Happy Birthday to Kamisan

かみさんの誕生日でした。出会った時は18歳でしたが今は(以下略)
ちょいと花束(というか鉢)の一つでも買って帰ろやないけ、と小さい鉢を買って帰ったら、母(僕の母、妻の義母)から大きな花束が到着済み。
 
母よ、貴方にそんな大きな花束贈られたら僕の立つ瀬が無いではないか・・・(もちろんとても感謝しているのだけど。ありがとう)。
 
そして朝貢、じゃなかった贈り物は本人御所望とあって、コナン全巻セット。僕も読みます。真実はいつもふたつ位!

What a Wonderful World.

今日、伯父となった。
 
なんだろう、この気持ち。「おめでとう」の言葉を口にし、伝えるだけで、かつて経験したことのない感情、今まで知らなかった「嬉しさ」に溢れ、時に涙さえ出てくる。自分何もしてへんのに。
 
弟への「おめでとう」、義妹への「おめでとう」そして新たに血を分けた家族に「おめでとう」。言葉の意味はそれぞれ違う。感謝であり、応援であり、また「この素晴らしき世界へ」の招待。
 
やはり、この世は素晴らしい。とイッちゃった人の様な事を申しているが、今日だけは許してほしい。この世は今も充分素晴らしいし、その素晴らしさを、これから存分に堪能してほしい。義務じゃなく、歓びをもって。
 
 
幾重にも、その幾重にも誉あらんことを。その生くる径(こみち)、心から輔翼し奉らむ。
 
 
そしてなぜか僕は、今日一日で2824gほど体重が減ったのである。雪の中、伯父さんは頑張ったのです。

かみさんからのプレゼント


腹巻である。腹に巻くのである。
 
かみさんから今冬の新作プレゼント。今年は縫い物だけでなく編み物にも挑戦している模様。
 
お腹ゆるい中年の僕には、手編みのマフラーなんて小洒落たものよりも「手編みの腹巻」の方がぴんと来る。そして暖かい。
相変わらずかみさんに助けられてご愛顧40年の駄目亭主のままだけど、とにかく感謝しきりなのですよ。ありがとう。
なんて言っていた翌日には

今日もまた頂いてしまった。今度はワイシャツです。自転車柄のポップな生地で作られた休日用のシャツです。なんでそんなに制作が速いのだ。
 
むー、最近は貰い物ばかりで生活してる気がするぞ。改めてヒモ生活に戻ろうか、とさえ考えてしまいます。(ヒモ、というと言葉は雑ですが2001年前後、確実に僕は食べさせてもらってました。半年ちかく。)
とにかく、恵まれ慈しまれ、人様に生かされております。信頼と実績の山本でございます。都知事選には出ておりません。
そして腹巻であろうとYシャツであろうと、頑なに着衣した写真は載せないのであります。自分の体型にフォーカスされる写真など人様に見せられるか。
そう、嫁自慢になってしまって申し訳ないのですが、これまでも、そして最近はとみに、妻に支えられて生きているのです。生活の中に、良質なエンターテイメントの伏線が見事に回収されたような美しい流れの会話が成立していて、救われているのです。
いや、実際には「あ、そうそう、言い忘れてたんだけど」「はい、●●の件はこうこうで、仕上げてありますよ」
「あの机の上に、えーと、アレ出しておいたんだけど」「はい、薬袋ですね、●●と●●を詰めて鞄の中に入れておきました」
「ちょっと最近朝は食欲が無くて…。」「火曜日はそういう日が多いですね。消化に良いスープにしておきましたよ」
「えーと、あれ…。」「お年玉年賀状ですね。当たりました?」
という会話が立て続けにおこり、そんなに僕は分かりやすいのがと思うと同時に、僕の行動を全て理解し、先回りし、準備していないと出来ない妻の細やかさに驚愕。側に居る家族とはこういうものか。逆に僕はケアが出来ているのか。僕の少ないワーキングメモリを補完する家族。…しかし僕がボケるのは早そうだ。今のうちにメモリ増設しなければ。

偏狭読書情報

かれこれ14年続けてるコーナー「偏狭読書情報」です。更新したのは20回ほどですが。ええ、年に1~2回の更新で続けております。
【ヨーロッパ退屈日記】

軽い読み物。でも高品質なものがいい。そういうときに良くぱらぱらめくっていたのがこの本。高校時代に父の蔵書から勝手に持ち出して読んでいて、改めて20年ぶりくらいに再読。
山口瞳を中心とする随筆書きの天才集団が僕は好きなのだが、その仲間の一人が伊丹十三だったと思う。相変わらず、村上龍とも引けを取らぬ鼻につく文体。真っ向からの本質主義。そしてそれは明らかな教養主義。その上にあるヒューマーとエセーの文体。その上ジャギュア。相変わらず、いつ読んでもすばらしい。
【大地の子】

現在拝読中。まだ終了してませんが、オープニングの情景からして明らかに他の小説と違う。これは中国文学だ。いやもちろん、日本人の日本文学なのだけど、政治と国家にこれだけ振り回される姿をリアルに描かれるのは、(実際は取材力の効果なのでしょうが)中国で生まれた文学と言っても過言ではない。
そう、今仕事関係で中国に関する文章をいろいろ読んでいるのですが、本当に僕は歴史というものを知らない。中学高校大学と一切遣ってこなかった事を、本当に後悔している(というかこういう人間が大学に合格してはならない)。今改めて勉強中ですが、ちゃんと遣ってこないと駄目ですね、人として。
そして、自分の興味としても、また後に書きますが、最近「九龍城砦」にはまっておりまして。「是非行きたい!自分の目で見てみたい!と情熱を感じたのですが、実はもう20年ちかく前に取り壊されていたとのことを最近知りました。こういう、知識を持たなかった事で失ったチャンスというのを、これ以上増やしたくないのですよね。
全く本の話と関係なくなってしまった。
【深き心の底より】

読みやすい小川洋子の随筆集。ただし文体は強固。「博士の愛した数式」に比べると(当たり前だが)小粒で読みやすい。妙に母校の造詣が似てるなぁと思ったら、案の定先輩だった。作家が多すぎる学校です。
【来福の家】

国をはさんだアイデンティティの物語が二編。中国と台湾と日本。日本の中に居ながら異邦の感触をぬぐえない人たちの悩みと葛藤が、さらりと青春小説のように描かれている。すばらしい。
台湾語、中国語、日本語を軸にしての、自分の基礎となる部分は何かを問うたもの。母語、や国籍というものを全く意識しないで生きてきたことは、むしろ僥倖であり、また自分を深く問う機会を少なくして生きてきたのだな、と感じます。それでも、千葉に居る富山県民、としてのアイデンティティの喪失感は持ってますけど。

HSK TECC結果


12月に受けたTECC(中国語コミュニケーション能力検定・要するに中国語版TOEICのようなもの)の結果が出ました。TOEICのようなもの・・・と比喩するとおり1000点満点で、僕の実力は600点程と出ました・・・はい、まだまだ精進いたします。
以前受けたHSKで4級合格~5級不合格ラインと考えると、丁度まさにそのラインの模様です。恥ずかしくて、受験した事自体コッソリにしておこうかと思いましたが、やはり皆様のご協力あってのものです。ありがとうございます。