ビジネスウェア

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ついに妻がビジネスウェアも仕立てられるようになってしまった。
「なってしまった」というか、ここ十数年、僕がビジネスウェアを必要としてこず、妻も伝家の宝刀を抜く機会がなかった模様。
1・僕はもう二度と外で服を買うことはないかもしれない。そのうち靴さえも作れるようになりそうな勢いだ。
2・スーツ用生地は既に買ってある。2年後の夢はルイジコロンボ生地での妻メイドスーツ。
3・Yukiko Yamamoto for Men で商売にならんか。服飾系はYamamoto多いし。
そのうち僕が身につけるもの全てをメイドイン妻にコンプリートされかねないが、僕ウェアには「カツラ」という強敵が最後に待ち受けているのだよ。

いよいよ祭りの季節です。

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さあ、いよいよ後一ヵ月に迫りました。伏木神社例大祭「けんかやま」。日ごろの行いに感謝して、今年も馳せ参じる予定です。皆様ありがとうございます。法被を取り出し、妻に繕いなおしてもらい、美しい姿でその日を迎えたいと思っています。
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子供の頃からの夢だった「けんかやま」に参加、山車を曳かせてもらったのは二年前。好きが高じて祭りのサイトや映像を作り始めたことがきっかけでした。
そして、山車を曳かせてもらうようになり、僕自身も大きく、良い方向に変貌する事になりまして。
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一昨年、初めて曳いたときは、病み上がりにして、またそれに起因した大きな社会的試練に当たっている時でした。いわば、ある所で自分の居場所を失う危機に直面していました。でも、その時は「筋の通っていれば、邪な者には負けない」という結果で、僕は自分の居場所を取り戻せました。それが今の中国語事業へと繋がり、新しい世界を広げてくれまして。祭りに参加した日、その当日に僕の逆転復活を示す辞令が飛び出していた事、ある種の奇跡(祭りパワー)を感じています。
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昨年も、この時期は一昨年以上に大きな転機を迎えていました。詳細は省きますが、転機に対しての様々な利害関係に立ち向かわないといけませんでした。この時も、祭りから頂いたエネルギーが影響していたと言わざるを得ません(この転機が二月とかだったら即折れてたでしょうね、僕)。

余りある体力と、一週間の帰省の中で取りまとめた本家一族総意の元「結果や利害などどうでも良い。最悪時の面倒は見てやるし、そもそもお前に『負け』はない喧嘩だ。遠慮せず、不誠実な対応には徹底、筋を通させなさい。なん、相手がだら言うとったらウチら全員でかちこんだる(方言・意訳不可能)」と勇気つけられ、転機に対し、最も納得のいく結果を得る事ができました。
この時、一昨年以上に、僕には蝶の紋所と曳山の福神・毘沙門天が味方にいる事を確信したのです。

(もちろん神様云々以前に、家族、大学の同窓、クリエイティブで活躍する仲間、企業人、皆が精神的な後押しのみならず、こんな僕のために専門分野の知見を結集して対応してくれた事が何よりの救いでした。今も心から感謝しています。)
そして何より、利害調整に日に日にやつれる僕に代わって全ての情報を整理の上適切な判断・指示を最後まで出し続けた妻。こちらも福神・弁財天のごとし。あの日の大演説「何よりも貴方は不当な要求をしていない。正攻法でも良いのだけれど、貴方の愚鈍さと馬鹿正直さを知る相手は、言葉尻をつかんで『結果論の利害だけをちらつかせ、筋を通さず』強引に貴方を折れさせようとするわ。結果が良くとも、自分の旦那が筋違いを受け入れるのは私が許し難い。それで手に入る利益など溝に捨てなさい。今回、時間が味方なのだから、ここは沈黙の一手。相手が焦ってから軽口の振りをして第三者の口を借り、耳に入るようにして真のステークホルダーを引きずり出す事。その時点で、相手は条件を飲む(筋を通す)しかカードが無くなっているはず。更に最悪のケースを想定し、弁護士と私が近くの喫茶で待機しますので着信を下さい。私を信じて」。今思い出しても身震いをする。あまりの鬼神活躍のため、その後妻は倒れました。(今は元気です)
全ては、誠実に、愚直に、筋を通して生きること、そのものが僕を導いてくれるものと思っています。
その生き方を守っていけば、世間様からの信頼と、神様の救いが必ずあると信じています。
(宗教には疎いですが、せめて、自町内の曳山が奉る毘沙門天くらいは信心として持っています)
・・・そう思うと、まずは家族孝行、親孝行しないとなぁ。筋が通ってないと言われてしまうよなぁ。と実家を飛び出して、孫の顔も見せぬまま未だ戻らぬ放蕩息子にして、妻に苦労をかけている道楽亭主は思ってしまうのであります。ま、とりあえず祭りの日には実家に帰ります。

偏狭読書情報です。

今月も偏狭読書情報、行きます。
【われ敗れたり―コンピュータ棋戦のすべてを語る】
米長邦雄御大は何をしても何を言っても許されるのである。なぜなら、米長邦雄だから。いわば筒井康隆御大と同じ立ち居地に居ます。
【以下引用】
 しかし、妻の答えは驚くべきものでした。
「あなたは勝てません」
 このように断言されてしまうと、私もどこにいたらなさがあるのか、気になります。当然、「なぜ勝てないんだ」と問い返します。すると妻は「あなたは全盛期に比べて、欠けているものがある」というんですね。
(中略)すると、妻は「全盛期のあなたと今のあなたには、決定的な違いがあるんです。あなたはいま、若い愛人がいないはずです。それでは勝負に勝てません」といったのです。

【映像の修辞学 (ちくま学芸文庫)】
ようやく構造主義の理解がロランバルトまでたどり着いた(バルトというか蓮見重彦。なぜこの人はこんなに文章が特徴的なのだろう)。時間軸でありながらテクストと連携したり、排除したりを選択できるメディア「映像」。「テクストの快楽」では記号の再分配が示されていたけど、映像では記号の成立から構築しなおさなければならない(それは即ち色彩、構図、シニフィエなど)。その意味では少し入門書的なところで収まってしまった気がします(文庫にする必要もなかったのでは…)。
ハイパーテクストの誕生を予感していたバルトにとって、映像の「ハイパーテクスト」化は見えているのだろうか。そしてそれは可能なのだろうか。次のメディアのヒントはここにある気がします。

【読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門】
この手の本はあまり読まないのだが、先日実家に戻ったときに父から「新幹線の中、これ読んでいけ。すぐ読み終わるから」と父がマーカーを引いたこの本を渡される。
理解するべきは「知を積み重ねている人は強い」の一点。強くなるため、えらくなるため、儲けるために知を積み重ねるわけではないのだけど、功利主義的に高みに上ろうとしている人と、元から情熱と能力がある人の二種類と対等に渡り合うためには、ある種の仕組み化と基礎能力訓練が必要だと言う事。今からでも遅くない。そしてやればやるだけ、楽しいのだ。

【江戸・東京 歴史の散歩道―江戸の名残と情緒の探訪〈2〉千代田区・新宿区・文京区 (江戸・東京文庫)】
学生時代に文京に五年住んでいたが(五年しか居なかったのか。二十年ちかく住んでいた感がある。学生時代は濃いのだな)まあ知らない事ばかり。千代田に本社がある企業にも八年勤め、いろいろと考える事がある。あ、今の会社も千代田区か。
僕にとって東京とは、この一帯でほとんどの思いを占める。まあ、楽しみとしてゆっくり眺めています。

人生の天気

人生は晴れの日ばかりじゃない。雨が振り続く時に、ぽっきりいかないで粘れるか。栄養を蓄えられるか。これが存外に難しい。しぶとく晴れの日を待つ。その体力が問題だ。今、晴れた道を歩んでいる人、気をつけて。いつかの雨に、備えるように。
よく似た言葉に「明けない夜はない」があるけれど、夜はある程度明ける時間が予測できる。それでも、明ける前に倒れてはいけないのだ。
(…そして、暮れない昼もないと、悲観的にならなくとも、心のどこかで配りつつ。)

映像環境構築勘案中

休憩中。自分の映像制作環境を考える。
今は数十万で相当な機材をそろえられる環境とは思うものの、僕がやってきた仕事内容ではなかなか勝手が違って難儀する。
僕がこの会社に来る前、10年近く自宅でやってきたのは、むしろ映像屋というよりエンコード屋。マシン数台を用意して毎日がしがしとエンコードして、カメラのぶれてるところとかNGテイクを抜く、いわば「素材管理・オフライン管理」的な仕事が中心。映像仕事の地味な部分を裏方として引き受けてきたわけだ。しかも時代性もあり、ここ10年はずっとWinマシンで対応してきた。
しかーし、時代は変わり、エンコード屋としてはCodecでProresはいまやどうしても外せない。しかも、待てども待てどもProresはWinに対応してくれない。「腕があれば何とでもなるんだよ」とはいかない業界標準の問題。趣味とはいえ、我が家にあるWin数台を手放して、MacでProresの環境をそろえるだけでも相当手痛い出費になるわけだ。FCPに乗り換えたら、これまでのTrapcodeとかも一から構築しなおしなわけで。そんな金あればGH4や一脚や周辺機材揃えたいぞ。
今回、また仲間たちと楽しい事を始めるにあたって、改めてProresが必要になりそうな気配。うーむ、MacPro買ってしまいたいぞ。一台だけ買っちゃおうかな。(悪魔のささやき)芋づる式にFCPも。
と思えば時代はDNxHDに移りつつあり、しかも4k対応が非対応でまた別のものになりかねないと。追いつくだけでも大変だ。
あと、標準がMac+PremiereCCになりつつあるという嬉しい情報もあるものの、やっぱり機材としてはMacを買わないといけないのね…とじっと財布を見る。
自宅に第二スタジオ完成。というかかみさんの部屋に映像制作ブースをもう一つ造っただけですが。4kには追いついてないですが、5年前位の「枯れた技術」専門ブースとして機能させます。その分僕の部屋は実験室になります。GH4欲しいなあ。
そういってる間に自宅に第二スタジオ完成。というかかみさんの部屋に映像制作ブースをもう一つ造っただけですが。4kには追いついてないですが、5年前位の「枯れた技術」専門ブースとして機能させます。その分僕の部屋は実験室になります。GH4欲しいなあ。

富山湾と立山連峰

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富山に生まれて、偶然にもカメラを手にした人間として、この写真を撮らずには居られない絶景。海の向こうに立山を眺める。地元に帰る度、何度も雨晴海岸に通ってようやく撮れた一枚。また天気の良い時に出向いて、更に良い一枚を撮りたいです。
因みにカメラの腕と天気と状態に恵まれると、こんな写真も撮れる、日本でも髄一の景勝地です。駿河湾越しの富士山にだって負けていません。子供の頃は、これが当たり前だと思ってて、恵まれた土地に居ると感じた事はありませんでした。

第二回「輔家」交流会

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御主はいったい何をやっておるのだ、と言われそうですが。
5年前より、自分独自で勝手に仕組んで運営している自分SNS(要するにOpnePNE)、Facebookの1000万分の1のユーザー数を誇る世界極小SNS「輔家」の第二回交流会がありました@Cook Coop Cafe新宿。ありましたというか僕が主催になるのですが。
 
1年ぶり、2年ぶりにお会いできる人が多く本当に嬉しかったです。ありがとうございます。そして某登壇者が10年振りに伝説のスピーチを炸裂してくれたこと、本当に嬉しく思います。最近の講演が元気なかったもので気になっていたのですが、やはり経営のストレスから開放された事が大きいのでしょうか。
 
気が付くと社長と個人事業主ばかりが集まったいわゆる「異業種交流会」の態をなす会となりました(僕はサラリーマンです)。今後とも皆様宜しくお願いいたします。

ダンスパーティ撮影進行中

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キャメラマンしてきました。 in ダンスパーティ@パークハイアット新宿。撮ってる最中をAyako.S女史に撮って頂きました。
僕はカメラにはじめて触ったのが36歳。まだ経験値も4年ほどしかありません。周囲から「カメラを持ちなさい」「カメラを持ちなさい」「カメラを持ちなさい」「カメラを持ちなさい」と言われ続けて、プレッシャーを感じて初めて手に入れた得物です。その得方も、会社の同僚に「明日、20万もって横浜のココに来て」と言われて強引に購入させられた?ものです。それがこんな形で皆様のお力になれるとは。基本は、ブライダル撮影時代に丁稚をしていたときの経験が生きてます。あ、因みに一眼で撮ってますが、基本は映像屋さんです。