経営の教科書


 自分が尊敬する経営者・実務家は数多く、様々な著書を読んできたけれど、新将命氏の著書を読んだのは、不勉強ながらこれが初。
 経営をすること。10年前の自分に言い聞かせたいことが多くある。
 制作会社で荒波・修羅場にもまれたからと言って、それだけで会社を興せる・動かせると信じた20代の自分。それを評価したい気持ちもあるが、実際には波に浮かんで、周りに協力しながら、気がついたらそうなっていただけ。自らの意思でない独立など、たかが知れたものだった。
 人を知ること、育てること、自分の身を律すること、ただ全うに、愚直あるいは賢直に、どちらにしても直にやり続けること。倫理に背く事はしないこと。その上で実績・結果を出し続けること。言ってみればただそれだけ。ルールやマナー、社会規範を全て全うし、その上に読めない社会情勢の変化の中で、勝ち続けること。しかしながら逆に言えば、それだけがんじがらめであれば、それを真摯に守ること。それが本質。
 シンプルだが、硬派。言葉は柔らかいビジネス書だけど、久々に軸が硬い本に触れた気がします。
 著者の責任ではないのだけれど、最近は富に安・近・単な「●●する10の方法」といったノウハウTIPS本が増えている気がします。嫌いじゃない本もあるけれど、やはり紙をこすって読むからには、硬い知を読み砕きたい。(この本の文体は非常にやわらかいですけどね。)
 その意味で、一昨年流行ったドラッカーも相変わらず読んでますが、「もしドラ」には手をつけず赤本全集でゴリゴリ読んでます。お財布にも硬派です。赤字に金色なんて祭り模様の装丁、買わないわけにいかないじゃないですか。

We love our life and friends.

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 前は、結婚直後、そして将来の道を考えなおし始めた頃。
 その前にあったときは、勤めていた会社を辞める寸前。
 大学時代。浪人時代。高校時代。
 生まれも育ちも、大学も会社も全く接点がない。
 一緒に酒を酌み交わしたどころか、過ごした日を全部足しても一ヶ月にも満たない。
 なのに付き合いはもう22年目。
 今はデンマークに住んでいて、会いたくてもなかなか会えない仲間。
 キーになるタイミングに必ず居てくれる友人、こますけに10年ぶりに邂逅しました。
 初めて会ったのが90年。当時高校二年生。受験合宿的なイベントに参加して、一週間ほど勉学にいそしむ中、近くの席に居たのがこますけでした。気がつけば、近くにいた仲間数人と談笑を交わす仲になっていた。ただそのとき、近くの席にいた、ただそれだけの縁。それが22年も僕を支えてくれることになるとは思っていませんでした。
 限りなく黒に近いグレーな高校時代。自分の理想と現実にギャップがあり、プライドだけが肥大して自ら日常を過ごしにくくしていた日々に、その日常から離れたところで話を交わしてくれた事にどれだけ救われたことか。メールも携帯もない時代、筆圧から声が聞こえてくるような文通を交わしていました。今でも、その全ての手紙を残してあります。
 僕が大学受験に失敗した後、仲間達と一緒に遊びに行ったスキー&群馬めぐり(?)。当時から引き篭もりニート気質だった僕にとって、「リアル充実組」の仲間達と「なんか青春の香りがする」旅行をした、ということがわずかながら残る僕の健全な青春時代を引き出してくれたと思っています。
(だいしやヒロポンといった、友人達とも高校時代を過ごしてますが、君達はどちらかというと引き篭もりニートを更に悪化させるとても素敵な仲間達だったと認識してます。いや、本気で感謝してるんですよ(眼の焦点合わずに)
 同じく、その1年後の宇都宮旅行。暑い夏の夜、仲間Hのワンルームにみんなで雑魚寝して、5人が軽トラックの荷台に乗りこみ、深夜の宇都宮大学・校舎屋上に忍び込んで眺めた流星群。なんだか書いててむずむずするような青春の一ページ。というか僕の人生のトップオブ青春イベントじゃなかろうか。何このリアル天体観測。思い出して赤面してきた。
(大学の仲間・40期や40期といった友人達とも大学時代を過ごしてますが、君達はどちらかというと引き篭もりニートを更に悪化させ(以下略)
 土地勘もないまま廻った大学。一緒に北陸に帰った電車。僕の大学スキー合宿に突然現れてくれたこと。逆にスキーのアルバイト場に遊びにいかせてもらったこと。夏休みにバイト先に押しかけたこと。
 日常をともに過ごした血縁仲間とは違う場所で、彩を与えてくれた仲間の一人です。
 月日が経ち、数人居た仲間たちともなかなか連絡が取れなくなり、ただ一人ずっとネットやメールを通じてやりとりがつづいていたこますけと、今日は積もる話をたくさん寄せ集めながら上野で語らいの一日でした。
 話している内容は全く他愛もない日常話。とはいえデンマークに住む彼女の話は、本人は他愛なく思っていることでも本当にグローバルであり、ドメスティックに凝り固まっている僕の頭をがんがん刺激してくれるすばらしい時間でした。
 何か知識を得たい為に語っていたわけではなく、ただそこでデンマークの話、昔の話、ここ10年の話、それをしているだけで、その空気がとても清涼でした。その空気感に、大人の生活で疲れた身体のコリが、すっとほぐれていくのです。やー、お互いもう37なのに、話すと16くらいの心持に戻るね。(気持ち悪いとか言うな)
 このペースだと、生きてる間に後 数回、会えるかどうか、という状態。
 十代の頃は、未来が無限に感じていたので、そんなことは考えなかったのに。
 国に戻る直前、なかなか時間が取れない中で、無理を言って作ってもらったひと時。ほんの数時間だけの語らいでしたが、きっとこの時間もまた、僕にとってキーになる何かがあると信じています。
 これからも、よろしくです。
 以上、とても私信的なブログになりました。失礼しました。

「つまるところ、私は人生には向いていない人間なのだ」

 正月明け。一人放蕩ついでのミギリ。当てもなく山谷界隈を散歩してきました。
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山谷 @ Wiki
 簡単に言うと、旧来から存在するドヤ街です。
 なんの理由があって僕はそこに行くのか・・・。
 自分自身、どこで生きていけるのか。
 まだ僕の肉体は通用するのか。
 どういう生き方までできるのか。
 それを時々知っておきたい、と思うのです。
 (もちろん散歩するだけだと何もわかりゃしないんだけどさ。)
 また、勤め人@渋谷やその他諸々をして幅広い世界を知ったつもりになっている自分に、違う空気を触れさせておきたい、という気持ちもあります。

 年末に「山谷がけっぷち日記」を読みました。

 淡々と、その場で生きる人の姿を描き出すこのドキュメンタリー。非常に面白かったんですね。
 筆者自身、勝ち負けではなく、自分の意思で山谷にたどり着き、日雇い労働を二十年以上続けるという人生を選んだ男性。その人が、恨み節でもなく、政治思想の吐露でもなく、ただその場の毎日を書きつらねた話を読んで、興味を持ったのです。
 日々を生きるとはどういう環境なのか。
 その環境で生きるとはどういう意味になるのか。
「市民社会とは明確に区分された異貌の空間が、眼前に展開しているのだった」(上記、引用)
 その空間を知りたくなり、ネットを活用&書籍を読んで、自分の中で想像を膨らませていったのです。

 僕は自他共に認める引き篭もり気質満載の男であり、PCの前に座ると100時間でも200時間でもインターネットをし続けてだらだらと時間を過ごすことのできる無為無策の中年です。
 そんな自分でも、インターネットの情報と肌の知覚、この二つの限りない差異は感じていて、畢竟「インターネット上の情報はどこまで行っても情報である」更に言うと誰かがかいつまんだ話をまとめたもの=二次的情報、の集合体であるという意識がどこかにあります。
 例えばWikipedia、例えばUstream、例えばTwitter、百科事典化、時間軸、映像表現、リアルタイムキャッチ、様々な切り口をもって僕らにこれでもかと言うほどの情報を与えてくれるインターネット。でも、どのような切り口をとっても、情報は情報。僕の生き方の根底をひっくり返すものではないし、熟慮から生み出した自分の信念を曲げる威力もさほどない。
 情報は、実際に足を運んでみてみること、その場の人に話を聞くこと、触れてみること、殴られてみること(したことないが)、口説いてみること(してみたが)、交わ(略)みること(したいが)、そこで体験したものとのギャップはまだまだあると感じます。
 それゆえに、僕は興味があるところは極力、足を運ぶなり実体験するなり、自らの身体をもって経験してみることを欠かしたくないのです。やっぱり、耳年魔より経験豊富なほうがいいじゃないで(略)。

 そんな理由で、でも実際には一日散歩をするのが関の山。知ったつもりにすらなれない。のだけど、やはりその場に行って、自分と違う空気に生きる人の生活空間に足を踏み入れる体験は非常にスリリングです。
-一見、普通の住宅街。というか、高級邸宅とそうでない家が通常より広い幅で混在している。
-「全室カラーテレビ完備」「冷暖房完備」。この看板が売り文句になる世界。賃料2000円。入り口がどこかわからない。
-一切電飾のないパチンコ屋を初めて見ました。それでも盛況です。平均年齢は50代。
-というか、僕らの世代より下の人が全く道を歩いていない。
 この点について語るとそれだけで一冊書けそうですが、一言で言うと「社会福祉が必要だ」ということを痛感しました。
-資本主義的視点とは別の生活観念。僕が同化できるかは別として。
-この点も書くといろいろ差しさわりがありそうですが、一言で。「左派の存在理由を感じた」
 普段何も感じない自室と渋谷を往復する日々ですが、こういう時間を持つことで、僕はまた改めて刺激を受けては自室に引き篭もるのです。世の中に対する愛情は深まりながら。
 ※記事のタイトル「つまるところ、私は人生に向いていない人間なのだ」は上記「山谷崖っぷち日記」の一説です。

2011年

 あけましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願い申し上げます。
 正月は意外と規則正しい生活をしております。朝の清清しさを体感したり、家の中で静かに過ごす時間を楽しんでみたり、頭を空っぽにして読書をしたり、映画三昧の日を過ごしたり、次の計画を立てるのに真剣になってみたりと、いつもなら落ち着いてできないことを様々味わってみました。
 
・AppleTV買った。
 前々から気になっていたアイテム、AppleTV買いました。
 寒空の下、凍えながらTSUTAYAにレンタルDVDを返しに行かなくてもよくなったのは、ほんとうにありがたい。また、こたつに入ったまま映画をチョイスできるこのぐうたら感。とてもすばらしい。
 とりあえずまずは「さんかく」「レスラー」を立て続けに拝観。
 

・自室大改装した。
 自室だけでなく、玄関からいろいろと大掃除兼ねて変革しました。
 15年付き合ってきた靴箱や衣装だなともお別れし(もっと早く捨てろよ、と言う意見は聞こえない)、新しい棚やパーツを買いこみました。
 特に自分で大きな変化が「自室のダーツボードを撤去」「万年床を毎日上げ下ろしする体制に」としたことです。
 どちらも僕のぐうたら放蕩のアイコンであったのですが、今回ココロ新たになるにあたって、自分の環境を大きく変えることからはじめることとしました。決意って、ほら、当てにならないですから。環境変えたらイヤでも自分を変えないといけなくなりますし。
 そんなわけで、ふらふらとしてる放蕩親父は変わりませんが、案外環境の変化により髪の毛が抜けたり減ったりするかもしれません。そんなときはそっと見守ってやってください。