スタジオ遊び

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 先日、Twitterにて、とある知り合いのカメラマンさんから
 「輔さんの写真を撮らせてください」 と云う連絡がありました。
 それに対し、
 「わかりました。●日はどうですか」と返事をしたことから話が進展。
 さる4月某日、急遽決まった撮影会を、おこなってまいりました。
 (後ほどかみさんから「馬鹿それはただの社交辞令に決まってるでしょ何を本気にして迷惑かけてんの!」と怒られました)
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 よくツルんでる仲間の一人。
 いつもお世話になってるカメラマン shutter-girlこと、ゆり茶さん。
 その他数人の馬鹿仲間も乱入してくれて、共に楽しい時間を過ごしてきました。
・・・
 スタジオ遊びって、いいね。
 前回のブログでも取り上げましたが、複数人であーでもないこーでもないと言いながらあれこれとヨシナゴトを語りながら、作品を作り上げる楽しさ。これは他の何にも勝る喜びです。
 撮影と云えば、今までの経験はほとんど仕事。
 時に横浜の映像制作チームで半趣味の撮影を引き受けたことがあるくらい。
 特にスチールオンリーの撮影は全く初めてでした。初めての経験は、何事も楽しい。子供に戻ったような心持で、刺激に満ち溢れています。
 当たり前だけど、防音設備は無いんだよね。あと、小道具がいろいろ揃ってる。それがまたいろいろと心地よい部分を刺激する。
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 昔、憧れていた制作集団の生活スタイルが、これでした。
 面白いアングルを見つけては撮影したり、光の当て方について学んだり、ゆっくりとお茶をしたり、例えば村上春樹について語りあったり、飛び入りで仲間がやってきたり。たまにビリヤードで遊んでみたり。終わった後はみんなでお酒を飲みに行ったり。
 何にも束縛されない。安全な自分達の空間があり、好きなおもちゃが揃っていて、楽しい仲間が側に居る。
 こういう時間の使い方がとても有意義で楽しい、と感じていました。
 一軒家をもったら、自宅にスタジオを作りたいな、と思いつつ、はや三十代も後半。
 ヒッピーを気取り、自由を弄ぶ年齢はとうに超えています。
 でも、時には、こういう時間を取り戻すのも大事です。
 
 日々に追われながらも、仲間と刺激を受け合う時間を持つこと。
 暴飲や色欲、浪費とは違う形で、楽しむ時間を忘れないこと。
 それがまた、職務や生活に良い影響を与えると信じています。
 大人になって、また少し、良い日々の暮らし方を学んでいます。
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趣味で映像を制作していて気がついた5つのこと

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 横浜のホテル 2Fの喫茶室にて。
 4月9日、元同僚の結婚披露宴に呼ばれて参加してまいりました。
 昔の仲間にも久々に顔を合わせ、楽しい時間を過ごしてきました。
 ここ3月から、複数の同僚・友人の披露宴にて演出映像を頼まれており、それぞれにしっかりと心を込めて作ろうとしていたら、約2ヶ月間、計6本の作品をひたすら作るばかりの休日になってしまいました。
 その間、震災もあり、身も心も本当にフラフラになるくらいでした。
 でも、そんな中で気がついた5つのこと。
1・家族や友人を巻き込むと、楽しい。
 コレは僕だけかもしれないけど、一人で自分ワールドを作るのが相変わらず嫌いなのです。
 自分が作っているものに家族でさえも巻き込んで、あーでもないこーでもないと意見を言いながら、更には横浜の友人にもデータを送りつけて意見を貰って、と、様々な皆さんの力を借りて制作するのが好きなのです。
 休日に並んで絵コンテ作るのは、結構楽しい時間だと、かみさんも言ってくれました。それが嬉しい。またやろう。(東京メトロ的に)
2・会場で自分の作品が流れるのは、楽しい。
 なんだかんだいっても、映像屋にとっての薬であり、一番ひきこまれる魔力は、上映されたときのエクスタシー、なんですよね。
 ソーシャルメディアではまだ感じることができない、多数のリアルな人間の前で、大画面で自分の作品が晒される瞬間。ものすごく恥ずかしいし、ものすごく嬉しい。
 この瞬間を味わったら、もう他の仕事には就けない、その気持ちが良くわかります。
3・生みの苦しみを超えるのは、楽しい。
 今回、さすがに震災の影響もあって、その後一週間は何も手につかないというか、絵コンテのイメージもわかず、直前まで制作内容に悩んだものが2作品あります。
 本当に苦しく、胃が痛くなる日々でした。
 結局、コンテが決まらないまま、何もイメージを持たずに、新郎新婦に「撮影させてくれ」とお願いをし、フラッと半日撮影をさせてもらってから、その素材を見たときにひらめいた流れのあまりに美しいこと。
 これは撮影を快諾してくれ、更に良い絵を沢山取らせてくれた新郎新婦のおかげなのですが、上映一週間前と言うタイトスケジュールにて撮らせて貰った撮影素材が僕を救ってくれました。コレが無いとどうなっていたことやら。いや、本当に、壁って乗り越えられるようにできてるんですね。
4・撮影現場は楽しい。
 上記と被りますが、今回、撮影は別々の作品で、この2ヶ月に2回ありました。
 一度目は砧公園に朝6時待ち合わせ。10時までの早朝撮影。
 さすがに手馴れたプロカメラマンのアシスタント役で動いたのですが、頭にある映像イメージが次々と形になるその現場の流れは、モノヅクリのとても心地よい緊張の時間でもあります。
 ぴりっとした現場の空気を感じることで、わずかながらも僕は楽しい人生の時間を増やしている気がします。
5・クリエイティブな活動は楽しい。
 あんまり、クリエイティブ、って言葉、僕自身に使うには気が引けるんですよ。
 どちらかと言うと、制作、製作の方が性にあってて。
 クリエイティブって言うと、イケメンDJ活動っぽいじゃないですか。
 僕のはただ部屋にこもってぐちぐちとしているだけです。
 それはおいておいて。
 なんだかんだいっても、モノヅクリは本当に楽しいです。
 ・・・この年になって、ようやく制作会社の呪縛から離れられそうです。
 
 とにかく、数をこなすこと。収益につなげること。
 新卒当時、勤めた会社でアシスタントプロデューサーとしてキャリアをはじめた頃から、モノヅクリに関して思い入れを込めることは「ご法度」でした。ディレクターやエディターの暴走を如何にとめるか。コストを落とせるか。時間を縮められるか。そんなことばかり考えながら、職務を行っていました。クリエイティビティをないがしろにするわけではないのですが、「その1フレにこだわること、その色調にこだわることで、それがどれだけ稼げるの?」という視点でばかりモノを見る癖がついてました。それはそれで、もちろんとても重要だし、今でもその側面は失わないようにしているのですが、
 今回思う存分作ってみて、
 やっぱり制作って楽しいんだ、と改めて感じました。
 当時はまだ制作クオリティと納期と金額をコントロール術を持たない若者でしたが、今でなら、少しは良い作品を作るために動ける範囲が広がったんじゃないかな、と言う気がします。
 納期や金額が無い制作なんて存在しないんだけど、そのバランスを巧くとる楽しみを、この年ながらに広げることができたと感じる2ヶ月間でした。
 そんなこんなで、今はやりのブログのタイトルっぽいネーミングにしてみました。
 うわー石を投げないで。
 

僕が原発関係で働いていたときのこと

 僕は原子力には詳しいんだ。

 と言ったのはどこかの国の宰相ですが、僕も原子力発電について知識を得やすい場所に居ました。
 12年ほど前にね。

 どういうことか、と言いますと、

 発電所関係で働いていました。

 ほらまた「山本の職歴は訳がわからん」とか「変な仕事しすぎ」とかいろいろ言われてしまいますが、事実なので仕方ありません。

 かいつまんでお伝えすると、その昔に勤めていた制作会社にて「原子力発電所を啓蒙するPR施設に展示する特殊展示物」の映像制作やメンテナンスを様々こなしていた、ということです。

 今話題の福島第一原発は残念ながら行ったことがありませんが、新潟県の柏崎、静岡県の浜岡、福井県の高浜町(美浜)はそれこそ年に2度ほどは顔を出していました。火力、水力を含めると、熊本県天草島の苓北発電所や、天竜川の奥にある佐久間発電所・・・どれも懐かしいなぁ

 Links to 柏崎刈羽原子力発電所サービスホール

 Links to 浜岡原子力館

 Links to 若狭高浜えるどらんど

 Links to 苓北発電所

 それぞれのPR施設に、「原子力発電がいかに安全か」「モックス燃料とは何か」「どのような構造になっているか」などを映像コンテンツで制作してました。子供たちにもわかりやすくするために、展示ロボットにしゃべらせて、映像はロボットと掛け合いにしたりとか、そのロボットをエア圧で動かすプログラムを組んだりとか、その企画を立てたりとか・・・今の僕がこのように「映像作ったりプログラム組んだり企画立てたり、とりあえず何屋かわからない」という器用貧乏の素地を作ってくれたのは正にこのような業務でした。いや、本当に楽しかったし、感謝してるんですよ。

 画像で表しますと、こういうものを作ってました。企画から映像からシステムから造形から。画像直リンクになっちゃいましたが、このページからJSでポップアップされたので、そのままリンクになっちゃいましたごめんなさい。

 因みにこのもぐら博士も僕の思い出の一品です。宮崎県高鍋町にある博物館の展示物です。こちらもよくメンテナンスで伺いました。

 正直、どれも思い出深いです。個人的感傷になってしまいますが、ハイエースをかっ飛ばして展示ロボットのメンテに走りまくった若狭高浜や、熊本空港から3時間、行って帰るだけでも3日かかった天草島、ホテルに篭ってDOS-Vと格闘したLD3台の連携システム、映像と展示ロボットの同期に苦労した柏崎など、それぞれに自分の経験値を積み重ねさせてくれた恩義があるところばかりです。

 もうこの会社を辞めてから12年近く経つので、そろそろ展示物自体も撤収されているところも多いと思いますが。

 それこそなかなか経験できない仕事なだけに、様々なエピソードもあります。自分としての失敗談や笑い話など…「恐怖!地中から這い出るロボットの怪」や「ロボット博士が突然GetWild’89を歌いだした」「メンテ引き上げのため、リアルな人体ロボットを後部座席に乗せて都内を走っていると猛烈に警官に呼び止められた」などなど・・・もちろん営業中はどのロボット君もしっかり動いていましたよ。彼らの名誉のためにこの点しっかり伝えておきます。

 紹介だけで話が長くなってしまいましたが、発電所PR館関係の話に戻して。

 様々な映像コンテンツをつくるなかで、発電がどのような仕組みでできるのか、撮影したりCG作ったりしてきました。その中で感じた事。発電所は本当に、しっかりと作られています。安全には十分に気をつけて、想定できる災害は全て、人災の起きる可能性を極力減らして、ケアレスミスの無い仕組み、と言うものをしっかりつくっていました。原子力のみならず、火力も水力も。そしてそれを、子供にも解りやすい言葉で平易に伝えるためのコストもきちんとかけていました。PR館で流す映像ですから、もちろん安全をアピールするためのものではあるのですが、確かに安全と言えるだけの環境を整えていたと思います。

 それだからこそ、今回の事故について、僕は「なぜなんだろう・・・」と切なく眺めるのです。
 あれだけ、知を結集してくみ上げていた発電所、判断ミスやトラブルの起こしえない仕組み、それをもってしても、想定外だったのか、人災が起きる隙があったのか・・・。

 今、大変な事になっていますが、きちんと収束する日を待っています。
 あの時に映像で作ったことが正しければ、安全に収束する仕組みはまだまだ動いているはずです。それを信じたい。