自慢だ。自慢である。
そもそもSNSはみんながお互いを自慢するツールなのでこの使い方は間違っていないのである。
お誕生日を迎えた。何度でもいうが誕生日のお祝いはこのあと半年間受け付けている。
今年は50周年感謝祭特別キャンペーンとして一年受け付けることにする。
50にもなってお祝いされるというのは気恥ずかしいものだが、様々なところで様々お祝いいただいた。
11/5は神田のイベントにて店長からの計らいにて。その翌日は卒業生の皆様にて。その次は…と書き連ねてもキリが無い。動画に観客が映っていないのはたまたまである。自分独りで撮影して効果音をつけて無理やり編集したものではない。ないのだからな。
たくさんのギフトを頂戴いたしました。こちらはちゃんと開封動画として一つ一つ吟味してアップさせていただこうと考えております。
あれだな。LINEギフトって便利だな。今後1ヶ月くらいスタバのコーヒー飲み放題にさせていただきました。
…
僕はよく、大事にしなければならないものの順番を間違える。
大事な方々に順番をつけるなんて不躾だ、という思いもあるが、体力や時間に限度がある限り、そこにはどうしても優先順位が存在する。
ただそれでも僕は「できる限り体力をつけたらみんな大事にできるだろう」という無謀な生き方を続けてきた。そしてまだ、この生き方を続けるつもりだ。
その結果が、この状態なら悪くない。
自分の我儘な立ち位置だけで言えば、ね。
もっともっと、周囲の方々に感謝して「ちゃんと生きなければ」という気持ちは心の奥底に持っている。
同時に「この僕がこの僕でいる限りにおいて愛されている状況」というものも薄らぼんやりとは理解している。私以外私じゃないの。
この我儘放題の僕ですみません、と思うと同時に、この生き方が望まれているみたいだ、という肌感覚も持っている。ただ、そこに甘んじてはいけない。恥を晒して人様に迷惑をかけている自覚を持って、その上で「迷惑をかけないように緊張して生きるのではなく」「迷惑かけてはごめんなさいを続けて皆様からかけていただく迷惑(と思っていないが)を許容して」生きていこうと改めて思うわけであります。
結論。僕は何も変わらない。
誰に何を言われても変わらない。
変わらないままに、これからもずっと生きていきます。迷惑かけすぎて誰も周囲からいなくなるまで。
今のままで良いよって言ってくださる方、ありがとうね。皆様のために、僕は身を粉にして遊び続けていくからね。僕の役割は「常に上機嫌で居ること」です。
こんな放蕩50代を、どうぞよろしくお願いいたします。