コトバ

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Tumblrより。名言集。
-狂気の定義は、違う結果がでることを望みながら、同じことを何度も何度もし続けること。
-この国は 「才能がないこと」 には寛大だが、「手を抜く」ことには偏執狂的に厳しい
-自分の前にいっぱい敵があらわれた時、振り返って見るがいい。味方だっていっぱいいるものだ。
-女とは 残酷でわがままでうそつきで… でも切ないくらい可愛いもの。
-日本における「真面目」という言葉の使われ方は「多数派や権力者の意見に素直に従う」「長い物に巻かれる≒空気を読む力がある」辺り。子供の頃における権力者はおおむね親や教師辺りなので、イエスマンになれば自動的に「真面目」という属性が付属することになる。
-誰も一夜にして肉体を鍛えようなどとは思わないだろう。それなのに、こと精神に関しては、すぐにも効果が現れるのが当然だと考える人が多いようだ
-私は弱い自分を許すことにした。駄目なやつだが、自分だけでも自分を許してやろうと、存在することを許す!と自分に宣言した。だから、絶対自分を責めない。生きるために、あえて自分に目をつむる。生きてることが一番大事。そんだけ自分が弱いってことを認めたから。だから他人も許す。
-どなたかも言ってましたけど「社会の厳しさ」の9割は「社会は厳しくあらねばならない」という妄想を持った人たちに作られてます。
-「自分は正しい」「これこそ本物」「これは良い事」
実はこう思った瞬間こそが人間が最も攻撃的になる時なのです。
-論理的に正しいということと、解答が正しいということは、実は相関がないのです。 論理的には正しくても、回答が間違っているということは日常茶飯事です。
-考えるのは誰でもできる。
だから作ったやつが偉いんだ。
そして、続けたやつはもっと偉い。
-現実か妄想かなんて多数決で決まるのだ。
-精神年齢が低い人の特徴は、自分の感情をコントロールできてないこと。さらにいえば、コントロールできるなんてことを知らないし、たとえ知っていてもコントロールしようとしない人。彼らは「自分が抱く感情は正しい」と信じている。
-「何か起こればいいのに」と思っているのが子供で、「何も起こらなければいいや」と思っているのが大人
-幸せにしてやろうとか、してもらおうとか、 与え合おうとか、 そんな奴らは結婚してもうまくいかないよ。
この人となら不幸でも構わない。コレ最強。
-自分をダメな人間だと判断しているようですが、その判断は本当に間違いのない普遍的な価値判断なのでしょうか?あえて厳しく言いますが、仮にあなたが本当にダメな人なら、自己分析をしたその判断もダメな可能性がありますよね・・。
-ロイヤルストレートフラッシュが5連続することはたぶん有り得ないけど、実際起こった後で「なぜそれが起こったか」なんて考えても意味はなくて、強いて言うなら「その確率がゼロではないから」だ。
 
 
-根拠のある自信は、根拠が無くなれば自信も無くなる。
根拠の無い自信は、決して尽きることが無い。
 
-失敗することを恐れるよりも真剣でないことを恐れたい
-人はさびしいとおかしくなる
ひっくり返すと、人がおかしなことやってるときは、だいたいさびしい
 
 
-人付き合いがうまいというのは、人を許せるということだ。
-誰が決めたかわからないような、わけのわからない決まりごとに粛々と従う人が多すぎる。
-世界の毒から子供を守るものは家族で、家族の毒から子供を守るものは世界だ。子供が健やかに育つためにはどちらも必要だと思う。
 
 
-人脈とは、自分が知っている人ではなく、自分に関心を持ってくれている人。ベクトルが逆なのです。
 
-笑う時、人は決して手を握らない 笑いながら手を握っている人は、つくり笑いをしているのです。
 
 
-私は祖国を愛している。
だが、祖国を愛せと言われたら、私は遠慮なく祖国から出てゆく。
 
 
-わけがわからなくなってからが本番です。
 
 
 
 
-言語への過信が近代人最大の迷妄の一つではないかと思う。
 
 
そしてこのうちのどれかに、僕の適当な戯言が混ざっている。
ひとつだけとも言ってない。いくつ入っているかも内緒。

悪玉君

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 昨年の9月から12月に引き受けた、友人の結婚式の演出や結婚式撮影やあれやこれやの映像をまとめて一つのDVDに収録。時々こうやってラップアップしていかないと、自分が何を残しているのかわからなくなります。
 ワンポイントには、僕と苦楽を共にした悪玉君をフィーチャー。
 イラストを描いてくれたイラストレーターの方には未承諾。ごめん。
 

Illustration

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10代のころから20代前半にかけて、描きためていたスケッチブックが出てきた。
 画材問わずいろいろ描いていた。
 予備校時代が一番描いていた気がする。
 あの頃から、既に画翠檸檬は御茶ノ水にあったし、喫茶ミロも裏路地にあった。よく通った。
 大学時代、イラストを描くサークルに居るわけじゃなかったし、画を描くのが趣味の友人も居なかった。
 どちらかというとコミュニケーションを取るためや、自分を理解してもらおうと思って画を描いていたことはあまりない。ましてやそれを職業にしようとか、自分の役に立てようと思ってたことも無い。
 でも、気がつけば多数のスケッチブックにイラストが残っている。
 僕の友人にもあまり見せたことが無い、と思う。
 (一時、数枚だけ自分のサイトの背景に使ってたことはあるけどね)
 なんとなく、描きたい、という感情があった時期があったのよね。
 うん、もう、生活に追われてそんな気持ち萎れていましたが。
 でも、カメラを持ち始めて、その辺りも喚起されたのかもしれません。
 自分の画が好きかといえば、当時は好きじゃなかった。
 専門的な勉強をしたわけじゃないし、巧拙は言うまでも無く、下手の横好きもいいところ。
 でも、オッサンもいい年になり、再度見直してみると、結構好きになれるものだ。
それにしてもタッチが無節操だな。
何かを模写したり、真似をしながら描いてるのだと思うが、もはや誰の影響を受けてるのかもわからぬ。
バスキアとミロとデ・キリコ、キース・ヘリングは確定的だが。
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 いいじゃん。こんな捻くれてねじくれた、全うに悶々とした思春期を送ってる画を描く十代、僕は嫌いじゃないぞ。
 さあ、それに対してネジくれたまま、社会人から足を踏み外しそうな三十代!
 久々にスケッチブックを持ち出してみようか、画を描いてみようか、と思った。
 因みに、僕が画を描くときは、今まで
 ・浪人時代で自分に自信が無かったとき
 ・あまりに超絶に貧乏だったとき
 ・女の子に振られて自信をなくしているとき
 だった。てーことは、今の僕は・・・?
 慰めの言葉や優しい抱擁、お待ちしております。
(いや、今は生活心身ともに全然穏やかなのですが。)