ちょえええええええええええええええええええ。
僕的大事件。僕の行動範囲を変える一大センセーショナルスクープです。
Links to 富山新聞「北陸・能登」さようなら
 まあ、鉄道に詳しい方なら有名な記事かもしれません。今年の3月13日をもって上野-金沢間を結ぶ寝台特急2本が同時に廃止となったのです。
 これをもって我が愛郷・富山へ行く寝台列車はなくなりました。夜移動するなら深夜バスのみです。
 いや、そりゃね、僕はあまり鉄道には詳しくないし、日々の人生にそれほど大きな影響を与えるわけではないのですが、
 とはいえ、実家に帰るときに寝台、よく使ってたんですよ。
 去年も5月14日、学校で21時まで授業があり、その後朝からけんかやまに参加するというスケジュールがあったのですが、寝台特急北陸号があったからこそ授業と祭りのどちらにも義理を欠かさず参加することができました。まさかあれがラスト乗車になろうとは。
 それほど多くは無いですが、年に2回は寝台特急で帰省していたのです。
 どこでもお休み3秒の僕ですので、睡眠中に移動できるというのがとてもリーズナブルに感じてたんですね。更には、新幹線と違って、慣れ親しんだ実家帰省でも旅行気分が味わえる、というのも楽しみでした。
 ブルートレイン、て響きも好きでした。
 夜の23時に上野駅から電車に乗り込み、個室内でビールを空けながら雑誌に目を通し、そのままたゆたうように寝に落ちる・・・気がつけば北陸・富山の地。この旅行を経験することがもう二度とできないのですね。残念無念。
 大学の受験をしたときも、親に結婚の挨拶に行ったときも、祭りに参加するときも、大事なポイントではいつもこの寝台特急を使ってた気がします。初めて乗ってから20年近く。いろいろお世話になりました。。。
 そしてこの北陸行き寝台特急・急行で思い出すことがどうしてもひとつ。
 僕は今でも相変わらず貧乏生活を続けていますが、そんな僕にも更なる極貧時代が2度ほどありまして。一度は2000年、もう一度は2002年。山本輔的年表では「ブラックマンデー大恐慌」と呼ばれている時代です。今名づけました。
 どうして落ちぶれていたのか、という詳細な説明はさておき、2002年当時、僕は東京の会社に勤めながらも、実家で興した事業の後始末をしなければならず、夫婦仲は最悪、借金も数百万でこさえておりました。
 なんとか週末だけでも地元に戻って義理を果たさねばならず、なけなしのお金で急行能登号(何枚か綴りで購入しておくと深夜バスより安かったのです。)で地元に帰るところでした。
 (ちなみに急行能登号は、夜発~朝着の電車ですが、椅子席しかなく、コスト的には非常に安い列車でした)
 当時財布に入ってたお金は20円。食事は昼に食べた食パンのみ。
 かみさんとの険悪な関係上、家にも帰れず、だからといってどこにも行けず、ただ上野でぽつんと3時間ほど電車を待つばかり。缶コーヒーすら買えない。
 寒かった夜の上野駅ベンチ、空腹と20円と切符を握り締めて列車を待つのは本当に堪えました。
 いや、本当にこれ辛いというか、人生絶望を感じましたよ。
 夫婦仲と金と食べ物は、どれも比類なく大事ですよ、ええ。
 嫁がいようが仕事があろうが浮浪することもある、と知った29歳時代。そのときに得た真理です。
 今もあまり変わってないとか言うな。
 話がそれましたが、そんな思い出を乗せて走った急行能登号、寝台特急北陸号、いろいろありがとうございました。