一日中、川を眺めていました。
なかなかこの年になって、自発的に「よし、今日は一日川辺でごろ寝しよう!」と時間を使うことはできませぬ。とはいえ、一日テレビ見てたり、一日ネットしてたりする事はできる訳だから、川を眺めることも出来ないわけじゃないんだけどね。
でも、電子機器からも完全に離れて、ぽえーと川を眺める一日を過ごすというのも、たまには悪くない。サイクリングして良い汗をかくわけでもなく、誰かを思って手紙を書くわけでもなく、機械をいじって何かを生み出すわけでもなく、パーティで楽しい時間を過ごすわけでもなく、ただ堤防でごろ寝する。ありがたくもこのような時間を用いて安らぐ事が使命の身、腰をすえて時間をもてあましてみようじゃないか。
PCも電話も何も無い状態で、川辺で過ごすという一日から、僕が気がついたこと5つ。
1・何も気がつかない。何も変わらない。
いきなり前提を覆しますが、5つどころか1つも気がつくことはありません。ただの川でした。
そうそう。たゆたう川を一日中眺めてたからといって、何か悟ったりするわけじゃないのですよ。
無駄なのです。無駄な一日なのです。なにも気づく訳がないのです。だって寝てるだけだもん。
何か悟ろうと思ってごろごろすること自体がさもしいのです。
でも、その無駄がとても有難い。そして大事だという事だけはなんとなく解るのです。
30年以上、乱暴に扱ってきた僕の身体は、こういう一日を重ねるたびに楽になっていくのです。
2・寒い・眠い・腹減った。
当たり前だが、川辺は寒い。そして一日中堤防に居たら、当然腹が減る。そして暇な時間は眠くなる。
こんな当たり前の事に気づくのも実際に体験してみたからこそ。うむ。
そして人間の身体の三大苦は飢餓と寒さと睡眠不足。という事をフィジカルに納得。
いや、この苦しみは例えば戦時中とか、そういう時に使うもので、本当の意味での苦しみは千分の一も経験してないですし、言うのもおこがましいレベルではありますが。
でも、結局、人間の「いやなもの」はそこに行き着くのだな。とも思いましたです。はい。
暇で眠くなるのはむしろ心地いいくらいなんですけどね。
3・人間誰もそんな変わらん。すごい人もえらい人も居らん。
僕が一日眺めてたのは旧・江戸川。大き過ぎず小さ過ぎずな、日本に良くある一級河川でした。
でも、当たり前だけど、飛び込んだら、うん、死ぬ。
そしてこのレベルの川は世界中に何千とある。
どこにでもあるレベルの、この川の流れを変えたり、止めたりする事すら、誰もできないのよね。
川に対して、人間の非力さよ。
何がTPPだ。何が大阪都だ。小さいことじゃないか。
そう思うと、ああ人間ちっぽけである。とまた悟った風な事を考えてしまうのでありました。大阪都が何なのかもわかってない癖に。
この、どこにでもある川を、ストップさせたり流れを変えたりすることの出来る人間なんて誰も居ない。その意味で、すごい人、えらい人、というのも、際限があるものなのだな。また、川の流れと関係なく、自分にとって尊敬したい人、は必ず居て、大事にしなきゃいけないのだな。そんなことを不遜にも考えてしまいました。
また、それでも時間をかけて知恵をかけたら運河を作っちゃったり出来るのも人間なのよね。
人間×時間×知恵。これは力があるものなのだな、とも思ってしまったり。
4・夜の川は怖い。
暗くなってからの水辺って、とっても怖いです。
そして急激に気温が下がります。なんだろう、この感覚。
川が流れてるときの音もなんとなく違うように聞こえてきます。
水辺は運気が悪いとか良いとか、オカルトチックな事も言われる事がありますが、ちょっとだけ信じたくなるような流れの変わり方を感じました。うん、水って人間の生き方を飲み込んでしまいそうなのね。
5・暇ってとても重要。
何もしない時間って、非常にクリエイティブです。
人生10のうち何もしない時間を5使って、残り5で何かをしたほうが、10を使って全力で事を成すよりも効率がよさそう、という事です。全身全霊政治生命と進退を賭けて次の総選挙に向けてこの偉業を成し遂げます!というより、半分ポケーとするから残りで面白い事するよー、の方が、結果としてアウトプットするものの量も質も良くなるものだとフィーリングしました。ええ、根拠ないですが。根拠っぽいものは川の流れが教えてくれたのです。
そんなこんなでジャパニーズサラリーマンらしからぬ一日。誰だ「あのおじちゃんどうして会社に行ってないのー」と幼女に指差されてる、公園でブランコ乗った中年のようだとか言ってる奴。
というか、今冷静に傍から見たらまるで変わらないな。そして本質的にも変わらないな。うむ。悟ってしまったぞ。
月: 2012年1月
新宿
僕が富山から上京してきたのは1992年。今から丁度20年前だ。
この間、ほんの少し地元に戻っていた事はあるけれど、概ね東京か、その近隣で生きてきた。
いろいろなところに住処を構えた。荒川区西日暮里、今は無き保谷市柳沢(現・西東京市)、文京区目白台、千葉県市川市。
上京した当時、東京を象徴する都市は「新宿」だった。僕にとっては新宿を自由に活動できることが東京人としての粋なんだと思っていた。
当時の新宿はまだ副都心も出来ておらず、まだまだこれから発展する気概に溢れ、またバブルが終わる寸前でもあったため(経済学的には終わってたらしいが、まだまだ浮かれていたように思う)、おどろおどろしいほどに華やかできらびやかだった。狂乱の宴ここで行われり。五木寛之の「青春の門」や筒井康隆の東京論、ゴールデン街での乱痴気話に憧れた身、北陸の奥田舎・富山から出てきた若造にとっては、これ以上の刺激的世界は考えられなかった。
(とはいっても、軟弱な若者が行ける新宿なんてゲームセンターやマクドナルド、新宿書店くらいしかなかったんだけどさ)
大学時代は池袋から新宿がホームエリアだった。デートの待ち合わせはいつも高田馬場駅前ビッグボックスだった。新大久保で深夜の飲食店バイトにも精を出した。煙草臭い新宿の雀荘で寝泊りしたこともある。ギラついてネトついた僕らのバイタリティは新宿近辺が大体発散させてくれた。渋谷や六本木は、どちらかといえばライバル大学のホームタウンだったので、なんとなく敬遠していた。勝手に僕らがそう思ってただけだが。
でも、代々木を越えるとケバだたしさが明らかに薄れていた。六本木・渋谷は、成熟した大人か、または高校生や中学生の街、僕らバイタリティだけの塊である大学生にとっては似つかわしくない街だった。当時はまだITという言葉も無く、渋谷が急成長して今の姿になるよりずっと前だった。マークシティは影も無く、渋谷パンテオンがランドマークだった。
こう書くと「山本さんは昭和初期の人間だから」と言うヤカラが必ず居るので、何度も言うが僕は90年代以降の東京しか知らん。東急にロープウェイが通ってたのとか見たこと無いから。安田講堂事件とか三島割腹とか生まれてないから。知らんからね。
話を戻して。
先日、そんな新宿に久々に出かけてきました。
今も変わらず新宿の街はケバだってると感じることはあるけれど、ある意味、落ち着いた、と思いました。90年代初頭に感じた新宿の勢いは、その後渋谷に行き、秋葉原に行き、今は墨田・・・に行くのかな。勢いは移ろいで行くものと思いますが、とうの昔に嵐が過ぎ去った街。そして静かに、でも個性溢れる豊穣な街。新宿は、過去に栄華を誇った街のたたずまいを、節度をもって守っている街、と感じます。
写真は、夕暮れとスタジオアルタ。
アルタといえば待ち合わせ。新宿東口は90年代の上京モノにとってのランドマークでした。スノッブで悪かったな。田舎モノと言いたければ言え。
立ち並ぶものはそれほど変わってませんが、それでも、空気はやはり違いました。あの時には感じられなかった、清涼な風が新宿に流れてました。うん、もっとギトギトギラギラした油臭い新宿は、もうないのですね。
・・・あれ、それだけじゃないや。MyCityってもう無いんだっけ。掲示板にXYZとか書いてない?ヴァージンメガストアもないんだっけ。