悩み事、というほどじゃないのだけど。
ありがたくも最近はお仕事、というか、人様のお役に立てることが少しづつ増えてきたのかな、と思う。皆様からお依頼され、お引き受けし、喜んでいただくことも増えてきた。ありがたいことです。
そうすると、自分一人の手では回らなくなってくる。さすがに自分自身の身ひとつでできることにも、物理的に限界が出てくる。僕に限らず、割とよくあるお話だと思う。
このステップを経て、誰か人を雇い、チームを作り、自分が大事な方々を幸せにできる範囲を拡大し、起業、法人成り、というものを考え、またそれをよしとする発想もあるだろう。
しかし、やはり僕はそれを「是」としないのだ。
何故ならば、僕自身が「雇われる」ということを唾棄してしまったのだから。
自分が唾棄するだけならいいじゃないか。他者は他者、自分は自分で、他者の考え方も尊重して受け入れればいいじゃないか、と思うかもしれない。
でも、それじゃダメなんだ。
自分自身がそれでも苦しむのです。
雇うよりも、手前の段階で、僕自身が煩悶するのです。
今僕は、様々な方に仕事をお願いして、手助けしてもらって、なんとか僕自身を盛り立ててくれている。本当に感謝している。それ自体はいい。それ自体はとてもありがたいことです。
ただ、自分がどなたか信頼置ける方に仕事をお願いする時に、やはり「お願いできるな」「ありがたいな」と思うのは「素直で」「従順な」方になっていることに、僕は自分自身身震いしているのです。
いや、素直で従順なのはいい、それは人として素晴らしい資質だ。
でも、一歩踏み間違えると、求めている人材が「自分で考えずに唯々諾々と従って行動してくれる『考えない、意見しない人間』」になりそうなのが怖いのです。
あれ、僕が仕事で「助けてもらえた」と思える人って「自分で考えることを忘れた人種」な人だったの!?
僕が「そんなもの捨てちまえ」「やめちまえ」と叫んでいた側の気質に、助けられているの!?
ここが、僕にとって、とてつもなく、コンフリクトするのです。
嫌なのです。「自分で考えることをしない人種」なんて、人としてあってはならないスタンスだったのです僕としては。権力に嚙みつけ!権威を潰せ!自分の意見を持て!「個」として生きろ!と叫んでいるのに、自分が仕事をお願いする相手が「自分でものを考えない」人だとしたら、それは自分が許せなくなるのです。
それは、世間で「サラリーマン気質」と言われる。雇う側からすると、とても便利な人材だろう。
「やっぱりサラリーマン気質の人間に依頼するのが楽なんじゃないか」「サラリーマン気質を是として仕事進めるんじゃないか」「お前も自分が忙しくなってきたら、手のひら返して歯車を欲しくなるんじゃないか」「ものづくりなんて偉そうな仕事しながら、どうせお前もチャリンチャリンシステムを作りたくなったんだろ」と自分自身に対して思うことにとてつもなく苦しみを感じるのです。
嫌なんだよ。嫌いなんだよ。むしろ滅びてほしいと思うくらいに大嫌いなんだよ勤めるというスタイルが。
そしてこの従順さを求めて仕事を依頼する感情を突き詰めていくと、結局「保証を与えて」「一生雇い続けて社会の素晴らしい歯車として活躍して頂こうそれが社会貢献だえっへん」というスタイルに行き着く自分が見えるんだよ。そんな人生、誰にも勧めたくないんだよ。それは僕自身が苦しみ、そして自分が逃げただけじゃなく、立ち向かってぶっ壊そうとしている姿じゃないか!
そしてそのために、東インド会社の設立から暴力論から組織論から哲学実存主義経済学様々調べて「なんでこういう社会になったんだ」「もっといい社会があるはずだ」と信じ抜いてその生き方を貫こうとしていた僕が「やっぱり雇わないと社会回せないじゃないかお前も所詮この資本主義における一匹の犬なんだよ」と神々に嘲笑われることがとてつもなく苦痛なのです。
「あなたが間違っている。やはり社会をより良くするには、素直で従順な組織の歯車になるべき生き方を尊重し、その方々をうまく活かす社会を作りあげるのが良いのです。大事な人たちを幸せにするためにも、組織の長として大きな経済を回しなさい」と神々が、昔からの知見深い方々が、人生の先輩方が嗤おうとも。
僕は絶対にこの生き方をやめない、と思いたい。
僕は自分の過去を否定したくない。
法人化なんてしたくない。したくないのだけれども。
同時に、自分を必要としてくれている方々を、悲しませたくもない。
本気で、分身したい。僕と僕と僕だけで、僕を必要としてくれる方々を幸せにしたい。
自分が倒れても、もう一人「コピーですら無い、明確な『個』として同じ存在である『僕』」がもう一人リカバーできるようにしておきたい。
それは、他者じゃ、ダメなんだ。他者には、その人の人生があって、それを尊重してあげたいんだ。
そしてもう一つ。
稼ぐことは、僕にはそこまで重要じゃないんだ。
稼ぐこと、収益を上げることよりも、僕にとっては「自分の意見を世間に叩きつける」ことの方が圧倒的に重要なのだから。
収益が自動的に上がり続けるシステムを考える暇があったら、拡声器を持って叫んでいたいんだ。
だからこそ、人を雇い、その人の雇用を守り続ける責任も背負えない、やっかいな一匹ものなんだ。
オーウェルの1984が、時計じかけのオレンジが、蝿の王が、頭から離れない。