台風

台風だ!
祭りだ!(違う)
 何故か台風になると元気になるX-10ですこんにちは。
 台風になると、と言うか、湿気が多くなると何故か元気になるんですね。多分前世は両生類です。
<僕が前世が両生類な理由>
・雨が降ると何故かつやつやする。
・運動音痴だけど何故か水泳だけは速い
・脳みそが小さい
・顔
 などなど。けろけろ言ってます。けろ。
 まあそれは置いておいて。
 台風といえば祭りです。(強引)
 思い出すのは20年前の獅子舞の日。
 1987年9月10日の事だと思います。
 昼の間は快晴で、とてもいい天気の中朝から獅子舞を演じておりました。町内を回りまわって一通り心地よく疲れてきて、夕食を食べ終わった頃。
 にわかに暗雲が立ち込めてきて
 夜の部の獅子舞はそれはもう土砂降りの中、観客も何もいないところでひたすらに獅子舞を演じねばならなくなりました。
 観客が居ない事はいいんですよ。元々観光資源な訳でもないですから。お宮さんへの神事ですからね。
 それがまた、心地よい疲れの上、日本酒を飲んだ獅子方若連中には刺激的で官能的な感情を呼び起こしまして。
 雷鳴とどろく中響く和太鼓と笛の音、雨風の中振り乱す天狗の髪、叫ぶ獅子の声、舞い狂う獅子頭…これが嵐の闇で轟く空間と言うのが如何に妖艶な事か。
 はい、誰もわからないですね。ごめんなさい。
 それ以来僕の中では台風と言うのは獅子舞のイナセっぷりが思い出され、とても胸キュンかつときめくハートとなるのです。何か間違ってる言うな。
 
 

文章

 文章書くのが苦手です。
 いやいや、あなた書いてるじゃないですか、とか、私の書く文章が好きだ、といってくださる方もいらっしゃり、それはそれで大変感謝感激雨あられなのですが、正直業務に耐えられる文章はほぼ27歳前後から全く書けなくなってしまったなぁ、と思っているのです。
 じゃ27歳までは書けてたのかよ、と言う突っ込みはあると思いますが、少しはその当時文章でお金もらってましたので、そのお仕事を否定しない程度には、まあ、その、書けていたのかな、と思ってます。
 でもそれ以降、今に至っては完全に惰性と言うか、自分の思いのたけをただひたすら「ちょええええええ」と書いているだけ、なので、そこにはルールやテクニックと言ったものは全く介在してないのです。それ以前に文章として成り立つ体裁すらとってないですね、はい、ええ、ごめんなさい。
 更には自分の興味の向いていないことには全く筆が進まないため、仕事で自分の範疇外の文章を依頼されたり、キャッチコピーを考えさせたりすると、途端にへっぽこぷぅな文章しか書けなくなってしまいます。その落差たるや、大変なものです。
 で、今さまざまなイベント文章やキャッチコピー等を考えてる事が多いのですが、これが結構大変なのですね。
 お芝居の脚本やある記事のまとめなどであれば、それなりに自分ワールドを構築して書けるので楽なのですが、「求める結果を出すために、お客様の視点から」文章を書こうとすると、これがさっぱりわからない。
 一発屋的なクオリティなら出せることもあるのでしょうが、ハイレベルで均一化させて次々と文章やキャッチ生み出せる能力はどのようにしたら身につくのでしょうか。
 結構考え込んでしまってます。うーむ。うーむ。

産業用バーチャルリアリティ展

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 先日ですが、東京ビッグサイトの産業用バーチャルリアリティ展に参加してきました。
 何で?と思われる方もいらっしゃるでしょうが、実は結構この手の世界に昔から浸かっていたのですよ。
 96~99年、僕はユニコーンインターナショナルと言う会社に勤めておりまして、そこではバーチャルリアリティシステム「MANDALA」と呼ばれるブルーバックを活用したシステムを開発販売していたり、「IBVA」と呼ばれる脳波活用システムを研究したり、「LifeFormation」と呼ばれるロボットを作ったりと、面白くも楽しい制作&ディレクション業務に日々明け暮れておりました。
 その当時、僕もこの展示会に出展していたのです。
 その当時はまだまだマシンスペックもCGも全てが過渡期であり、今から見ると信じられないローテクなものが沢山出てましたね。でも、有る意味ぶっ飛んだ面白いシステムが出ていたり、どう見てもこれは市場に耐えられないだろう、と思うものでもまず出してみよう!と言う活気もありました。
 その当時僕の出展してたブースでは、今で言うレースゲームで、ハンドルもアクセルもない、ただ首を右に向けたり左に向けたりするだけで、左右に曲がるというシステムを出展してました。97年ごろかな?
 自分の頭部をカメラで撮影し、後ろをブルーバックで抜く事で、ブルーバックで抜かれる面積が左右どちらが広いかで判断するシステムでした。と、書くとすごいシンプルですが、結構面白かったんですよ、これ。
 そんなこんなを思い出しながら、いろいろ見て回りました。
 今回はそのノスタルジーのため、ではなく、大学時代の友人が勤めている企業が出展しているという関係から、呼ばれて見に行ったのですがね。
 それにしても、7年ぶりくらいのIVR展、すごく発展してましたね。細かなセンサーやCG表現なども、非常に高速計算、リアルタイムで感応できるものが非常に多くて、直感的な操作ができるものも増えていました。
 今回は本当に見て回って遊ぶだけでしたが、またそのうちこういうところに携わる仕事がしてみたいですね。
 と書いていて常々思うのですが、僕は一体何屋さんなのでしょう?

信じられないレベルの馬鹿野郎たち

 僕にとって、大学の4年間をともに過ごした、サークルの仲間、通称「40期」と言われる仲間とは、それこそ本当に血縁より濃い関係性の中で生活を送っていました。
 4年間、ほとんどの昼夜をともにして、日本各地を飛び回りながら馬鹿行動ばかりを繰り返してきた十数名、今でも本当に大事な友人たちです。
 その関係は今でも続いていて、今はインターネット上のコミュニケーションを基調としつつも、常に合っては酒を酌み交わし、常にお互いの気持ちを察しながら、思いやりを持って活動しています。(と、思ってるのは僕だけかも知れないけど)
 彼らとの関係は既に僕の中では「超絶馬鹿仲間カテゴリー・殿堂入り」をしていて、これを超えるものはないと思ってました。
 あ、そうでもないか、ヒロポンやこますけなど若い頃の仲間ではいろいろと「殿堂入り」する仲間も多いです。
 でも、さすがに齢30を超え、結婚して生活も安定してくると、そんな馬鹿みたいに濃い関係をつくる事はもうないものだと思ってました。
 
 そんなことはありません。
 僕は今日、僕の中の「超絶馬鹿仲間・殿堂入り」を果たすメンバーがまた一気に増えました。
 今更誰と言うことを説明する必要もないでしょう。今の会社の仲間たちです。
 今日、全国のメンバーが一同に池袋に集結し、一日ひたすら討論を行ったのですが、とにかく一番に感じたのは「心底このDHが好きでたまらない」「好きすぎて死ぬ」という仲間が、これほどにまでたくさん居た、と言う事実です。
 出世欲や権勢欲、といったものと全く関係なく、んー、なんと言ったらいいのだろうか、ボランティアとも違う、でも純粋な、ひたすらな気持ちでDHを愛している、というのがひしひしと伝わってくるのです。いやほんとうに、大学時代のサークルの「同期生を愛している」「団を愛している」というのと等しい気持ちですね。見返りや欲望ではなく。愛とはこのようにあるものか。
 そう、サークルのときと同じなのですよ。みな同じ一つの「何かを愛している」仲間が集まったときの強大なエネルギー、というのが僕は大好きなのです。今日はそれをひしひしと感じました。討論は19時で終わりましたが、多分もっとディスカッションすれば、もっともっと愛情を感じられたことでしょう。それこそ翌朝までできたかも。
 振り返ってみると、大学も、新卒で入社した㈱ユニコーンも、もちろんMAも、ZEROKAIも、FXSSも、僕の関係した場所と言うのは基本全て愛情に溢れていたと思います。
 今の会社も例に漏れず、しかもものすごい勢いで、愛情に溢れています。
 僕は幸せなのでしょう。毎日の生活では特に改めて実感することもないのだけど。
 こんなに世の中七転八倒しながらも、常に愛溢れる馬鹿野郎たちに囲まれて生きていることに、本当に感謝です。
 この学校は、この会社は大丈夫です。
 どんな学校よりもいい学校を作れる、いい会社を作れると本気で信じています。
 なぜなら大きな愛情があるから。理由はそれだけです。それで充分です。