川越祭り

これも末広町。
 秋だ!祭りだ!曳山だ!
 春も夏も冬も曳山あるところに登場する山本ですこんばんは。
 最近、出不精になりがちで、5月にけんかやまを曳いてからというもの今年は他の曳山を全然見にいって無い事に気がつきました。こんなことじゃいかん。身体から曳山成分が失われて僕は枯渇してしまうではないか。
 曳山の華麗な姿。参加する方々のいなせな姿。太鼓と笛の音。にぎわう観客。心がうずく非日常の舞台。こういったものが無いと、僕の人生はあまりに色あせたものになります。この世に祭りがあって本当に良かった、と感じています。
 という訳で、突如思い立ち、10月21日には埼玉県川越市へ。関東三大曳山祭りの一つ、川越祭りを見に行ってまいりました。
関東の曳山は質実剛健かつ雅だなあ、と思う訳であります。
 曳山好きを公言しながら、恥ずかしながらも川越祭りは初参加でした。関東型の山車、前面に舞台があり、そこで仮面をかぶった演者が舞を舞う。粋と剛健っぷりが混在する素敵な祭りでした。確か秩父夜祭の屋台も、前面で歌舞伎を舞うんですよね。埼玉の曳山には舞台が備わっているようです。
連雀町の舞台。美しい。
 演者の美しい舞と囃子を響かせながら、町の中を山車がゆっくりと練り歩く。これです。これですよ。この美しさを何に代えられるというのか。けんかやま等しく、この山車にゆっくりと後ろからついて歩くだけで、胸の奥がじーんと響いてくるのです。僕おかしいでしょうか。いや、経験したことある人なら必ずこの気持ち分かってもらえると信じてます。
最高のポジション
そして、山車同士をぶつけあうのがけんかやま、坂を一気に上りきるのが秩父夜祭とするならば、舞台を重ね合わせて舞を競演するのが川越祭りの見せ所。2台の競演のみならず、3台、5台と重なり合って、お互いの舞をぶつけあう。この見所「曳っかわせ」、僕は今回初めて体験しましたが、囃子のリズムが多重に響き、舞がどんどん白熱するこのすばらしさ。とても熱く、心が震えました。
連雀町とはご縁があり、ひょっとすると僕がこの町の曳山を曳かせてもらえたかもしれなかった。そのご縁の方はもう他界されてしまい、叶う事は無かったのだが。
 そして、連雀町の曳山。
 実は、僕は川越祭りとは少しばかりのご縁がありました。
 その昔、知り合いだった方のご主人が連雀町の町内会に居りまして。僕が曳山好きである事を公言すると「曳山好きに悪い人は居ない」ととても可愛がってもらった記憶があります。そして、「法被も用意するから、是非川越祭りに遊びにおいで。一緒に曳山を曳こうじゃないか」と僕を連雀町の曳山に参加する段取りをしてくれたのです。
 結局、その思いは叶わず、間も無くしてその方は他界されてしまったのですが。
 今年、僕は自分の地元であるけんかやまを曳く事で、人生初の曳山体験をしたのですが、ひょっとするとその前に僕はこの川越祭り・連雀町 道灌山車に曳山バージンを捧げていたかも知れないのです。そう思うと、この町の曳山とのご縁を感じ、僕は今年ずっと連雀町の曳山を追いかけ続けていました。
曳山が街角から囃子と共に現れてくる瞬間が好き。
連の字を背負う男達。
 ひょっとすると僕もこの連の字を背負って、川越の街に立っていたかもしれない。そう思うと川越祭りがとても身近に感じます。
 いつもながらに暑苦しい僕の一人思い語りな祭り記事ですが、今回も、見に行って良かった。本当に良かった。これでまた曳山成分が僕の中に充填されました。これでまた次の曳山まで、頑張って生きていきます。
 合言葉は「祭りはすばらしい!曳山はすばらしい!」
川越祭り!

ヒネクレもののためのFacebook

二次会で語り飲み。15年振りに来る店で閉店まで。
 ここのところ、飲み会続きでした。
 今年の前半は(訳あって)ほとんどお酒を飲む機会が無く、全くといって良いほどアルコールを口にしませんでしたが、この2週間は様々な方々と宴席を共にし、楽しい夜を過ごしてます。
 それはそれとして。
 様々な方と改めてお知り合いになったりしてる中で、またソーシャルメディアでの繋がりが増えてきたわけです。
 最近、僕はSNS「輔家」のみならずブログ、Facebook、Twitter、人人、微博、Orkut、foursquare、Instagram、Flickr、myspace、Mediamakerと半ばSNS廃人の態をようしていて、それぞれ更新になかなか時間かかっております。
 連携できるものはいいんですけどね。どこからも連携アプリが開発されない僕のSNS「輔家」だけは完全に孤立してる状態です。誰か作ってください。(それじゃこっそりSNSの意味が無いのか)
 それはさておき、SNS、特にFacebookについて。
 僕は相変わらず捻くれた性格の持ち主で世を拗ねたまま大人の年齢を迎えた少年なので、Facebookといえども自意識過剰でこだわった使い方をしています。ふと、自分がどんなルールをもってFacebookをしているのか、改めてたな卸しをしてみます。
1・料理と空の写真はアップしない。(例外有り)
 あまりに皆さん料理の写真アップしすぎです。お昼ごろはFacebookみるとお腹が空きます。あと夕方は空の写真多すぎます。いや綺麗なの。綺麗だと思うんですけどね。そんな王道的使い方を見ると僕は「ふん」と思ってしまうので、僕は料理無し空無しシバリで更新を試みるのです。ただこれだけは残しておきたい!と僕の心が西野カナばりに震えまくった料理などは例外。週に2回までOKということにしています。(それじゃ何も変わらないじゃないか)
 あと、子供。絶対自分の子供の写真アップしない。そもそも子供居ないけどさ。自分に子供が生まれたら、きっとすごく心動かされそうだけど、なんとか抗ってみようと思ってます。(ちなみに、かみさんとは「絶対に年賀状に子供の写真を使わない」という事で夫婦統一見解を出しています)自分に子供が生まれたら、たすく(生後456ヶ月)と書いて大々的に僕の顔を写した年賀状を送りつけようかと思っています。
2・写真は極力自分の愛機EOS 7Dから。
 SNS上ではiPhoneや携帯からの写真が多いですよね。当たり前ですそういう使い方を推薦されてるのですから。ぱっとカメラを出してさっと切り取る「ログとしての写真」というスタイルがどんどん広がってると感じます。だからこそ、僕はあえて「画作り」をやってみたいな、と。そのために、携帯カメラよりも自由度の高いカメラから様々な遊びをもくろんで(けしてクオリティが高くなるとは言わない)、それをPCからiPhoneに移して、えんやこらとInstagramに移し変えてFacebookにアップするというとんでもない手間を掛けるようにしています。これも皆さんのお手軽写真文化に対するアンチテーゼです。7Dで撮ったからって上手くなる訳じゃないんだけどさ。ただアンチテーゼの姿勢にこだわろうと思って。
3・時系列と場所は正しくない。再編集する。
 僕のこだわりに「Facebookは素の自分の今現在を表現するんじゃない、素の自分っぽい『演出した自分』を表現するんだ」というものがあります。これ多分ブログを書いてるときから自分自身で培ってきた僕なりのネットへの接し方なんだと思ってます。
 なので、Foursquareなどとも連携していますが、その当日に居なかったところにチェックインしたり、一週間前に撮った写真をアップしたり、その日に読んだものでない本を書評上げたりしています。
 でも、矢鱈めったらにしてるわけでなく、「今日僕はココにいてこんな写真を撮ってこんな本を読んだ事にしておくと次の日の話題に困らないだろう」などといった小さい計算高さをもって編集・組み立てしています。
そう、自分の人生を再編集して演出するということをやっているのです。
時間軸を入れ替え、アリバイを作り、悪いことを・・・じゃなかった、自分自身が疲れない程度に、自分にとって良かった過去を作り出しているのです。そしてそれを人に見てもらってるうちにいつの間にか自分の過去と勘違い始めるのです。そして僕の過去は幸せに満ち溢れたものになるのです。
4・コメントはちゃんとお返しする。
 Facebookになってからか、お互いにコメントや「いいね」に対する敷居が下がってきたのでしょう、いろいろコメントを頂いたり、送ったりする量が増えたと思います。
 しかし、昔のネットに比べて、コメントに対する返信をすることが少なくなり、コメントが流れっぱなしになってることも多いと思います。
 ココであえてコメントお返しを礼儀とすることで、差別化を図ろうかな、と。ええ、当たり前のことなんですけどね。時々うっかりしちゃうんですけど。ごめんなさい。
5・「いいね」より「コメント」を多用する。そしてなかなかお会いしてない人ほどコメントする。
「いいね」はあまりにも楽なレスポンスなので、Facebookでは多用しがちですが、結局誰からどんないいねをもらったかなんて覚えてないんですよね。そこには「僕はこの書き込みを見てこう思いました」なんて思いも伝わらないわけだし。
 という訳でここも差別化。みんなが「いいね」を多用するんだったら、僕はコメントを送ろうじゃないか、と。極力「僕はこう思った」という意思を伝えるようにしていきます。そして、なかなかお会いできない人ほどマメにコメントする。というのは、正直いつも会える人とFacebook上でコミュニケーションする必要って無いと思うんですよね。改めて会うことの少ない人と「緩いつながり」を構築するのに適したツールだと思いますので。
 なので、10年前の同僚や学生時代の後輩など、10年近くお会いしてない人と遠からずうっとおしがられない程度のやり取りをするように心がけています。
 などなど、相変わらず捻くれて暑苦しい男だな僕は、と思いますが、こんなことを考えながらFacebookを使ってます。その他のSNSについてはまた別途。それぞれにコダワリがありますので(あるのかよ)。