大家族の一員むしろ末っ子

この連休は(僕は年中休みとも言えるが)10年来の友人宅に泊り込んで酒浸り飯浸りでした。(一応子供たちの顔は安全上 伏せ気味にアップ)
富山から酒肴を送ってもらい、みんなでつまみながらバスペールエールor森伊蔵。終電帰宅組を見送って、僕らは深夜の語り飲み&子供部屋で雑魚寝。
大学時代における多人数生活の忘れ形見か、その昔の実家=学習塾時代の大家族生活の望郷か、とにかく、親戚が集まったような大家族生活は僕の原風景なのです。ようするに寂しいの嫌いです。こういうの好きです。寮生活も苦にならないタイプです。
翌日に玄関でビールを飲みながら子供たちのプールを監視しているときに、涼しい風が吹いてきて「ああ、幸せとはコレなのだなぁ」と独りごちてました。
自由とは、家族とは、子供たちとは、仲間とは。
僕は社会とこういう形で繋がっていて、そして明らかに価値を生み出す基盤にしている、ということの重要性。僕は、そして僕らはまだまだ大丈夫なのでした。

父がネットに殴りこみ

Facebookに父親が登場しました。
僕の注意欠陥多動性を更にパワーアップし(本人公認)、世界におもねらず自ら知と道を人の100倍のスピードで開拓する通称「スーパージジイ(塾生談)」です。後片付けが大変なパターンです。
そもそも60代にしてiPadからLineで高校生に数学を教えながら、毎日Youtubeに動画をアップし、Facebookを更新する男が居るだろうか。
今は隠居前に、ICTを活用した新時代のEdTech(石川県版)を作ろうと奮闘中です。
60代の操るLINE、動画、ビジネス展開をご覧になりたい方は是非お友達申請してください。
(受けるかどうかは解らないけど・・・僕の友人ならほぼ大丈夫でしょう)
そしていつの間にか友人数も激増している。
「あれ、お父さん、僕の友達の●●さん知り合いだったっけ」
「いや、知らん。お前の友達に何か知ってそうな顔がいたから友人申請出した」
・・・そういう人です。
資本主義と権力が大嫌いな父。
Lineの文面に
「これで資本の暴力から逃れられる」
「マルクスが言っていた国家の収奪が(略)」
「我々が資本主義に生きる中において労働とは(略)」
僕のLine上で学生運動が始まりました。
会社や警察にもすぐ殴りこんでくる(それが大企業だとなお盛り上がる)気質ももち、
息子や孫達に何かあれば後先考えず喧嘩をはじめる頼もしい(一族以外にははた迷惑な)
おじい様です。みんなに愛されています。
喧嘩好きな気質は僕に。会社に殴りこむ気質は妻に受け継がれています(血のつながりはありません)。
因みにうちの祖母も祖父の会社に「お前なにさせとるんじゃ」と殴りこんだそうです。
もう、これは血だ。血でしかない。そして妻よお前の血はどこからきた。
こんなスーパージジイを皆様よろしくお願いいたします。
なんだかんだ言ってますけど、塾生も家族も皆大好きです。
本人は今孫にメロメロになってますけど・・・
そして昨日は「インスタグラム始めました」と連絡が来た・・・父よ、どこまでいくのだ。

富山帰省201401


ちょっと、富山に戻ってました。ええ、新春のご挨拶です。これまで挨拶を疎かにしていたことがどれだけ僕を不義理者にさせてたか。いかんですよ。ええ、もう40だし。本当にこのままの大人ではいかん。信頼と実績の山本でございます。
実家に帰り、ちょっとふらっと街中を散歩に。

北陸の冬は形容し難い。たとえ雪が少ない年だとしても。空が低い。稜線が高い。冬という季節に対して想う景色は異質だ。ここで育ったのである。そして僕らが中学生時代から存在している小矢部川沿いの「ホテルセピア」は今宵も営業しているのであった。

雪が無い、と書いた三時間後に、もう積もった。もうやだこの国。

冬の富山の良いところ。味覚の満足度に敵う場所無し。氷見の寒ブリ大トロ、とり味噌鍋、能登の米、昆布締め、エトセトラ。実家へのご挨拶のつもりが、もてなされてしまった。弟夫婦も交えて、大きな家族と大きな料理。来月にはもう一人増える予定だしね。

その翌日。お店には出てこない富山家庭料理。昨晩残った鰤の刺身と、鯛の切り身を一晩醤油と日本 酒に漬け込みほぐしたもの、更に山椒を加えてお茶漬けに。

関東、千葉に移り住んで14年。ふとした時に覚える違和感は「山脈が無い」こと。富山の全域は立山連峰に見守られ、それこそ富山の自然環境から食生活、天候の全てまで立山の思し召しで創り上げられる。(オカルトでなく、地勢的にそうならざるを得ないのだが)その意識は、もはや「立山信仰」としてwikipediaに載るレベル。それ故に「背に山脈が居ない、護られていない」と感じる心細さもまた一入な訳で。 今日は天気も良く、一連の山々が姿を見せてくれました。そのうちに、また登山したいですね。雄山神社に向かうあのルートで。

そんなこんなで、年始のご挨拶、実家に戻って居りました。今回、ばたばたと実家、弟夫婦へのご挨拶となり、お顔出せなかった皆様、大変失礼致しました。改めてご挨拶させて下さい。 写真は伏木神社。昨年九月にも戻れませんでしたので、今回遅い初詣となりました。 湊町の方々にも、本年改めて伺わせて頂きたく思います。今年も、宜しくお願い致します。

葉書

はがき
大学の同窓生からはがきが届いた。
大学一年の頃、ほんの少しの間だけ、同じサークルに居た。彼女はすぐにそのサークルを離れてしまったのだけど、大学時代は同じ学部という事もあり、いろいろとお世話になった。音楽の趣味が合うことからいろんなライブにも一緒に参戦しし、一緒に飲んだくれる夜もあった。
気がつけばなんだかんだと20年来の付き合いになっている。
会うのは、それこそ5年に一回とかそんなレベルなのだが。
でも、Twitterなどで時々やり取りをして、お互いの生活の空気なんかはなんとなく、感じている。
今は、TwitterやFacebookで、なかなかお会いできない方とも「緩いつながり」が保てる時代になってきた。
それはそれで本当に嬉しい、ありがたい事なんだけど、時にふとアナログな葉書、書簡をもらうと、また違った風通しを感じる。
葉書を書いてくれているとき、何を思っていたのか。何を伝えてくれようとしていたのか。行間から感じ取る時間がとても心地良い。デジタルではそぎ落とされた機微も、そこには存在する。
初めてあった頃は、将来の夢を語り合っていた。それがいつの間にか、話題は職場の事、結婚の事、子育ての事、介護の事とフォーカスが年相応に移り変わってきた。お互いに積み重ねたこの二十年という時間、共感は、本当に貴重な財産だと思う。
また、会える日が有ると嬉しい。
今度会える日はいつなのだろうか。

加越能って通じる言葉ですか?

 加越能って、標準語じゃないんですね。
 富山県民として、至極当たり前の言葉だと思ってましたが、関東では通じないことにびっくりしました。
 加越能=加賀・越中・能登の総称です。
 富山~石川県には、加越能鉄道や加越能バスが走っており、密着しすぎて当たり前すぎる言葉になってました。
 で、今日のアマゾンからのお買い物
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 いや、今日もまた何十冊と馬鹿買いしているのですが、その中で真っ先に封を開けて読んだのがこちらです。
 なんとまあ僕のニーズに合致した本であることか。
 むしろ僕以外の誰に合致する本なのか。
 見つけて即購入。と同時に品切れ。僕に購入される運命にあった本でした。
 富山~石川は曳山が盛んであり、その盛んっぷりったらもう言うまでもなく僕の口をふさぎに来るかの如く烈火の如く僕はしゃべり続けます。
 お金持ちになった後の僕のライフワークは民俗学であり文化人類学であり祭りの研究であります。50を超えたら再度大学に編入し、この世界に没頭したいがごとく今がんばっているのです。
 ただ、この手の書物は(この本はまだ一般向けに演出された本ですが)ニーズも供給も本当に少ない世界であり、一般に過ごしているとほとんど手に入ることがなく、個人研究にはフィールドワークと口伝を調べるほかないのであります。または地方に点在する曳山資料館を虱潰しにまわるとか。(もちろん行きまくるつもりですが)
 そんなわけで、こういう本は見つけた瞬間に購入なのです。
 しかし、正直言って、この手の本は非常に高い
 先日も大手町の丸善で日本の曳山研究書を見つけたのですが、一冊14,800円という値札に非常に躊躇してしまいました。
 財布の都合上、なくなく今月は購入を見合わせ。。。(たぶん来月購入します)
 曳山を調べるには、その場所に行くことももちろんですが、ちゃんと文献を調べることも大事です。
 そのうち研究資料サイトも作ろうかしら。
 そして本の内容を全く説明することなく今日のブログを終わります。
 え、聞きたい?
 いいですよー。“安永の曳山騒動”や“祇園からの発展の系譜”や”山車文化圏”などのテーマについて、それぞれ一晩づつ語りますよ。ぜひ聞いてください。

北陸と能登

ちょえええええええええええええええええええ。
僕的大事件。僕の行動範囲を変える一大センセーショナルスクープです。
Links to 富山新聞「北陸・能登」さようなら
 まあ、鉄道に詳しい方なら有名な記事かもしれません。今年の3月13日をもって上野-金沢間を結ぶ寝台特急2本が同時に廃止となったのです。
 これをもって我が愛郷・富山へ行く寝台列車はなくなりました。夜移動するなら深夜バスのみです。
 いや、そりゃね、僕はあまり鉄道には詳しくないし、日々の人生にそれほど大きな影響を与えるわけではないのですが、
 とはいえ、実家に帰るときに寝台、よく使ってたんですよ。
 去年も5月14日、学校で21時まで授業があり、その後朝からけんかやまに参加するというスケジュールがあったのですが、寝台特急北陸号があったからこそ授業と祭りのどちらにも義理を欠かさず参加することができました。まさかあれがラスト乗車になろうとは。
 それほど多くは無いですが、年に2回は寝台特急で帰省していたのです。
 どこでもお休み3秒の僕ですので、睡眠中に移動できるというのがとてもリーズナブルに感じてたんですね。更には、新幹線と違って、慣れ親しんだ実家帰省でも旅行気分が味わえる、というのも楽しみでした。
 ブルートレイン、て響きも好きでした。
 夜の23時に上野駅から電車に乗り込み、個室内でビールを空けながら雑誌に目を通し、そのままたゆたうように寝に落ちる・・・気がつけば北陸・富山の地。この旅行を経験することがもう二度とできないのですね。残念無念。
 大学の受験をしたときも、親に結婚の挨拶に行ったときも、祭りに参加するときも、大事なポイントではいつもこの寝台特急を使ってた気がします。初めて乗ってから20年近く。いろいろお世話になりました。。。
 そしてこの北陸行き寝台特急・急行で思い出すことがどうしてもひとつ。
 僕は今でも相変わらず貧乏生活を続けていますが、そんな僕にも更なる極貧時代が2度ほどありまして。一度は2000年、もう一度は2002年。山本輔的年表では「ブラックマンデー大恐慌」と呼ばれている時代です。今名づけました。
 どうして落ちぶれていたのか、という詳細な説明はさておき、2002年当時、僕は東京の会社に勤めながらも、実家で興した事業の後始末をしなければならず、夫婦仲は最悪、借金も数百万でこさえておりました。
 なんとか週末だけでも地元に戻って義理を果たさねばならず、なけなしのお金で急行能登号(何枚か綴りで購入しておくと深夜バスより安かったのです。)で地元に帰るところでした。
 (ちなみに急行能登号は、夜発~朝着の電車ですが、椅子席しかなく、コスト的には非常に安い列車でした)
 当時財布に入ってたお金は20円。食事は昼に食べた食パンのみ。
 かみさんとの険悪な関係上、家にも帰れず、だからといってどこにも行けず、ただ上野でぽつんと3時間ほど電車を待つばかり。缶コーヒーすら買えない。
 寒かった夜の上野駅ベンチ、空腹と20円と切符を握り締めて列車を待つのは本当に堪えました。
 いや、本当にこれ辛いというか、人生絶望を感じましたよ。
 夫婦仲と金と食べ物は、どれも比類なく大事ですよ、ええ。
 嫁がいようが仕事があろうが浮浪することもある、と知った29歳時代。そのときに得た真理です。
 今もあまり変わってないとか言うな。
 話がそれましたが、そんな思い出を乗せて走った急行能登号、寝台特急北陸号、いろいろありがとうございました。

Big Week

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今週一週間は非常に大きな一週間でした。
 デジタルハリウッド大同窓会~一泊二日帰省~W大合唱団四十期生大同窓会~かみさんの誕生日。と。
 過去形じゃなく、今まさに、本日まさに誕生日なのだが。
 まあそれはそれとして。
 ちょっと自分の中も剥き出しになってたようで、琴線もうごきまくり、感じることも多々ある一週間でした。とはいえ何か決断したわけじゃありません。「よし!こうしよう!」なんて決めたことは大体空虚に終わるのだけど、じわじわと染み込んだ事はいつも自分の糧になります。なので、「この一週間でこう感じました」なんて言わない。だけど、きっとこのあわただしい4~5日の中で、一度でも自分の生き方が変わったんじゃないかな、と思います。ずっと進んだとき、この1度が大きな差になります。上とか下じゃなくってね。
向上心、なんて奴は持ち合わせていないのですよ。あいにくね。
 とにかく、家族、友人、会社、それぞれが一同に会するイベントが重なったので、大事にするべきものが何か見えてきました。詳細はまた後日!
(写真は実家に戻ったときの極寒の駅。この時期はいつもこんなものだ)

実家から

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しゃぶしゃぶ肉が届いた。
切る前に撮影。というかこのまま食べたい。
 相変わらず富山県から美味いものを調達してはおいしい生活を続けるわが家庭。
 僕の毛が抜けきらない理由はひとえに日本海の幸にあります。魚に限らず、なんでも美味いのよ。
 とはいえ、富山のしゃぶしゃぶといえば、名物は「鰤しゃぶ」。鰤の身でおこなうしゃぶしゃぶがまた絶品。て、食べたこと無いんだけどさ。地元の名物料理ってあんまり食べないよね。

戻ってきましたよ。

カノン

 帰郷しておりましたが、本日上京してまいりました。

 親戚一同とも会して、無事みんなで祖母を見送ることが出来たかな、と思ってます。

 それにしても、冠婚葬祭は大変だね。

 僕の美徳観念では、どうしてもこの類のことを蔑ろにはできなくて、きっちりしないと気が済みません。いや、僕の気が済もうが済まなかろうが、きっちりして当たり前なのですがね。

 いつ何が起きても、ちゃんとその場を礼節をもって仕切れること。経済的な面も含めてね。

 将来、主としてちゃんとするためにはやはり畳三十畳くらいにぶち抜ける広間がある一軒家を持たなければ。床の間をもっておかなければ。紋付袴を用意しておかなければ。何億稼げばちゃんとした大人になれるのだ。こういう変な思想を持っているから鬱陶しいのです。個人主義が嫌いなのです。僕の人生は周りの皆様のために成り立っているのです。(逆もまた然り、と思っているところが僕の不遜なところです)

 冠婚葬祭は、「祭り好き」と言うこととは別にして、大人になるためにちゃんとクリアしたい礼節と考えています。

 そしてその意味で僕がまだやってないこと「結婚式」。

 そうなんです。まだ結婚式も披露宴もしてないのですよ。

 あーた10年前に披露宴したじゃないですか。と言われる方もいるかと思いますが、あれは富山の親戚筋だけに面通しした形で、新婦のご友人方々と、私の友人方々にまだ披露してないのが心残りなのです。あ、でも数人の友人には10年前、富山まで来ていただきました。その節は本当にありがとうございます。。。

 富山で身内の披露宴はしましたが、新婦的には決して披露宴ではないので、一度ちゃんとしなければなりません。式も挙げていないので、それもずっと気がかりでした。

 うーむ、結婚して9年目。来年あたりが目処だと思ってます。

 ああ言っちゃった。これで後戻りできない。でもなんといえばいいのだ。結婚式兼10周年パーティ、か?どんな体裁を取ればいいのだろう。皆さんご意見ください。

※写真は全く無関係な実家の愛犬 カノン