心の病

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松涛公園の花。
 昼真っから公園で写真を撮る等とまるで僕らしくないサニーデイライフタイムを送ってしまいました。僕を昼の時間に連れ出すくらい、カメラって面白いものですな。今はレンズを2つ、使い分けながらとにかく1万枚ほど撮ってみて、自分の勘所をつかむ日々です。
 まあ、それはそれ。それでいいとしてです。
 ちょっと最近、困ったことがありまして。
 確かに僕は最近、心療内科に病院に通院しているのですが、なんだか気がつけば「僕の心が病んでいる」といううわさが立ち込めておりました。わぁお。確かに脳みそは腐れ落ちそうになってますが、心自体は健全です。ええ、ネジくれ度合いは別として。
 うーん、このあたり、確かに説明が非常に難しいところなのですが、まあ、何らかの形で説明が必要かもしれません。以前一度ブログに書いたのですけどね。まあ、昔の話なので。
 僕自身は心自体に悩みはむしろ少なく、どんな出来事が起きようが、自分がどんなへまを起こそうがへらへらしていられる間違った強さを身に着けています。本当はナイーブなのよ。ナイーブ。傷つくのよ。大事なことなので2度言いました。
 そんな僕が心療内科でカウンセリングを受ける理由は、どちらかというと予防策なのです。
 家族の精神的な病をフォローする日々を送っていると、どこかのタイミングでぽっきりいく可能性とは常に隣り合わせでありまして。全力を使い果たし、僕自身が病に落ちないように、いつも自分の状態を安定させておくためにカウンセリングを受けているのです。
 とはいえ、最近は安定してますけどね。ただ、全力使ってた日々からいきなり安定すると、その時の気の緩みが実は一番危険な時期でもあるのです。
 いや、確かに、僕自身にも精神的疾患ぽいところはあるのですよ。自覚もしていて、通院治療のテーマにもなっています。それは、モノ忘れや落ち着きの無さ、せっかちぶりが常人を逸していること。何で皆さんモニタの前でうなずいているんですか。
 病名とかが公式にあるわけではないですが、この辺りと精神疲労は確かに関係があるようで、改善を図るべく通院している、というのもひとつの理由です。
 ただ、結論から言うと、なかなか効果が出にくい。
 どちらかというと、モノ忘れや落ち着きの無さを発端にミスを犯し、自分の自信を喪失して自棄にになる場合があるらしく、人によっては自信喪失を発端に自殺に発展する場合もあるとの事。そうならないように「そのままで大丈夫ですよ」ということを伝えて安心を与えていくのがカウンセリングの重要な意義でもあるのですが、僕自身はどれだけモノ忘れをしても「そのままで良い」と半ば開き直ってます。いや、反省はしてるんですよ。本当に。むしろ再ミスしないためには、下手にへこまないようにすることが大事だと思っているだけでして。
 そんなわけで、僕は元気です。心も頭もどこもかしこも。頭が悪いのは仕様です。中も外も。

Black Bob

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 やあ、ボブです。
 山本家の守り神です。
 僕が屹立してる間は、この家は安泰です。
 最近、本棚の陰に隠れて、理性的な生活を送っていたので、家主の元気が無かったのだと思います。
 これからは表に出て、丸出しで生活していきますので、たぶん元気になると思います。

上野撮影散歩

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 カメラを買ってやることはひとつ。
 早速撮影散歩に出かけてきました。@上野公園。
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 ちょっと近所の南行徳公園に出かけて撮影をするつもりが、あまりに天気が良かったのでついつい遠出。
 おかげで、EOS 7DとHRV-V1Jの両方を抱えてスタートしてしまい、どこの撮影クルーかという重装備での撮影と相成りました。これを続けると確実に痩せるな。
 上野公園内は7Dで遊び、上野動物園の中ではV1Jをメインに動物映像を撮影。
 
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 日の丸写真。大黒天様には正対しなければなりませんので。
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 ガンつけられました。
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 それにしてもカメラって本当に難しいのね。f値固定のレンズしかもってないのだけど、シャッタースピードやらISO感度やらをいじくり倒して、画角がどこまで入るのかを確認しながら実験実験また実験。生まれて初めての撮影散歩。同じ場所の写真を何枚も撮って試しまくりました。
 動画撮影V1Jとスチールカメラ7D、どっちが使いやすいかといえば、断然にV1Jでした。勘所をつかんでる、といえるほどではないですが、門前の小僧習わぬ経を読む、で、10年以上映像カメラと慣れ親しんで来た身としては、すんなり扱うことができたと思います。
 隣で見てるかみさんにしても、「さまになってるのはV1Jを構えている時だった」と言われました。うん、まあ、そうなんだろう。自信をもって、とはいえないけど、しっかり映像を抑えることができました。
 同じカメラ、同じ撮影、感度やズーム、f値など考えることは同じはずなのに、片や7Dでは撮影するのにワタワタしてしまう。シャッターを切るのもドキドキする。片やV1Jはすんなりとピントを合わせて録画をスタートさせる。いったい何が違うのかといえば、ただ慣れ親しんでいるかどうか、それ一点です。
 ともあれ、これからがっつり写真取り捲ってきます。いい先生もいっぱいいるからね。
 近いうちflickerか何かで共有するようにしますので、批評酷評お待ちしております。Mなので。
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カメラ

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 人生初一眼レフ。
 はじめに撮ったのはうちのかみさん。
 ・ピント合わせるのって難しいのだな。
 ・この部屋、暗いな。
 ・カメラって面白いのだな。
 ・これはローキーって言うのか。
 ・このブログの横幅じゃ300pxしか見せられないな。
 ・Jquery使うか。
 雑感。
 カメラクオリティ的なものは、うん、これから、がんばる。

得物2

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得物その2です。
カメラです。
カメラ小僧です。
ついにカメラに手を出すことになってしまいました・・・。写真はハマるとヤバイ(財布が)と直感していて、ずっと見ない振りをしていたのですが、ついにこの世界に足を踏み入れてしまいました。
 僕は、カメラについてはずっと遠巻きに見てる立場でした。
 制作会社で勤めているときも、制作進行が中心でした。それはそれで、企画立案や受注の段階から納品、入金まで全てのフローに関係するという意味でとても勉強することが多く、楽しい業務だったのですが、その代わりに「撮影」「編集」「機材」といった部分に関して、技術屋さんの背中を見ながらも、憧れを感じながらも、どうしても自分とは「違う世界の職人さんたち」という態で、自分の中で引け目を感じていたのです。
 そりゃねえ、僕の性格を知ってる人なら、いかに職人気質から外れているかはよく理解していただけると思います。だらしない、準備しない、後片付けしない、チェックしない。飲食から生活まで、他人様の庇護の下で何とか生きていかせてもらっている存在。そんな輩が技術屋になんてなれるわけが無いのですよ。(僕の天職は未だにヒモだと思ってます)
 ただ、そんな憧れをそのままずっとぽえーと見ていられるわけも無く、やりたいことはやってしまったほうがいい、特に生活が安定している今だからこそ、がんがん勝負に出てやろう。と、かみさんも後押しをしてくれて、ついに技術畑に一歩を踏み入れました(踏み入れただけ。道は遠いです)。
 ちなみにかみさんは10年前から僕に対して「写真を撮ることとマンガを描くことを強烈にオススメする。」と言ってはばかりませんでした。ずっとカメラを持たせたかったらしいです。
 そんな訳で今日、ついに手に入れたEOS 7D。現場仲間のryuchiさんとtwitterで話しながら一緒に購入。撮影現場で7Dを持ち寄って作品つくろーぜ、なんて楽しい話をしています。
 そうそう、技術をもってると、みんなで楽しく遊ぶことができることができる。モノヅクリの世界を知ってしまうと、どうしても抜け出せない魔力があるのです。
 制作の魔力に取り付かれながらも、大人なんだからもうこんな遊び卒業しなきゃ、と思って起業したのが10年前の2000年。でも、結局この魔力を抑えながら楽しいことをやるなんて無理でした。某企業に勤めてデスクワークしてるときでも、QZと一緒に舞台やったり、脚本書いたりしてました。結局、いろいろやってみて、「楽しいことやらなきゃ生きていけない。金なんて二の次。ちゃんと楽しく生活することができないで金稼いでも、かみさんはじめ親兄弟は一人前と認めてはくれないわ。」ということに気がついたのです。制作の魔力に取り付かれたら、それ自体を大人生活の一部にしてしまうのが、最もお天道様に背かない道だと思ったのです。
 てな訳で、PCから音響から映像カメラからスチールカメラから、一気にセットアップ。後は自分の腕を磨くためにしっかり家ゴモリします。
 ただ、不思議なことに僕の周りにはスチールカメラが趣味の人が多数存在しています。趣味どころか仕事にしてる人も。あまつさえ撮影の先生をしてる人もいる。
 そんなわけで、僕は先生に恵まれている環境にいるので、この環境そのものも感謝していきながら、楽しい日々を過ごしていこうと思っているわけでございます。
 長くなりましたが、要は散財したけどこれからがんばるから許して。という言い訳のブログでした。終わり。

得物

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 得物を手に入れる週間。
 別名、物欲週間とも言います。
 物欲っちゃ失礼だ。ちゃんと仕事のために環境を整えているだけなのだ。
 てなわけで、先日のブログから、制作環境を改めて更新。
 ミキサーとスピーカーを一新して音系の環境を揃える。
 スピーカの位置はまだこれから検討中。今のところ並べておくしかないのです。
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 そしてこれからの僕の得物。人生初ビデオカメラHVR-V1Jを購入。
 得物は、買ったときではなく、完全に使いこなして、手足になったときこそ得物。これから修行のたびに出ます。
・・・
 かみさん「ねえ」
 X-10  「なんだ」
 かみさん「あなたはカメラマンじゃないわけよね」
 X-10  「いかにも」
 かみさん「で、なぜそんな業務用カメラが必要なのかな」
 X-10  「愚問である」
 かみさん「意味がわからない」
 X-10  「今日は何日だ」
 かみさん「4月17日」
 X-10  「すなわち、例大祭、けんかやままで後30日を切った訳だ」
 かみさん「だから何」
 X-10  「そろそろ祭りの準備をしなければならぬ」
 かみさん「だから何」
 X-10  「今年の祭りは今年しかない。すなわち、金銭をはたいてでも、心に刻み込む準備をしなければ仁義に悖る。」
 かみさん「心に刻むのにカメラ要らないよね」
 X-10  「(聞いてない)もっとも美しく、今年の祭りをとどめておくのに、なぜカメラ購入ごときで悩まねばならぬ」
 かみさん「いや、生活とか、考えてますか」
 X-10  「生活と祭りとどちらが大事なのだ。
 X-10  「祭りに分別など要らぬ!
 X-10  「何のために生きる!何のための祭りだ!
 X-10  「わが祭り人生に一片の悔い無し!
 X-10  「 祭り or die!
 という訳で、これからの僕の得物V1Jです。がっつり使わせていただきます。
 4月中にいろいろ設定をいじり、実験撮影をし、5月15日の祭りで実践投入。その後撮影現場に同行できるようにしていきます。これからよろしく。
 明日は趣味でのカメラを購入予定。同じカメラでも、お金の出所が違うのよ。

New Machine投入

 またDell買いました。
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 順調に我が家の一角が変態的に成長しています。
2006年9月の段階
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 2009年4月の段階
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 どれだけ増殖しているのだ。
 今目の前でも4台のマシンがエンコードをガシガシ掛けてます。
 それにしても、Windows7のマシンを購入cs4でエンコードを掛け始めたら、
 本気で速い。
 なんだこれ。2時間作品がmpg化まで15分で終了する。今まで何やってたんだ。
 しかもデュアルモニタで且つそのうちモニタ一つをスイッチングできるようにしたので、片方の画面でエンコード状況をモニタリングしながらもう片方のマシンでWebを作ったり、またはPremiereとAfterEffectを同時起動させてガシガシ作業したりといった事が存分に出来る。
 これでまたハイスピード作業に磨きがかかる。本当に楽しい日々であります。

今日で18年目

 東京に上京してきて、今年で18年目。
 そうなんだよなぁ。気がつけば人生の丁度半分。途中実家に戻ってた時期が2年ほどあるので、実質は富山暮らしの方が長いんだけど、それは微々たる物。18歳まで地元・富山で暮らし、19歳から今まで、僕は東京で暮らしてきました。
 上京したのが1992年4月10日。まさに今日、この日でした。
 当時住んでたのは荒川区西日暮里。学生寮で一年を過ごし、その後西武新宿線西武柳沢駅、今は無き保谷市(現・西東京市)にて2年を過ごしました。
 その後は転がるように文京区目白台で6年、ちょっと実家に帰って、その後は今の住まい、市川市にて8年を暮らしてます。
 まあなんというか、地味な場所を転々として居りますが、それぞれ、いい場所ばかりでした。
 そんなぼんやりした回顧をしても仕方なく、特に今日は西日暮里の学生寮での話に焦点を当てます。
 僕が住んでいたのは当時の駿台予備校の男子寮でした。西日暮里から御茶ノ水の校舎まで電車で三駅。良い立地で、学びやすい場所でした。未だにお茶の水に縁があるなんて、当時は思っても居ませんでしたが。
 まあ、それはそれとして、当時覚えていることがひとつ。
 それは、「群集には無言の秩序が生まれる」ということ。
 予備校寮。当然ながら、18,19歳の多感な若者が地方から大挙して押し寄せてくるわけです。
 それぞれに思いを秘めて、コミュニケーションを取る訳でもなく、お互いに大学受験をがんばるわけです。
 そうした、様々な若者が集まる場所には、ある一定のルールが自然と生まれるのです。
 いや、自ら、誰に何を言われたわけでもなく「あ、ここにはこういうルールがある」と遺伝子レベルで感じ取った秩序があったのです。それを感じたときは、「社会ってこうやって成り立ってるんだ」と新鮮な驚きがありました。
 もちろん寮なので、明文化された門限やハウスルールが存在するのですが、それとは別に。
 寮長も指導しない、誰が決めたわけでもない、無言のルール。
 「ゴミ捨て場において、大人的な肌色の多い本を一冊献本したら別のものを持っていってよし。」
 ほら、もう、18歳の男子しか居ないわけですから、夜なんかはもうみんな大変なわけですよ。お互いに自分の欲望と葛藤しながら日々をすごしているわけです。更には予備校生でお金も無いですし、女の子にちょっかいをかけるわけにも行かないですから、みんな悶々とするわけです。
 更に当時は携帯電話やPCがあるわけでもなく、更にはテレビも持ち込み禁止だったので、結論とすると、いわゆる本、いわゆる肌色の写真にはとてもお世話になるわけです。
 必然的に、ゴミ捨て場にはそれぞれの使用既読本が捨てられるのですが、まあ、その、なんだ。お互いに需要と供給があり、それぞれにニーズがあったりするわけですよ。
 新聞や本は縛って捨てる、という明文化されたハウスルールはあったのですが、いわゆるこの手の本だけはゴミ捨て場の片隅にそれぞれ「デラ●っぴんの棚」「ベスト●デオの棚」「●ンギンクラブの棚」と分別され、各号がそれぞれに、縛られずに整理整頓されて置かれていたのです。
 当然、捨てられているものですから、どのように扱ってもいいはずなのですが、誰に言われたわけでもなく、この寮の住民はみな、「一冊置いたら、一冊もっていく」というルールを自然と身につけていたのです。社会の秩序や法律とはこうやって生まれるということをこのときに僕は実感しました。あと、お互いのマナーとして、綺麗に使う読む。というルールも不文律としてありました。当たり前ですね。
 そんなこんなで上京18年目。真っ先に思い出すことがこの話だというのがあまりにも情けないですが、これからもよろしくです。

棋士の本

 棋士の本が好きです。
 将棋、滅法下手なのですが、まさに「下手の横好き」。先を読むという能力が無く「とにかく特攻」「手数だけやたらに多い」というのが持ち味の僕にとって、全く持って正反対の資質を求められるこのゲーム。苦手すぎるほどに苦手だからこそ、学ぶものも多いというか、この世界で生き残る人たちの哲学に憧れを持ってしまうのです。
 そういう訳で、将棋うち、いわゆる棋士の本は僕にとってとても面白く、また学び多い書物なのです。
 他には数学者の本とか、音楽家の本とか。騎手の本も好きですね(時々軽佻浮薄なのもありますが)。別世界の人たちの言葉は、とても響きます。

 まずはこちら。10年以上前からずっと手元で読み続けている本です。米長名人は毀誉褒貶の激しい人ですが、僕は非常に好きです。生きる上で避けられない勝ち負けの波にもまれないために、どう進めばいいのか、この本を元に僕は20代を乗り越えてきました。借り方でなく、貸し方に回る。舟に乗れる人数が決まっているのなら、全うに落とすべき人を落とすのも義理の通し方。そして米長哲学。これからも何度も読み返します。

 一大名人、大山康晴。とても真面目で、誠実で、それでいて勝負師として一流を貫いた大人物だと思います。なので、彼の書く文章は非常に理路整然としていて、筋が通って読み易い。その易しい文体の中に、プロとしての厳しさが随所に現れていて、身が引き締まります。

 その大山康晴と昭和時代に名勝負を重ねた名人升田幸三。これまた生き方も文体も洒脱で色気があって、香気にあたります。広島弁口調の文体に、生きる上での指南。ひょっとすると大山名人の方が正攻法としての生き方を記しているのかもしれませんが、僕は正直、升田幸三の方が好きなんですね。オシャレだから。こういう語り口調の出来る大人になりたい。そのためには修羅場をもっともっと体験して、勝ち進まなければならない。

 上3つと違って、団鬼六がまとめた、昭和50年代に活躍した真剣師(賭け将棋のプロ)小池重明のドキュメンタリー。もちろん違法行為・アウトローそのものの生き方ですが、何よりも壮絶。絶対真似できない。そして、人としての生き方を真剣に考えさせられる。とにかく、壮絶。賭け事の世界、アウトローの世界で生きるということがどういうことなのか。自分は何をもって生きているのか。名文家、団鬼六氏の文章も巧みで、一気に曳き込まれて読みきってしまいました。
 今日は本のご紹介まで。また良い本に出会ったら紹介します。
 加藤一二三の本が読みたいなぁ。