だらだら

 会社を辞めてはや3ヶ月。すねかじって食いつないでいる身分で言うのもなんだが、おいら、とにかくだらしない。

 だらしないとは何か?時間的・金銭的拘束を自分で設けることができない。単純にそれだけだが、単純がゆえにかなりやばい問題じゃ。

 今考えると、小・中学校時代の授業という形の時間拘束訓練は、結構大事なものだったんじゃなかろうか。え?みんなわかってるって?いやおいら大嫌いだったもんで。授業中に空想癖はあるし、忘れ物はひどいし。やばいときは授業逃亡するし。遅刻忘れ物は小・中・高・大とまるっきり直らんかったなあ。ゆえに今みたいに「強制的に直さないと生活がやばい」状態に追い込まれてしまうのかも。英語嫌いで通ってたおいらがいつのまにか英文科行ったり翻訳のお手伝い仕事したりするのとおんなじで、やだやだと思ってたことはどんどん追いかけてくるものみたいだね。普通の人は学校教育のどこかで直って、きちんと就業するんだろうなあ。いいなあ。えらいなあ。

 なんか解雇もとい回顧してますが、ほうけてるだけなのでほっといてください。明日からまた元に戻ります。

結婚式

 ここんところ2週おきに結婚式が続いておる。3月だけで友人が3組も結婚しよった。

 お金ないない病の病状は悪化するばかりだが、それ以上に入金が安定していないことが問題じゃ。

 まあまあそれはいいとして、結婚式って言うのはなかなかよいものだ。うん。なかなかあえない友人にも会えるし(会ってばっかの友人にも会ってしまうが)、何より幸せそうな人間の顔を見るのは気持ちのいいものだ。いろいろお話したいこともあるが、今日は復活したばかりなのでこんなところでやめておこう。明日からは制作仕事三昧。になるはず。多分。わからんけど。

ナムコワンダーエッグ

 今日はナムコワンダーエッグへ行ってきました。

 いつのまにかあの遊園地「ナムコワンダーエッグ3」と名称変更しておった。でも何が変わっていたのだろうか?ギャラクシアン3は昔のまんまだし、ドルアーガの塔もいっしょだし。でも昔よりモーションライドの乗り物が多くなってたかな。流行なのね。でもあればっかり立て続けに乗るとかなり酔うな。夕方前には退園してしまったぞ。

 本当は大好きなんだけどね。モーションライドシミュレーター(ディズニーランドのスターツアーズみたいな奴)。年取ったかなあ。

Two against nature

 20年ぶりに発売されたSteely Danの新作「Two Against Nature」聞きました。Steely Danの曲ってみんな、聞き込むほどに味が出るものばっかりだけど・・・。はっきり言おう。一聴しただけでは全然つまらんぞ。インパクト無いし。D.フェイゲンも衰えたか・・・。

 と思っていたが、さすがに2、3回と聞き込むうちに面白くなってきた。いいねやっぱり。Steely Dan通に言わせると、珠玉の3作「Royal Scam」「Aja」「Gaucho」より前のライブバンドとして活動していたときの味があるとの事。確かにこの3作の時期よりは人間くささが残ってるし、汗臭く感じてしまう。

 けど、それを売り物にするには年取ってる感じがするなあ。若さあふれる躍動感はいいけど、わびさびを追及しきった後に出てきた汗臭さは、どこと無くうそ臭く感じてしまう。でもやっぱり他のバンドのアルバムに比べると圧倒的にクオリティは高いし、すごくいいアルバムになってます。あまりにもその前のアルバムが凄すぎたから物足りなく感じちゃうんだね。

 Steely Dan初心者にはあまり進められないかな。やっぱり「RoyalScam」に始まり「Gaucho」に終わる。そして「Aja」でイッちゃう、と。

 酷評しちゃったけど、でも僕がこの場でこの年で、まだSteely Danの新作をリアルタイムで聞くことが出来ることに対して、本気で神様に感謝しちゃいます。ありがとね。それくらい好きなのよこのバンド。

 でもアルバムジャケットのレベルは落ちた。何よりこれが一番悲しい。「Aja」のジャケットは本気で芸術作品なのに・・・。

間抜け

 自分で自分を卑下するわけでなく、本当においらは自他ともに認める「間抜け」である。

 かぎをどこに置いたか忘れたりするのは日常茶飯事。時には財布を自転車に置き忘れたり(この3ヶ月間で2回。一回は大家さんが持ってきてくれた。もう一回は出てこない・・・)、風呂を入れてる最中に寝てしまって水浸しなんてのもよくやっている。この前もちょっくら地方でバスで団体行動をすることがあったのだが、気づいたら全然別の集団についていっていて、バスに見捨てられて置いてけぼりを食らってしまった。一応これでも大の大人だぞ。「おおう。困ったちゃん」なんて悲哀の言葉を発するのは一日3回までと決めているにもかかわらず、5回から10回は心からこの言葉を発してしまう。迷惑な奴です。はい、すいません。

 ところで「馬鹿」や「阿呆」と「間抜け」の違いはなんなのだろうか。「同じでもいいじゃないか」というなかれ。各人が共通に何か違いを感じているみたいだぞ。



こういうときは毎度おなじみ、岩波の広辞苑によると

 馬鹿-すなわち痴の意。(そんな露骨にいわんでもねえ・・・。)

    mahallaka(魔珂羅)、すなわち無知の意からか古くは僧侶の隠語。馬鹿は当て字

 あれ?中国の古典によると馬と鹿をいい間違えることから生まれたって聞いたことも有るんだけど・・・どうなんだろ。

    おろかなこと。また、その人。愚。愚人。あほう。

 阿呆と同じなんだね。関西では阿呆、関東では馬鹿が生まれたって聞いたこともある。

 間抜け-間の抜けたこと。することに抜かりのあること。また、その人。とんま。

    んでもって「とんま」を調べると「まぬけ」と書いてある。この説明自体が「間抜け」に思ってしまうのだが・・・。


 ということで「馬鹿」「阿呆」と「間抜け」の違いはなんとなくわかっていただけだかと思う。ではその上で、その違いの活用方法を見ていただこう。

 よくおいらは友達と酒を飲む。酒の席では当然いろいろみんなの話が出るのだが、その中での話。

X-10「おいら馬鹿だからさあ・・・」これも本気でそう思っていっているのだが、皆さん心優しい人ばかりで、

 「いやいや、そんなことないよ。ははは」とフォローを入れながら話が進んでいく。皆さん経験することも多い話の流れ方だろう。阿呆も同様。「おいらアホでねえ」「いやいや。」ありがとねみんな。でも本物のX-10はみんなが思っている以上に阿呆です。

そして。

X-10「おいら間抜けだからさあ・・・」「ははは・・・」

???フォローはどうした?みんな日本人だろう。本音は隠すものではないのか?「間抜け」じゃないとは言わないが、フォローすらできないくらい間抜けなのかおいらは。みんなこれだ。10人に実験し10人が誰一人としてフォローしなかった。これは正真正銘、「X-10は間抜けである。」ということがグローバルスタンダードで認められているということではないか。マイクロソフト級間抜け。間抜け界のビル・ゲイツ。うれしくないぞ。中にはフォローもせず「そうだね」と真正面からきりこんできた強者もいる。本音を語らない日本人の匂いがまるでしない。いいけどさ別に。間抜けと思われたくないわけじゃないし。しかし会って2日目くらいの奴にまで平気で「間抜け」といわれてしまうのには参った。そんなに間抜けなのだろうか?自分でも認めちゃいるけどさ、それにしても・・・(ふて寝)。

高岡第一高校

 おいらの母校じゃ。

 富山県高岡市のはずれにある、刑務所のような色気のないコンクリート建築に彩られたへろへろ高校です。とにかくおいらの経験では寒い、くさい、色気がない、うざったい、ねむい、位しか高校時代の記憶がありません。大嫌いな高校です。おいらの青春を返せ!

 まあそれはいい。新幹線内で見た記事によると、春の選抜高校野球では甲信越地区代表に選ばれたらしい。しかも福井県の敦賀商が生徒の無免許運転によって事故を起こしての辞退によるものとのこと。繰上げ当選。素直に喜べねえんでやんの。どうあがいても主役になれない高岡一校を象徴してるようだ。一応おめでとね。ろくに高校に母校愛がないのでなげやり。

口説く

 確かに、ページ上の文章は誰が読んでいるかわからない。でも書く。体張ってまっせ。


 本当に、女という生き物は手におえない。

 男が全能力(知力、時間、経済力etc)を全て使って一人の女性を口説こうとしても、女性の側はふらふらとOKともNOともつかない返事を返すばかり。一度OKをもらっても次の日にはあっさりと覆される。本当に難しい。ふざけんなー!昨日「いいわよ」ゆうたやんけー!

 冗談はさておき、どうも僕の周りでは「口説く」なんてのはどうも「遊び人」とか「いいかげん」とか「女癖が悪い」とか、悪い印象ばかりで受け取られているが、そんなことも無いと思うぞ。特に自分が好意を寄せている女性以外に女性を口説くというのは褒められない行為、というか芳しい評判を得られなくなっているなあ。でもでも、口説く、口説かれる、という行為は決してただ放蕩して虚栄心や性欲を満足させる行為ではないような気がする。いうなれば文化。ああおいらの嫌いな石田純一みたい。いや、自分の行為の言い訳じゃなくて、本気でそう思う。

 女性を褒めること、友人を褒めること・・・。なんでもかんでも褒めてたらそれはただの馬鹿なのだが、自分が本当にすばらしいと思っていることを口に出すことは絶対にいい事だし、どんどんやっていきたいと思う。どうも陰で人の悪口ばっかり言って、褒めることに慣れてない国民のような気がするな日本は。褒めたらこっちも相手もうれしいし、特に相手が女性の場合は間違い無く褒めれば褒めるほど美しくなる。女性を美しくするのは男性の生まれもっての義務だし、恥ずかしがってないでどんどん褒めるべきだと思うなあ。もちろんおいらだって全然できないが。照れ屋さんなもので。わはは。

 もちろん「褒める」ことと「口説く」事はまた別で、褒めることも口説くうちの重要な一方法でしかない。改めて考えてみると、「口説く」というのは実に難しい。女性を意識してからまあ10年が経過したけれども、とりあえず「口説く」という行為をちゃんと行い始めたのはつい最近です。それでも昔からそれとなくそんなこんなで女性とお話する機会はあったのですが、女性を褒める、もしくは女性を口説く、という行為は僕の中で10年来、ひとつも進歩していないと思うのです。絶対的経験数が足りないから、仕方ないとは思うんだけれどね。それでも毎回、口説くたびに「ああすればよかった」「こんな事言うんじゃなかった」なんて後悔がつきまとう。同じ失敗を繰り返してると、「おいら阿呆だあああわははは。」なんて本気で落ち込んじゃう。成功失敗にかかわらず、見事に口説ける人には、絶対にかなわないと思う。男から見てても、気持ちのいい口説きかたしてる男性、いるからねえ。ああいう風になりたいものですわ。

 そう、周りで聞いていても気持ちのいい口説き方「粋な口説(くぜつ)」これはなんなのだろう。これができたら人生の達人だよ。


 僕の友人も言っていたけれど「口説くのには膨大な時間がいる。決してあせっちゃだめだ。」そうらしい。でもただ闇雲に時間をかければいいかというとそんなことも無い、とも思う。僕の見た限り、「口説き」のうまい人はこれを「文化的な芸」にまで昇華させている。


もし誰かを口説こうと思うなら、少なくとも1日は彼女のために時間を取り、相手に対してのきちんとした予備知識を持ち、服装を整えひげを剃り、そして好奇心に満ちた、生き生きした気持ちで相手の女性に会うことが最低条件みたい。まあ当たり前だな。でもこれができない男(おいらも含む)も結構多いと思うぞ。

 デートでは、まず淡々と買い物や映画、美術館などをまわる。相手の女性はさりげないそぶりで男のことを観察しているでしょう。そこでは両者がお互いに海面下で静かなエールの交換を行っているのです。女性にいきなり手を出したりせず、外界の文化を十分に満喫しましょう。

 その後バーや食事など会話のできる場所へ行き、今日の天気は晴れてよかったとか、今日の映画は楽しかったとか、穏やかに話し掛けてください。相手もゆっくりと口を開いてくれるでしょう。もしくは自ら会話することの好きな女性も多いですから、相手の会話を真剣に聞いて、きちんと対応してあげましょう。

 さて、そこから相手の女性に関して、いろいろな質問をしましょう。相手も自分のことを聞かれることはうれしいはずですから、いろいろと説明をしてくれるはずです。あなたはそれに対して、自分の知っている相手への知識と興味のあること、そして相手のいいと思っているところをそれとなく相手に伝えましょう。この間しばらく男性は「相手の女性」に関する学者になるのです。そして本題に入ったときから今度はビジネスマンになるのです。

 しかし、性急に求めてはいけません。ゆっくりゆっくり、自分といることが相手にとってどんな利益があるかを言葉を選びながら説明していくのです。相手の利益と自分の利益が合致しなければ「口説き」も成功しません。どんなに「自分が相手を愛している」事を伝えてもそれだけではだめなのです。まあ、相手が自分に気があることが既に分かっているときは「愛してる」「愛してる」の一本調子で押し切ってもいいのですが、それではあまり粋ではないですね。

 ましてや自分が相手に「一生面倒を見る」ほどの愛情を感じているわけではない場合、なおさらビジネスマンとしての資質が問われることになります。しかも言葉を選んでいかないと、相手に失礼も犯してしまいますからね。ビジネスマンであると同時に、プレゼンテーターでもなければいけないのです。そしてさらに、交渉が折り合わないときは、別の話題を設け、女性を別感情から乗せてあげないと行けません。その辺でふたりは俳優になっているのです。会話の中の長いストーリーを、男性はもちろん演じ、女性にも気持ちよく演じさせてあげるわけです。いわば男性は俳優件監督。そのストーリーの細部までもしきらないといけないのですね。そうしてお互いにハッピーエンドまでたどり付かせることができたら、一件落着です。その後は場合によってはベッドの中で動物になったり、恋人同士になったりするわけですが。

 ある時は俳優となり、ある時は学者となり、ある時は映画監督となり、そしてある時はビジネスマン、プレゼンテーターとなり、様々な人生の役割を、「口説く」というたったひとつの舞台で演じきった満足感は、たとえようも無いはずです。彼はその晩、男としての自分の人生に誇りと喜びと、そして相手の女性を抱きながら安らかな眠りにつくことができるでしょう。

 まあ、ここまでの文章、文体は五木寛之の「買う」のパロディなわけですが、でもどうも「粋な口説」のできる人の口説き方を見てると、こういったことをさらりとやってしまっている、ように思えます。かっこいいよなあ。

 こういったことができれば、また人生も楽しいのかもしれないけど、しかしそれにしても女性はわからん。

 女なんて大っきらいだー!でも好きだ。どっちやねん。

 今日の文章はとにかくおいらの行き場の無い感情をぶつけてるだけです。はあはあはあはあ。

 とにかく今日は、X-10節全開です。

 教訓。女性の「いいわよ。でも今日のところは帰るわね。」は全面的なNoということだ。へらへらぁ。これ何度だまされてもひっかかっちゃうんだよなあ。覚えとかなきゃ。このセリフを言って目の前から消えた女性は二度と戻ってこないぞ。

 でも明日になったらまた忘れて、別の女性と遊んじゃうんだろうなあこの阿呆は。んでもって同じ失敗をする、と。ちょっとは学習しろよ。