今年の目標

今年もあともう少しで終わり。
毎年行っている総括を、今年もまた。

(昨年は)
http://bit.ly/2hUh745

(今年の目標)
http://bit.ly/2hUiQ9v

昨年(2015)は充実した一年だった。
そして今年(2016)は、それが倍加した。
さすがに来年もう倍加すると、僕が鼻血を出して死ぬことになるので他の方法を考えねばならない。

・納品した(携わった) 映像528本 昨年比200%
(うち、同じタイトルのeラーニング系が312コンテンツなので相当水増し計算である)
・ローンチしたサイト 3つ 昨年比150%
・印刷して世に出たデザイン 13本 昨年比114%
・映像の撮影現場回数 62回 昨年比155%
・写真の撮影現場回数 4回 昨年比–(今年初)
・放送したラジオ 11話 昨年比180%
・おこなった授業 14講座 254時間 昨年226%
・登壇した講演 2回 昨年比50%
・ステージに出た回数 6回 昨年比-(今年初)
・渡した卒業証書 90枚 昨年比818%
・読んだ本242冊
・見た映画67本
・僕やりきった!という満足いく仕事 昨年比213%
・悔しい思い 昨年比515%
・やりたいことを存分にやる時間 昨年比500%
・毛 増えた 昨年比きっと300%

そして、今年の目標は!!

1・売り上げ目標(未達成)
さすがにいかん。何分の一だったかは秘するが、フリー2年目の一人仕事で行くことはさすがに困難だった。というか税法上、メドが見えた瞬間に法人化しておろう。してないレベルということはそういうことだ。

2・けんかやま今年も曳く。
準備から参加する。(5年連続5回達成継続中)
当たり前じゃないですか何言ってるんですか。でも、準備参加できなくてほんとうにごめんなさい。

3.見栄えを作る
3-1・62kg≧体重。
(5年連続5未達成チャレンジ中)
もう5年未達成。むしろ10kgもオーバー。過去最高体重更新中。

3-2.毛を増やす。(達成)
これは、数値目標をあえて設定してなかったけど、増えた。確実に増えた。

3-3.体幹筋肉を増やす(未達成)
これも実感値だが、減った。体力は落ちた。あかん。体重含めて数値化トレーニングが必要だ。

4・海外進出の足場を作る(1年目)
いけてない。まったくいけてない。
4-1・英会話マスター
できてない。まったくできてない。
4-2・中国語試験TECC712点、HSK6級
受けてない。まったく受けてない。
4-3・今年も中国へ行く。
行けてない。まったく行けてない。
4-4・更には妻とロサンゼルスに行く。
どんな無茶な目標立ててたんや。
4-5・デンマークにも行く。
いや、もう、本当にごめん。

5・今年も6本仕上げて応募する。(未達成)
目標の中で、これは最も悔しい。これはあかん。お前は何のために生きているのか。

6・Web・アプリ、ラジオ・講演諸々含めて映像以外で30本以上(達成)
まったく想像していないことに、今回「VJ」という依頼がありまして、それで一気に6本、講演2回、ラジオ11本、Webを3本、紙媒体3本、パネル5枚とさせていただきました。おお、ちょうど30本!

7・エロスを持つ(エロス)
エロース。

8・ピアノを久々に始める。語学は音楽に通じる。(2年連続2年未達成中)
始めてない。全く始めてない。
でも基本はリズムキープ。shake a bady変幻自在。

9インプットする
9-1・昨年の倍の量の本を読んで映画を見る。
9-2・日本の祭りを5つ見に行く。
祭り行けてない。映画も本も、倍も手に取っていない。今年はアウトプットに追われてインプットが全然できていない。そして、インプットの枯渇は3年後のアウトプットに現れるので、乾いている今のうちにまた吸収するのである。

10.家族を大事にする
10-1・落ち着いて芳情で豊穣な、価値観をブラさない日々の生活。
10-2・ちゃんと聞き分けの良い子供になる。靴下はちゃんとそろえて脱ぐ。(5年連続挑戦中)

敢えて語らない。

何はともあれ。楽しかった。今年一年は相当に楽しかった。
来年も、もっと楽しくあれるように。彌く榮えるように。

毎年恒例たてとこ忘年会

毎年最後の忘年会は、一年でほぼ唯一の、自分が幹事の飲み会。
(結局、幹事らしいことはしていない)

大学同窓、先輩方と3人で始まった小さな飲み会が、毎年ずっと続いて今年に至る。
ここでは僕が一番の後輩。大学時代からもう20年以上、可愛がってもらっている。

僕はねぇ。縁を切る、ということが本当に苦手で。
縁が切れたら、寂しいじゃないか。
そしてこれまでに楽しい時間を過ごしてきた人たちとは、もっともっと楽しい時間を過ごして、新しく出会う人たちとももっともっと楽しい時間を過ごして、自分を埋め尽くすぐらいに楽しく過ごしていきたいじゃないか。
結局は、人の役に立つことも、好奇心や興味のある活動を始めることも、そこから生まれるのだと思ってる。

そして、ずっと続ける、ということが大事なのだ。何事も。
(そういう僕はサラリーマンを20年目に「やっぱりもう無理」と辞めちゃったのだけど。わはは。)

この忘年会もそう。ずっと続けることで「今年は無理でも来年は」「来年はダメでも再来年は」と、軽い気持ちで仲間が集える環境を作りたいのだ。ずっと続けていきたいし、そのために「僕が意地でも続ける」と幹事を務めあげていきたいし、僕はずっと「ああ生きてるんだ」と思わせるようにラジオでもステージでも教壇でも存在を喚き散らしてアピールしていきたいし、とにかく彌く榮えて欲しいのです。
これこそが、僕の祭りイズムでもあるのです。

高校時代に、僕は旺文社の主催する東京での勉強合宿に参加した。
そこで出会った4〜5人の友人たちがいる。彼ら彼女らとは高校卒業後も仲良くさせてもらい、楽しいご縁が続いてきた。それでも結婚したり子供ができたりと、時間が経つにつれて少しづつ疎遠になってしまった。ご縁はほんのわずかに、年に一回デンマークから帰ってくる友人とのつながりだけを頼りに、年に一回、二人で一献交わすだけの期間が長かった。
それだって、7年ほど前に「もうこれからどれくらい会える時間が持てるのだろうか」とお互いに危機感を持って、無理やりにでも時間を作るようにして始まったものだった。
それが、今年になってからは、10年ぶりの再会で一人、20年ぶりの再会でさらに一人と、当時のグループのみんなが集まる時間を設けられるようになってきた。

一昨年からは、新卒時代に勤めてた同期仲間とも飲む機会を設けて、それから定期的に(なぜか羊肉屋限定で)会う機会を設けている。
大学の同期生とはありえないくらい毎年飲んでいる。
前々職の仲間たちとは今でも毎日のように飲んでいる。

結論、僕は毎日誰かと楽しい時間を過ごさせてもらっているのだ。
人との繋がりを大事にする人生って楽しいのね。
人と楽しく笑って過ごす生きるって幸せなのね。

永く栄える。
彌榮制作は来年も、ポリシーを頑なに守り続けて、生き延びていくのですよ。
みんなが戻れる場所、新しいことを始める場所、ちょっと疲れたときに休める場所、めっちゃ楽しむ場所を、世界のあっちこっちにぼっこんぼっこん作るのです。

TLIストーリー Vol.4

呂老師!お元気にされているかなぁ…。

僕が今、映像・モーショングラフィックスの講師やカリキュラム開発をやる中で、「中国語学校のスタッフ」だった経験が非常に活きているのです。

その学校では、既に何十年もメソッドが開発され尽くされている語学においても、
・「目の前の方はどうすれば話せるようになるのか」
・「知識ではなく、実践でどうすれば話せるようになるのか」
・「ツールとしての語学力より先に『何を』伝えられるようになって欲しいのか」

を、講師陣が皆、真剣に考えている姿勢にいつも心打たれていました。
文法や教科書通りではなく、時には一緒にお茶を飲みながら、バカ笑いをしながら、それでも最後には朗々と中国語の詩を読み上げるようになる受講生の方々。
初めは「仕事のために」会社の費用で学びに来ている人が多かったにもかかわらず、気がつくと中国語面白い!と思わせるその力。

いつの間にか僕さえも中国語の虜になっていました。

http://career-bank.co.jp/tli/blog/011763.html

もちろん、中国語が専門でない僕はスタッフの立場から、目の前の受講生のためにカリキュラムを大幅に逸脱してるのを見ては「どうすればいいのか」を一緒に考えたり、広報や募集にも一緒に協力してもらったりと、講師とスタッフの関係性もいろいろ学びました。

そして皆様お国柄か、語学の教師だからか、どの講師も本当にもうよく喋ること喋ること…この辺りも僕はDNAとして受け継いでしまったかもしれない。

もちろん、それより前にも、パソコンスクールの経営、大学院のスタッフなんかも含めて、僕の教育指針みたいなものは非常に独特に醸成されている、とは自覚しているのだけれど。

制作現場と教育現場を、ずっとずっと見てきてしまったので

ブログを始めて17周年

僕は自分のブログを書き始めて、今日で17周年なのだ。
ブログが流行かどうかは関係ない。大事なのは、「自分のハンドリングできる仕組みの中で自由に発言する」ことなのだ。

Facebookが廃れても、Twitterがなくなっても、僕はTCP/IPがつながる限り自己存在を主張し、自己承認欲求を満たして社会常識にマウンティングをくらわし続けるのです。

プラットフォームの流行り廃りごときに僕の発言を左右されてたまるか。インターネットがなくなる日が来たら、チラシの裏に書いて空から蒔いてやる。

自分の発言を組織やステークホルダーにコントロールされてたまるものか。
僕はここにいる!感じる!思う!発言する!

父が僕の後輩になる。

家族の話題が多い。と言われがちな僕ですが、かみさんを始めみな僕以上に個性的でアクティブすぎる活動をしているから、それはもうどうしようもないのです。

そんな中、うちの父親が今度は大学に合格しました。来年入学するそうです。
しかも僕の母校。25年後の時を経て、親父が後輩になりました。
ちょっと言ってる意味がわからなくなります。そこは、もう、孫をお祝いする年だろう。
自分の親に「大学合格おめでとう。わしの後輩になったな。わはは」と祝辞を述べることになるとは全く思ってませんでした。
でも、とにかく、元気でいてくれることが何よりなのです。

学ぶことに年齢は関係ないのです。知に貪欲に。

幸せだねぇ

自宅を改装してから、ようやく人並みに事務所兼自宅として体を成す形になってきました。
僕はとにかく自宅から出たくない引きこもりで、自宅で映像編集しているのが何よりも好きという変わった癖があります。
極端に言えば映像編集は仕事という意識ではなく、趣味とも違い、むしろ三大欲求に近いくらい食べる寝るお祭りする編集するくらいの勢いでするべきものであり、仕事場などけじめをつけてやるものではなく生理的欲求に従って行うものなので、自宅で行いたいという気持ちが強いのです。

自宅で、かみさんと並んで編集作業。
「本当に良い仕事についたねぇ」
「早くこの生活に入れていたらまた変わったのかもしれないねぇ」
「楽しいねぇ。こんなに楽しい毎日だなんて」
「幸せだねぇ。必要としてくれる皆様がいて」

と、かみさんと二人いつも話しています。
子供がいない分だけ、ね。ここで幸せをもらってるのかもしれません。

自宅で映像編集をさせてもらい、この仕事をさせてもらっていることに、生きてこれていることに感謝するのです。

芝居。それは全ての母。

先日、芝居を見に行きました。
観劇なんて何年ぶりだろうか。

それこそ、大学時代には何百とお芝居を見ていたし、その後卒業した仲間たちと劇団プロジェクトで舞台監督なんてものもさせてもらった。脚本も書いた。

大学時代は演劇専修に行きたくて勉強する、ふりをして麻雀をしていた(母校は1年→2年時に専修が分かれるシステムだった)。その故あって見事に落第。専修の合否が発表される日、当時好きだった女の子は僕の家に泊まっていた。「ちょっと見てきてよ」と言われ、素直な僕は彼女の分も確認してきた。公衆電話から自宅に(変な言い回し)、君も落ちてたよ、と伝えた。じゃあどうしようか、という話になり、その子は「じゃあ英文科にする」と答えた。
僕は英文科に行くことにした。

それはさておき。
…やはりお芝居は素晴らしい。何よりも素晴らしい。映像はおろか、文学も音楽も音響も照明も朗読も立ち居もデザインも、全ての親は演劇だ。祭りだって一種の演劇だ。僕のやってることなんて、その孫の孫の孫以上の傍流に過ぎない。物語の構造は既に4000年前に完成されていた。

一度幕が上がると脚本家の手も、監督の手も離れて役者が自由に表現するステージという場。そこで僕は一体何ができるのだろう。
舞台に立つ側の人間と、見る側の人間。そこに一方的な「どちら側」という差異はなくって、好き好きに入れ替わるものです。パーティのように。恋愛のように。逃げ恥ダンスを踊るのに、一方的な舞台側と観客側はないのです。舞台は現実と地続きだ。そして同時に、舞台は絶対に越えられない境界線の先の異世界だ。

もっとみんな舞台に立つことを経験したらいいのに、と思う。スポットライトを浴びる魔力、カメラで切り取る魔力、どちらも知ることで、もっともっと幸せになると思うのです。

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Sendai city sunset. 黄昏サラウンド。

 

無事、青森〜仙台から戻ってまいりました。
美味しい牛タンと刺身を食べて、元気に戻ってまいりました。

さあ、これから今月は28日(予定)まで映像編集と撮影と画面デザインとモーショングラフィックスとパネルデザインの日々。全て自分の演出。大いなるプレッシャー。
良いもの作るのに、休んでる暇なんかないよ!

よぐきたねし青森

青森に着きました。Welcome僕。よぐきたねし僕。

何気に、冬の東北は初めての経験です。

僕は北陸、富山の出身。
もちろん雪国育ちなので、それなりに冬の寒さや雪については経験を持っているつもりでいた。

その上で、新青森に降り立ったときに見た雪は衝撃的で。

この雪は、僕の知っている雪じゃない。
思てたんと違う。

なんというか、一言で言うと、軽い。そして軽い分だけ、積み重なった時の質量が大きくなる。僕の知る雪はもっとべたついていて、足にまとわりつくのだ。
一定以上の重さを持って振り落ちるのだ。

が、青森で初めて見た雪は、本当に初めて見る「舞い落ちる雪」だった。
そりゃね、たまたまそういう日だったのかもしれない。気象的に軽い雪が降る日だったのかもしれない。

としても、僕は18年間、こんな雪の日を一度たりとも経験したことはないし、足元に積もる雪の重さも、その中で歩く人々の雑踏も、それはもう明らかに富山で体感するものとは違っていて。

夜灯だってそうだ。あの舞い落ちる雪に似合うオレンジの常夜灯。あの色は富山の雪では綺麗じゃないのだ。誰かがきっと、青森の雪に合わせてデザインしているものに違いないのだ。そしてその光煇はあまりにも倒錯的で、初体験の人間には恐怖さえも感じるのだ。

きっと、青森には毎年この雪が降るに違いないのだ。

そして、想像力の稚拙な僕は、この雪を体感して初めて太宰の意味も「あー、情景はそういうことか」と納得するのです。

同じように、夏にねぶたが行われる理由も。雪国にとって、春と夏に行われる祭りには重大な意味を持つのです。が、ねぶたの持つ微妙なニュアンスも、少しだけ、ほんの少しだけ、理解したつもりになるのです。

そりゃもちろん津軽と南部で違うんだろうけどさ。さすがに青森ビギナーにはそこまでわからない。よぐきたねし僕。