ゲゼルシャフトとゲマインシャフト

「ゲゼルシャフト」と「ゲマインシャフト」と云う言葉がある。
簡単にまとめると「ゲゼルシャフト=機能体組織、利益社会(企業など)」「ゲマインシャフト=共同体組織(血縁、地縁、友情)」と呼ばれるが、この分類が変貌していると感じる。
例えば僕が前にいた企業の大学院。スタッフは学生や教授と、共に「良い日本を作り上げるための共同体」として「ゲマインシャフト」的有機体を築いていた。それこそ、SNSやTwitterというツールが氾濫する現在、人と人のコミュニティとして、人間相談から起業相談まであらゆる関係性をもって接していた。そこでは「事務局」「教授」「学生」という役割ではなく、「人間」と「人間」だった。だからこそ、そこに魅力が生まれていた。その根源は「人としての決め細やかな対応」。大手や利益追求型社会では成し得ない、ブランディングされた環境がそこにあった。
今、上海や北京と共に仕事をしてみて。海の向こうでは「利益」や「良いサービス」といった事では判断しない。もっと深い、地縁や血縁、面子に対して敬意を払わないとビジネスが成立しない。やはり思うところは「ゲマインシャフト」的有機体、いわば「ファミリーとしての組織」がゲゼルシャフトを圧倒して国際社会を侵食しているという事。これをトレンド、一過性のものと言って良いのかどうか解らないけれど、人は今「共同型社会」を求めていると感じる。人間は何の為に働くか、といった根源的理由もそこに包括されている。
と、ヤヤコしく考えてみましたが、要するに最近は土居健郎と九鬼周造に傾倒していると言う事です。更にそこに中国ビジネスを考える環境や、地元の青年団の地縁、祖父の七回忌などをによる親族関係が乗っかってきた事で、「機能としてではなく、人間としての関係性」や「共同体」の重要性をしみじみと感じていますよ、と云うことです。おわり。

ココ最近の活動

相変わらずアクティブに生きてます。寝るのさえアクティブ。引き篭もり方も超アクティブ。布団でキリモミしながら将棋ウォーズやったり、布団相手にキン肉ドライバーをかける練習を1時間近く実行するくらいにアクティブ。こんな40歳の60日前。色々もう駄目だ。大人として駄目だ。人としても駄目だ。
【撮影現場入って来ました】

金曜夜にFacebookメッセージが届いた。
「ダメもとで質問!
来週月と火空いてませぬか?
WEBーCMの撮影なのですが演出部が1人になってしまいまして。。(原文ママ)」

あのな、僕はサラリーマンなのだ。品行方正なサラリーマンな訳だ。
その僕が、その僕がだ。月曜日と火曜日という全うな出勤日にだ、身体が空いてる訳がない。しかも来週月曜って、かなりタイトな依頼じゃないか。なめてんのか。もう長い付き合いだろう。いい加減気づいてもらえないものか。
というわけで僕の返答。
「あー、ごめん。火曜日だけなら動けるわー。」
偶然にも土曜出勤の代休となっていた本日。親友であり尊敬する監督から声を掛けてもらい、撮影現場に入ってきました。もちろん、サブワーク等ではなく純然たる身内手伝いなのですが・・・とはいえ、現場では真剣です。
ここ8年くらいを振り返るに、僕にとっての映像は、仕事とは別のライフワークの一つです(後は祭りとか中国語とか)。いわば「我が身の供養」に他なりません。近所の神社を掃除したり、御墓参りをするような。信頼する人、尊敬する人から声が掛かれば、感謝しながら、時間と身体の許す限り、応えたいと思っています。
撮影現場、好きなんです。あの緊張感。制作する内容に対して厳しい注文。音効、カメラ、キャスト、それぞれのプロ意識のぶつかり合い。そこに僕も一人のプロとして参加できることが何よりも僕のプライドになるのです。(といっても今回助監督という名の下っ端ですが)
いや、元来、気配りできない・空気読めない僕みたいな人間が助監督に向いてる訳がないのですよ。しかも若手ならまだまだ伸びシロもあるだろうに、この年になってしまったら使い勝手も悪かろうに。それでも使ってくれる監督(タカシバリュウイチ氏)が居てくれるのは本当にありがたい。できる限り、プロの中で、皆さんが仕事しやすい環境を作る補佐役として立ち回ろうと頑張ってきました。
今でも、声をかけてもらい、現場に立ち会えるのは、本当に嬉しい限りなのです。現場の緊張感、様々なプロフェッショナルのぶつかり合い、皆で良いものを作ろうとするその崇高さ。もちろん、日々も一生懸命生きているのですが、時にこういう別ベクトルから真剣勝負の場に参加する事で、自分の身を引き締めるのです。今でも、様々な事を学んでいます。10年以上前、新卒・プロダクション時代に身体で覚えた事を、もう一度思い出しています。
映像に関して、ひたすら編集側としてのスキルを積んでは来ており、そちらは少々ながらお仕事として皆さんのお役立てになれる力は着けてきたかと思っております(本当に、わずかながら)。
しかしながら、映像において編集は作業の一部。プリプロから制作・そしてメインとなる撮影、そのあたりを全く無視して編集ばかりやるわけにはいかないのです。
「撮影現場を知らない(カメラを操れない)編集屋」というのは僕の中の大きなコンプレックスでした。
もちろん、カメラマンとして独り立ちできるレベルには到底立てないのですが、7DやV1Jといった自分の機材を買って、練習をし、また今回のようにプロの撮影現場に立ち会わせてもらうことで、また一層、僕は学びを深くするのです。
もちろん、この年から演出補佐(助監督)として身を立てるつもりではありませんが、お役にたてる限り、僕の力を使ってもらいたいし、声を掛けてもらえる限りは全力を尽くします。そして、そこで身につけた現場感と人脈を、また別のところで活かしていけるようにしていきます。
http://instagram.com/p/eIBQIChKxT/
2枚目の写真は1年振りに活躍してくれた我が演出補佐セット(今回は結局カチンコ要らずでした)。撮影現場だけは、僕はカツラを被らずにキャップを被るのです。
【反面、編集に関しては・・・】
映像を編集していて、いつも吐き気がするような苦しい気分に襲われる。自分の才能の無さはもちろんとして、どうレイアウトすれば良いのか、画選びは正しいか、フォントは、編集点は、モーションは・・・どれ一つとして納得できずイライラしてしまう。
ふと、3年前の4月に、自分で作った友人の結婚式の映像を見た。僕の技術は今より稚拙だが、本当に真剣に、徹底して作りこんだ時の事を思い出して、少しイライラが落ち着いた。スタンスとしては「思い入れなんて幻想であり、経験を重ねた技術と構造化された知識こそが全てを作る」と信じているのだけど、自分で精一杯気持ちを込めた作品には、自分が立ち帰るヒントがあるようです。
さゆりさんとひろたかさんにまた救われました。ありがとう。
そんなこんなで、アクティブに映像三昧な毎日です。

September

ぱーでぃやー。せいどぅーゆーりーめんばー。
ぱーでぃやー。だんしんいんせぷてーんばー。
ぱーでぃやー。ねーばーわずざくらーうでぃでえー。
モーリス様とフィリップ様のファルセットに魅せられて進む月。セプテンバー。
 そっかー。もう9月なんだー。去年の今頃は、あんなことやったりあんな事やったりしてたなー。
・・・ほんとだ。去年と今で、仕事の内容も、私生活も、様々なものが変わってる。
(去年も同じ事書いたけど、今年も同じだ。会社も違えば済む場所も違う。変わらないのは心を許した仲間達と家族一族。何が大事か、改めて思い知らされる。)
 ま、それはともあれ、本当に
My thought with you. Holding hands with your heart to see you.
Only blue talk and love, Remember the true love we share today.
でありますように。僕の周りのみんなも含めてね。
 とにかく、9月は良い月だ。過ごしやすいし、酒は美味いし。
 Happyにいきましょ。うん。
 素敵な月夜くらい、みんなの幸せを願ってみてもいいよね。
 Earth Wind & Fireの曲を聴きながら・・・。
原文:
Ba de ya- say do you remember
Ba de ya- dancin’ in September
Ba de ya- never was a cloudy day
  September/Earth Wind & Fire
明日は始業式だね。学校関連、その他夏休みだった人、頑張ってね。
・・・
 9月1日は、14年間ずっとおんなじ日記。
2000年/一年目
2001年/二年目
2002年/三年目
2003年/四年目
2004年/五年目
2005年/六年目
2006年/七年目
2007年/八年目
2008年/九年目
2009年/十年目
2010年/十一年目
2011年/十二年目
2012年/十三年目
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 14年こうやって書き続けていると、世の中の動きも自分の動きも、ある程度は波が見えてくる。継続記述の効果がここにある。自分の主観とはいえ、人様に見せる形で自分の置かれている環境、心情、社会情勢を記載しておくと、その当時の自分の感覚がすぐさま引き出せるようになっている。
 まあまあ、そんな難しい話はおいといて、今年もようやく今日から9月。Happyに行きましょう!