この本の原題は「Inevitable」。インターネットの次なのかどうなのかは分からないけど、あの当時と同じように(否、あの時から、そしてその前からずっと続いているのだ)、日々が変わっている。あの頃の革命は「情報の接続」〜「データアーカイブ」にポイントが置かれていた。それは2005年ごろから更に変化し「プロセスの記録化」「情報の取捨・検索性」を経て、今はその潮流が「プロセスそのもの」になってきた、と思う。人の本質と各人の物語はそのまま膨大な記録として残され、何を作ったのかという「プロダクト」よりも作り上げる「プロセス」が人に感動を与える(今までもそうだったけどね)。
そう、感動、なのだと思う。これまで、マズローではないけれど、身元の安全や快適を求めて発展してきた技術は、感動とアクセスできるように変化してきたのだ。そして、それはこれまでの大衆化に必要だったテンプレート化という手法ではなく、全くのオリジナルとして存在・表徴できるようになってきたのだ。
というのが僕の見立てと感想。
まあ、生きてきて、よかったと思うし、これからどんどん生き易い時代になっていくと確信している。少なくとも僕は。夢と希望にあふれる世界だと、信じてきて良かったし、それを後押ししてくれる書籍だった。
昨日は制作発表という名の卒業式だったのだが、その1時間前までは新しいクラスの初回授業であった。
そして明日はまた新しいクラスの初回である。たしか先月も制作発表・卒業式があり、その翌日は初回授業であった。
何を言っているかよくわからないが全て真実である。
そのため、今日はニンジャスレイヤーを読み、明日に向けてセンセイソウルを貯めてジツを扱えるようにザゼンを組むのである。
アイエエエエ!
バルト→ドゥルーズ→スピノザ。
ドゥルーズの語る「差異」について考えるとき、どうしても再帰的な自己の能動・受動の関係に目を向けなければならない。
そして「エチカ」に描かれた万物因子の汎神論に立ち戻るとき、僕はまず何より自分の本職である映像編集と重ね合わせた姿を考えてしまうのです。
万物には必ず究極的な原因がある。それは物体に限らず、物語にも。それこそが実態であり、神であり、自然であるとスピノザは語る。
映像を重ね合わせていくときに、そのカットの並びには必ず因子がある。それは巨匠が積み重ねてきた理由や番人への浸透といったものに限らず、決定された因子がある。それは撮影と編集、という技法的なものに依らない、自己触発的な再帰性をもった物語の表現における「本質」が。それがいったい何なのか、未だに僕はわからないけれども。そして、この部分について深く考えると、やはりその先にはロランバルトが存在している。これもまた輪廻の物語ではないだろうか。
なんで今更現代思想史やねん、というなかれ。
僕はこの本を「スゴ本」で知ったのだが、その書評の通り、想像つかない切り口からの俯瞰視点が面白い。歴史順、影響順ではなく、あくまで精神・生命・歴史・情報・そして暴力(!)といった区分けで淡々と描かれている。
一つの物語として読んでいくことも可能で、西田幾多郎〜文化人類学〜デリダ〜ハイデッガー…からのマルクス主義とルネサンスといった縦横無尽の八艘飛び。まるで、山下洋輔の「ドバラダ門」を読んだ時のような時間混乱感覚にある種の陶酔を覚えるのです。
92年、僕はもちろん生きていた。あの頃、僕はタイに気持ちを向けたことがあっただろうか。89〜92年の東ヨーロッパ(チャウシェスク政権含む)、中東、様々な現実があの頃には詰まっていたし、今もそれほど変わらない密度で、世界は熱を帯びている。
(以下引用)
民主主義が続くと、大衆が無制限に自分たちの要求を押し通す結果、無政府状態になってしまう。その混乱を収拾するために独裁者が現れる。独裁制はやがて君主制になる。王政が続くと、その権力はやがて貴族に、ついで権勢家、資産家に分散されていき、やがては民主主義となり、それがまた無政府状態に堕していくーという循環である。
(引用終わり)
2年前、会社を退職して「辞めました!独立しました!」と挨拶に伺うと、想像以上の方々からものすごく応援して頂いた(ここでいう応援とは、事業を作ってもらったり、仕事を発注いただいたり、技術サポートをもらったり、ということ)のを覚えています。
なかなか信じてもらえないのだけど、会社を辞める前に「独立準備」とか「顧客づくり」とか「事業計画」なんて、何にもしてなかったのですよ。もっと言うなら貯金もなかった。わずかにあったお金は退職後1ヶ月間で台湾とロサンゼルスに遊びに行って無一文になって帰ってきた。40代既婚男性として「準備も金も無し。それで良い」とは心底全く金輪際思わないし誰にも勧めないのだけど、要諦はそこ(事前準備)じゃない、と思えるのです。
独立の挨拶に伺うときの心持ちは、お世話になった先輩方への面通しであり、それこそ不遜にも「お仕事ください。食べさせてください」という依存心はありませんでした。でもそれは覚悟の上で、それこそ一人でやっていく、という心持ちでいることで、逆説的に支えをしてくれる方々がいることを、(今にして思えば)知る機会だったのです。
今でも、その頃に支えてくれた方々への恩は生涯返しきれないものです。というかまだまだ支えてもらってます。
今はなんとなくわかります。「リスクを背負って一人で漕ぎ出す」覚悟をした人間を、応援したいのです。僕も応援してもらった側として、次のチャレンジャーを応援していかなければならないのです。
「将来起業したいと思ってる」とか「こういうアイディアを考えている」ではダメなのです。
「生きていけるかどうかわからないけど、辞めちゃいました!」という「自分でリスクを取った」人でないと解らない分野に足を踏み入れた瞬間に、仲間として迎え入れてくれる方々が、確実にいるのです。
世の中は「成功するビジネスアイディアがある」人に投資したいのじゃない。
「俺、一人で頑張ってみるわ」という自立心のある人と、共に生きていきたいのです。
僕もね。
UNK PLAYを得意分野として活動する実力派DJ AKKY。
彼のFACEBOOKページにて紹介いただきました。恥ずかしや。
DJ AKKYと僕は主に歌舞伎町界隈にてコンビで活動しています。
お互い敬愛してやまないPrinceのイベントでは超絶変態トリッキー演出をぶちかます予定です。
次のプレイは9月16日@新宿BE-WAVEの予定!
Photo:Ayako Sayama
隙あらば映画館
ほぼ10年振りのダーツ。昔はよくハマったものです。170以下のダブルアウトアレンジ表を覚えてました。今や投げ方も覚えてない。耄碌。