2021年総括

2021年何があった。何もなかった。仕事しかしておらぬ。人様のお役に立てたかどうかわからぬが、ご依頼ごとに向き合っている間に一年が終わった。そろそろハゲる。しかし出会いは数多く。共に生きる方々はどんどん広く濃くなっていく。

……………

映像屋としては、今年も熱かった。楽しかった。

テレビCMの監督もやった。多人数で作るMVのディレクターもやった。写真展もやった。人様のyoutubeにめっちゃ出た。声も扱った。新たな機材もわんさか買った。現場と仕事に携わりながらだけども、わずかながら技術を溜め込んでいる。

編集もコンテも演出も技術も、全てにおいて僕はまだまだインプットしていかなければならない。

とにかく必死にもがくばかりの毎日でした。それでも、なんとか僕は生きている。生きているのです。それも健康体で。多分お休みになった瞬間にひっくり返って寝込むことでしょう。

2019年にも2020年にも同じことを書いたけど、ここまで苛烈に生きることは想像していなかった。華燭の日々。それでも人生健啖に。たくましくぶち抜くのです。

新たな出会いも数多く。こんな人生誰が想像しただろう。

2021年の大きなトピックスは何より「都内引越」でした。

それも田舎者の悲願「山手線の内側」です。

これはねぇ…少しばかり感慨深いのです。

貯金も社会的信頼もなく独立したての2014年。明日生きていけるかどうかの瀬戸際で、ライフクオリティの向上なんて考えられるわけもなく。一年目終わり頃にちょっとだけ引越を検討したけど、独立一年目に社会的保障があるわけもなく。

その時を越えて、2021年には自分の確定申告で「社会的信頼」を勝ち得た…というのが…嬉しくてね。映像の腕一本で、この僕が、まさかねぇ…という心持ちです。

もともとお金とか成り上りとかに全く興味ないんだけど、それでも。会社の信頼でもなく、自分の腕だけで掴み取った「社会的信頼」。なんつーか「医師免許贈呈します、と電話がかかってきたらつい鼻歌歌っちゃったブラックジャック」みたいな心持ちなのです。いやもちろん皆様のご贔屓あってのことなのだけどね。なんというか、頑張ってきたな。頑張ってきたなぁ。と実感した事象だったのです。

まあ、腕一本で手に入るものは、腕一本で失う。まあそれならそれでいいや。5、6年で人生は一気に変わるんだということも解ったのだから。また変えてやる。

◆目標2021を総括!

●筋肉と健康(数値目標:体重65kg / 体脂肪率20% / 不摂生からなる大病せず / 髪の毛3000本増やす):どう考えても未達成

>あかんやん過去最高体重更新中や。目標立てて10年間一度として達成したことのない体重。やる気あるんですかはいすみません。

●けんかやま今年も曳く。(8年連続8回達成継続中):コロナ禍を見越して遠慮

>迷惑をかけてはいけません。今年は延期しました。

●海外進出の足場を作る(3年目)(台湾とロスとデンマークとバンクーバーに一回以上行く / 中国語試験HSK6級orTECC712点 / 工業光魔法or二重否定系の仕事を引き受ける):未達成

>これもまあ、海外に出ているどころじゃなかった。と言う意味でどうしようもない。今年は特別。うん、特別(こたつに入りながら)。

●今年も3本仕上げて応募する。:未達成

>もういい加減にしなさい

●Web、アプリ、ラジオ、講演、VJ、オペラ、ベース、テレビ、Youtube諸々含めて100本以上(2年目達成)そして新しい活動を一つ以上:

>もう契約いただいてるラジオ2番組だけで60本超えるから、計算しにくいなぁ…なので、100本以上にして見ました。ガンガン露出するからね。ものづくりの矜持を保ったまま、露出することに意義があるのだからね。

●徹底的にインプットする(小説:新書除く100冊、映画100本):未達成

>ごめんアウトプットに寄りすぎた。もう一回数え直そう。そして、ちゃんと古典を読み直そう。そろそろ、自分の言葉が枯渇する頃です。

●自分のアート映像作品を3本作る。:小達成

>いや、一個だけ作ったと言う意味で、ちょっとだけ達成としておきます。

●与えられた役割を全て全うする。:達成…かな

>何を与えられたのか、僕に何ができたのかよくわからないまま、だけどなんとか、突き進んでまいりました。

●常に健康、常に上機嫌:達成

>この世界でなんとかタフに生き抜いてまいりました。

●売上目標達成:異常達成

>正直お仕事としては狂い咲きです。今年に関しては2年分を一気に稼ぎました。と、去年書きましたが今年も同様です。ただ、これが毎年続くとは考えられません。今年も謙虚に「いつ潰れてもおかしくない商売だ」という自覚を持って頑張ります。

●生き抜く。永く栄える。彌く榮える。(48年間目標続行中): 

 どんなに格好悪くなっても、しぶとくずぶとくしたたかに、生き残ること。生き延びること。泥臭くても這いずり回ってもいいから。5歳児の様にパグの様に。だけど同時に「いつ死んでも良い」「もう満足した」「お前の言うこと聞くくらいならいつでも死んでやる」の覚悟を基に。すべてはそこからなのです。

東西東西目録一つ

御酒肴 流れ流れて 小矢部川の如し

金子益々 積んで積んで積んで 立山の如し

右は皆様方よりご贔屓あって

彌榮制作若連中に下さっております。

何も大丈夫じゃない

今まで大丈夫だったから今日も大丈夫!というのは何も担保していない。

昨日運転して事故なかったから今日も大丈夫。

昨日会社が潰れなかったから今日も大丈夫。

昨日家族が夜逃げしなかったから今日も大丈夫。

昨日逮捕されなかったから今日も大丈夫。

昨日地震起きなかったから今日も大丈夫。

ただ、全てにおいてこの担保を外すと発狂しかねないし、生きられないので、バランスは必要。しかもどのバランスで大丈夫と思うかは他者がルール化したり法整備したりはできない。

故に、昨日までの根拠を振りかざす老体(ここでいう老体は年齢では無く、意識が凝り固まった人材)が跋扈するのである。

50年前の運動神経のつもりで運転し続けるご老体も、新規事業に前例を求めるお偉も、勤続年数を元にお金を貸す銀行も本質的には変わらない。

それが悪いわけじゃないんだけどね。だって人間の頭脳と精神力は、それ以上の恐怖に我慢できないのだから。ああ、愛おしい世界。

明日は風神雷神が舞い降りるかもしれないよ。

「何か起きたらどうしよう」は大人の発想だ。

「何か起きないかな」が僕ら子供の発想だ。

長生き

もっと生きたい。でも、長生きしたいとは微妙に違う。

生まれ変わりたいわけでもない。今の人生で十分。

だけど、まだ。僕は僕のまま、もっと大きくなりたい。大きくなったらできること、なれることを増やしたい。

ピアニストにもなりたいし、お医者さんにもなりたい。絵描きにもなりたい。世界のあらゆるところに行きたい。いろんな人と会いたい。酒を飲みたい。ステージに立ちたい。技術者として裏方をこなしたい。今のままで。そう、今の僕のままで。僕のままで。この人生のままで。大事なことなので何回も言いました。

今の僕のまま、大きくなったらなりたいものに全部なりたい。

ビジネスマン?社長?政治家?えーと、それは…いいや。ならなくても。

無理だよ、の言葉は放っておく。なりたいこと自体は自由だ。

なれなくっても不幸なわけじゃない。なりたいと思ったまま、執着して死ぬんじゃなく「なりたいと、憧れて頑張って死ぬ日を迎えたらそれで幸せじゃん」と思うのです。

達成欲とか名声欲じゃないんです。

何かを成し遂げようと思って生きてるわけじゃないんです。

今のまま。僕は僕の価値観のまま、これを堅持して日々生きていくことが一番大事だし貴重なのです。僕が僕のまま生き続けることで、成り上がりも成長も関係ないのです。

今日はピアニストになりたい。明日はお医者さんになりたい。

それじゃ結局何にもなれないって?それでいいじゃん。

僕はとりあえず映像作家だよ。

それでいいんだ。

比類なきまでにダメな指示コンテ。

書いたの誰だ。僕です。今頭回ってないので後で組み立てます。

(いつもはこんなことしません微に入り細に渡りねちねちねちねちと細かいことを言います意外にも。)

そもそも演出というものはだな、この、なんとか感というものをいかにフレーム内に言語になり得てないニュアンスをコントロールして時間軸内に組み立てていくかを誠心誠意考え抜くのが仕事であってだな「いい感じ」とかいうてはならんのであってそれは職務放棄であって(略)すみませんごめんなさいがんばります。

無題

別に音楽や美術、映像を「ビジネスの道具」「金儲けの道具」として使うこと自体悪くないのだけど。

作る側は「金関係なく作ること自体が好き」「表現することが好き」という気持ちを持ってる人で成り立ってて欲しいよね。

金儲けのためにやってきて、儲からなくなったら去っていく人、苦手なのよ。

「俺のこと承認しろ」

俺は売れてるバンドマンなんだぞ、だったり

上場企業の部長なんだぞ、だったり

芥川賞作家なんだぞ、だったり

年商50億の社長なんだぞ、だったり

どれでも、本質は同じで、「俺のこと承認しろ」なんだよね。

人生の半分は自己承認のマウンティングゲームと、日々の生活費を稼ぐことでなりたっている。

それも愛すべき人生。

だけど、もうちょっと別のことをやりたいんだ。好き放題生きたいんだ。

テッセンになるな

「太客を作らない」

いわゆる太っ腹な客、大口顧客。
僕はこれを作りません。ええ、戦略的に、です。
(誰もなってくれないとか言うな)

太いパイプになりそうな、有難い方がいらっしゃったら、その方を大事にしつつ、急いで他の顧客を広げます。僕の基準として、「売上10%以上を一社で占めるようになったら危険信号」と踏んでいます。

これ、めちゃくちゃ大変です。死にそうなくらい忙しくなります。でも、これは僕的に死守したいポイントなのです。

なにゆえか。
単純です。「すがり」になりたくないからです。
捨てられたら困る。
言いなりにならないと困る。
ごま擦っておかないと来月の売上が困る。

こういう状況を避けておきたいと切に切に思っているのです。

だって、お客さんが無理を要求してきた時に、言いなりにならないと自分の生活が危うくなるとか、それサラリーマン時代の苦渋となんも変わらないじゃないか。それが嫌で独立したのに。

立場が変わったから大丈夫な訳でなく「すがり」にならない様に、フェアである様にいつも意識していないといけないと思うわけです。

これを意識したのは、実は前職の時でした。
上場企業は、一社との取引が売上の25%を占めると危険信号だそうです。株主が嫌がるそうです。
曰く「経営リスクが大きい」と。

上場企業に適合するそのリスク、個人事業主でも全く同じじゃなかろうか。

うちの祖父の言葉。
「テッセンになるな」

テッセン、すなわちクレマチス。
花としては綺麗だが、他の植物に絡んで成長しないと、自立することのできないツタの植物。

自分で立て、と。

サラリーマンじゃ無いから、自立している訳じゃ無い。
小さなお得意先にたくさんご贔屓頂いて、筋の通らないところと喧嘩してでも、自分の筋を曲げなくとも、明日の生活がちゃんとしている、そう言う姿を「自立」と言うのです。

以下引用


僕の知り合いの経営者は、大金をくれるクライアントとは、あえて仕事をしないと決めています。なぜなら、そちらに時間を取られ、いざそのクライアントとの付き合いが終わってしまえば、一気に会社が傾いてしまうからです。つまり、依存することがわかっているし、長期的にどんどん下請けのようになってしまうことが見えているから、「じゃあ、初めから付き合わない」という選択を取っているんですよね。

独立8年目。僕は自立していられるだろうか。
いや、まだまだなんだよなぁ…
いろんな方に助けられて生きてます。生まれてすみません生きててすみません神出鬼没の略