Web logged

人のブログを読むのが好きです。
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 昔はWWWC、最近はRSSリーダーなど、便利な道具がいろいろ登場していますが、僕は昔からずっと、「そのブログを直接叩いて(クリックして)実際に見てみる」という流れを必ず取るようにしています。
 確かにね、手間はかかります。そして、更新されているかどうかもわからないまま、行ってみては更新されてなくて残念、という体験をしてはまた次のページを見に行く、ということを行っています。
 いや、ね、コレでいいと思ってるんです。
 僕は有益な情報をブログから集めようと思っているわけでもなく、知の泉としてブログを活用しているわけでもありません。(そういう側面は確かにありますが、それはまた別の場所で活用手法として行っています)
 僕にとってブログは「他の人の心と生活と過去をしっかりと眺める」いやらしいツールなのであります。
 だって面白いじゃん。人。というか友達。
 僕と知り合っている人のブログはほぼ間違いなく、いつも閲覧しています。
 有益とか無益とかではなく、繋がっているその事実だけが僕に何か新しい気づきを生み出していくのです。
 そして、それはRSSリーダーから出てくる文章だけではなく、その人が作った、または選んだデザイン、その中に納まる文章、行間、そういったものを全て眺めてあれこれ夢想することが大事なのです。
 その意味で、僕はいつもその人のブログを見に行き、デザインを眺め、その中に書かれている文章と行間を見つめ、更新頻度をみて、ブログ記載者を想うのです。気持ち悪い言うな。
 
(画像はよく読むブログからランダムで抜粋コラージュ。ご容赦を!問題あれば削除いたします)

10年の歳月と成長

ブログを10年続けると、当たり前だが10年分の蓄積があるわけでして。
 丁度10年前の今日、僕が何を考えていたかも、このブログの中にしたためられているわけです。
 ●2000年3月28日
 うむ。成長してない。
 26歳にして社会的に欠落した事を言っているが、36歳にしても全く同じ状態にある。これを不成長と取るか、達観と取るか。

悪友の結婚

 今日は大学時代の悪友 S二郎氏の結婚式。
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 このブログにも何度も登場してくる某W大合唱団第四十期大同窓生一同連ですが、腐れ縁もはや17年近く。20人近い仲間たちも、家庭や所帯を持つ方々が増えてきました。その中、家庭を持つのか持たないのか、どう進展するのかわからなかった悪友S二郎氏がついに結婚。いやはや愛でたい(敢えてこの漢字)。@椿山荘。
 10年前にM佐子嬢が結婚式を挙げたのもココでしたね。あの時は僕が結婚式に遅刻して出られなかったんだよな。婚姻届の保証人にまでなっておいて、なんて失礼な奴だ(僕が)。
 ともあれ、この仲間とは最近式典関係で顔を集めることが多くなってきました(そうでない飲み会も多いが)。それだけ大人になってきたんだよな、僕たち。
 ひとつ、思うこと。
 今の僕が勤める会社は、年齢も若く、まだまだこれから花開く仲間も多く在籍しているのだけど、気風が尖っているせいか、リベラルな環境で社会や未来を語ることが多いです。この前一緒に飲んだ、あらゆる意味で残念な婦女子青年が集まる残念会●柳分科会などまさにこれからのリベラルを担うメンバーだと思ってます。
 翻って、大学の仲間たちは、あまりにも変態が多く在籍してはいるのですが、本道はいたって保守的。勤める会社も大手が多く、管理職や研究職を任されて、安定した日本の未来を双肩に背負うようになってるなぁ、とも感じます(でも変態)。
 結婚式をはじめとする冠婚葬祭ではその違いが如実にわかります。その周りに居る大人たちの姿。立ち居振る舞い。一つ一つにアーティスティックなものや堅実なもの、意思や背負うもの、伝統などを感じるのです。どちらかというとDHはアーティスティックで革新を、四十期生は伝統的で中庸(いい意味ですよ。)を。どちらも大事なことなのですが、軸になるものの違いを感じました。
 リベラルな(そしてクレイジーな)仲間たちと保守的な(そして変態な)仲間たち。僕の目の前に居る人たちを、改めて大事にしていきたい。はい。ええ。
 写真は、今日の新郎の手。
 写真撮影のとき、仲間たちに悪態をつきながら、人知れずそっと後ろ手に新婦の身体を支える新郎S二郎。
 このあたりが、彼の人柄ですね。
 本当に、結婚おめでとう。
 そしてKama、君は披露宴しないのか。待っているのだが。
 批判や反論、鏡返しは一切受け付けない。

千鳥が淵散策

 武道館行ったぞ。
 Links to 武道館
 と、リンクを貼っておいてなんだが、武道館に用事があっていってきた訳ではない。
 たんなる花見散歩、物見遊山と決め込んで、軽装ひとつで遊楽坊主と参りました。
 Links to 千鳥が淵
 東京に住んで(ちょっと嘘。千葉だけど)はや18年。人生の半分を花の都大東京での生活、上京物語の親不孝モノとして暮らしているおいらではあるが、そのほとんどを引篭もりとして暮らしているので実は都内の花見処を全然知らぬ。花見処はおろか歓楽街や有楽街も全然知らぬ。わはは。誰か連れてけ。
 そんなわけで、自分の定期券通勤内、更には学生時代の徒歩圏内に、こんな花見処があるというのは全然知らなかった。
 今日はまだ花見をするには底冷えのする天候で、絢爛花を見ることはできなかったけど、それでも広い公園内をふらふらとかみさんと二人で散歩する中で、また夫婦会話を楽しんでまいりました。
 丁度今日は卒業式日和。
 千鳥が淵内、武道館では明治大学の卒業式が。
 いや、大学の卒業式といえば、僕は本当に申し訳ない親不孝ものでありまして。
 情けない思い出に胸をえぐられて参ったのでございます。
 ご存知の方はよく存じておりますが、不肖山本は大学に5年行っております。はい。ええ。単純に留年でございます。仏語を一単位落としての。
 3月、卒業証書発行の日まで全然そんなことは露知らず、卒業見込みが出ているので当たり前のように就職活動をし、内定を取り、あまつさえ発表の翌日からはタイに卒業旅行に行く予定となっておりました。
 更には卒業を喜んでくれた祖父母。卒業式にお招きし、家族総出でお祝いと相成る予定でございました。
 ところがぎっちょん、蓋を開ければ仏語の試験で赤点をとり、卒業見込み取り消し、親に超絶ヘッドバンキングで詫びを入れ、で翌日からタイに飛び立ってしまったため、計画的犯行とまで疑われてしまいました。いや、本当に、自分でも想像してなかったのです。嘘じゃないんです。
 ともあれ、本当にこの事は今でも心に悔いているのです。
 祖父は一昨年に他界し、この代わりの孝行をできなかった責めは背負っていかないといけないと思っております。はい。
  そんな中、唯一の救いは、内定をもらっていた会社が「卒業なんかどうでもいいから、4月から来い」と行ってくれて、ちゃんと働かせてくれて、あまつさえ卒業まで授業の時間を勤務からはずしてくれたこと。新卒時代の会社にはいろんな意味でお世話になり過ぎております。
 卒業決定の段階で、真っ先に社長にお礼を言いました。
 そんな訳で、履歴書を見ると、97年4月から職歴開始なのに98年3月卒業という僕らしくもややこしい人生履歴を残しているのでございます。
 あまり人前で吐露する話ではありませんが、まあ、隠し立てるものでは無し。
 そんなわけで千鳥が淵を散歩し、未来科学館を堪能し、帰りは大手町で博多水炊き地鶏を食し、自宅に帰ってDVD鑑賞。まあ何たる満喫休日。花粉さえ無ければ本当に素晴らしい一日でした。びえくしょい。
 語りたいことは他にもいろいろあるけれど、とりあえず今日はココまで。

加越能って通じる言葉ですか?

 加越能って、標準語じゃないんですね。
 富山県民として、至極当たり前の言葉だと思ってましたが、関東では通じないことにびっくりしました。
 加越能=加賀・越中・能登の総称です。
 富山~石川県には、加越能鉄道や加越能バスが走っており、密着しすぎて当たり前すぎる言葉になってました。
 で、今日のアマゾンからのお買い物
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 いや、今日もまた何十冊と馬鹿買いしているのですが、その中で真っ先に封を開けて読んだのがこちらです。
 なんとまあ僕のニーズに合致した本であることか。
 むしろ僕以外の誰に合致する本なのか。
 見つけて即購入。と同時に品切れ。僕に購入される運命にあった本でした。
 富山~石川は曳山が盛んであり、その盛んっぷりったらもう言うまでもなく僕の口をふさぎに来るかの如く烈火の如く僕はしゃべり続けます。
 お金持ちになった後の僕のライフワークは民俗学であり文化人類学であり祭りの研究であります。50を超えたら再度大学に編入し、この世界に没頭したいがごとく今がんばっているのです。
 ただ、この手の書物は(この本はまだ一般向けに演出された本ですが)ニーズも供給も本当に少ない世界であり、一般に過ごしているとほとんど手に入ることがなく、個人研究にはフィールドワークと口伝を調べるほかないのであります。または地方に点在する曳山資料館を虱潰しにまわるとか。(もちろん行きまくるつもりですが)
 そんなわけで、こういう本は見つけた瞬間に購入なのです。
 しかし、正直言って、この手の本は非常に高い
 先日も大手町の丸善で日本の曳山研究書を見つけたのですが、一冊14,800円という値札に非常に躊躇してしまいました。
 財布の都合上、なくなく今月は購入を見合わせ。。。(たぶん来月購入します)
 曳山を調べるには、その場所に行くことももちろんですが、ちゃんと文献を調べることも大事です。
 そのうち研究資料サイトも作ろうかしら。
 そして本の内容を全く説明することなく今日のブログを終わります。
 え、聞きたい?
 いいですよー。“安永の曳山騒動”や“祇園からの発展の系譜”や”山車文化圏”などのテーマについて、それぞれ一晩づつ語りますよ。ぜひ聞いてください。

映画三昧

 最近は映画三昧です。映画というかDVD三昧なのですが。
 もともと、映画好きでした。
 88~91年(中学~高校時代)は映画館通いが趣味で、帰ってからも麻雀レンタルビデオ三昧の幸せな日々でした。父親がまた映画好きだったもので、一緒にレンタルビデオ屋にいっては一緒に映画を借りて、閲覧する日々でした。
 
 それが高じてか大学卒業時に映像制作会社なんてところに入ってからがまあ運のつきで、転がるように映像無間地獄に入ってしまい、仕事三昧すなわち映画を見る癖がどっかにすっ飛んでってしまいました。ようするに自宅で映画見なくなっちゃったんですね。
 ただ、映像そのものについては、おかげさまでこれで糊口をしのげるようにさせていただいている関係もあり、これからもずっと付き合っていきたい媒体でもあります。そのため、いつも意識には「映画を見なければ。勉強しなければ。」という焦りがありました。
 それがこの10年あたり、心持としてよくなかったみたいで、焦って、映像屋なのだから映画の知識を身につけなければ、と思えば思うほど見ることができなく、頭でっかちになってたんですね。おかげでどんどん映画の世界から取り残されて、何も見られない日々をずっと過ごしていました。
 が、最近、ちょっと夜に時間が取れることもあり、のんびりと映画でも見てみよう、という気持ちになりまして。そのときに、「見てない作品をたくさん吸収しないと」という気持ちから「昔好きだった映画、昔見てた映画をもう一度楽しもうか」と考えまして。
 そう思って映画を見始めると、ノスタルジーの力か、その当時面白かった映画はやはり面白いのか、どんどん惹きこまれました。
 この歳になって、もう一度映画を楽しむことを思い出したのです。
 まあ、一過性かもしれないけど、楽しめるときは楽しもうじゃないか。
 それほど心震えない作品を見たとしても損をしたと思わない、楽しく映画を浴びることができる心持です。(ただしカブキマンを除く。)
 そんなわけで、ココのところ、映画三昧の日々を過ごしてます。しかも、古いのばかり。名作とか関係なし。好きなものを好きなだけ。
 と思っていろいろ借りたり買ったりしてたら、恐ろしいほどに「狂気悪役」や「ディストピア物」ばかりになりました。解り易いクレイジー大好き。どれだけ人格破綻してるのだ。
・バットマン
・時計じかけのオレンジ
・未来世紀ブラジル
・バトルランナー
・カッコーの巣の上で
・フルメタルジャケット
・デーブ
・トータルリコール
・エボリューション
・ブレードランナー
・デトロイト・メタル・シティ
 その他その他・・・。
 とりあえず昨日の僕の夢の中ではジョーカーとアレックスがお互い楽しそうにバイオレンスを振るい続けてました。変なストレス溜まってるんでしょうか。
 そんな趣味が高じ、引篭もりに熱が入っております。おかげさまで本日、BlueRayマッシーンを入手しました。これからバリバリ活躍してもらう予定です。
 最初に見る映画は「ダークナイト」と決めてます。ジョーカー様万歳。
 前にも貼ったけど、やっぱり好きなこのシーン。

 そして、同じく僕の心に残るシーン、というか、最低最悪に素晴らしいシーン
 Youtubeから埋め込めないようなので、そのままリンクで
 
 【時計じかけのオレンジ】卑劣極まりない暴君アレックス様
 【時計じかけのオレンジ】凶暴アレックス様の真骨頂「雨に歌えば」
 いや、これ、別途日記に書く予定ですが、最近見た映画の中で最も衝撃を受けたのがこの「時計じかけのオレンジ」です。若い頃に見たときとは全然違うインパクト。というか、若い頃はあまりの残虐さに途中で止めてしまったのだと思う、たぶん。今はいろいろコナれて大人になってしまったので、腐臭のする現実からも目を背けなくなりました。その体力をもってこの策品を拝観したら、思わず、感動。3日連続で3回観てしまいました。毎日アレックス様に会いたくて仕方が無い身体なのです。
 BlueRayを買ったのも、アバターのためでもなく、トランスフォーマーのためでもなく、純粋に美しいジョーカー様とアレックス様に会いたいがためです。ええ。
 ただ、言っておきたいのは、僕は悪役が好きな訳ではないのです。
 人としての生き方に嘘偽り無い人が好きなのです。生々しく、でも無邪気に、軽やかに。それが例え社会や通念に反していたとしても。
 この嗜好の話をすると僕は社会から抹殺されるので話を戻します。
 僕に映画の面白さを思い出させてくれたのも、この「時計じかけのオレンジ」です。コレを見て「映画って素晴らしい!」と水野晴夫ばりに興奮してしまったのです。
 いや、まあ、うん、本当になんかストレス溜まってるのかもしれない。
 そして僕が今日読んだ小説はオーウェルの「1984年」。
 どこまで未来に退廃を望んでいるのだ。

北陸と能登

ちょえええええええええええええええええええ。
僕的大事件。僕の行動範囲を変える一大センセーショナルスクープです。
Links to 富山新聞「北陸・能登」さようなら
 まあ、鉄道に詳しい方なら有名な記事かもしれません。今年の3月13日をもって上野-金沢間を結ぶ寝台特急2本が同時に廃止となったのです。
 これをもって我が愛郷・富山へ行く寝台列車はなくなりました。夜移動するなら深夜バスのみです。
 いや、そりゃね、僕はあまり鉄道には詳しくないし、日々の人生にそれほど大きな影響を与えるわけではないのですが、
 とはいえ、実家に帰るときに寝台、よく使ってたんですよ。
 去年も5月14日、学校で21時まで授業があり、その後朝からけんかやまに参加するというスケジュールがあったのですが、寝台特急北陸号があったからこそ授業と祭りのどちらにも義理を欠かさず参加することができました。まさかあれがラスト乗車になろうとは。
 それほど多くは無いですが、年に2回は寝台特急で帰省していたのです。
 どこでもお休み3秒の僕ですので、睡眠中に移動できるというのがとてもリーズナブルに感じてたんですね。更には、新幹線と違って、慣れ親しんだ実家帰省でも旅行気分が味わえる、というのも楽しみでした。
 ブルートレイン、て響きも好きでした。
 夜の23時に上野駅から電車に乗り込み、個室内でビールを空けながら雑誌に目を通し、そのままたゆたうように寝に落ちる・・・気がつけば北陸・富山の地。この旅行を経験することがもう二度とできないのですね。残念無念。
 大学の受験をしたときも、親に結婚の挨拶に行ったときも、祭りに参加するときも、大事なポイントではいつもこの寝台特急を使ってた気がします。初めて乗ってから20年近く。いろいろお世話になりました。。。
 そしてこの北陸行き寝台特急・急行で思い出すことがどうしてもひとつ。
 僕は今でも相変わらず貧乏生活を続けていますが、そんな僕にも更なる極貧時代が2度ほどありまして。一度は2000年、もう一度は2002年。山本輔的年表では「ブラックマンデー大恐慌」と呼ばれている時代です。今名づけました。
 どうして落ちぶれていたのか、という詳細な説明はさておき、2002年当時、僕は東京の会社に勤めながらも、実家で興した事業の後始末をしなければならず、夫婦仲は最悪、借金も数百万でこさえておりました。
 なんとか週末だけでも地元に戻って義理を果たさねばならず、なけなしのお金で急行能登号(何枚か綴りで購入しておくと深夜バスより安かったのです。)で地元に帰るところでした。
 (ちなみに急行能登号は、夜発~朝着の電車ですが、椅子席しかなく、コスト的には非常に安い列車でした)
 当時財布に入ってたお金は20円。食事は昼に食べた食パンのみ。
 かみさんとの険悪な関係上、家にも帰れず、だからといってどこにも行けず、ただ上野でぽつんと3時間ほど電車を待つばかり。缶コーヒーすら買えない。
 寒かった夜の上野駅ベンチ、空腹と20円と切符を握り締めて列車を待つのは本当に堪えました。
 いや、本当にこれ辛いというか、人生絶望を感じましたよ。
 夫婦仲と金と食べ物は、どれも比類なく大事ですよ、ええ。
 嫁がいようが仕事があろうが浮浪することもある、と知った29歳時代。そのときに得た真理です。
 今もあまり変わってないとか言うな。
 話がそれましたが、そんな思い出を乗せて走った急行能登号、寝台特急北陸号、いろいろありがとうございました。

Twitterとブログ

 最近はTwitterにも慣れてきて、ちょっとした思い付きはTwitterで書き込むようになってしまいました。
 そうなると、必然的にブログとTwitterを住み分けるためにも、ブログの方はしっかり練りこんだものを書かなければ、という意識になってきました。しかしながら、そもそも練りこんだ考え方なんてちーとも持ってない僕のこと。ただ冗長なだけの文章を垂れ流すに過ぎないブログになってきました。どうするんだよ。これ。
 因みにTwitterアカウント6つ持ってます。どれだけ多重人格してるんだ。
 それはさておき、相変わらず様々なツールを使いまくっていますので、ちょっとご紹介
【GoogleWave】
 Links to GoogleWave(要招待)
 チャットとメールの相の子、と言いますか、新しいコミュニケーション形態です。
 同期と非同期の間を取るような、複数人のスレッド書き込みがリアルタイムに反映され、更には書き直し、記述中の動きが全てお互いに見えるというツール。
 お互いの議事を進行と同時に把握したり、書き方の流れを見ていくことで相手の感情が手に取れるような、筆跡と言う記録媒体を超えた「書いている状態」そのものを相手とコミュニケーションする道具にしたモノだと感じています。
 まだまだ僕も使い慣れていないので、レビューと言うほどの事は出来ませんが、これからいじり倒していきます。
【Ustream】
 すでにご存知の方も多いでしょうが、Ustream。
 Links to Ustream
 お互いにリアルタイムで動画をやり取りするサイトです。
 と書くと変な事を想像しちゃう方も居るかもしれませんが、まあ、そういう遣い方もありますが、もっと健全な使い方も沢山出来ます。
 最近は横浜に住む友人の編集作業を見ながらこちらで作業したりとか、横浜に住む戦友がユンケルの飲み比べをしているのを眺めて作業したりとか、そんなことで使ってます。なんか使い方違うな。
 とりあえず、僕にとっては、空間軸を無視して誰かと一緒に作業している環境を提供してくれる道具です。または参加できなかったセミナーを自宅で見てるとか。いや、これ、簡単に書いてるけどすごいことです。僕が北陸の奥に引篭もっても十分情報を受信したり、誰かとコミュニケーションをとって仕事できるレベルになってきました。後はリアルな北陸新幹線が必要ですが。
 とはいえ、ぼくはまだまだ東京に居ますけどね。
 

ヨメのmixi日記で泣いた。
許可を得て転載。
今日は気分転換に、机周りの整理をしました。
仕事机じゃなくてプライベートの、例のエアコン暖房が壊れてる部屋なので、今日の気温
では手足が冷えましたが、がんばった甲斐あってかなりすっきり。
プチ魔窟と化していた部屋の隅の、積み上げていた箱の中身を半分くらい捨てたら、
小さめのごみ袋2個半くらいになりました。早くごみの日来ないかな(笑
机の上にもいろいろ積み重なっていて、下の方のものまで片づけていたら、手紙類が出て
きました。差出人は、夫。
来る日も来る日も、「どうやって1日でも早く死のうか」ということしか考えられずにいた頃、
夫はよく手紙をくれていました。
繰り返しおまじないのように、「貴方といられて幸せです」と書いてくれている。
当時のわたしは本当に病み切っていて、「この人はどうして、こんな言ってもむだなことを
言い続けるのだろう」と思ってました。
励まされてプレッシャー、とかじゃなかったのだけど、彼が何を言ってくれようとも、生きる
ことを前向きに考えられるようにはならなかった。
同じ頃、夫は絵を描いてくれることも多々あったのですが、彼の描いた牛さんや羊さんの
顔の、なんと優しいことか。
当時のわたしはそんなことにも気がついていなかった。
5年以上も経った今日、もらったことも忘れていたその絵を見て泣きました。
当時を思い出して追体験することは意識して避けるようにしているのですが、今日の涙は
つらくも苦しくもありませんでした。
今更だけど、人ってこんなにあったかいんだ、って思いました。
「生きている」のじゃなくて
「生かされている」のだと
今頃になってやっと少しわかった気がします。