ゴーストバスターズ16

もうすぐゴーストバスターズが公開されるのですよね。

僕は10回以上GBを見て、2に至ってはパリでフランス語吹き替え版を見に行くほどの(ちょっと嘘。たまたま映画館に入ったらやってただけ)GBファンだけど、個人的に映画そのものについて「最高の映画!」と思ってるわけじゃない。んなこと言ったら敬愛するライトマン監督に申し訳ないのだけど…

何故にGBを愛するかといえば、思い出補正含めて「バブル直前の社会の盛り上がりと、到来しつつあるコンテンツ豊穣の時代それを象徴する軽薄な映画(褒め言葉です)だったから、というのが全てなのです。

映画というコンテンツ、そしてその前後に押し寄せる洋楽、ゲーム、TV、アメリカNo1イズムの時代の幕開けを一番感じさせてくれたのが、僕にとってはゴーストバスターズだったのです。’80コンテンツ時代の象徴が、マシュマロマンでありゴーストマークなのです。

というわけで、いろいろ書きましたが観に行く予定です。
事前情報として知ってるのは、多摩川の直前で阻止できないことや石原さとみが可愛いということくらいです。

1984年に公開された映画「ゴーストバスターズ」の最新作予告編が公開されました。最新作はリブート作品と…
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私は忘れてしまっていた。国民の皆さんに雇われている身だということを。

昨日、お会いした方と、本や映画の話になり、ふと僕の一番好きな映画は何か、という事を考えました。「時計仕掛けのオレンジ」「ブレードランナー」「ダークナイト」「ゴーストバスターズ」・・・うん、どれも大好きで、僕の人生に影響を与えてくれた名作ばかりです。
でも、その中で一本だけ、どうしても。と言われたら、僕は何を選ぼうか。
その時に、ふと思い出した、映画史にはあまり名前の出てこない佳作。
でも、僕がこれまで観た映画の中では1,2を争うほどスペシャルな作品だと思える、名作。
それが、この「デーヴ」です。
<以下、amazonより>

僕自身の観想を言うより先に、amazonのレビューを見ていただいたほうが早いでしょう。密かに絶賛の嵐嵐嵐for dream。ステマじゃない「感動しました!」の声がここにある。ライトマン監督、最高の一作です。というか、脚本書いた人が素晴らしすぎる。僕もこんな脚本が書きたい。
映画館で2回、ビデオで2回、DVDで何回も、何回も、見ています。今も隣のモニターで流してます。
内容はいたってシンプル。大統領の物まね芸人をして日銭を稼いでいた主人公。そこになんと本物の大統領から替え玉の依頼がまいこんできた。引き受けてる最中に本物の大統領が危篤状態になり、主人公がなんとか取り繕おうとドタバタするコメディ映画です。
でも、こんなにハートフル(使い古された言葉だけど)なコメディは、ここのところ全く見かけなかった。
大統領夫人とのすれ違い、政治に対する想い、ライバルとの確執、そんな伏線が見事にコンパクトに、いやみなくまとまっている。人も死なない。ネガティブな要素がまるで無い。そして感動と温かいラスト。こんな、こんな映画があっていいものか。どんな映画好きにも映画嫌いにも、お勧めできる一品です。
でも、僕はなかなかこれを人にお勧めして来れなかった。コレを「好き」と言うと、僕はとても良い人に見えてしまい、僕のセルフブランディングに非常に悪影響が出てしまうのです。そう、それくらい、とても「いい映画」なのです。
最高の脚本、最高の演出、ウィットに満ちたコメディ。
シニカルな視点は生きるうえで必要ないものだというのが改めて考えさせられる。
細部について言い出すとまたきりが無いのですが、僕は下記のシーンが好きです。
・養護施設で、デーブが子供と真摯に向き合う姿を見て、夫人が心を動かされると同時に疑い出す~デーヴのシャワーで確信するシーン。
・デーヴと夫人がお忍びデート中、芸人を演じてしまうシーン。
(これぞコメディ展開の王道!そして温かいワンシーンです。)
・補佐官に「替え玉風情」と思われながら、自分の意思で会議を切り盛りして、資金を捻出するシーン。
(替え玉が、本物になっていく。役割が人を変える。想いが動かす。様々な読解ができますが、そのどれも心を動かすものです。)
・デーヴと副大統領と腰を据えて話し合う深夜~夫人に、「彼は良い人だ」と語るシーン。
(なんで、こんな細やかな演出でデーヴと副大統領、二人の人の良さを伝えられるのだろう)
・応援者が全く居なくなってしまうテレビの前の補佐官。
(たった一秒ほどの場面で、コミカルに、悪役の退場を表現するなんて!)
・副大統領にその座を譲り、倒れる芝居をした後、こっそり救急車で脱出して、国会から歩いて帰っていくシーン。
(デーヴが、大統領から普通の一個人に変わる事を見事に演じてます。そして夕もやの遠景。ライトマン監督は、この映画のオープニングにしろゴーストバスターズにしろ、遠景描写にすごく情感が溢れています。)
・大演説「私は忘れてしまっていた。国民の皆さんに雇われている身だということを。」
(説明無用。替え玉という舞台装置は昔から数あれど、常にカタルシスはこの一点です。)
駄目だ、こんな風にシーンを語りだすと、全てのシーンを語らないといけなくなってしまう。
そして、そして、なんといっても、
男が男に語る「君のためなら死ねる」
(冒頭の、デーヴに対する不信感があっての、最後のこの台詞!)
映画史に残る名台詞です。
珍しく、映画の紹介で終わります。皆様是非ご覧下さい。
今日は月曜、働く日!

今年見た映画・読んだ本 トップ10プラス1

 2011年もあとほんの少し。僕自身も、日本も、世界も、激動の一年でした。
 身辺に不幸や悲しい出来事は(もちろん、震災という大きな出来事の中では様々ありますが)少ない一年でしたが、自分自身では、いろいろな事が大きく動きすぎて、自分のバランスを取る為に、どのようなスタイルを保つか、非常に難しい一年でした。
 そんな中、自分の胆、礎を落ち着かせてくれたのは、やはり映画や音楽や、本。時間を割いた分量、心を動かしたボリュームで言えば、今はそこにWebサービスも入ってくるのでしょうが、とりあえず今年一年の中で、僕が思うところのあった作品を・・・。相変わらず流行を無視して古いものばかりですが。特に今年は冒険モノ、ミステリーモノに大きく舵を切って没入した一年でした。
 とりあえず、順不同で10作品!
 そして、一昨日亡くなった書評家・内藤陳さんに敬意を表して。
 
【おとうと】

 家族モノはあまり見ないのですが、釣瓶の演技力に見惚れました。釣瓶の演じる弟の姿に、様々な人が重なって、ああ、愛すべき人にぼくは囲まれて生きてきたのだなぁと改めて実感しました。え、僕自身がこのキャラだって?
【レスラー】

 齢三十も後半になってくると、「オレの全盛期はまだまだこれからだ」と嘯く声もほんの少し弱ってしまいます。いやいやまだまだ僕はこれからのオトコですけどね。そんな声と真逆の作品ですが、全盛期を超えた(と表現される)男の愚直な生き方。身体がガタガタになりながらも、自分の死に場所を自分で決めた気になって倒れこんでいく男の物語。しぶとく生きるより、華々しく散りたいのですよ。わかる。うん。オトコって、馬鹿ですね。上記「おとうと」もですが、どうも最近オトコの馬鹿さ加減を愛してやまない気がします。
【昭和残侠伝】

 馬鹿なオトコモノ三連発。池辺良がヤニ臭くてかっこよすぎます。高倉健はお決まりの、我慢して我慢して我慢して最後にオトコを魅せて散っていく。あ、やっぱり散っちゃうんだ。でもこの行動規範と美意識には僕らは逆らえないのです。意地と見得で生きていくのです。震災後、改めてこの作品を見たのですが、生き抜くことと見得を切ること、その両立の難しさ、険しさを改めて思い知り、(詳細はまた別途記しますが)ああ、這いづってでも生き抜く逞しさを持つ女性と、すぐに見得張って(切るんじゃなくて)散ってしまう男性は、結婚して夫婦になって生きる意味がそこにあるのだなぁ、と思いました。はい、ええ、僕子供だからよくわかんないけど。
【深夜プラス1】

 今年読んだ本ベスト1。詳細は以前のブログに書いたので割愛。
 内藤陳さんへの敬意云々関係なく、この本は読了した瞬間にトップでした。合掌。
【文学部唯野教授】

 筒井ファンとして、浪人時代、新刊で出たばかりの頃すぐに読みました。けど、その頃はまだ大学も知らず、教授という生き物がどのようなものか全く解らずに、いまひとつ面白みに欠けました。改めて大学を経て、現在も学術に関する場所で務めるものとして改めて読む。抱腹絶倒。あまり書くと僕の立場が大変な事になるので割愛します。ええ、割愛しますったら。詳しくは本著を是非。そして文学論は下手な専門書より断然わかりやすく詳細。さすが我らの筒井康隆様です。変態的天才的変態。
【炎の経営者】

 いろいろと近縁ある化学工業の会社社長奮闘記。読んでる側も燃えます。経営とはこんなにも熱く苦しく、情熱的なものか。これがノンフィクションだというのだから恐ろしい。そりゃ高度に経済も成長するわけです。と他人事に傍観できないほど「お前は熱く世界に価値を生み出しているのか!?自分を信じているのか!?」を両肩を掴まれて揺さぶられてしまいます。
【女王陛下のユリシーズ号】

 男シリーズ第4弾。今年はオトコの当たり年なんだなぁ。かなり有名な小説ですが、恥ずかしながら初見でした。600頁を超える中、登場人物は全て男男男。総勢?名全員オトコ。女性が一人も出てきません。そりゃ戦艦の中の話だから、乗組員だけなので当たり前といえば当たり前なのですが。でも、それゆえに読者に擦り寄るようなラブロマンスももちろんなし。あるのは極寒と敵襲と忍耐のみ。勝利の見込み不可能な作戦を言い渡されて、ただひたすら北海を行く三十三隻の英国艦隊。ドイツ軍に次々と撃破され、満身創痍の状態の中、最後に登場してくる独軍最強戦艦ティルピッツ号・・・と、少年漫画も真っ青な、困難に告ぐ困難のストーリー。手に汗握る、というか、手が凍傷になります。読んでて本気で寒くなります。因みに著者マクリーンの作品としては「ナヴァロンの要塞」も有名ですが、僕はどちらかというとこっちの方が好きです。
【台風クラブ】

 三浦友和が三十代先生の役どころ。「先生、貴方には幻滅しました。」と歯向かう中学生に向かって「いいか、お前らも、オレぐらいの年になったら、こんな大人になっちまうんだよ!」
・・・前にこの作品を見たときは、中学生。今の僕は三十代後半。いろいろと痛い。痛すぎる。そして僕はまだまだ中学生に近い痛さと幼さを内包したままこの年になってしまった。思春期の映画ですが、僕はまだまだ思春期であり、中二病です。よーく見ろ。これが、死だ!
【先任将校】

 更にオトコもの。というか軍艦モノばかり読んでる気がするな。今度は日本軍ですが。そしてユリシーズ号の時は極寒が敵でしたが、今度は飢餓。・・・人間にとっての最大の恐怖は飢餓と寒さと睡眠不足とはよく言ったものです。本当に怖い。そしてユリシーズ号同様、将校の統率力と機転でなんとか生き延びるその姿は、生きるとは何か。組織とは何か。を十分に教えられます。統率力とは即ち人間性なのですね。
 
【鷲は舞い降りた】

 深夜プラス1とこの本が並ぶと、誰の影響を受けてるかすぐわかってしまいますね。台風クラブ同様、これも昨年以前に読んだ再読ものですが。改めて読んでもやはり素晴らしい。英国軍ものを読んだ直後に今度はドイツ軍が主人公。主人公シュタイナのヒーローぶりは少し美化されすぎたきらいもありますが、何より活かしているのがアイルランド解放軍のリーアム・デブリン。深夜プラス1の副主人公ハーヴェイ・ロヴェルと並ぶサブヒーローです。ラブロマンスや美味しい台詞を全部もってっちゃってます。そうそう、こちらの作品はラブロマンスあり、危機につぐ危機あり、英雄譚あり、最後のどんでん返しあり、と、読書の楽しさてんこ盛りです。これこそエンターテインメント。
【Cutting Edge】

 番外編。映像編集で少しでもメシを食った事があるモノとして。
 これはバイブルです。編集とは何か。カットとは何か。全てはここに描かれています。
 ペキンパーの作品を、キューブリックの作品を見て、編集の妙に感動した上、この作品を見ると、衝撃波を受けます。
・・・
 
 以上10作品(プラス1)。それ以外にも「ソーシャルネットワーク」「虐殺器官」「クリムゾン・タイド」「ロンメル将軍」「言語姦覚」「若き数学者のアメリカ」・・・いろいろとトップ10に入れたいものがありました。またぼちぼちブログで紹介していきます。
 今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。

映画ログを取り続けて。

今年の6月頃から映画の閲覧記録をつけ始めました。
今日、ふとその記録を数えたら100本になっていた。
 本来、○本みる、と言う見方は好きではありません。
 数は何の意味もなさず、またそういった目標で作品に向き合うことは失礼極まりないものだと思っています。好きなら、どれだけでも見ていくものです。また、誰からも強要されるものでもないのですから、イヤなら見なければいいんです。数でノルマを作らなくてもね。
 ただ、ちゃんと映画を見よう、と思ったら、見るためには見るための姿勢や筋肉といったものが必要で、「毎日見る」「浴びるように見る」といった「量」をこなして身体を慣らせておかないと、心が追いつかなくなると私は考えています。
 更に言うと、社会人が映画を見ようと思ったら、その時間を確保したり、環境を確保したり、そういうことを家族含めて慣れ親しませておかないと、映画を見たいと思っても見る余裕が取れない事も起きるのです。むしろこっち側の方が重要かな。
 何だってそうです。100と言う数値はただ切が良いから使ってるだけですが、「本を100冊読む」「音楽を100曲聴く」ことができない人に作家やミュージシャンが務まるわけがない。それこそ呼吸のように行っているはずです。
 作る側、仕事を得る側ならなおさら。「デザインを100案作る」「事業計画を100案作る」「ショートムービーを100本作る」「営業先を100社回る」といった事ができない場合、それはその人のやるべきことではないと思います。数をこなせないことは最低限の力もつきません。それができて初めて入り口に立つもの、であり、それをこなした人たち同士でないと現場の会話に参加してはならない(常識のレベルが違うから)とさえ感じています。
 映像制作を飯種の一つとしている割に、僕は映画を見ているとは口が裂けてもいえません。
 それは、10代の頃は数を見ていましたが、やはりこの業界の人と比較すると、まだまだ基礎知識力、感動力、大事な一本に出会えてないと感じます。
 ただ、映画そのものはやはり大好きだし、この年になって自分の武器が何なのかを考えたときに、「映像」はどうしても手放すことのできないスキルになっているのです。
 その意味もあり、毎日時間を作り、映画を見る。ただひたすら感動する。泣いたり笑ったりする。落ち着いたらメモを取る。場合によっては絵コンテに落とす。脚本をなぞる。DVDからデータを出してPremiereにかけ、フレーム単位でカメラワークを研究する。色調を変えて映像の変わり方を見てみる。そういったことを繰り返してます。それが100本、ようやく環境ができてきたかな、と言う状況です。
 100本見た、といって何が変わるわけでもない。というより、100本見たところで初めてスタートラインです。筋トレが終わり、今後映画を見続けることができる処だと思います。見るための姿勢、筋肉がついたところから、初めて「映画を見る」ということができると思ってます。
 もちろん、映画はエンターテイメントですから全員がこんな見方をする必要はないと思ってますよ。あくまで、楽しんで、好きなときに、好きに見るのが一番です。
 これを飯につなげたい、と思った人の楽しい楽しい修羅の道ですね…。

ろくでなしブルース

ろくでなしブルースは週刊少年ジャンプ黄金期の名作ヤンキー漫画です。が、僕が惚れ込むろくでなしは前田太尊のようにオトコらしい素敵なナイスガイではありません。
 
 
 
 
 
 最近、ひたすらに映画づいてまして。それほどハイペースではありませんが、一日一本くらいDVD鑑賞を楽しんでます。仕事帰り、自宅についてはまず一本。あるいは映画館で1本。高校時代を思い出すような映画の毎日です。
 僕にとっては、映画は娯楽の兄貴分、です。
 80年代に中高生を経験した僕らの世代は、本当に娯楽に満ち溢れてました。幼い頃から、プラモデル、ゲーム、ラジコン、テレビ、映画、音楽、漫画・・・バブルと重なる部分も含めて、飽食の娯楽を満喫していたと思います。あわせて、それぞれ個人によって娯楽のノスタルジーを感じるポイントも、大きく分かれている世代とも思います。
 僕にとって、娯楽の王様は何よりゲーム。ゲームばっかりやってた中学高校生でした。
 ゲームの話は今日の本題ではないので割愛しますが、そのゲーム自身が憧れ、表現技法を盗み、成長の糧にしていた娯楽が、あの当時は映画だったと感じています。
 当時の映画・・・バックトゥザフューチャー、ターミネーター、エイリアン、ゴーストバスターズ、グーニーズ、ポリスアカデミー、ロッキー、ドラえもん、スタートレック、スターウォーズ、バットマン、etcetc・・・。映画自身もこれでもかと言うくらいの娯楽を僕らにたたきつけてくれた時代です。
 その映画からワザを盗んで(決して映画的な表現になってる、とか言う意味でなく)、人を楽しませるテクニックを磨いていたゲーム。僕は映画もゲームも好きでしたが、その順列で言うとゲームは本当に恋人。映画はそのお姉さんにあたる、敬意入り混じる憧れの存在だったのです。
 そんな話はさておいて。
 その意味で映画ブームがあるのは僕の中でよくあることです。近所のTSUTAYAに行ってはレンタル、購入とがさがさとあさりまくる毎日です。
 特に今は80~90年代映画ブーム、久々に見るものや、当時見そびれたものをまとめて借りこんでいます。ここ2週間で見たものから面白かったものを抜粋すると・・・
 ダークナイト、攻殻機動隊、ファイトクラブ、レザボアドッグス、マッドマックス、ダークマン、3-4×10月、タワーリングインフェルノ、タクシードライバー、炎のランナー、兵隊やくざ、網走番外地、広島の抗争、麻雀放浪記 etcetc・・・。
 
 並べるだけでも偏ってるのがお分かりかと思いますが、そうです、今日の本題。「僕はろくでなしオトコが登場する映画が大好き」なのです。今日はろくでなしについて大いに語りたかったのです。
 が、あまりにも前文だけで長文になってしまったので、本題はまた後ほど。
 ちなみにやくざ映画だからってろくでなしオトコが出てる訳じゃないぞ。おやくざさんとろくでなしは全く別次元でのオトコの在り方です。
 今一番僕が惚れ込んでいるろくでなしは鹿賀丈史演じる”ドサ健”。後日また暑苦しく滔滔と語ります。

人生で最も大切なのは人との関わりだ。

以前、会社の仲間がブログに
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「アンヴィル」をDVDで観たよ。
泣いた。
これは泣くよ。
泣かざるをえない。
日本人は全員みるべきだと思った。
みんな観るんだ。
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(以上引用)
 と書いていたから、ほう、どんなものかと思いレンタルしてきました。

泣いた。
コレは泣くよ。号泣する。
年の数だけ余計に泣ける。
これがリアルだ。リアルドキュメンタリーだ。
真実かカメラ前の演技かなんて関係ない。
彼らがリアルなのだ。
みんな観るんだ。特に日本人は。
純粋でいい人で夢を追う少年のような僕はこういう話に弱いのです。
批判・反論は一切受け付けない。

映画三昧

 最近は映画三昧です。映画というかDVD三昧なのですが。
 もともと、映画好きでした。
 88~91年(中学~高校時代)は映画館通いが趣味で、帰ってからも麻雀レンタルビデオ三昧の幸せな日々でした。父親がまた映画好きだったもので、一緒にレンタルビデオ屋にいっては一緒に映画を借りて、閲覧する日々でした。
 
 それが高じてか大学卒業時に映像制作会社なんてところに入ってからがまあ運のつきで、転がるように映像無間地獄に入ってしまい、仕事三昧すなわち映画を見る癖がどっかにすっ飛んでってしまいました。ようするに自宅で映画見なくなっちゃったんですね。
 ただ、映像そのものについては、おかげさまでこれで糊口をしのげるようにさせていただいている関係もあり、これからもずっと付き合っていきたい媒体でもあります。そのため、いつも意識には「映画を見なければ。勉強しなければ。」という焦りがありました。
 それがこの10年あたり、心持としてよくなかったみたいで、焦って、映像屋なのだから映画の知識を身につけなければ、と思えば思うほど見ることができなく、頭でっかちになってたんですね。おかげでどんどん映画の世界から取り残されて、何も見られない日々をずっと過ごしていました。
 が、最近、ちょっと夜に時間が取れることもあり、のんびりと映画でも見てみよう、という気持ちになりまして。そのときに、「見てない作品をたくさん吸収しないと」という気持ちから「昔好きだった映画、昔見てた映画をもう一度楽しもうか」と考えまして。
 そう思って映画を見始めると、ノスタルジーの力か、その当時面白かった映画はやはり面白いのか、どんどん惹きこまれました。
 この歳になって、もう一度映画を楽しむことを思い出したのです。
 まあ、一過性かもしれないけど、楽しめるときは楽しもうじゃないか。
 それほど心震えない作品を見たとしても損をしたと思わない、楽しく映画を浴びることができる心持です。(ただしカブキマンを除く。)
 そんなわけで、ココのところ、映画三昧の日々を過ごしてます。しかも、古いのばかり。名作とか関係なし。好きなものを好きなだけ。
 と思っていろいろ借りたり買ったりしてたら、恐ろしいほどに「狂気悪役」や「ディストピア物」ばかりになりました。解り易いクレイジー大好き。どれだけ人格破綻してるのだ。
・バットマン
・時計じかけのオレンジ
・未来世紀ブラジル
・バトルランナー
・カッコーの巣の上で
・フルメタルジャケット
・デーブ
・トータルリコール
・エボリューション
・ブレードランナー
・デトロイト・メタル・シティ
 その他その他・・・。
 とりあえず昨日の僕の夢の中ではジョーカーとアレックスがお互い楽しそうにバイオレンスを振るい続けてました。変なストレス溜まってるんでしょうか。
 そんな趣味が高じ、引篭もりに熱が入っております。おかげさまで本日、BlueRayマッシーンを入手しました。これからバリバリ活躍してもらう予定です。
 最初に見る映画は「ダークナイト」と決めてます。ジョーカー様万歳。
 前にも貼ったけど、やっぱり好きなこのシーン。

 そして、同じく僕の心に残るシーン、というか、最低最悪に素晴らしいシーン
 Youtubeから埋め込めないようなので、そのままリンクで
 
 【時計じかけのオレンジ】卑劣極まりない暴君アレックス様
 【時計じかけのオレンジ】凶暴アレックス様の真骨頂「雨に歌えば」
 いや、これ、別途日記に書く予定ですが、最近見た映画の中で最も衝撃を受けたのがこの「時計じかけのオレンジ」です。若い頃に見たときとは全然違うインパクト。というか、若い頃はあまりの残虐さに途中で止めてしまったのだと思う、たぶん。今はいろいろコナれて大人になってしまったので、腐臭のする現実からも目を背けなくなりました。その体力をもってこの策品を拝観したら、思わず、感動。3日連続で3回観てしまいました。毎日アレックス様に会いたくて仕方が無い身体なのです。
 BlueRayを買ったのも、アバターのためでもなく、トランスフォーマーのためでもなく、純粋に美しいジョーカー様とアレックス様に会いたいがためです。ええ。
 ただ、言っておきたいのは、僕は悪役が好きな訳ではないのです。
 人としての生き方に嘘偽り無い人が好きなのです。生々しく、でも無邪気に、軽やかに。それが例え社会や通念に反していたとしても。
 この嗜好の話をすると僕は社会から抹殺されるので話を戻します。
 僕に映画の面白さを思い出させてくれたのも、この「時計じかけのオレンジ」です。コレを見て「映画って素晴らしい!」と水野晴夫ばりに興奮してしまったのです。
 いや、まあ、うん、本当になんかストレス溜まってるのかもしれない。
 そして僕が今日読んだ小説はオーウェルの「1984年」。
 どこまで未来に退廃を望んでいるのだ。

AVATAR

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AVATAR、見てきました。@川崎 ラゾーナ。
 仮にも映像でメシを食ってた時期があるモノとして、いろんな感慨に浸る経験でした。
 以下、ネタばれあります。まだ見てない方はご注意を。
【アメリカの映画として】
 ストーリーの中で、非常に印象に残ったのが、「先住民の勝利と人類の敗北」ということ。
 これ、アメリカ映画としては非常に珍しいことじゃないでしょうか。
 言うまでも無く、アメリカは開拓の国。インディアンから湾岸・イラク戦争まで、常に自らが攻め、開拓することを是としてきたように思います。
 映画にもその風潮は顕著であり、視聴者の同胞(基本的にはアメリカ人、または人類)が攻めて勝つ、あるいは宇宙人から守り抜いて勝つ。という流れを外れることがほとんど無かったように思われます。異邦である先住民に、(ストーリー上、先住民に感情移入させるようにはなってますが)視聴者の同胞である人類が攻めきれずにに撤退する、というのは、アメリカの思想に大きな変化が現れていると感じます。
 自らが先住民として、テロというエイリアンに打ち勝つことを意識しているのか、はたまたエコに目覚め、開拓精神を見直しているのか・・・。
 映像美と3Dに対しての感想が多いこの映画ですが、ストーリー自体に大きな変革を感じます。
【IMAX】
 もう、本当に過去の話になってしまいましたが、僕はIMAXとは10年以上の付き合いがあります。
とはいえ、IMAXの映画を見たのも10年ぶりなのですが。どっちだよ。
 旧知の友人はご存知ですが、97~99年に勤めていた映像制作会社はそれこそ特殊映像、3D映像の専門会社でした。社費でサンフランシスコのエクスプロラトリアムに出張させてもらったり、実際のIMAXを体験させてもらったりなど、数多くの経験をさせてもらいました。
 その会社がナショナルジオグラフィックの総代理店でもあったことから、映像美、自然美を追求した上映方法を模索し、IMAXの技術向上をずっとリアルタイムで追いかけていました。
 当時はCGの技術が高くなかったこともあり、実写での表現しか念頭においてませんでしたが、いまやCGでも充分当時のIMAXをしのぐ映像が作れるのですね。その事にまず感動です。
 当時僕が担当していたのはナショジオの北極海の映像や南米の密林映像を博物館ベースに大画面(IMAX含む)仕立てにすることでした。
 余談ですが、IMAX含む大型映像は、撮影にも上映にも箱を作ること自体にも馬鹿みたいに予算がかかることから、大手ゼネコンが引き受ける博物館、展示館案件の、且つ大手内装業者※が一時下請けになり、その下でしか作れない、制作側からすると「垂涎の案件」でした。
※-博物館等の展示物は、国・公共からゼネコンに案件が投げられ、ゼネコンが建造物を作る中、展示物は内装業者が一括して引き受け(大手だと●青社・●村工芸社)、その下で映像制作会社や企画会社が各作品を作る、と言う仕組みになってました。(90年代は)
 自然界の迫力あるドキュメンタリーを伝えるには大型ビジョンが最適、と言う状況でもあったので、いかなる上映手法をとるか、まずはコンテンツありきでいろいろ案件を作っていた記憶があります。
 で、今回のAVATAR。(前置き長いな)
 技術が先かストーリーが先かは詳しくありませんが、やはりIMAXの表現技法を余すところ無く伝えるコンテンツは、大きな視野での自然映像なんだな、と思いました。監督が何を思ってこの自然映像を(CGであったとしても)演出したのか、そしてこの上映方法を選んだのか・・・全て繋がっているのでしょうね。
 そして、人間はやはりスケールの大きなものに感動する。大きいことはいいことだ。
 次の上映予定が「オーシャンズ」でもあることからも、映像表現手法の流行がまた改めて巨大スケールのドキュメンタリー(自然界や宇宙、深海など)に戻ってきたように思います。netやワンセグと劇場映画すみわけ、と言う意味でも、このスケール感は大事にして欲しいと願います。
 でも・・・この分野(自然ドキュメンタリー)ではアメリカカナダイギリスがまだまだ強いのですよね・・・。日本頑張れ。
【立体めがねの集団】
 今回、3D映像のシアターで観劇しました。
 川崎の上映はメガネを通しての3Fだったのですが・・・
 今回、川崎のシアターは通路が前方に延びており、スクリーン手前から自分の席に移動する形の会場でした。僕は少し遅れて映画館に入場したのですが、スクリーン手前から自分の席に移動する際、どうしても観客と対面する形になります。
 全員統一された大型メガネをかけた集団と相対峙する僕。
 正直びびりました。何かの宗教集団みたいだった。
【惑星パンドラ】
 非常に美しい自然映像。CGで創られた、とはいえ、実写にしか見えない。
でも、個人的に思ったこと。
 あれ、富山県じゃないの?
 うちの実家から車で20分ほどで惑星パンドラそのものな場所につきます。
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 面白かったですよ。このほかにもまだまだ語りたいことが沢山ありますので、コレ読んだ人今度のみに行きましょう。

ロボッツ

 昨日は仕事で映画の試写会へ。


 「ロボッツ」というアニメ作品なのだが、やー、面白かったです。


 僕は最近(というかここ10年くらい)ほとんど映画を見なくなってしまいましたね。特に映像業界にちょっと足を突っ込み始めたころから。いかんいかん。映像やってるのならなおさら見なきゃいけないじゃないか、と思うのですが、残念ながら眠くなってしまうのですね。スクリーン見ると眠くなる病にかかってから、映画館なんて年に2,3度行くくらいになってしまいましたね。


 その昔、高校時代は毎週映画館に通ってました。毎週木曜日は映画の日、とか勝手に決めて、学校帰りに自転車でチャリチャリ行ってたんだよな。


 まだ富山県高岡市にも、いくつか映画館が残ってたころでしたね。東洋ローズとか大和の隣とか…それでも市内に3館か4館しかないから、2本立てで月に8本も見るともう市内の映画を全部制覇してまた次のタームを待つような状態でしたね。毎月市内の映画を全制覇、てな感じで(たまには学校サボって)行ってました。


 丁度そのころやっていたのは「トータルリコール」「三国志」「ゴースト」「メジャーリーグ」「オペラ座の怪人」…あんまりビッグネームが無いな。


 でも名作珍作奇作に関わらず、数多く見たのは今となって財産です。とにかく数多くの作品を見る、と言うのはモノを作るうえで一番大事なことと今も信じてます。無論、生きていくうえでもね。高校時代に学校サボって家で本読んだり映画見たりしてたのは、むしろ勉強するよりも今の自分の役に立ってる気がするなぁ。


 なんてことを思ったのは、今回の20世紀フォックスの試写会室が、スケールといい会場の雰囲気といい、今はつぶれた高岡の東映シネマにそっくりだったからなんだよね。150人入れば満杯の会場、あまり大きくないスクリーン、さびれ具合(試写会室なのだからさびれている訳無いのだが)…なんか高校時代を思い出してしまいました。


 で、本題の「ロボッツ」の話が全然でてきませんね。はい、ごめんなさい。