連休~博多研究

先日、久々に連休をいただきまして。
 で、何をしていたかと言うと、家事、仕事、趣味などまあそれは充実した二日間を送っていました。
 その中で、僕がじっくりと腰を据えて行ったのが「博多祇園山笠研究」
 ご存知の方も多いと思いますが、わたしゃ頭に気違いが付く位の祭り好き。
 曳山と獅子舞に掛けては、それこそ祭りの最中に死んでもいいと思うくらい大好きです。
 将来の夢は文化人類学者/民俗学者です。ええ、本当に。40代までビジネスの世界に生きた後※1、50代で悠々自適に民俗学に染まりたいのです(ただ全国の祭りを渡り歩きたいだけとも言います)。
 で、伏木のけんかやまに始まり秩父夜祭高山祭佐原の大祭新居浜太鼓祭りなどなど自分で研究※2を深めていたのですが、
 何故か今まで博多祇園山笠は研究範疇外でした。こんなに有名なのに。なぜだ。
 (実は青森ねぶたも範疇外で、今後の研究課題です)
 将来福岡に転勤になる時を想定して※3これは研究しておかねばなるまい、と、連休を使って山笠研究にいそしみました。僕にとっては最高の休みの使い方です。
 七つの流から舁山/飾山の区別、一年の行事の流れと歴史、成り立ちなど、様々頭に叩き込みました。いや、祭りの事だと僕の頭は覚えが早いんです。本当に。お陰で博多の町並みをほぼ覚えてしまいました。間違えて「土居町ってどこだっけ」とか言いそうですが。
 7月は是非福岡でイベントを行ってください。出張します。自費ででも。
 僕がWebデザインを学ぶとしたら、間違いなく卒制は曳山か獅子舞サイトを作る事でしょう。それこそ技術的にはどうあれ、文章とラブには満ち溢れたものを作る自信があります。プレゼンも24時間行えます。多分皆ひきます。
 僕がCGを学ぶとしたら、3Dで曳山か獅子舞を作る事でしょう。と言うか既に作り始めてます。3DsMaxを購入して真っ先に作り始めたのが獅子頭でした。TAさんに教えてもらいながら、獅子頭をモデリングしながらニヤニヤするへんな30代になってます。
 と言うわけで福岡に転勤になったら※4早速中州より東側に校舎を移転させます。できれば中洲流か西流がいいな。
 結局、何が言いたいのかといいますと、「モノヅクリは愛だ」と言うことです。
 どうしても伝えたいものがあり、その上で作る技術がある。
 愛を告白するために言葉と歌が生まれて、その系譜の上にWebやCGがあるのだと思います。告白する相手が居ないまま、創る作業はできないと思います。
 おお、綺麗にまとまった。
※1-ここは突っ込みどころじゃないのでスルーしてください。
※2-研究と言っても、ただ文献あさったりビデオ見てニヤニヤしたり祭りに行くスケジュールを立てたりするだけです。
※3-そんな予定ありません。
※4-ないですってば。

ぬるい!

 最近仕事がスランプです。
 まあ、スランプと言うのは言い訳で、実際は化けの皮がはげたというのか気合が入ってないというのか、実際の実力以上の背伸びができなくなったというのが事実なのでしょうが。
 結果は前に比べて出てきてはいるのですが、自分の感覚として、「身が入ってない」と言うのが感触として感じ取れるのです。ヘロヘロしているのです。
 かみさんにその話をしたところ、「ぬるいよね」の一言で断罪されてしまいました。
 「あんたこっちに来てからぬるすぎるわよ」「気抜けすぎ」「上司に甘えすぎ」「背負ってるって言う気概がない」「以前はもう少し気迫があった」etcetc…
 昔のメールやスカイプの履歴なども読み返してみて、ああ、最近引き締まってないなぁ、と実感。
 自分の感情も、身体の状態も、全て自己責任。それが仕事。
 もう一度、引き締めていきましょう。

筋トレ

 筋トレしてます。ええ、時々。
 「肉体派」を名乗りたいのです。いや、本当に。
 知性や品性も、正当なる肉体からしか生まれないという考えは僕が三島由紀夫漬けだった若い頃から結構根深く残っているもので、鍛えられていない肉体からは何もアウトプットできない、と言う意識があります。(とはいえ、健全なる精神は健全なる肉体に宿る云々と言うのはまた大嫌いなのですが。「健全」と言うカテゴライズが苦手です。)
 と言うのも、
 最近腕立てをやってみたら、50回続けてできなくなってる自分にびっくりしました。
 結構体力には自信あったんです。結構チカラワザで生きてきましたので。結婚も起業も転職も全ての経験がチカラワザでした。未だに人生筋肉痛です。
 03年ごろには休日に引越し屋のバイトもやってましたし、映像制作会社では重い器材を当たり前に運んでました。腕力と言うより背筋が鍛えられましたね。
 体力でどうこうする歳ではありませんが、身体のすみずみまで神経がいきわたらないと、思考が鈍るのは事実だと思います。唯でさえ使い物になりにくい僕の脳みそが、フルパワーの80%も使えないとしたらそれこそ一大事です。頭悪いからこそ、100%使えるようにしておかないといけません。そのためには体力です。(何か間違っているといわないでください)
 作品を作る、と言うときも、最後は体力だと思います。
 年の瀬、みなさん健康と体力には御気をつけくださいませ。

お疲れ様でした!

 今日は会社の研修があり、様々な校舎のスタッフと交流を持つ事ができました。
 北は札幌、南は福岡まで、さすがにここまで広範囲だと、電話で声は聞いた事があるけれどあったことのないスタッフもたくさん居ました。
 やっぱり、人とのつながりが一番心地よいし、それが原動力だなぁ、と改めて感じます。
 どれだけスキームが変化し、ツールが変わっても、結局は人とどうコミュニケーションを取っていくか、もっと言うならばどこまで誠実であれるか、と言うことに他ならないんだなぁ、なんてことを感じてました。
 何をもって僕達はビジネスにしているのか、何を提供しているのか。
 再度足元を見つめてみたいと思います。

映画を見るということ

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 高校時代、最低でも週に一回は映画館に通っていた。
 父親が映画に理解があったこともあり、「映画代は出してやる。サボらずに毎週必ず映画館に行け」と言うなんとも奔放な教育を受けてきたため、僕が高校時代の’89~’91年ころはどんな映画でもとにかく見てきた。
 僕が住んでいた富山県高岡市には、当時6つほどの映画館があって、2本立てや3本立ても数多かったから、一月で結果20本ほどの映画を見てきた計算になる。ちょうどレンタルビデオに押され気味の頃で、僕が上京する頃には潰れてしまったのだけれど。
 まあ、それでも本当に映画が好きな人に比べたら、全然見ているうちに入らないのだけれど、とにかく量を受け入れる事が、ある種の指標に役立つ用になった事を、この年になって実感します。
 いい作品を選んでみるのではなく、とにかく良作奇作駄作気にせず見続ける。これがすごい栄養分になってると思います。全てにおいて。
 そして大人になり、気がついたら全く映画館に足を踏み入れなくなってしまいました。
 今日は久々に映画館に行き、「パプリカ」を見て来ました。
 筒井康隆の作品が好きで、パプリカも原作は熟読したけれど、これがどう映像化されるのか、実はとても楽しみでした。とりあえずネタバレのない程度に、記載していこうと思います。
 でも、前ふりで長くなってしまったので、また明日。