多作

 今、僕は学校と言う空間で働いているのですが、その中で思ったこと。
 才能とは「多作である事」だと感じます。
 とにかく、手が早いこと。数を作る事。
 これが才能の基礎原則に感じます。
 一作に精魂込めて、と言うのも、決して悪くない、と思うのですよ、ええ。
 でも、次から次へと、面白いからどんどん作る、と言う人のほうが、どうやら(凡作力作佳作名作含めて)クオリティの高い作品を多数生み出していると思います。
 そう、楽しいから、作る。面白いから、作る。
 自ら生み出すことが苦痛になってしまうのであれば、その道は何か違っているのだと、思います。
 楽器を弾くのが苦痛な人はミュージシャンにならない。
 野球をするのが苦痛な人は野球選手にならない。
 24時間ひたすらその事をやってみて、いつまででも続けられるか?
 もし続けられるようだったら、相性が向いているのだと思います。

風邪っぴきです。

「やばいな。風邪っぽいぞ。」
「薬飲む?龍角散にしておく?」
「いや、グラディウスで。」
 風邪をひきました。
 なのでシューティングゲームです。
 言っている意味が全くもって良くわからないと言う方が大勢見受けられますので、敢えて説明させていただきますが、風邪をひいたらシューティングゲームをするのです。山本輔的健康管理では。
 だってシューティングゲームですよ。
 打つんですよ。連射するんですよ。手に汗握るんですよ。緊張するんですよ。神経高ぶるんですよ。
 気がつけば正座して体中こわばらせて行うシューティングゲーム、これを2,3時間ぶっつづけでやれば、大半の風邪は治ってしまいます。若い頃からゼビウスやスターソルジャーにはお世話になりました。
 それ以前にシューティングゲームを知らない方が増えてきているようなので、こちらもご説明をば。
 シューティングゲームはゲームの華。そして覇道です。それ以上の説明はありません。どんなゲームセンターでも、必ず一台はおいてある「ゲームセンターの顔」です。
 因みに僕の今語っている「ゲームセンター」は「アミューズメント施設」と呼ばれるものは入っていません。
 ゲームセンターはアミューズメント施設と違って…
 ・UFOキャッチャーがない。
 ・場末。
 ・新宿書店や羽賀書房的殺伐感。
 ・ガムテープで補強。
 ・一回50円が主流。
 ・室外光がほとんど入らない。
 ・未だにゲーメストの古本が山積みになっている。
 ・タバコくさい。
 ・奥にひっそりと脱衣麻雀が有る。
 ・それもスーチーパイやホットギミックじゃなく実写系。
 ・彼女連れが居ない。
 ・トイレがタイル貼り。
 ・筐体にタバコ焦げあり。
 ・灰皿が空き缶。
 ・バーチャや鉄拳よりストⅡ、KOF。
 ・渋谷会館
 ・頭と指先を鍛えよう
 僕にとってアミューズメント施設にはちーともノスタルジーを感じませんが、ゲームセンターは僕のふるさとです。大人への反抗期は全てゲームセンターで経験しました。
 そして、シューティングゲームが置いてあるのがゲームセンターです。
 いやほんと、最近、これで見分けがつくようになってきたんだよね。
 僕達の世代でゲームと言えば、まず真っ先にシューティングゲームです。インベーダーでありギャラクシアンでありゼビウスでありグラディウスでありムーンクレスタであり沙羅曼蛇であり達人でありイメージファイトであり超兄貴です。敵を撃ってやっつける、敵の弾を避ける、ただひたすらにその行為を繰り返すために場末のゲームセンターに足しげく通い、なけなしの50円玉を使い果たしていくのです。
 大体セーブだの何だので途中で止めたり、ゆったりとムービーを見たりするゲームはアマチョロフな子どもの行うゲームです。トイレ行きたい?そのまま漏らせ
 ひたすらに弾を避けながら指は連射連射連射。それだけに、それだけのために社会人の貴重な時間を費やすのです。これで風邪が治らないわけがない。
 シューティングゲームについてはまた次回熱く語りましょう。今の勢いでは語りつくせません。今日はあまりにも勢いが無さ過ぎるので、このように原稿用紙3枚分くらいしか書けません。弱りまくってます。
 とりあえず今回の風邪にはグラディウス4を薬として、身体を楽にしました。
 とまぁ、風邪をひくとこういうどうでもいい事を延々と語り始めるのです。
 そろそろ僕の頭をシューティングした方が良さそうですね。

マーマレード家族

ある人の不在を痛感するなら、それはその人の家族である。(血縁の有無にかかわらず)
僕の20代を知っている人なら存じて居る方もいるかと思いますが、僕は極度の淋しがり屋であり、それこそ強迫神経症的に孤独に耐えられない頃がありました。ほんま、おかしいほどに。単純に精神的に弱かっただけと言っても差し支えないけど。今でも弱いけど。だから女性の皆様僕のそばに(略)。
大学一年の頃などは、ほとんどを友人宅で過ごすか自宅に誰かを連れ込むかで、一人寝をした夜は数えるほどしかなかったんじゃないかと思います。とにかく自分一人の時間を過ごしたくなかったんですね。大学2年に連れ合いの人が出来てからは、それとなく落ち着いた生活をし、2000年ごろに荒んだ生活をし、その直後に結婚して8年、今に至るという、まあそれなりな20代を過ごしてきました。
今更なんでそんな話になるかと言うと、僕がそういう生活を送ってきたことによって、一人で黙考する時間がなかった代わりに、非常に長い時間をともに過ごすことのできた仲間、それこそ「その人が不在である際、違和感を覚える」くらいに濃い時間を過ごした人がたくさん居てくれた、と言う事を改めて振り返える機会があったのです。
誰かが自分のテリトリーから少し遠ざかる、と言うだけで僕はとても悲しいと感じる。
この思いは自分勝手なものであり、わがままな感情だと言うことはとてもわかっていたとしても。
19歳ぐらいから、今に至るまで、ずっとトラウマのように「遠ざかる仲間」と言うものに恐怖心を抱いてしまいます。まだまだお子ちゃまなんだよなぁ。独り立ちしてないんだよなぁ。
みんな、家族であってほしいというわがままな思いなんですよね。
別に僕の家族が仲悪かったり、家族不在で心的空白があったりするわけじゃないのですが。
両親健在で、むしろ家族は非常に仲良かった方なんですけどね。なんでなんだろ?
で、まあそんな思いを勝手に押し付けられても溜まらんと思いますので、僕は勝手に「とりあえず熱く接する」と言う姿勢で生きています。「家族のように」と言うと、その人その人によって家族というものの捕らえ方が違いますので、まあ僕が考える「家族的暑苦しさ」で接しています。
これで10年以上過ごしてきて、自分が望んでいたように(僕が勝手に)家族だと思える関係性はとても多くなったと思います。
でも、その分、その人がある種の共同体から離れてしまうとき、淋しく感じる強さも人一倍なんだよなぁ。これが切なく、もどかしいんだよなぁ。
まあ、長々と何を書いているかと言えば、そんな気持ちで会社の同僚の送別会に参加してきました、とそういうわけです。

Dell兄弟が増えました。

 僕は自他共に認めるDELLファンであります。
 パソコンに関して、何を買ったらよいかとたずねられたら、迷わずDELLを薦めます。
 今までに購入したDELLのマシンは20台を超えます。いや本当に。パソコンスクールしてた時代、全部DELLにしてましたから。
 (あ、嘘。途中からSotecも使ってた。)
 そんなこんなで今でも家のマシンは全てDELL社製で揃っているのですが、現役で活躍しているのは2台。Dimentionの8400君と9150君です。それぞれ2年選手と3年選手で、今でも映像制作にガシガシと頑張ってくれています。一台がレンダリングしている最中はもう一台がメインマシンと言う使い方で、ひたすら様々な映像作品を作ってきました。今年制作したのは合わせて38作。一昨年の127作に比べたら本数は減りましたが、でもまあ、尺から言うと今年のほうが長そうですね。2時間ものが圧倒的に増えましたから。ありがとうMAさん。
参考日記:9150君が家に来た日
 パソコンが2台常時使われている家と言うのも、通常から考えるとケッタイなのかもしれませんが(僕的には至極普通のことです)、更に我が家に新しいマシンが増えました。
20071201010302.jpg
 XPS君です。うちのかみさんのメインマシンに購入しました。
 この写真の隣に見えるのがDell兄弟達ですね。
 因みにPC名は「Vecker」と「Fagen」です。理由は近くのgoogle君にでも聞いてください。
 以前自宅で6台稼動していたときは「Minatomachi」「kotobuki」「kanmachi」「honmachi」「nakamachi」「senmai」でネットワーク組んでました。馬鹿です。
 因みにこの下にもう2台DELLマシンが眠ってます。03年頃はLinuxとApacheでサーバマシンとして活躍してくれてました。DynDNSで動的アドレス取得して、ルータを解放して…自宅サーバにしてたんですね。今考えると恐ろしすぎますが。でもコレのお陰で様々な技術が身について今のおマンマにありつけてます。
 何はともあれ、これからもこの3兄弟、よろしくです。

一生涯の不覚!

 12月3日は僕の人生で非常に重要な日です。
 この日は、山本輔的重要文化財の中でも上位トップ5に入るほど重要な「秩父夜祭」が開催される日でした。
 3日の午後より、2台の笠鉾と4台の屋台が秩父神社を出発し、市街を一日曳き回します。夜は市役所前の団合坂を一気に駆け上がり、冬の夜空を彩る花火の下に山車が集結します。これこそ日本古来からの一大活劇。天下無双の晴れ舞台。武甲の山と空の下、益荒男揃いの勇み声。屋台囃子を打ち鳴らし。4つの屋台と笠鉾の。秩父盆地を轟かす。御旅所麓の坂ノ下。蓬莱島への船のよに。と僕がいくらでもしゃべり続けられそうなほど熱い祭りなのですよ。て、誰も読んでませんね。
 で、僕のここ2日間の予定
 12月3日 仕事休
 12月4日 遅番(13時半より出勤)
 行けるじゃないですか。行けたじゃないですか。
 祭り、行けたじゃないですか。
 朝の西武池袋線NRAに乗って、昼過ぎの秩父に到着。その後一日フィールドワークした後に、所沢か池袋のホテルに泊まって、翌日悠々と出勤…ができるスケジュールであったにも関わらず…
 
 すっかり祭りの事を忘れてました。
あああああああああああああああああおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおうがあああああああああああああああああああああああ僕とした事が僕とした事が僕とした事が僕とした事がなんたることだなんたることだ!大体祭りの一週間前からは血脇肉踊り祭囃子をiPodで聞きながら出勤するほどの気狂いピエロのこの僕が秩父夜祭りの日を忘れて居ただなんて!!!!!
「結婚記念日を忘れてたくらいの大ミスだ!」とわめいていたらかみさんに踏みつけられました。
 こんな事、今までの人生でありませんよ。いや、本当に。
 さすがに5月15日伏木曳山祭りを忘れてしまっていたら富士山麓で遺骨になってよしだと思いますが、このレベルの物忘れの犯罪度をテラ豚丼としたら、今回のミスは僕的に賞味期限詐称ですよ。どちらも比較しようがありませんね。まったく。これでは僕の12月のエネルギーが枯渇してしまうじゃありませんか。年が越せないじゃありませんか。
 いや、本当に、冬って曳山や獅子舞がほとんど無いんですよ。僕のエネルギーが足りないんですよ。
祭囃子と漢(オトコ)が溢れる世界はこれから冬眠に入るんですよ。僕はどうやってこの冬を乗り越えればいいんでしょうか。この重大さを誰かわかってくれるのでしょうか。誰か僕を救ってくれるのでしょうか。海は死にますか。山は死にますか。
 確かにこの一ヶ月間仕事の事で頭がめいっぱいになってたと認識してますが、それにしたって祭りを忘れたら僕のレゾンデートルがなくなります。自己否定です。
 はよこのガッコを幸せな場所にして自分は喜び勇んで祭りに行かな。
 そんなこんなで12月は冒頭からへこんでいます。死にそうなので僕を見たら誰か祭りパワーを注入してください。100万パワーほど。だってオラは人間だから。