ろくでなしブルース

ろくでなしブルースは週刊少年ジャンプ黄金期の名作ヤンキー漫画です。が、僕が惚れ込むろくでなしは前田太尊のようにオトコらしい素敵なナイスガイではありません。
 
 
 
 
 
 最近、ひたすらに映画づいてまして。それほどハイペースではありませんが、一日一本くらいDVD鑑賞を楽しんでます。仕事帰り、自宅についてはまず一本。あるいは映画館で1本。高校時代を思い出すような映画の毎日です。
 僕にとっては、映画は娯楽の兄貴分、です。
 80年代に中高生を経験した僕らの世代は、本当に娯楽に満ち溢れてました。幼い頃から、プラモデル、ゲーム、ラジコン、テレビ、映画、音楽、漫画・・・バブルと重なる部分も含めて、飽食の娯楽を満喫していたと思います。あわせて、それぞれ個人によって娯楽のノスタルジーを感じるポイントも、大きく分かれている世代とも思います。
 僕にとって、娯楽の王様は何よりゲーム。ゲームばっかりやってた中学高校生でした。
 ゲームの話は今日の本題ではないので割愛しますが、そのゲーム自身が憧れ、表現技法を盗み、成長の糧にしていた娯楽が、あの当時は映画だったと感じています。
 当時の映画・・・バックトゥザフューチャー、ターミネーター、エイリアン、ゴーストバスターズ、グーニーズ、ポリスアカデミー、ロッキー、ドラえもん、スタートレック、スターウォーズ、バットマン、etcetc・・・。映画自身もこれでもかと言うくらいの娯楽を僕らにたたきつけてくれた時代です。
 その映画からワザを盗んで(決して映画的な表現になってる、とか言う意味でなく)、人を楽しませるテクニックを磨いていたゲーム。僕は映画もゲームも好きでしたが、その順列で言うとゲームは本当に恋人。映画はそのお姉さんにあたる、敬意入り混じる憧れの存在だったのです。
 そんな話はさておいて。
 その意味で映画ブームがあるのは僕の中でよくあることです。近所のTSUTAYAに行ってはレンタル、購入とがさがさとあさりまくる毎日です。
 特に今は80~90年代映画ブーム、久々に見るものや、当時見そびれたものをまとめて借りこんでいます。ここ2週間で見たものから面白かったものを抜粋すると・・・
 ダークナイト、攻殻機動隊、ファイトクラブ、レザボアドッグス、マッドマックス、ダークマン、3-4×10月、タワーリングインフェルノ、タクシードライバー、炎のランナー、兵隊やくざ、網走番外地、広島の抗争、麻雀放浪記 etcetc・・・。
 
 並べるだけでも偏ってるのがお分かりかと思いますが、そうです、今日の本題。「僕はろくでなしオトコが登場する映画が大好き」なのです。今日はろくでなしについて大いに語りたかったのです。
 が、あまりにも前文だけで長文になってしまったので、本題はまた後ほど。
 ちなみにやくざ映画だからってろくでなしオトコが出てる訳じゃないぞ。おやくざさんとろくでなしは全く別次元でのオトコの在り方です。
 今一番僕が惚れ込んでいるろくでなしは鹿賀丈史演じる”ドサ健”。後日また暑苦しく滔滔と語ります。

肉体経験

 経験は何より大事、と思うことがあります。
 知恵と知識、情報、の違いなどを延々と語るまでもなく、人間が「知っている」事には大きな幅があると感じています。
 この前、深夜に自宅近くの公園をジョギングしてまして。なんとなくそこにあるウンテイやアスレチック遊具(大人使用可能なもの)を使ってトレーニングしてみたんですよ。
 特にウンテイ、いわゆるモンキーレーン。手でぶら下がって移動するアレ、ですね。
 僕は腕力があまり無いため、アレを使ってトレーニングを行うことがあるのですが、先日、特に面白い経験がありました。
 高さは大体2m。ぶら下がっても足から地面までは30cmほどしかありません。
 でも、実際に手を離して降りてみると
 「!」
ええ、身体がものすごく重く感じるんですね。ドサッと降りてしまいました。
そこで
 ・落下と飛び降りの違い
 ・重力の本当の力
 ・自分の体重の本当の重さ。
 みたいなものを肌で感じたのです。いや、これ、本当に良い経験でした。つかその後毎日のように身体を酷使することに喜びを感じるマゾヒストになってます。元からとか言うな。
 時を同じくして、最近は自宅でDVDの映画を観ることも多く、特にアクション映画もたくさん観ているのですが・・・。
 映画を見た後って、自分が主人公になったくらいの気持ちで、身体が軽くなったりアクション俳優になった気持ちになるんですよね。あれ、僕だけ?
 酔拳みたあとは自分もジャッキーチェン的気分だし、ファイトクラブの後はタイラーダーデン、ダイハードの後はマクラーレン警部、ダークナイトの後はジョーカーの気持ちになってました。一人だけ肉体派じゃないのがいますが、まあ精神的に。それはそれでやばいですね。ジョーカー様最高。
 そのときには気分と身体が遊離してて、自分は万能な、そこまで行かないとしても自分の身体でできる範囲がとても広く感じているのですね。2階くらいなら平気で飛び降りれるだろう、とか切れのある動きが出来るだろう、とか。
 でも、実際に落下してみたら、30cmでもうこの重さですよ。映画みたいにかっこよくできるわけが無いのです。現実と理想のギャップ。肉体と空想のギャップ。これを認識しておくことの大事さ、身にしみて感じました。
 実際に経験することの大事さ。それは、本当に重要なことだと思います。
 経験をしなければわからないこと、経験をしてみて始めて自分の立ち位置、理想とのギャップ、そういうものが認識できる。それが本当の知恵だと思います。
 (この続きは僕のSNSにて。
 …いや、ズルしたり、SNSに囲い込んだりしてるんじゃないの。
 自分の文章が何かを批判した言葉になってないかどうか、クローズドで確認したいだけなのです。)

人生で最も大切なのは人との関わりだ。

以前、会社の仲間がブログに
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「アンヴィル」をDVDで観たよ。
泣いた。
これは泣くよ。
泣かざるをえない。
日本人は全員みるべきだと思った。
みんな観るんだ。
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(以上引用)
 と書いていたから、ほう、どんなものかと思いレンタルしてきました。

泣いた。
コレは泣くよ。号泣する。
年の数だけ余計に泣ける。
これがリアルだ。リアルドキュメンタリーだ。
真実かカメラ前の演技かなんて関係ない。
彼らがリアルなのだ。
みんな観るんだ。特に日本人は。
純粋でいい人で夢を追う少年のような僕はこういう話に弱いのです。
批判・反論は一切受け付けない。

ALL THAT I NEEDED

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今日は横浜でクリエイターの仲間たちと定例の報告会。
や、定例ってこれは初めてなんだけど。これから毎月やろうと言うことで。
お互いに近況や状況把握をしながら、次の展開を考えていこうと思っています。
現場の言葉はやっぱり響きます。
ふと、遠い昔のことを思い出しました。
1997~99年。僕はある制作会社で「世界自然・野生生物映像祭」というイベントのディレクターをやっておりまして。
 このイベントは、世界中の野生生物のドキュメンタリーを一同に数百本集めて、審査して上映するという、とてもドキュメンタリー好きにはたまらないものでした。
 野生動物のドキュメンタリー映像というのは、映像の世界でも非常に特殊で羨望を集める世界だそうです。
 デビットアッテンボローを筆頭に、映像の知識はもちろん、動物学、地質学にも精通し、かつ「いつ生まれるか解らない卵の孵化」や「いつどこに出没するか解らない鳥」のワンショットを確実に収めるための、先回りできる知識と一瞬を逃さないカメラ技術と時の運(一度とりそこなったら1年待たないといけない画がたくさんあります)が必要。そして野生の凶暴動物を取るにあたっては安全性の確保や、何日もキャンプを続ける体力、もちろんそのクルーを纏め上げるリーダーシップと予算。エンターテイメントじゃないから、企業はスポンサーにつきません。世の中の野生保護に興味を持つ資産家から予算を引き出すプレゼン能力も必要になります。
 そんな知力体力時の運財力全てにおいてスーパーマンな映像作家何十人と同じ空気を吸えた、と言うのは今思うととてもすごい環境だったんだと感じてます。その頃はまだそこまで意識できませんでしたが。。。もったいない。
 イベントの運営を成功に導くのはもちろんですが、世界中のドキュメンタリーディレクターやカメラマンの生の声を聞けるチャンスとして、BBCやナショナルジオグラフィックの方々ともいろいろお話しすることができました。(ほんの少しですが・・・)
 その当時、世界一線級のプロが話していたことは・・・
・現場にどれだけ居られるか、それだけが勝負。
・お金じゃないんだ。ただ映像を作って人に見てもらう。その崇高さが僕に作らせるんだ。
・人としての愛嬌が大事。映像はみんなで作っていくんだ。(プロの仲間と言う意味での)サークルに入れない人は、出番が与えられない。
・知識、技術・・・あって当たり前。そして、ずっと勉強し続けなければならない。その姿勢こそが、プロなんだ。
・つらいことはたくさんあるけど、とにかく楽しむこと。現場の空気が映像に現れるよ。
 などなど。どれが誰の話かまではもう全く覚えてませんが・・・。
 で、話が元に戻って。
 今日、クリエイターの仲間たちと話をしていて感じたのが、上記世界のドキュメンタリー作家が語っていることと、僕らの仲間が語っていること、全く同じだということ。10年の年月を経て言葉の内容は風化もしていないし、プロの線を越えた人は、みな、同じ思いを持っているんだと再確認。そして僕はいつも、こういう仲間が側に居る環境に居させてもらっている、そのことに感謝。
 これからも、がんばります。
 久々に野生生物のドキュメンタリー見てみようかな。今見ると、またあの当時とは違った見方ができるかもしれない。
PS-YoutubeからBBCのWildLifeをみつけてきました。
 当時一緒に映像祭の現場に居た、くーたさん、Qaz…このアッテンボローのナレーション、懐かしくないですか?

 

感情のコントロール

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 昨日「情緒」と言う言葉を使ってしまったので、そのつながりで。
 情緒、すなわち感情の振れ幅やその心持自身。
 感情自体の器というか、感情そのものというか。
 この、情緒についてふと言葉にするとき、僕はいろんなことが頭をよぎるのです。
 特に思うのが「感情のコントロール」ということについて。
 僕の持論は、感情はコントロールできるモノでもあるし、時に誰もがコントロール不全に陥るもの、だと認識してます。そして、コントロール不能なのは決して弱いからでなく、コントロールできない「時がある」のが普通だと思うこと。
 まあ、いろいろな経緯の中で、感情機能の障害やそれが巻き起こす問題、家庭不和などもたくさん見てきました。特にここ8年~20年ほど。この幅については別途。実際医学的に調べ始めたのはここ5年ほどです。
 自分が感情について知っている、詳しい、と言う気はサラサラないですが、なんというか、その、少しでも感情に因するトラブルが少なくなれば、よりお互いに幸せに生きられるのではないかなぁ、と、常々思いながら暮らしているため、こういった記事をしたためているわけでございます。
 あ、とはいえ昨日のブログに書いたとおり、あまり身のある話はできないので、その辺はご了承をば。
 なんというか、他論を見てると「感情はコントロールできる、できないのは弱いから」論の方と、「感情があるのが人間、自然のままに思い切りぶつけることが人間らしい」論の方がいて、そのどちらも僕は正しいと思ってるのですが、お互いが持論の中で攻撃しあってるというか、「真実は常にひとつ!」的な強迫意識を感じてしまうのです。どっちかが正しい、みたいな。そもそも上記二論は同軸上にないんですけどね。
 
 うん、人と接する中で、感情を揺らさないことは、トレーニングでできるもの、だと信じてます。僕できませんが。すぐ怒るし。泣くし。興奮するし。はぁはぁするし。
 トレーニングといっても、他者や社会から自分が愛されていることをきちんと認識すること、だけだと思います。自分がここに居てもいい。自分は受け入れられている、と思える方は、自分の根っこがしっかりして、下手なことでは不安になったり感情が暴走したりしません。
 なので皆さん僕を受け入れてください。愛してください。
 ただ、とはいえ、感動したりショックを受けたり、世の中に出てると感情は大きく揺さぶられることがありますから、上記のような自分の居場所を一瞬見失うことがあるのも人間です。そんなときに言いようのない不安や焦りから、怒りや悲しみ、絶望を感じることも、まあ、普通にあることだと思うのです。
 これを普通だと思えるようになると、時に感情が振れ過ぎて、おかしなことになってる人が居ても、それ自身を受け入れられる(許せる)ようになってきます。許せるから僕偉い、じゃなくって、そのほうが僕も楽なのです。「なんでそんな理不尽なことするんだよ!」じゃなくて、「おお、あんさんも人間やからな。」という風に。
 多分このあたりは、子どもが居る方にとっては普通に感じていることなんじゃないかな、と思います。
 僕はいつもヒトと接するとき、その人の感情がどれくらい安定しているのかをみてしまう癖がついてしまいました。(なぜなのか、詳細は割愛します。個人的な話になるので、僕のSNS内で記します)
 その人が事象に対して喜怒哀楽を感じるのか、感情不全や焦りを感じてしまっているのか、そこを見て、接するようにしています。
 せめて、僕の周りにいる間は落ち着いて、安心してもらえるように。
 僕だって絶望感じているヒトをそのままにしておきたくないですから。鬼じゃないし。
 てな訳で、感情、情緒、と言うことを口にすると、いろいろと思うことが出てきてしまうのです。
 語るともっと長くなるので、とりあえずこの辺で。
 まずは何より、みんながお互いに仲良く暮らせますように。
 トラブルの因のほとんどは感情によるものだと、僕は思っています。
 うわこの僕が人間論語ってるし。どうしちゃったのだ。
 教祖にでもなろうとしてるのか僕。
 煩悩教祖というのもニュージャンルで良いかもしれない。
 皆さんお布施ください。現物でも可です。

ためになるブログ

 僕は毎日、結構なボリュームのブログを見ています。RSSリーダーで250ほど。新規に見つけるブログで一日30ほど。
 友人・知人は当然、見ず知らずの人のブログもいろいろと拝見させて貰っています。
 (自社員方のブログは、知りえる範囲ほぼ全員目を通していると言ったらストーカー扱いされた。ひどい)
 そこで思ったこと。
 世の中には中身の詰まったブログ、ためになるブログが多いなぁ、ということ。
 いや、誰かを指名しているのではなく、一般論として。
 毎日見てるブログではなく、何かを検索すると出てくる検索結果に含まれるブログに多いのです。
 「ダイエットに成功するためのブログ」や「ビジネスが巧くいくための●つの秘訣を紹介するブログ」「Webサービスを有効活用するためのブログ」などなど・・・。
 いや、純粋にすごいなあ、と思うんです。
 僕には絶対に書けない事だし、すばらしいと思うのです。
 が、同時に、僕がブログに求めてるものは「役に立つもの」や「ためになるもの」じゃない、という事もひしひしと感じるのです。
 僕は仕事に役に立つことをブログから吸収しようとは思っていないし、お金儲けの方法も、ダイエットの方法もビジネスを活性化させる方法論も・・・そもそも情報を手に入れよう、ブログから学ぼう、勉強しようと一毛も思ってないのです。そもそも毛がないとか言うな。
 じゃあ学びもしないで、何で読んでるのだ、と言うのは愚の骨頂。
 ただ楽しむために、読んでいるのです。
 (学ばなくて良い、とは決して思ってません。呼吸をするように、学ぶことは自然に行うものと考えています)
 僕はブログを読んで何をしているのか。結論は「情緒を楽しんでいる」のです。
 その人の情緒、粋、などなどを感じて、楽しんで、それで終わりなのです。酒をたしなむ様に、ブログを読むのです。中に何が書いてあるかは全く重要ではなく、行間や言葉の使い方、デザインをたしなんで、それで十分なのです。ビジネス論を書いていようが書評を書いていようが、旅行記を書いていようが、乱交日記を書いていようが、僕には内容による違いはほぼ無関係なのです。
 その意味で、「ためになる」「役に立つ情報が載っている」ブログは・・・うん、一側面充実してるのだけど、情緒の面で特筆するサイトというのは、身がある分なかなか良いバランスで楽しめるブログは少ない・・・と感じます。役に立つ情報が載っていて且つ行間軽やか、筆者の生き様や演出が見えるブログって、なかなか見つかりません。404 blog not found や 成毛眞ブログ切込隊長ブログなどは両面どちらも充実してて、楽しく毎日読んでますけどね。
 上記3つのブログに、共通してるのは「好きなものは好き、嫌いなものは嫌い」という徹底したエゴ意識を包み隠さないこと、ですね。これ本当にすばらしいことだと思います。いや、冗談抜きで。俺が書いているんだ、というまごう事なきブロガーのエゴ。そうそう、僕はこれが見たくてブログを読むのです。中身の有無には関係なく。
 逆に「ためにならない、情緒溢れるブログ」というのも、これまた今のご時勢少ないと思うのです。
 僕はこういうブログが読みたいのに、見つかるブログがほとんど、身のあるブログ、ということで、その意味でちょっと僕は時代を逆行してしまっているのかな、と感じ、さびしくなるのです。
 泉鏡花や団鬼六みたいな、リズム感あるブログが読みたいなぁ、と思います。むしろ何も考えずにリズムと色恋やブロガーの日々の機微、軽いエゴイズムだけをたのしめるような。
 僕は中身のない人間なので、中身のあることは書けません。むしろ最初からあきらめてます。
 だからといって、情緒の部分も・・・自信ないのだけどね。はい、がんばります。
 ためにならない、だけど読みたくなるブログ、を目指します。
 ・・・ためになる読み物、とか、ためになる人、とか、
 疲れる時もあるからね。

SNS”輔家”オープン

ちょっと暇だったのでSNS作ってみた。
sns.jpg

Links to 輔家

 SNS「輔家」です。すなわち僕の家です。
 僕の僕による僕のためのソーシャルネットワーキングサービスです。
 と、不遜なことを書きましたが、僕の仲間内とコミュニケーションをとったり、仲間内の雑談を楽しみたいというときに使う場所として作ってみました。
 そんなんMixiでもいいじゃないか、というかもしれませんが、ここは賃貸物件と自己設計の一軒家のどちらがいいか、的な話で、僕は「全面的に自分が管理してる場所じゃないと嫌」なワガママな性格なため、自分でSNSを立ち上げてしまいました。
 時代はすでにSNSじゃないだろうというのは承知の上、でも、そこでまた何かできることがあるんじゃないかと自らPHPを学んでOpenPNEを理解して、自分で作ってみちゃいました。
 ご興味ある僕のお知り合いの方、ご参加よろしくお願いいたします。
 訪問資格は「山本輔のリアルな知り合いの方」です。
 または僕の知り合いが信頼して紹介してくれる方。
 上記リンクから「初訪問」をクリックしてくださいませー。
 携帯からでも登録可能。ここ3日間は承認要らずにしています。
 何か得があるのか、と言われると困ってしまうのですが、「表で出さない僕のまともな部分が見られる」ということくらいでしょうか。そんな事言われても困ってしまうと思いますが。ええ、ごめん。
 ログイン先は、この左メニューに掲載しております。わぁおなんて親切な設計。
 かみさんにSNS見せたら「友達いないの?さびしいの?」と慰められました。
 そんなつもりありません。ないですったら。