伏木曳山祭

3年ぶりに、1日の休暇をいただきました。

弊社彌榮制作は年中無休、労働基準法無視企業です。これがフリーランスの生き方です。正月もお盆もGWもありません。

そんな僕も、基本は年に一度だけお休みをいただいています。

そうです。地元富山県高岡市のお祭り「伏木曳山祭」の日だけは何があろうとお休みにしております。

この日だけは、地元に戻りお祭りのために1日を捧げるのです。

しかしなんということでしょう。2019年のお祭り以降、2020年はお祭りが延期、2021年は(県外在住者として個人的に)自粛、と相なって、僕は3年間一切無休で働き詰めることになったのです。

いや、休めばいいんだけどね。それは、ほら、僕のクライアント様様方に言うとくれ。

と、言うわけで、若干はコロナが落ち着き?、今年はお祭りが開催され。

僕は3年ぶりに伏木の街に戻り、曳山を堪能して参りました。

あいたかったよおおおおおおおおおお提灯山車!!!!

(町の「ま」にアクセント)

紫の幕かっこええやん上町!

ひっさしぶりやなあ本町!

今年も元気やな中町!

当番町頑張られじぃやま!

今年もやっさくっぞ千枚!

この変態的な気質は他の誰にも分かってもらえなくていいのです。

だけど伏木に生まれ育ったもの(もしくは僕のように祖父母に連れられて幼少期から毎年曳山を見続けていたもの)には土着のマインドとしてご理解いただけるものと思います。

いや、本当の山キチ(山車を愛する方々)は、365日山倉で面倒を見ているわけですから会いたいも何もなく、淡々と「来年の祭りのために」準備をし続ける日々を送っているものと思います。地元を出てしまった僕はその段階でもう山キチではないのです。はよ稼いで伏木に家借りないといけないな。

今年もいい祭りだった。来年までまた生きよう。

そしてやまを堪能しよう。

そう思えたらもう十分なのです。

僕はもう年齢的にも、自分が楽しむより、若手に楽しんでもらう、未来永劫続くために何ができるかを考えていかなければならない世代です。

この祭りをずっと続けていけるために。この街が繁栄していくために。

彌榮制作がこの名をつけている理由はまさにこれです。

永彌に榮える。ずっとずっと栄え続ける。

そのために何ができるか。

強いていうならば、僕の事務所の社是はこれです。

この祭りの掛け声は「いやさ、いやさ」

そう、僕の事務所「彌榮制作(いやさせいさく)」はまさにこの祭りの掛け声そのものです。

明日からも、また粛々と頑張ってまいります。

気持ちは、来年の5月に向かっています。

キリのない投稿ですが、僕はずっとこのまま生き続けて参ります。

今年の伏木曳山祭「けんかやま」

IMG_5818戻ってきたんです。充電完了して、1週間の休みを終えて、仕事場に戻ってきたんです。

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今年も祭りに参加できて、本当に良かった。明日からはまた唐突にフルスロットルな毎日です。

毎年言ってることなんだけど、今年は最高に楽しかった。いやもちろん、去年も、一昨年も、いつも楽しいのだけど、今年はまた格別だった。天気も良く、日曜開催で、更には七町がそろう記念の年と、僕のみならず皆さん気合の入った年でした。

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そして、あまりにも感極まり過ぎて、僕、今年4回も泣いてしまったんですよね。曳山引いてる最中3回と、終わってから1回。どこで泣いたかは長くなるので別で書き留めます。自分のチラシの裏にでも。

こんなに泣いたのは今年のゲストが照英さんだったからに違いないと勝手に思っています。

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と、思ったけど、今も感極まり始めたのでやっぱり書く。ちょっとだけ。本当に書くと原稿用紙50枚はいく。この話だけでご飯は20杯ほど食べられる。

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IMG_5828最初に涙が出てきたのは、昼山が終わる前、中町の5連続カーブを曲がっている最中でした。そこまでもみんな気合の入ったイヤサの掛け声をかけていたのですが、この時、全員が本当に心の底から声を出して、大合唱になった瞬間があったのです。この時に僕はダーと涙が出てきまして。もう、本当に、町内一帯で全員「やまが好き」という思いが溢れたひと時でした。

わかるか。わかりますか。幼い子供からは憧れと羨望の目線を送られ、女性からはうっとりした目で見つめられ、年配の方からは慈しみ溢れる目で眺められる、曳山という存在の凄さを。素晴らしさを。偉大さを。わからなかったら何回でも説明してやる。それがイヤなら来年見に来なさい。わかったら原稿用紙3枚で感想文提出な。

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2回目は、かっちゃの真っ最中。これは別の涙でした。

IMG_5848これは説明からして長くなるのですが、とにかく「かっちゃ(ぶつけ合い)のとき、一番前で曳山を押す係は本当に怖い」ということ。これはあれだ。肝っ玉勝負なのだ。逃げないでどこまで押せるか試されてるのだ。でも、後ろから僕の肩も力いっぱい押されてるから逃げられないのだ。そして前は見えないのだ。一瞬遅れたら圧死する。死なないにしても確実に腕か肩の骨折れる。やばい。まじやばい。こんな怖い祭りだったとは今初めて知った。その役目をやってる最中に、喉はカラカラになり涙が滲みました。命がけって冗談で言ってる場合じゃない。けんかやまって名前は伊達じゃなかった。なんでこんなことやってんやろ。なんでこんなアホなことに本気で命かけてるんだろ。ほんまにダラ(馬鹿)や。よし、来年も一番前で参加してやる。という、恐怖と度胸試しの涙でした。
なんだろう、僕はこれまで、全く興味を持ってこなかった世界ですが、F1レーサーとか、騎手とか、命を張る現場に居る方々の充実感が、ほんの少しだけ、解った気がしたのです。生きるとはかくも熱いものなのか。40超えて初めて知った(遅すぎる)。

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3回目は、夜の帳が下りた後、すべてのかっちゃが終わった後です。

IMG_5847観光客も皆帰り、シンと静まり返った中でお囃子を奏で続ける曳山とともに休憩をしている最中のことでした。

本当に、本当に、知らない人には単に気持ち悪がられると思うのですが。ええ、いいです。気持ち悪い行動だとは思うのですが。それでも仕方ない。だって好きなんだもん。

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かっちゃが終わってボロボロに傷んだ付け長手と曳山を眺めて、様々な部位を触っている時に、あまりに愛おしすぎて、抱きしめたくなっちゃったですよ。ええ、抱きしめましたよ。付け長手を。気持ち悪いって言うなら言え。

そしたら、また涙が出てきまして。

曳山は船であり海であり大地でありご神体なのだ。8トンを超えるこの巨大な曳山が悠然と、そして満身創痍の姿でたたずんでいる状況に、僕は畏怖してしまいまして。本当に、本当に感謝と、嬉しさに溢れまして。部屋もワイシャツも私もないけど切なさと愛しさと心強さに溢れる一瞬。いや、おちゃらけて書いてますけど、こんな感情に溢れたこと、ないですよ。正直、どうやって文章に落とせばいいのかさえまだ解ってないのです。解ったらもう一度書く予定です。今の段階では文章も何もかもが破綻してますが、これは僕の感情の破綻なのです。皆様ついてきてください。

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そして最後は、後吹きと呼ばれる後夜祭。祭りの翌日、後片付けも終わった後に町内みんなで宴を行ったときのことです。

なんだかんだとバタバタして、この後吹きに参加できたのは今年が初めてだったのですが、こちらも本当に貴重な宴だったのですね。翌年の総代が発表になったり、鍵の授与があったりと、本当に重大な式典であることを改めて知りました。来年からはきちんと参加します。すみません。

そして、そこでは、囃子方(笛と太鼓)によるお囃子とお神楽の演奏がありまして。

なんというのでしょう、この、囃子方という存在の大きさ、いや、僕も獅子舞で囃子方やってたので重要性はよくわかってるつもりだったのですが、本当に神事として祭りが存在できているのは、囃子方があるからに他ならないのです。お囃子っていうのは、あれです。いわゆるお祭りでいうピーヒャラピーヒャラドンドンというお祭りらしいサウンドですね。僕はこういう書き方してますが他人が「お祭りってピーヒャラするやつだろ」とか言われたら本気で怒りますが。山鹿流出陣太鼓なめんじゃねぇ。

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そして、お神楽というのはいわゆる雅楽的な、神様に捧げる曲目です。

これも説明しだすと長いのですが、お神楽は宮参りや山宿、曳き始めや曳き終わりなど大事な場面で必ず演奏されるのですね。そして、その時は必ず曳き子は鉢巻を取って頭を垂れる、というしきたりがあります。

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とりあえずそこまでの事前情報として。話を進めます。

後吹きという宴の話に戻りまして、そこで囃子方による演奏が始まったわけです。その時は、皆さんお酒飲んで談笑してる真っ最中なのですよね。

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その中で、お囃子からお神楽に曲目が切り替わった瞬間。

みんなが一斉に正座して会話を謹んで、ぴたっと演奏に耳を傾けるのです。

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お神楽!この神事の重要性を、僕はまた改めて感じまして。

その瞬間にも、また涙がこぼれたのです。お酒を飲んで慰労をしている最中でも、みんな、お神楽が流れるときちんと襟を正す。老若男女、みんなが誰に言われているわけでもなく、きちんと礼節を知っているわけです。こんな素晴らしいことってあるか!こんな素敵な世界ってあるか!

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そうなんだ。そうなんだ。お金儲けのイベントや経済活動、観光コンテンツなんかじゃないんだ。これは、伏木神社例大祭なんだ。そんな素晴らしいことに僕は参加させてもらってるんだ。今年一年、しっかり生きなければバチが当たる。本当に、そう思ったら、目が赤くなってきたのです。

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そう、これを書いてて、また身体が熱くなってきました。

今年の祭りは、いつもにも増して、最高でした。

これからまた1年、来年の山車を曳くまで、僕はまた頑張ります。

ちなみにここまで書いて、まだ見出しだけしか書いてないつもりです。本当にまだまだ書き足りません。来年まで皆さんつんだってきてください。(※-富山弁における「ついてくる」の意)

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※そんなに感きわまるくらいなら地元捨てて出ていくんじゃないこのハゲ。と言われそうですが、それはそれでまた大人の事情としていろいろあるわけですよ。祭りは僕の心の拠り所だけど、僕が世の中で価値を生み出す仕事や家族はまた別のところにもあるわけですよ。そこはまた、ほら、飲んだらお話ししましょう。

どこまでも祭り

昨日は僕のライフワーク、祭り巡り。
この季節、とりあえずカレンダーと地図を見たらどこか半径20km以内で毎日確実に獅子舞を見ることができる、というのは富山県民として当たり前の事実なのだが、どうもこっちの世界(TOKIO)では違うみたいだ。

因みに獅子舞は各地で一軒一軒家を廻って、剣持or天狗と獅子が舞う、というのがデフォルト(氷見・砺波)なのだが、この辺も説明し始めると長いので割愛。そして観光資源としてではなく神事なので、お客様がいる居ないに関わらずみんな楽しそうなのだ。そう、この楽しそうな姿が、地元民として嬉しいのだ。秋祭りは豊作・神様への御礼行事だ。

今回眺めていたのは井口本江の獅子舞。
ちょうど昨日の動画がアップされていました。
https://www.youtube.com/watch?v=lqWkQv3sh9k

(備忘録:
近辺は蓮花寺・野村と氷見型射水型が多い中、伝統的な砺波型百足獅子 / 獅子頭:井波 / 囃方に氷見伝播あり(二足的なメロディ)/ 蚊帳衆(胴幕)は朱花 /自立型飾り太鼓台及び横笛)

 

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佐原の大祭

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僕が今の様な働き方を始めた理由の一つに「日本中の祭りを好きなだけ見てまわりたい」というものがあります。
その衝動のまま、佐原市に来ています。(訂正:現在は香取市です)
今日は「佐原の大祭」です。
いや、ここの曳山がまた素晴らしいんですよ。のの字回しや手踊など、味わい深い曳山の風情があります。僕の好きな高岡市伏木曳山とはまた違った祭りの一面が見られます。
この後、夜になると、曳山が提灯を付けて川沿いを曳かれるのですが、これがまた良いんですよ。川面に映る山車の影が(中略)富山でも新湊の曳山が(中略)橋を渡るところとか(中略)熱苦しくなってきたのでやめます。熱中症対策です。
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やはり夜の祭りは格別です。
川面に浮かぶ山車の姿は本当に綺麗です。提灯に照らされた山車はどうしてこう琴線に触れるのでしょうか。僕だけでしょうか。
「上に乗ってる人形は誰?」
「ああ、あれは日本の英雄とか偉人とかや」
「英雄って?」
「君、アベンジャーズ見たか?」
「みたー」
「あれや、キャプテンアメリカとかアイアンマンとか、そういうのの日本版や」
「本当に?」
「よく見ろや、あそこに『槌』って書いてあるな。あれ、ハンマーのことや。要するにあの人形はマイティソーや」
「あれは?」
「弓持ってるやん。ホークアイや」
現地で声かけられた観光の子供さんに悪いことを教えてきました

祭りの後

祭りも終わりました。既に僕は帰京しており、平素の日常に戻ってきました。なので、お祭り狂いの語りごとはこれが最後です。(今後も発作的に始まるけど)。戻ってきたとたん仕事山積み大忙しでスイッチが切り替わってます。
その上で。冷静に振り返って。何より今年は最高に楽しかったです。縁があって四年目、顔を覚えてもらって、少しは山の近くで曳かせてもらって、車輪の近くで梶取って、こんなことさせてもらっていいんだろうか、と思える環境をつくっていただきました。
そして何より、今年は東京からゲストまでお越し頂き、プログラマーの坂本ミチロウ先生がなんと富山初上陸!この祭りを見るために!僕が熱く阿呆なことを語り続けてきた思いが伝わったのでしょうか・・・本当に嬉しいです。
 いろいろ写真も撮っていただきましたが、何よりやまの前でお神楽後、鉢巻を締めなおすシーン、夜祭曳きだし直前に自分のポジションを撮ってるときの姿など、ほとんど隠し撮りでもとっていただけたこと、(これ個人的に)すごく嬉しいのですよ。僕、これまでほとんど個人で参加してたもので、なかなか平素の姿を写真に残されることがありませんでした。蝶山車とのツーショットなんてどんなロックスターのツーショットよりも憧れてました。
 と、まあ、ミーハーな客人意識はここまで。5年目からは、本当に求められる立場をきちんとわきまえて、出来る価値をより大きく出来るように頑張りたいと考えてます。
一つは、僕がメディア媒体を通じてけんかやまを発信し、数多くの仲間たちやクリエイターを伏木にお招きすること。何かに触発されていい作品を作るきっかけとなってもらいたい。
二つは、僕自身が準備から片づけまできちんと「一年の仕事」を身につけること。
そして三つ目に、後進の育成。いうても、僕らもうおじいちゃんですから。自分がはしゃぐんじゃなくて、はしゃいでいる若者を教育して、礼節持ってはしゃがせてあげたい。そんな不遜な気持ちがわいてくるわけです。僕自身が4年目のペーペーなのですが。
何はともあれ、坂本先生御来伏木、ありがとうございました!
そして貴方がホテルに帰った途端に大雨ですよ。貴方、晴れ男だな。
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明日は祭りです。

毎年、五月は何かある。
いや、「何か重いものをもって」この時期を迎えるというのが適切だ。
12年は、健康の不安のなか(むしろ快復祝い)祭りに参加。>その後問題を解決する形で職場異動
13年は、職場の事業売却に伴う転籍問題をかかえたまま、祭りに参加。>その後問題を解決する形で転籍
14年は、将来についてを考えたまま、祭りに参加。>その後意を決して独立
曳山を曳いたら、その節々の問題が数日中に最適解で解決している。恐ろしい。オカルトでなく何かがあるのだろうけど、僕には「一年の憑き物が取れた」という感じしかありません。
そして15年。うん、職場も仕事も何の問題なし!順風満帆!強いてあげればこれからの生活をどうしよう、とか・・・(笑)。そりゃこの先は心配もあるけれど、希望も一杯です。加えて、やまが何か導きを与えてくれるのです。後28時間後!
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命の仕事

誰に依頼されるでもないのですが・・・。
今年の「伏木曳山祭」のWebサイトを更新しました。
曳山の順番にあわせてメニューを入れ替える等々、非常に細かい変更ばかりです。それでも、僕はこの細部の調整を続けたいと思っているのです。毎年祭りを楽しみにして、来訪してくれる人たちのために。
昔作ったものなので、デザイン等恥ずかしい部分は多数あります。それでも、公式サイトにリンクされたりFBと繋がったりして、いまや一日UUも多くなってきました。
僕の沽券にかけて、決して商売にはつかいませんが、今後も愛をもって育てていきます。
http://www.kenkayama.jp

秩父夜祭

こんばんは祭キチガイの山本です。今日は秩父に来ています。当たり前です。今日は秩父夜祭です。冬の花火と曳山のコラボが見られるのはココだけです。職業は祭り映像屋です。でも今日は寒すぎるのでiPhoneで撮ります。山本です。
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かれこれ15年近く、秩父夜祭を見続けています。
キッカケはとても解りやすく、26歳の頃、仕事で「秩父祭り会館」の展示映像のお仕事を引き受けて、その魅力に浸かってしまったから、です。
その当時はまだ富山に対して庵日馬連と(なんだこの誤字は。アンビバレント)な気持ちを持ち続けており、同様に祭りというものに対しても疎遠になっていた頃でした。そう、この僕でも、祭りから離れていた時期があったのですよ。今からは信じられませんが。
でも、その時に演出補として秩父夜祭の演出をサポートしたとき、いろいろと僕の中の「祭りエキス」が沸騰してまいりまして。
その翌年からかな。富山の曳山を見に、5月に戻るようになったのは。ちょうど、今のかみさんと結婚する直前直後くらいです。
秩父夜祭が、僕の祭り熱を再沸騰させてくれました。その縁が、今、僕を湊町の一員にしてくれて、またフリーランスとしても祭り映像の仕事で幅の広い(狭い?)ご案件をお願いされることも多くなってまいりました。本当に、これは感謝しかないのです。
そういうわけで、今日も夜祭観光です。行きに3時間、現地で1時間、帰り3時間。もう疲れました。そして寒い。祭りがなければ12月にこんな山奥来ません(失礼)。
でも、祭り自体は相変わらずホットホットで、僕自身もまた明日からの活力をいただきました。なんででしょうねぇ、あの囃子を聞いてると、僕はそれだけで幸せになるのです。

いよいよ祭りの季節です。

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さあ、いよいよ後一ヵ月に迫りました。伏木神社例大祭「けんかやま」。日ごろの行いに感謝して、今年も馳せ参じる予定です。皆様ありがとうございます。法被を取り出し、妻に繕いなおしてもらい、美しい姿でその日を迎えたいと思っています。
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子供の頃からの夢だった「けんかやま」に参加、山車を曳かせてもらったのは二年前。好きが高じて祭りのサイトや映像を作り始めたことがきっかけでした。
そして、山車を曳かせてもらうようになり、僕自身も大きく、良い方向に変貌する事になりまして。
・・・
一昨年、初めて曳いたときは、病み上がりにして、またそれに起因した大きな社会的試練に当たっている時でした。いわば、ある所で自分の居場所を失う危機に直面していました。でも、その時は「筋の通っていれば、邪な者には負けない」という結果で、僕は自分の居場所を取り戻せました。それが今の中国語事業へと繋がり、新しい世界を広げてくれまして。祭りに参加した日、その当日に僕の逆転復活を示す辞令が飛び出していた事、ある種の奇跡(祭りパワー)を感じています。
・・・
昨年も、この時期は一昨年以上に大きな転機を迎えていました。詳細は省きますが、転機に対しての様々な利害関係に立ち向かわないといけませんでした。この時も、祭りから頂いたエネルギーが影響していたと言わざるを得ません(この転機が二月とかだったら即折れてたでしょうね、僕)。

余りある体力と、一週間の帰省の中で取りまとめた本家一族総意の元「結果や利害などどうでも良い。最悪時の面倒は見てやるし、そもそもお前に『負け』はない喧嘩だ。遠慮せず、不誠実な対応には徹底、筋を通させなさい。なん、相手がだら言うとったらウチら全員でかちこんだる(方言・意訳不可能)」と勇気つけられ、転機に対し、最も納得のいく結果を得る事ができました。
この時、一昨年以上に、僕には蝶の紋所と曳山の福神・毘沙門天が味方にいる事を確信したのです。

(もちろん神様云々以前に、家族、大学の同窓、クリエイティブで活躍する仲間、企業人、皆が精神的な後押しのみならず、こんな僕のために専門分野の知見を結集して対応してくれた事が何よりの救いでした。今も心から感謝しています。)
そして何より、利害調整に日に日にやつれる僕に代わって全ての情報を整理の上適切な判断・指示を最後まで出し続けた妻。こちらも福神・弁財天のごとし。あの日の大演説「何よりも貴方は不当な要求をしていない。正攻法でも良いのだけれど、貴方の愚鈍さと馬鹿正直さを知る相手は、言葉尻をつかんで『結果論の利害だけをちらつかせ、筋を通さず』強引に貴方を折れさせようとするわ。結果が良くとも、自分の旦那が筋違いを受け入れるのは私が許し難い。それで手に入る利益など溝に捨てなさい。今回、時間が味方なのだから、ここは沈黙の一手。相手が焦ってから軽口の振りをして第三者の口を借り、耳に入るようにして真のステークホルダーを引きずり出す事。その時点で、相手は条件を飲む(筋を通す)しかカードが無くなっているはず。更に最悪のケースを想定し、弁護士と私が近くの喫茶で待機しますので着信を下さい。私を信じて」。今思い出しても身震いをする。あまりの鬼神活躍のため、その後妻は倒れました。(今は元気です)
全ては、誠実に、愚直に、筋を通して生きること、そのものが僕を導いてくれるものと思っています。
その生き方を守っていけば、世間様からの信頼と、神様の救いが必ずあると信じています。
(宗教には疎いですが、せめて、自町内の曳山が奉る毘沙門天くらいは信心として持っています)
・・・そう思うと、まずは家族孝行、親孝行しないとなぁ。筋が通ってないと言われてしまうよなぁ。と実家を飛び出して、孫の顔も見せぬまま未だ戻らぬ放蕩息子にして、妻に苦労をかけている道楽亭主は思ってしまうのであります。ま、とりあえず祭りの日には実家に帰ります。

けんかやまダイジェスト

先日アップしたお祭の動画に、「もっと短いバージョンがほしい」というご意見を頂きまして、改めてダイジェスト版を作りました。確かに、Webで閲覧するには20分の動画は長すぎると実感しています。
貴重なゴールデンウィークに何をやってるんだといわれそうですが、僕は全く後悔してません。むしろ5月冒頭の連休なんて祭に使う以外に何をする必要があるというのですか。

とはいえ、かみさんをGW中ほったらかしにするのは家庭上よろしくありません。祭り祭りばっかり言って家庭を省みない駄目亭主を返上するべくプレゼント。
プレゼント
趣味を貫くためには貢物も必要なのです。
あと、一ヵ月後にまたHSK(中国語試験)が控えているので、そろそろ勉強を再開せねば。4級は厳しいのだよ。