2012年に起こったこと。不惑の前の大変革。(2)

3・めんどくさい
 そう、もう、何もかもが面倒くさいんですよ。こんなに面倒くさいと言う心情に染まりきったのは2012年が最大級です。高校時代とか大学時代にもちょっとはあった気持ちだけど、ここまで大きな「めんどくさい」はありませんでした。
 まず風呂に入れない。髭もそれない。ご飯食べる気にもならない。即ち寝てる。起きてもちょっとネット見て終わり。文章読もうとするとそれだけで疲れる。身体を立ててるだけで疲れる。人の話を聞き入れると疲れる。身体的体力とか精神力とかと言うものと別に、面倒くささバロメーターが体内についていて、それが圧倒的に低レベルをさし続けている状態。これはねえ、本当に怖いですよ。時間の感覚もわからなくなってくるし、まさに自分自身が何だったのかわからなくなってくる。これは復職してからも、1年間ずっと続いてる感覚です。今もまだ抜けきってません。ちょいと大変です。
4・夫婦の価値観と一族の義理と生き方。
 これもなんだかモヤモヤした歯切れの悪い書き方しか出来ない内容なのですが、僕の持つ将来ビジョンとかみさんの持つビジョンが大幅に食い違っていて、今後どのようにそれを折り合わせていくかが大変になっています。こんな事に気がついてぎこちなくなったのがこれまた2012年。血縁、一族と言うものに対してどの様な距離感で接するのがベストと思っているか、これ夫婦でま逆です。同じようにこれから生まれてくるであろう次の世代に対しても、かみさん「いらん」僕「必要」でこれまた逆。将来はどうするのかかみさん「そのままサラリーマンせい」僕「実家の家業つがんと」でこれまた逆。これでよく一緒に生きてこれたな、と。うん、ここまで価値観は結構沿うて居る事も多かったんですよ。でもたまたま今年出てきた問題には、お互いの主義主張がぶつかる形になってしまい、これまた疲れる日々になりました。
 その上で「僕は将来実家の家業なんて継ぐものはないかもしれない」という現実を知る機会があって、僕はパニックですよ。この先どうしよう。そして自分の根っこだと思ってた部分が揺らいだ事で、かみさんとの意見のぶつかり合いもまた不安定な様相を見せ始めまして。未だ二人の将来像には明るい方針が見えません。これが不惑です。
5・ドナルドフェイゲンに会えた。
 Links to The Dukes of September Rythm Levue
 ちょっと重くるしいネタが続いたので、一旦休題。
 僕が大好きなバンド「SteelyDan」のボーカル、ドナルドフェイゲンが、これまた僕の好きなボーカル、マイケルマクドナルドを引き連れて武道館でライブをやってくれました。一日だけのライブでしたが、もちろん僕は予約初日にチケットを手に居れ、行ってきましたよ。
 期待も絶大なものでしたが、その期待を裏切らないテンション・クオリティ。詳細は上記ブログに書いてありますが、それだけ想いの詰まったライブでした。このブログ「RoyalScam」のタイトルどおり、SteelyDanのファンの一員にようやく、なれたのかな、という感じです。
 と気がつくともう31日もあと30分切ってるじゃないですか。とりあえず慌ててこの状態でアップ!
 皆様2012年お疲れ様でした!
 2013年もよろしくお願いいたします。

2012年に起こったこと。不惑の前の大変革。(1)

僕の故郷はとやまだけれど、こっちの「とやま」も、もう故郷化してるんだよな。通ってたの20年前だし。
 気がつくと2012年もはや年末。あっという間に一年が終わってしまいます。
 クリスマスが終わった直後に、すぐ年末の空気に切り替わる、この12/24~12/25の世の中の(特に商店街関連の)劇的変化のすごさは毎年驚愕しています。昨日まで赤い服着てシャンパンとかケーキとか売ってたのに、次の日には店舗に並べる商材一斉にひっくり返しておせちとか福引とか大掃除道具とかになってるんだよ。陳列って一瞬で変えられるんだと、毎年この時期に思います。そして雰囲気や情操といったものも、一日あれば劇的に変化させられるんだ、と。
 で、その情操。
 僕はこの一年、あまりにも早く過ぎたと感じると同時に、これまでの価値観を大きく揺るがす、個人的には「震」が起きた一年でありました。2012年と云う一年そのものがゆっくりと地殻変動を起こすような。そろそろ不惑が目の前に見えてきたというのに、改めて惑う感じ。
 それはともあれ、この一年におきたことを、いくつかまとめておきたいと思います。個人的な事象ばかりで読んでる人はつまらないと思いますが、今回から数回続けては、僕自身の備忘録として。
1・曳山を曳いた。夢が叶った。
曳山
 まず何を差し置いてもこれを外す事はできない。自分にとっての一大プロジェクト、一大夢が叶った、というのはとても素晴らしい体験でした。
 Links to 長年の夢
 これは、努力の末に叶う、とか、綿密な計画の上に達成した、ということじゃないところに意味があるのです。資格試験や努力の上の賞ということでなく、「全てがご縁として偶然に成り立って達成したもの、そしてそこに自分のこれまでの人格的な対応が重なったもの」というところに意味があるのです。
 通常、夢といえば、何か努力をする→達成する。ということで叶うことが多いと思います。プロ野球選手になるもそうだし、漫画家になるでもいいですし。
 でも僕は曳山を曳くための努力なんてものをしたことが無い(そもそもそんな努力はした人いない)(曳く事が決まってからは筋トレしたけど)ですし、努力する方向性すら見出せなかったけど、それでも僕にとっては夢だったのです。うーん、この辺のニュアンス、どう伝えればいいかなぁ。
 でも、そこが大事。「人間、努力なんて1割も差がつかないし、夢に近づかない。大事なのはご縁と恩」という僕のポリシーを真っ向から肯定してくれる夢の達成っぷりだった事が大事なのです。
 自分自身のご縁、周りの皆様への感謝、そして地縁、嗚呼僕は富山県とはどうしても切り離せない何かを腹の中に持ってしまっているんだなぁ、ということを感じた、「2012年10大ニュース」の一番目になるのです。(いつから10大ニュースになったのだ)
 2・本当に良く寝た。
 参考 Links to 一日中、川を眺めていて気がついた5つのこと。
 お前は何を言っているのだこれのどこがニュースなのだ、と言われそうですが、今年に関していえば、僕は過去最大級に睡眠を貪ったと思いますし、同世代の中でもトップ5%に入るほどの睡眠を取ったと尾思ってます。ほら、僕の世代って今働き盛りですから。
 もちろんそれは身体の状態ゆえにそうせざるを得なかったの理由があるのですが、それにしても一日18時間近く寝ることを3ヶ月以上続けて、それ以降も10時間近い睡眠を取り続けていると、世の中がいろいろ変わって見えてくるものなんですよ。ええ、これは大きな価値観変動でした。
 人間いくらでも眠れる。そして生きていける。
 今年は睡眠薬なるものを使うことにもなったのですが、睡眠というだけでなく、横になって屍になったまま時間を過ごすという事、これできるものなんですねー。20代の自分に教えてあげたかったわ。ワーカホリックだった20代とのギャップにおどろくと共に、「寝ててもいいのである。起きてて努力する事がエライ訳じゃない。」という自己肯定感を改めて自覚する事ができました。
 ・・・さっきから努力否定の怠惰礼賛みたいですが、うん、まあ、そのまま生きてる事の有難さと重要性を感じたという意味では僕はこの世の中の、特に仕事をしている人間の中ではソッチ向きに若干舵を切ったといってもいいでしょう。そのままでいいのである。やりたいときにやりたいだけ努力すればいいのである。そしてアホみたいに努力するときって強制されてじゃなく、出来ちゃうものなのである。
 話がそれた。寝てた話。
 うん、本当に良く寝た。かみさんが呆れるくらい。
 3・いろんな人に会った
 今年前半は時間が豊穣にあった(寝てたが)。そのために、様々な人に会うことができた。いろんな人と、利害を抜きにして、ゆっくり語ること。自分の周りでは様々な人が、様々なナニワイをしながら、生きている事、それぞれに幸せや悩みを抱えながら生きている事。自分自身が人生から途中下車をして、ちょっとベンチに座りながらそういった人々とお話をすると、とてもこれまでは見えてこなかった事が見えてくるのですよね。これも、今年一年の中の、とても有難かった側面でした。
 ・・・と並べると、確かにイベントごとが色々あったというよりは、今年一年ゆっくりと変革していった、些細な事の積み重ねが僕を変えていった気がします。
 改めて、明日以降も少し深彫りして書いてみようと思います。これだけみると大変革というタイトルが仰々しく見えますが、この先大きく変革してる事が自分でも自覚できるのですよ。

HSK受験してきました。

受験会場到着!一橋はいいねえ。
 ちょっと前回の妹の話はおいといて。
 先日は国立市の一橋大学へ。HSKという試験を受けてまいりました。略語を直すと漢語水平考試験(Hanyu Suiping Kaoshi)、そう、中国語の試験でございます。
 僕が何故今中国語の必要に迫られているのか。なんで中国語を勉強してるのか。正直言って僕もわかりません。一年前の自分が、まさか語学を勉強する事になると思ってなかったので。僕は一生涯日本語だけしゃべってればいいと信じていたのですが(因みに僕は英文科卒業です。忘れたい・消え去らせたい過去です)。
 でも、今僕が勤めている職場は中国語が飛び交うインターナショナルな現場。気がつくとそんな場所に放り込まれてしまっている現在、そして「全ては何かのご縁、近づいてきたものは何でも食べてやろう」とする僕の性格も相まって、僕の語学学習はスタートしたのであります。
 外国語を学ぶ必要があるとしても、それがまさか中国語とは。大学時代に受けた第二外国語はフランス語でした。全く持って中国語は初体験です。
 アメリカ人やイギリス人が中国語を学ぼうとしたとき、これは本当に苦しむと思います。僕はiTunesUという世界の大学講義を受けられるサービスを使っており、その中で英語話者に対する中国語講座なんかも少し見てみたのですが、本当にとっつきどころが無い。発音から入るにしても、読み書きから入るにしても、恐ろしいほどの敷居の高さ。意味を受け取るための象形・発音共に全くヒントが無い状況なんですよね。
 それに比べれば日本人のまあいかに楽をさせてもらっている事か。「猫」という漢字を見れば、誰がどう見てもあの動物でしょう。「我」を見たら大概の人は自分の事だとわかるでしょう。「服務員」という漢字を見れば、それとなく意味はつながるじゃないですか。
 今回HSKという試験を受験してみて思った事。この試験、中国政府が発する全世界的な中国語の試験なんですね。即ち、英語話者や仏語話者も受験者として想定してるわけです。
 そんな中で今回僕は一番下の級を受けたんですが、漢字使用者としては「お前舐めてんのか」と思うような問題も多数出てくるわけです。猫の写真が載っていて、その隣に「猫」という漢字が書いてあり、丸かバツかをえらぶような。でも、英語話者からするとこれだって相当勉強しないとわからないことなんですよね。そこのギャップを今回とても自覚しました。
 だからといって合格するわけじゃないんですが。ええ、試験結果は一ヵ月後です。
試験終了!銀杏並樹が綺麗に見える。
 試験終了後は校舎を散歩。そうそう、大学のキャンパスはかくあるべき、お手本のような校庭と校舎群でした。たたずまいは静かで、簡素で、綺麗な。そんな中で僕は大学時代を遊びまくってたわけですが。もう少し勉強してれば今こんな苦労しなくてすんだかもしれない。でもそれがマイライフなのでしかたないのです。
21年前。高校生の頃、こますけ達と共に集合写真を撮った場所。あの頃のメンバーは、今何処で何をしてるんだろう。
 そして、ふと立ち止まった校舎の前。僕はこの校舎に見覚えがありました。
 今からさかのぼる事21年前。まだ高校3年生だった僕は、長期休みを利用して東京に受験合宿をしに来ていました。原宿のオリンピック記念会館に一週間ほど泊り込んで、様々な名門塾の人気講師の授業を受ける、といったものです。
 そこでは受験に向けて勉学に励む、事が重要事項だったはずなのですが、持ち前の人見知りしなさと勉強しなさが相まって、結果的に僕は友達作りに終始しておりました。友達作りというか、一緒に授業受けてると、それとなく仲良くなるんですよね。
 その頃のメンバーとは、今も連絡を取り合ってる仲間が居るくらい、僕にとっては大事な友達となりました。
 で。
 一応受験を目的とした集いで全国から集まった高校生たちな訳です。合宿最終日を終えると、そのまますぐ帰宅するわけも無く、別れを惜しみつつ(?)、せっかくだからと東京の有名大学を見学に廻っていたのです。
 その時に、僕らは友達と一橋大学も見学してたんですね。
 そこで、オノボリサンの僕たちは記念に集合写真を一枚。
 僕にとって彼らとの写真は、大学受験の心の支えになっていました。ええ、その写真は心にしっかり焼きついています。因みに一橋大学は受けてません。
 今回、21年ぶりに一橋大学の校舎を見学。せっかくだからそのとき写真をとった校舎を見に行きました。
 
 うん、何も変わってない。21年前と全く変わらないたたずまいだ。
 そう思いながら、感傷に浸っていました。
 僕の心に刻まれている写真の風景と全く同じ、そのときの校舎が目の前にありました。
 上記の校舎が、それにあたります。
 この校舎の前に揃って立ち並んだ事、僕はしっかり覚えています。うーむ、懐かしい。
 帰宅後、古いアルバムを取り出しました。
 目的はもちろん、その時に撮った写真。
 写真を探して、そのときの写真を見つけたとき
Untitled
 どこだよココ。
 写真は間違いなくこれなのですが、僕の記憶にあった校舎とは全く違っていた模様です。僕の造形把握能力では、「なんとなく先がとんがった空間のある建物」という認識しかしていないようでした。自分の感じた見覚え、あれ、ウソ。デジャブは勝手に作り上げられるものの様です。
 というわけで、人の記憶は全くあてにならないというお話でした。いい話が台無し。