僕の母校は九龍城塞

仕事柄、様々な大学にお邪魔することが多いのだけれど。
みんな、綺麗なんですよね。素敵なキャンパスに、親身なスタッフ。手厚いサポートと行き届いた清掃。本当に「学ぶ環境」って、大事なんだと、改めて思うのです。
そんな時、同窓のFB記事から自分が通学してた頃の写真と記事がアップされていたのですよ。(出典は大学の学報です。少し切り取らせていただきました。)
しかもピンポイントに、自分が4年間ほぼ「住んでいた」と言ってもいい場所。この写真の右にある部室に4年間たむろして、青春を捧げていたのです。(現在は取り壊されて建て直しされました)
まあ、どう形容しようとも、スラム以外のなにものでもないですよね。
自分自身のキャンパスライフと、今の学生達の考えるキャンパスライフに、あまりにも隔たりがあると感じる今日この頃です。港区と九龍城の違いみたいなものです。
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送別会


昨日は飲み会。大学時代の腐れ縁が北海道に移住すると言う事で、(珍しく)僕から率先して送別会を開催。
思えば93年に、同期として同じ大学に入学してから、新卒で入った会社も同じ(というか僕が引きずり込んだ)、退社も同じ、彼がお芝居の座長をやると言えば舞台監督を引き受け(ただ見てただけ)、僕が結婚すると言えば彼に裏方を全部任せたりもした。本当に腐れ縁。
「40期生」と呼ばれる、とある大学サークルの第四十代同窓。その仲間たちも数多く集まってくれて、更には41期、42期、45期の後輩まで駆けつけてくれた。愛知に勤める同期生も上京してくれた。母となって多忙な日々を送っている後輩達までも参加してくれた。彼の人徳だろう。
そんな仲間たちと18時に開会してから延々終電まで、中締めもなく延べ5時間半に渡る飲み会。会話の中身は10代の頃と何も変わってない。というか、変わらな過ぎる。もう100回以上酒を酌み交わしている仲間と、未だに同じ会話でゲラゲラ笑って時を過ごせる事を、どれだけ貴重だと思える事か。
同じ会話といっても、けして後ろ向きに「あの時は良かった」という会話ではなく、「で、これからどうするんだよ」「北海道行ってこういう事やりたいんだよ」「うちらもこういうことやるぞ」ということで今もワクワク出来る仲間たち。
これからを生きていくときに、夫婦ほど近い二人三脚では無く、視界に入る範囲で、共に歩んでいる(そしてこれまでも歩んできた道程をお互いに知っている)仲間たちが多数居ること。前進するときに、これ以上心強いものが有るものか。
ありがとう。そしてこれからもよろしく。多分全員がこの世を去るまで、ずっとよろしく。腐れ縁はどこまでも腐れ縁。
その頃には僕らの子供たちが第70期生とか言ってるのかも知れないけどね。

私信からはじまった

Fly
【目標&ほしいもの2013】に対する返信として。
いや、大いに関係してるよ。
もともとこのブログ、もとい、このサイトは貴方との電脳私信として始まったもの。なんとなく「ネットで面白い事できるんじゃなかろうか」と思って色々遊んでいた矢先、それこそ99年の秋口に、君が面白そうなサイトを始めたのがきっかけだ。「僕もやりたい。電脳空間で文章書いて、なんか今までのやり取りと違うコミュニケーションを取ってみたい」と思って、隣に居たQAZQAYに「ホームページの作り方教えて」と言って作り始めたのが全ての発端だ。
でも、僕もそんなに時間があって書いてるわけじゃない。逆に、この年になって、「自分がやってきた事、ケイゾクしてきた事は何だろう」と考えたときに、僕は書くことしかやってこなかったと思い知ったわけで。書かないといけない、物書きになるならないと関係なく、書き続ける事を続けていかないと全てが駄目になるような焦燥感を感じてきたのです。
あいにく、か、相変わらず、か、僕には特定生物の監視業務は無いわけで、その分は自分自身に対して大いに時間を割く事ができる。それが大局的に見て、良い事なのか、将来に繋がる事なのか、そこはよくわからないけれど。でも僕の今生きてる中ではまだ授かってないものがあるので、その分君の代わりに2TBほど駄文を書き連ねて生きていきたいと思う。
とりあえずロシア語のFacebookアカウントは承認しておきました。
そんな僕も返礼として、【目標&ほしいもの2013】。
目標は立てない、と先日のブログで言い放ったばかりなのに。
◆目標2013
・HSK 6級
・62kg≧体重
・けんかやま今年も曳く
・来年の試験に向けての準備
・3本
・片足出しての3人立
・でももう一方の足でもステップアップ
・平穏無事な生活
・アレ
◆ほしいもの2013
・ブルワーカー
・ウィッグ
・TrapcodeParticularと使える腕
・Electribe
・XD-B7300
・自転車
・AKAI MCP1000
・アレ
こうやってみると、そろそろ同世代の皆さんは子供も持ち家も手に入れて、これからの初老を動迎えようかと考えている方々が多そうに見えるのに、僕はなんで一人だけお子様なオモチャを手に入れようとしているのか。ちょっとお小遣い貯めれば買えるものばかりじゃないか。でもいいのだ。こういうスケール感で生きてるのもまた事実。車さえも欲しいと思わない。
そんな今年を生きていこうと思います。早くも今年は1月終わり。後11/12です。落ち着いていきましょう。

大学時代について

tycoon
 僕はこのブログであまり大学時代の事を詳細には語らない。その理由の一つに、僕の卒業した大学は、あまりに名前だけが一人歩きしすぎている事が挙げられる。僕の母校は、良くも悪くも有名な大学になってしまったのだ。様々な意味で、色眼鏡で見られてしまう大学名を背負ってしまっている場所であるからゆえ、その名を挙げる事を控えてしまう。
 そして、僕の大学生活は、この母校だからこそ経験できるものだった。その名前と生活があまりに密接に結びつきすぎていて、母校の名を語らずにその当時の生活を語ることが難しくなりすぎているのだ。
・・・
 大学に入学する前のこと。まだ今よりは純粋な気持ちを持っていた僕は、第一志望第二志望という区分けで志望校を選んでいなかった。そこには滑り止めや人生のプランというものはなかった。どうしても、この大学の文学部以外には行きたくない、と心底惚れぬいた場所があったのだ。そして縁あって、僕はその希望の大学の、希望の文学部に行く事ができた。望み通りの場所を母校と呼ぶ事ができて、僕は心から嬉しかった。
 だが、その大学に求める希望自体が大きく捻じ曲がったものであり、更にはこの場所に属する事で更にその捻じ曲がり方が肥大する事になるのだ。僕の希望通りに。
 その大学の文学部はもう、あまりに全うな価値観から凋落したヤサグレ集団だった。
 そもそも文学部なんてもの自体が社会の役に立つものではなく、どこまでも果てしなく自己内面にもぐっていくものだから、あまりロクなものではない代物なのだ。
 引用させていただく。
「文学部というのはカネや安定に価値をおくことなんてまずなく、カネがなく不幸で転落して、ダメな人生を生きることに価値をおく。文学部なんて小説でも書かないかぎりそれでビジネスで成功したりカネが儲かるという栄光からほど遠いものである。
 はっきりいえば挫折と転落と、凋落を糧に文学部的価値観は躍進する。文学部は職を転々として、女にだまされ、借金をつみかさね、悔恨や後悔でいっぱいの人生や精神に価値や憧れをおくものだ。いわば失敗した人生に憧憬と崇高をみるのだ。経済学部的価値観が転倒したものだといえるだろう。」
Links to 経済学部的価値観より文学部的価値観のほうが幸福かも
 その中でも、僕の属していた大学の文学部は、全国の高校から選抜されたキングオブ駄目人間・スレッカラシ人間・堕落人間が集まってきていると過去から喧伝され、評判の場所だった。また実際、噂以上ににそうだった。まるでスポーツ選抜のような風体で、駄目人間選抜試験をやったのじゃないかと思うくらい。そしてその場所に受かった僕は駄目人間合格者だったという事か。ありがたい。
 因みに、凋落、ヤサグレなんて言葉を使ったが、これは決して悪口ではない。むしろ、金銭や出世、女性からモテるといった社会の価値観から如何にはみ出るか。借金をこさえたり博打で失敗したり女性に捨てられたりしてどのように凋落した駄目人間になるかを競い合うような場所だった。いろんな人生の破滅、堕落、絶望をやることこそが大学生活の価値だと思っていた。少なくともこの大学においては。
そしてそれこそが、人間修養であり価値観を高めあう事だと心底信じていた。そして、そう信じている人たちが廻りに沢山居た。確実に居た。更には教授に至ってもそういう考え方だった(と思われる)。
 どれだけ社会の枠から堕ちることができるか。それを心行くまで競い合い、心を震わせ、考える事ができた時間。それが僕の大学時代だった。常に小脇に抱えた書籍と共に。
 先人達が、自身の大学時代を書いた小説やエッセイも多数残っているが、そのどれも自虐的に駄目な生活ぶりを描いたものばかりだった。そして高校時代にそれを読み漁り、僕は全うな社会人から踏み外した道に目覚めて憧れてしまったのだ。
 だからこそ、言い訳の仕様がない。その堕落した生き方に惚れてしまって、その堕落を求めて、入学してしまったんだ。「こんなはずじゃなかった」なんて全く思わない。駄目人間になるべくしてこの場所に入り、希望通り駄目人間としてのスキルを高め、社会に非貢献する立派に価値観を間違えた堕落社会人として成長する事ができた。
 僕はそうなるために、そういう未来のために、この大学に来たかったのだ。そして希望したとおりの生活をし、学ぶ事ができたのだ。それはそのほかの大学で学ぶ、いわゆる研究や学問といったことから全く外れた、ただの放蕩であったとしても。その放蕩をどの大学よりも高いレベルで行う優秀な駄目人間が集まる大学で、巷の価値観から離れても、豊穣な人生を歩むための修練を積む事ができたのだ。贅沢な事をさせてもらったと思う。
研究とか論文とか書いている学生をみると、えらいなぁ、と心底思ってしまう。僕の経験してきた大学時代というのは、万人の考える大学時代とはちょっとずれてしまっているようです。
 その人生の延長線上に自分の今があると思えば、うん、全然悪くない。楽しく生きさせてもらってると思う。文学部卒業生らしい、30代になれているんじゃないかな、と自分でも思える。ある一側面に限り、僕は強くなる事ができたと思っている。幅広い価値観と、堕落を受け入れる包容力。社会的価値を生み出しているかといえば、うん、ごめん。

神楽坂郷愁

 僕の一番好きな街。新宿区神楽坂。
 97~99年はここで制作の仕事を行い、24時間この街中を闊歩してました。
 昔よく打ち合わせに使ってたカフェド・クリエも、赤城神社も、毎日、朝まで飲んでたバンビーノも、思い出の箪笥区民センターも日交神楽坂ビルも、10年経った今でも残っていてくれるのがとてもうれしく、また戻ってきた僕を受け止めてくれている気持ちになりました。もう、ここまでくると、富山に匹敵するぐらい故郷かもしれない。僕がそういうと、神楽坂住民はめっちゃ嫌な顔するかもしれないけど。
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 今日はその中、大学時代の先輩方女性三名と、久々の宴席に参加してきました。
 久々、といってるけど、久々どころではなく、それこそ十数年ぶりの再会でした。
 2期上のTコ先輩とTテ先輩と、3期上のSホ先輩。もう恐縮するドコロではありません。先輩には襟を正して接しないともやもやする僕、久々に気がつけば正座してしまいました。
 ・・・なんつーか、社会人になって長年たち、特にIT企業(と呼ばれる会社)に勤めていると、目上の方と接する時が極端に少なくなっています。まだこれでも齢三十台。先輩方から受ける薫陶が道しるべとなる世代です。自らも道しるべとならなければいけない世代でもありますけどね。僕の場合樹海への一本道ですが。
 とても心地よい時間でした。
 それぞれがそれぞれに時間を重ね、素敵な宴席を楽しめました。
 僕にとって大学時代は、やはり二つ目の故郷であり、早大合唱団は、僕の家庭、先輩後輩同期は家族なのです。
 (今居る職場も家族だと思ってるし、居る場所会う人全部家族と感じてますが、事実だから仕方ない。どれだけ大所帯をまかなえるかで男の甲斐性が決まると思ってるこの性格、何とかしないといけません)
  人への接し方が全く解らず、でも寂しがり屋の僕はひたすら人のプライベートスペースに踏み込む事でだけ自分のポジションを確保していたあの時代。自分の居場所にしがみつく為に人を傷つけることも厭わないぐらい根っこが不安定だった時代。年齢関係なく、幼いとはこういう事かと思い出すあの時代。ほんとーにご迷惑ばかりお掛けしていました。特に先輩方、あんな事やあんな事やあんな事ばかり思い出して・・・あああああああ。ごめんなさい先輩。もう二度と裸になりません。もう二度とマーライオンのような真似をしません。もう二度とお子様な真似をしません。でもひょっとしたらもう一回くらいするかもしれないのでその時はお世話してください。<駄目な大人。
 そう、先輩方には大学時代「君らはほんとーに手を焼いたよ!」と真顔で言われるほどに叱られ続けた我が期生。僕らが幼すぎたのかと思ってたけど、30代も半ばに差し掛かり、俯瞰してその頃をおこいだすと、先輩方は先輩方で悩んだり困ったりしていたし、いろんな青春の中で僕らと接していてくれたんだなぁ、と感じました。あの時以上に、少しは対等にお話ができるようになったのかな。
 失礼を恐れず、ひとつ思ったこと。
 年齢を重ねると、人によっては本当に年齢以上にうちに篭ったり、卑近的になってしまったりする事があると思うんです。まあ、人によってなのか時によってなのかはわからないけれど。一般には「所帯じみる」という言葉が当てはまるのでしょうね。
 年の重ね方によっては、話題が全く重ならなかったり、昔の面影が消えてしまったり、という可能性もあります。久々に先輩方に会う前には、そういった切なさを受け止めることも、覚悟してました。
(逆にお前はどうなんだよ。といわれたら、はい、ええ、もうエラく所帯じみたオッサンになってますが。わはは。目の前の生活しかみておらんわ。わはは。)
 が、昨日お会いした3人の先輩の、それはもう素敵だったこと。
 過去は過去で捕われず思い出として大事にしながら、目の前の生活と現実を楽しみながら、未来もちゃんと見ているその姿、けらけら笑いながら人生のヨシナゴトを大事にするなり蹴っ飛ばすなりしながらタフに生きるその姿、やっぱり先輩方は、いくつになっても僕の尊敬する偉大な先輩でした。
 なかなかお会いできないため、なかなか迷惑をかけられなくなってしまってますが(まだ掛ける気かよ)、これからもまた機会があれば、いや機会を作って、皆さんと共に楽しんでいきたいと思います。
 過去を、ね、懐かしんで終わる人たちじゃないと思ったのです。
 いい形で過去を大事にして、次につなげている人たちだからこそ、一緒に楽しんでいきたいのです。
 根っこが同じ場所にあり、未来をそれぞれに見据えている仲間。血縁云々じゃなく、僕はこれを家族と定義・認識しているのです。
 先輩方が嫌がってもついていくのです。

 今聞くと、この曲も回想、回顧の曲じゃなく、未来を歌ってるんだな。
 さすがに回想の曲が中学高校生に受け止められる訳が無いか。

悪友の結婚

 今日は大学時代の悪友 S二郎氏の結婚式。
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 このブログにも何度も登場してくる某W大合唱団第四十期大同窓生一同連ですが、腐れ縁もはや17年近く。20人近い仲間たちも、家庭や所帯を持つ方々が増えてきました。その中、家庭を持つのか持たないのか、どう進展するのかわからなかった悪友S二郎氏がついに結婚。いやはや愛でたい(敢えてこの漢字)。@椿山荘。
 10年前にM佐子嬢が結婚式を挙げたのもココでしたね。あの時は僕が結婚式に遅刻して出られなかったんだよな。婚姻届の保証人にまでなっておいて、なんて失礼な奴だ(僕が)。
 ともあれ、この仲間とは最近式典関係で顔を集めることが多くなってきました(そうでない飲み会も多いが)。それだけ大人になってきたんだよな、僕たち。
 ひとつ、思うこと。
 今の僕が勤める会社は、年齢も若く、まだまだこれから花開く仲間も多く在籍しているのだけど、気風が尖っているせいか、リベラルな環境で社会や未来を語ることが多いです。この前一緒に飲んだ、あらゆる意味で残念な婦女子青年が集まる残念会●柳分科会などまさにこれからのリベラルを担うメンバーだと思ってます。
 翻って、大学の仲間たちは、あまりにも変態が多く在籍してはいるのですが、本道はいたって保守的。勤める会社も大手が多く、管理職や研究職を任されて、安定した日本の未来を双肩に背負うようになってるなぁ、とも感じます(でも変態)。
 結婚式をはじめとする冠婚葬祭ではその違いが如実にわかります。その周りに居る大人たちの姿。立ち居振る舞い。一つ一つにアーティスティックなものや堅実なもの、意思や背負うもの、伝統などを感じるのです。どちらかというとDHはアーティスティックで革新を、四十期生は伝統的で中庸(いい意味ですよ。)を。どちらも大事なことなのですが、軸になるものの違いを感じました。
 リベラルな(そしてクレイジーな)仲間たちと保守的な(そして変態な)仲間たち。僕の目の前に居る人たちを、改めて大事にしていきたい。はい。ええ。
 写真は、今日の新郎の手。
 写真撮影のとき、仲間たちに悪態をつきながら、人知れずそっと後ろ手に新婦の身体を支える新郎S二郎。
 このあたりが、彼の人柄ですね。
 本当に、結婚おめでとう。
 そしてKama、君は披露宴しないのか。待っているのだが。
 批判や反論、鏡返しは一切受け付けない。

大学同期飲み

 「そこは洗顔フォーム、シャンプー、どっちであらうの?」と真顔で聞かれた山本ですこんばんは。
 昨日、久々に神楽坂で飲んできました。ええ、大学の同期生との一年ぶりの再会です。
 つか、みんなは結構飲んでるみたいだけど、僕が夜遅い勤務だからなかなか参加できないのだよね。
 総勢20名近くいる鬱陶しいことこの上ない大学同期の仲間たちだが、この日の参加者は4人。まあ公式ではないので、とりあえずの忘年会でした。
 や、相変わらずの馬鹿同士、語ったことは
 ・裸になるだけが変態じゃない
 ・この年になってもちょんまげ行為ができるかどうか
 ・G越生X
 ・この店のおねえちゃん可愛かった。声かけときゃよかった。
 などなど、棒にも端にもかからない会話ばかりでしたが、幾ばくばかりか楽しい時間を過ごしました。
 最後のひとつは僕の感想です。
 まあ本題はそこではなく。なくですよ。
 久々に社会人の人たちと接してみて、いかに自分が世の中からずれているのか改めて実感しました。
 まずは22時に飲み会がお開きになったこと。そしてそれが自然の流れとしてみんなに受け入れられてたこと。
 え?22時って、これから飲む時間ちゃうの?
 毎日DHで昼夜逆転した生活を送ってると、この辺の感覚が全く変わってしまう。
 昼は笑っていいともを見て出勤、夜は19時ぐらいがちょうど仕事のピークで、22時からあっさり飲むなりして帰宅。終電は定時です。と言う生活は、あまり理解されないのですね。僕は新卒時代からそうでしたが。
 こんなことだと(後ほどブログに書く予定の)朝5時まで新宿COYOTEで飲んでた話など「若いなあ」と半ば蔑みの目で見られてしまうではないか。次の日が仕事でも自分が既婚者でも、その辺は変わらないで居る事が今やおかしいことなんですね。
 また、職場にうら若き皆様がいると言うこともこれほど羨望を集めると思わなかった。
 僕は社会発展及び人類の未来のために、メーカーや研究職についてはならない人間ですので、いわゆる「男社会」の職場を知らないのです。というか、そこが男社会だと昨日初めて知ったよ。
 僕の職場のサイトにはスタッフ紹介が出ており、共に働く仲間たちの姿が掲載されています。リンクは貼りたくないので割愛しますが。知ってる人だけ探してくださいませ。そこの男女比などの話をすると、かなり僕は一般の世の中と違う社会に生きているようです。
 やー。話を聞く限りですが、恵まれた環境にいたんだな。というかみんなどんな職場にいるのだ。そして、その意識自体が親父だろう。仕事に女性がいようが年齢がどうだろうが職務自体にはあまり関係無いぞ。
 あ、でも確かに決め細やかさとか気配りで、非常にありがたいフォローを頂いてます。それ以前に僕は事務面営業面、勤務生活面全面的にケアされていますが。僕は老人ですか。
 うん、でも確かに、日々様々な皆様と接する機会の多い職場と言うのは、結構珍しいのかもね。人とのコミュニケーションには本当に恵まれていると感じています。その分艶々したり毛が生えたりして欲しいのですが。ありがたいよね。10も年の離れた男友達ができたり、10も年の離れた女性陣に虐められたりというのは本来、特殊な御店に行ってお金でも払わない限り無いことなのですね。敢えて言っておきますが僕にそんな趣味は無い。
 会社ではマゾなキャラクターになってますが、よく考えると大学時代は明らかに攻撃側、サディズムキャラだった気がします。具体的にいうと「変態的いじめっ子」。これも昨日の飲み会で思い出したこと。まあその辺は今度の日記でしっかり書きます。
 そして、これはどちらが正しい、悪いと言う問題ではないのですが、感じたこととして。
 ああ、みんな職場ではちゃんと社会人の皮を被って生活しているんだな。と言うことをふと思ってしまいました。
 うーん、それが本当のあるべき姿だと思うのですが、僕できないんですよね。社会人を演じるのは今でも苦手です。職場で見せる姿と大学の友人に見せる姿、さらにはかみさんに見せる姿、どれも一緒です。オールプライベートアンドパブリック。別に「本当の自分」とか訳のわからないことをほざくつもりはないのですが、「自分のポテンシャルを全開にして会社貢献(または友人たちと腹を割る)するには演じてる余裕がまだまだない」と言うのが本音です。
 なんだか、飲んでる節々で、そんな印象を受けてしまいました。いや、みんながんばってるんだなぁ、と言う感じで。
 なんというか、劇画オバQのような切なさを感じてしまいました。
 自分だけが子供のまま、みんな大人になってしまってるんだなぁ。
 そうだとすると、そこにはギャップが生まれているので、発想やビジネスの芽があると信じてます。
 そのためにもお子様のままでいよう。そうやって意地張ってまた大人になるのを拒否してる。おこちゃま36歳。だがそれがいい。(ね、designhoric先生。)何でもかんでも他人と一緒で居てたまるか。皆が大人なら僕は子供だ。或いは老人だ。
 でもそれ以前に他の人と一緒なところってどっかあったっけ。
 
 
 

結婚式@麻布十番


 先週の土曜日は、大学時代の学友の結婚式でした。イン 麻布十番。こんなお洒落な街初めて行きました。東京といえば池袋と板橋と秋葉原と上野です。それ以外は全部ミッドタウンかヒルズです。そんなお洒落なところは僕行きません。
 コヤツ、大学入学時からの付き合い…長いなぁ。大学同期。同じ英文科。そして同じ留年組。大学時代も、卒業してからも、いろいろと助けてもらいました。授業中後ろの席でくっちゃべってて二人一緒に前の席の人に怒られた事もありました。「このアニメすごいぞ」と薦められて、テレ東放映中のヱバンゲリオンを僕んちでぽけーと見てたこともありました。大阪方面や北陸道を深夜ドライブしたこともありました。なんて書くと同性の悪友のように聞こえますが何故か新婦側です。いやいや、変な関係じゃないってば。男女関係無く悪友は悪友です。と言っても、今では会うこともほぼ2年に一回とか、3年に一回とか、人生内のハレー彗星のような関係ですが、それでも僕が受けた影響としては片手に数えられるほど大きな存在の人でした。
 まあ、ぶっちゃて言えば、初恋の人です。はい、ごめんなさい。※1
 つーてもそれは15年近く前の話で、今は腐れ縁もいいところです。
 男友達でも女友達でも関係なく、やはり結婚式はいいものですね。晴れ舞台だなぁ、と思います。出合って15年。柄にも無くいろいろ思い出しちゃったじゃないか。結婚かぁ、と柄にも無くしんみり、且つ嬉しく感じ入りました。
 
 でも、披露宴では、7年ぶりに再会したこれまた大学の同窓生と一緒の席に着いたので、これまた昔話に花を咲かせて延々と新郎新婦そっちのけでビールがぶがぶのんで酔っ払ってました。(最悪の列席者)
 そんな僕らを新郎新婦は見越していたのでしょう。WiiとDSを餌に、「天皇が関係していない乱は以下4つのうちどれか」「マリの国旗はどれか」「90円のボールペンと70円の鉛筆を買ったら2570円だったがそれぞれ何本か。」などという披露宴とは思えないクイズ問題を出しやがり、思いっきり酔いを醒ましてくれました。
 まあ、そんなこんなで、ここのところで一番嬉しいニュース、一番嬉しい一日でした。
 彼女には本当に感謝してます。
 子供だった僕に、人を思いやる気持ちを気づかせてくれたのは貴方でした。※2
 僕が楽しく人生を送ることができるようになったのも、かみさんに辿りつく道を作ってくれたのも貴方の存在があったからでした。
 貴方の存在が、それだけで一人の人生を大きく救ってくれたのですよ。
 君は全く気づいてないだろうが。
 もちろん気づく必要も無く、僕が勝手に感謝してるだけだが。
 ほんとうにありがとう。で、これからもよろしくです。
 むしろ今では僕よりも僕のかみさんと仲がよろしいので、一緒に有閑マダムでもなんでもやっちゃってください。
※1-まだ十代の頃、一方的に焦がれて振られました。
   あの時は若かったのです。まだフサフサしてました。
   フサフサで思い出した。なんとパーマ掛けてウェービーな頭でした。
   今しか知らない人には信じられないでしょう。信じろ。
   と言うかコレは今日の本題と違います。
※2-身についてるかどうかは別
 
 

同窓

 最近、いまひとつ力の入らない、気合の入らない毎日に活を入れるがごとく、大学時代の同窓生と恵比寿で飲む。
 いつの間にか私が飛ぶという話になっており、送別会と言う名目で私が主賓になっていた。わぁお、なんて事だ。僕は東京にいますってば。
 まあ、それはともかく、やっぱりこいつら、すごい。
 大学時代に馬鹿をやったメンバーと言うのは、本当にすごく大事で、心のよりどころとして最高のものだと思ってます。
 通称「40期」と呼ばれるこのバカヤロウどもは、大学の4年間日本各地ありとあらゆるところで寝食を共にし、熱く語り合った強い絆の仲間たちなのだけれども、これが卒業10年たった今でも、本当に強い絆で結ばれている。
 皆義理や人情を重んじる奴らが多く、出会ってから15年近く、事あるごとに面を通している。つるんでいるつもりは無いが、正直、「40期」は全員まとめて一家族、と呼んでもおかしくないほどの結束力を持っている。
 詳しくは書けないけれども、10年前ただの馬鹿だったみんなは、いまや家電製品から戦闘機まで、社長から博士まで、劇団員から某金利貸し社長の傍まで、キャバ通いから子煩悩パパまで、日本の様々な部分をいじくり倒している「力のある馬鹿」になっており、それこそ尊敬すべき第四十代団長が鶴の一声をあげれば日本の一部なら転覆させられそうな奴らが揃ってます。そしてそういうことやるのが大好きそうな奴らばっかり。ケタケタ笑いながら軽い気持ちで反逆を起こすお子チャマwith権力なので、とても恐ろしい。
 これがまた楽しそうに毎日送ってるんだわ、みんな。
 
 今日の酒はとても良かった。気合が入りました。
 僕は奴らの家族の一員なのだ、と改めて思うと、やはり恥ずかしい真似はできません。
 今の職場メンバー&生徒さんたちも家族のように思っていたけれど、今のメンバーを家族だとすると、大学の仲間は実家の家族。親(団長様)に顔向けできないような毎日は送れません。
 筋を通せる、品格ある大きな漢(おとこ)になれるよう、今後とも頑張ります。
 畢竟、僕は僕のためには生きられないし、愛する一族同胞のために尽力して生きていくほうが、好きなのです。
 それが会社のメンバー(今の会社も昔の会社も)であれ、結婚相手であれ、両親であれ、仲間たちであれ。
 僕は人に恵まれています。

ロボッツ

 昨日は仕事で映画の試写会へ。


 「ロボッツ」というアニメ作品なのだが、やー、面白かったです。


 僕は最近(というかここ10年くらい)ほとんど映画を見なくなってしまいましたね。特に映像業界にちょっと足を突っ込み始めたころから。いかんいかん。映像やってるのならなおさら見なきゃいけないじゃないか、と思うのですが、残念ながら眠くなってしまうのですね。スクリーン見ると眠くなる病にかかってから、映画館なんて年に2,3度行くくらいになってしまいましたね。


 その昔、高校時代は毎週映画館に通ってました。毎週木曜日は映画の日、とか勝手に決めて、学校帰りに自転車でチャリチャリ行ってたんだよな。


 まだ富山県高岡市にも、いくつか映画館が残ってたころでしたね。東洋ローズとか大和の隣とか…それでも市内に3館か4館しかないから、2本立てで月に8本も見るともう市内の映画を全部制覇してまた次のタームを待つような状態でしたね。毎月市内の映画を全制覇、てな感じで(たまには学校サボって)行ってました。


 丁度そのころやっていたのは「トータルリコール」「三国志」「ゴースト」「メジャーリーグ」「オペラ座の怪人」…あんまりビッグネームが無いな。


 でも名作珍作奇作に関わらず、数多く見たのは今となって財産です。とにかく数多くの作品を見る、と言うのはモノを作るうえで一番大事なことと今も信じてます。無論、生きていくうえでもね。高校時代に学校サボって家で本読んだり映画見たりしてたのは、むしろ勉強するよりも今の自分の役に立ってる気がするなぁ。


 なんてことを思ったのは、今回の20世紀フォックスの試写会室が、スケールといい会場の雰囲気といい、今はつぶれた高岡の東映シネマにそっくりだったからなんだよね。150人入れば満杯の会場、あまり大きくないスクリーン、さびれ具合(試写会室なのだからさびれている訳無いのだが)…なんか高校時代を思い出してしまいました。


 で、本題の「ロボッツ」の話が全然でてきませんね。はい、ごめんなさい。