方々を非難するつもりもありません。心のどこかには、その自由な生き方を「自ら選んで」歩む方への憧憬も僅かながらあるものです)

同時に「いざとなればいつでもそれができる覚悟」というものは持ち続けたいな、と。

「家族を食べさせなきゃいけないんですよ」とへーコラするよりは、このままで許してくれる方がいる間は感謝し、許してくれなくなったら今の暮らしを手放す。社会に僕を合わせるのではなく、このままの僕を生きさせてくれる社会には感謝するし、このままの僕を否定するなら弾いていただく。

結論、このままの僕は変えない。変わらない。変えるつもりがない。良かろうと悪かろうと。公共的だろうと反社会的であろうと。野生的だろうと貴族的だろうと。

(下記、山谷崖っぷち日記/大山 史朗著 より引用)

少年期から、自分がまともな大人の世界の中で生きていけるとはどうしても思えなかった。社会に出て仕事をもち、一人の女性と家庭をつくって子供をもうけるというような生活が、私にも訪れてくるだろうとは、心の深い部分ではどうしても信じられなかった。そういう生活がしたいかどうかというよりも前に、そういう生活が自分にはどうしても現実感をもっては感じられなかった。

自分は人生に向いていないという深い確信があった。この確信を振り払うように、ある時期までは社会への(つまり会社への)過剰な適応努力を続けたこともあったわけだが、結局その努力も生理的に限界があったことがわかり、むしろホッとした気分になった。そうなのだ、、あんなところ(会社や社会)が私の生きる場所であるわけはないのだと、深く納得するところがあった。

は、話せばわかる!

気がついたらな、家にあったんだ!

ほ、ほらな。X-T4は動画のお仕事用にしっかりカスタマイズされてるしな、X-T30は、普段使いするのに必要でな、X-Pro2は自分の目を養うのに必要な機材じゃないか。X-S10は、現在のカメラ技術を確認したり、自分のyoutubeを撮ったりするのにな、専用の機材が必要じゃな以下略

写真展続報

こんにちは。職業:変態紳士の山本輔です。

先日のお仕事は「写真家」です。噴飯物にも程がある。

昨年6月に開催されたカフェエケベリアでの個展「MySDGs〜Sex,Drug,Gamble~持続可能な桃源郷〜」の続編をやらなければとただいま奔走中でございます。いろいろ楽しい技も駆使して、面白い写真をたくさん撮ってまいります。早ければ今年後半にも開催するので、是非皆様楽しみにしていてください。

岡本太郎美術館

こんにちは。職業:変態紳士の山本輔です。

先日のお仕事は「映像ディレクター」です。当たり前だこれが本職だ。

1週間で仕上げた絵コンテがざっと6本。月末に編集して納品した案件が20+etcstc(数えない)、今月はVRにもチャレンジし、新たな知見を増しております。みんな忘れておりますが僕はこれが本職です。わすれないで。ひたすら作りまくって喋りまくっての人生でございます。皆様ありがとうございます。

しかし写真は岡本太郎美術館。僕のマインドはここにあり。命を爆発させ続けます。

寄せ書き嬉しい

こんにちは。職業;変態紳士の山本輔です。

先日のお仕事は「映像講師」でした。そうですBYNDの卒業式、またワークスプレビューで泣かせていただきました。

これまでも色紙や寄せ書きTシャツなど、嬉しいプレゼントをいただきましたが、今回は写真集です。授業の最初からずっと写真を撮りためていてくださった方がおりまして、それを一つの書籍にまとめて寄せ書き込みでプレゼントいただきました。なんだこれなんだこれ僕の人生。おかしくないか。ありがたすぎないか。というわけで家宝にいたします。家宝だらけで嬉しいです。棺桶に一緒に入れて死にます。棺桶が僕の5倍くらいになりそうです。できることなら曳山一台一緒に入れて火葬されたいくらい。(やりません)

職業:怪談師

こんにちは。職業;変態紳士の山本輔です。

先日のお仕事は「怪談師」でした。そうです怪談話やってまいりました。そして高座代まで頂いてしまいました。これでぼくはもうプロです。プロの怪談師です。心霊現象さっぱりわからないけど。

いやもうなにもわからないまま、なんとか古典落語をいろいろインプットし、そこから自分の経験則をフィクションにしてお話を展開しました。むしろスタートしてから全くオチが決まっておらず、どこに着地させようか必死に考えながら約15分の演目をお話しさせていただきましたありがとうございます。

またやりたいです(何でも無節操男極まれり)

ファスト動画

ファストファッションならぬ「ファスト動画」

世の中には「ファストファッション」が並んでいる。

ファストファッション=最新の流行を採り入れながら低価格に抑えた衣料品を、短いサイクルで世界的に大量生産・販売するファッションブランドやその業態。

僕もよく利用している。もちろん日々ファストファッションばかりではないが日がな散歩するにもイッセイミヤケというわけにもいかなかろう。

一着も持ってないけど。ええ。

便利です。ファストファッション。僕は服飾について無頓着だけど、とても機能的なものだとは理解しています。

そして、今この世界には、数多くの動画が街に溢れている。

ファストファッションを作る方にも矜持はある。

ファストファッションを作りながらブランドデザイナーの様な顔をすると笑われてしまう様に、

ファスト動画を量産しながら「クリエイター」を名乗ったら恥ずかしい、という社会にしたいのだ。

ファストファッションの企業が一気に閉店した様に、ファスト動画もどこかで飽和するだろう。消えはしないが。

僕はファスト動画の会社を立ち上げて大儲けしようなんて微塵も思っちゃいない。

それだけは口を大にして伝えておく。

ただ同時に、ファスト動画のような存在があってくれたからこそ、独立一年目の僕が生きてこれたのも事実。嫌っちゃいけないんだ。

ファストファッションとデザイナーズブランドは明らかにコンセプトも商品も違うもの。ただ共存はできる。

同様に、ファスト動画と映像作家・クリエイターの動画も明らかに違う。でも、共存はできる。

…というか、最近の言葉の使い方を見てると、ファストファッション=動画、デザイナーズブランド=映像、の様に思えてきた。

自己認識のズレは、ちと、恥ずかしい…かな。

ファスト動画の育成学校をやってるつもりも、全くないし、これからもそこを育てるつもりはない。どんなに流行になり、どんなに大きなお金が入ってこようとも。

きちんと、コンセプトを練り上げ、プロのディレクターがシナリオ設計し、美しい画作りに妥協なく、一フレームたりとも無駄を入れず…

その上で、万人が手にできる低価格の動画制作ができる環境ができた時、それは素晴らしき「ファスト動画」の世界になるだろう。

ファストでない動画は、更なる高みに到達するだろう。

ただ

知識のない代理店が「鉛筆あれば書けますから」と絵コンテを書き、

例えば一眼カメラをただ所有している、使うのは月に一、二回という方が撮影をし、

編集ソフトを扱えるだけの方が編集をした動画を

ファスト動画とさえ、名乗ってはならないと思うのです。

それは「世に出してはならないモノ」なのです。

結論

作家性を込めた映像も素晴らしい

作家性が無くとも、「万人のために」と精魂込めてファストな仕組みを作り上げられて出てきた動画も素晴らしい

逆に

先人たちの知見に敬意なく

ただお金が稼げるから、と

効率よく作ったものは

美しく、ない。

それに尽きるんじゃないか、と思っています。

優雅とお金と人間と

「好きなことをして儲かる」から嬉しいんじゃないんだ。

楽して稼いだり、老後の蓄えを作ったり、本当に興味がないんだ。

もっと極端にいえば、お金は嫌いなのだ。

ただ「お金が嫌い」と言うと、「じゃあ下さい」とか「貰ってあげよう」とか「お金なしでも働け」と言われるから、僕は口を閉じるのだ。

その!

人間という愉快な存在が!

お金という欲で醜く変容する姿を見たくないから、お金が嫌いなのだ。

僕がこの仕事をやっていて、しかも沢山報酬をもらっているのには訳がある。

「好きなことを表現できる」こと自体が嬉しいからなんだ。

更に、自分が表現したものに対して、みんなが大好きな「お金」と言う対価を差し出してくれることが嬉しいんだ。

一所懸命に「僕が表現するものに対して」方々に頭を下げたり稟議を通したり交渉したりを繰り返して「これだけ用意しました!」と言ってくださる方の心意気と覚悟に対して仕事をするのだ。

不遜かな。僕はそうは思わない。

これは、クライアントに対する「誠意」の形の一つなのだ。

故に、(簡単な話にすると)資本金10億の大企業が「ほれ」と差し出す1000万の案件は食指が動かない。

個人で頑張って、自身が赤字になってでも用意してくれた10万円のために頑張る。

もちろん、自分の手元に利益を確保しながら「少額だけどなんとか!」なんて言う輩は論外だ。ビジネスのためでなく、身銭を切る方のために協力したいのだ。

その上で、その覚悟のまま、大きなお金が動く表現者たり得る様行動しているのだ。

極論、僕は(失礼でなければ、法律違反でなければ)差し出された報酬をその場で焼き尽くしてみたいのだ。

それは「報酬が要らない」のとは訳が違う。

儲かりたい訳じゃ無い。

でも、安くは引き受けない。

これが理由です。

ただ、税金分と、僕が優雅に暮らす分くらいは頂くよ。優雅は大事なモチーフなのだから。