大学時代について

tycoon
 僕はこのブログであまり大学時代の事を詳細には語らない。その理由の一つに、僕の卒業した大学は、あまりに名前だけが一人歩きしすぎている事が挙げられる。僕の母校は、良くも悪くも有名な大学になってしまったのだ。様々な意味で、色眼鏡で見られてしまう大学名を背負ってしまっている場所であるからゆえ、その名を挙げる事を控えてしまう。
 そして、僕の大学生活は、この母校だからこそ経験できるものだった。その名前と生活があまりに密接に結びつきすぎていて、母校の名を語らずにその当時の生活を語ることが難しくなりすぎているのだ。
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 大学に入学する前のこと。まだ今よりは純粋な気持ちを持っていた僕は、第一志望第二志望という区分けで志望校を選んでいなかった。そこには滑り止めや人生のプランというものはなかった。どうしても、この大学の文学部以外には行きたくない、と心底惚れぬいた場所があったのだ。そして縁あって、僕はその希望の大学の、希望の文学部に行く事ができた。望み通りの場所を母校と呼ぶ事ができて、僕は心から嬉しかった。
 だが、その大学に求める希望自体が大きく捻じ曲がったものであり、更にはこの場所に属する事で更にその捻じ曲がり方が肥大する事になるのだ。僕の希望通りに。
 その大学の文学部はもう、あまりに全うな価値観から凋落したヤサグレ集団だった。
 そもそも文学部なんてもの自体が社会の役に立つものではなく、どこまでも果てしなく自己内面にもぐっていくものだから、あまりロクなものではない代物なのだ。
 引用させていただく。
「文学部というのはカネや安定に価値をおくことなんてまずなく、カネがなく不幸で転落して、ダメな人生を生きることに価値をおく。文学部なんて小説でも書かないかぎりそれでビジネスで成功したりカネが儲かるという栄光からほど遠いものである。
 はっきりいえば挫折と転落と、凋落を糧に文学部的価値観は躍進する。文学部は職を転々として、女にだまされ、借金をつみかさね、悔恨や後悔でいっぱいの人生や精神に価値や憧れをおくものだ。いわば失敗した人生に憧憬と崇高をみるのだ。経済学部的価値観が転倒したものだといえるだろう。」
Links to 経済学部的価値観より文学部的価値観のほうが幸福かも
 その中でも、僕の属していた大学の文学部は、全国の高校から選抜されたキングオブ駄目人間・スレッカラシ人間・堕落人間が集まってきていると過去から喧伝され、評判の場所だった。また実際、噂以上ににそうだった。まるでスポーツ選抜のような風体で、駄目人間選抜試験をやったのじゃないかと思うくらい。そしてその場所に受かった僕は駄目人間合格者だったという事か。ありがたい。
 因みに、凋落、ヤサグレなんて言葉を使ったが、これは決して悪口ではない。むしろ、金銭や出世、女性からモテるといった社会の価値観から如何にはみ出るか。借金をこさえたり博打で失敗したり女性に捨てられたりしてどのように凋落した駄目人間になるかを競い合うような場所だった。いろんな人生の破滅、堕落、絶望をやることこそが大学生活の価値だと思っていた。少なくともこの大学においては。
そしてそれこそが、人間修養であり価値観を高めあう事だと心底信じていた。そして、そう信じている人たちが廻りに沢山居た。確実に居た。更には教授に至ってもそういう考え方だった(と思われる)。
 どれだけ社会の枠から堕ちることができるか。それを心行くまで競い合い、心を震わせ、考える事ができた時間。それが僕の大学時代だった。常に小脇に抱えた書籍と共に。
 先人達が、自身の大学時代を書いた小説やエッセイも多数残っているが、そのどれも自虐的に駄目な生活ぶりを描いたものばかりだった。そして高校時代にそれを読み漁り、僕は全うな社会人から踏み外した道に目覚めて憧れてしまったのだ。
 だからこそ、言い訳の仕様がない。その堕落した生き方に惚れてしまって、その堕落を求めて、入学してしまったんだ。「こんなはずじゃなかった」なんて全く思わない。駄目人間になるべくしてこの場所に入り、希望通り駄目人間としてのスキルを高め、社会に非貢献する立派に価値観を間違えた堕落社会人として成長する事ができた。
 僕はそうなるために、そういう未来のために、この大学に来たかったのだ。そして希望したとおりの生活をし、学ぶ事ができたのだ。それはそのほかの大学で学ぶ、いわゆる研究や学問といったことから全く外れた、ただの放蕩であったとしても。その放蕩をどの大学よりも高いレベルで行う優秀な駄目人間が集まる大学で、巷の価値観から離れても、豊穣な人生を歩むための修練を積む事ができたのだ。贅沢な事をさせてもらったと思う。
研究とか論文とか書いている学生をみると、えらいなぁ、と心底思ってしまう。僕の経験してきた大学時代というのは、万人の考える大学時代とはちょっとずれてしまっているようです。
 その人生の延長線上に自分の今があると思えば、うん、全然悪くない。楽しく生きさせてもらってると思う。文学部卒業生らしい、30代になれているんじゃないかな、と自分でも思える。ある一側面に限り、僕は強くなる事ができたと思っている。幅広い価値観と、堕落を受け入れる包容力。社会的価値を生み出しているかといえば、うん、ごめん。

長年の夢

 元気を取り戻し、大分時間が経過しましたが、その間にあった大きな出来事について。
 いや、まあ、大きな出来事、と言ってもあくまで個人的な大事件なのですが。僕の人生としては十指に入る位大きな出来事です。
 もう、いやになるくらいこのブログに書いてますが、僕は地域の祭り、神社、といったものが大好きです。特に曳山と獅子舞については、何をおいても駆けつけるくらいの大好物です。
 関東に住み始めて20年。休みの日にはあちらこちらの曳山をカメラ片手に見に行くと言った趣味もあり、今では僕の人生のフィールドワークの一部として祭りが根付いています。
 そんな僕の人生に大きな影響を与えた、そして僕が最も愛している、祭りの原風景ともいえる祭りがこの、富山県 伏木神社例大祭 通称「けんかやま」

6台の曳山を町中引き回し、その中ではお互いにぶつけ合って熱狂する「けんかやま」の名に恥じない喧嘩祭りです。
Links to けんかやま公式Webサイト
あまりに好きすぎて自分でファンサイトを作り上げるほどでした。
Links to けんかやまファンサイト
 毎年この祭りの日には地元に帰り、親への挨拶もそこそこに(親不孝モノ)、祭りを見に行って深夜まで曳山をおいかけていました。そう、この祭りは、厳密には僕の地元ではなく、祖母の地域、いわば隣町のお祭りだったのです。
 この祭りも200年近い歴史を誇る伝統祭です。地元民により継がれてきた行事であり、隣町の人間であっても、むやみに曳山に触ることすら、許されてきませんでした。
 さらには、女性が曳山に触れるのが許されたのはなんと2002年!200年間女人禁制のまつりでもありました。
 僕は昔からこの祭りが大好きで、隣町の住人にもかかわらず参加したくて堪らなく、「将来は伏木の町に家を建てて曳山を曳くんだ」と大きいのか小さいのかよくわからない夢を語り、その夢に向かって?まい進する人生を歩んできました。
 とはいえ、「伏木の町に家建てる」と言う事が夢としてはとても微妙で、愛媛出身の子と結婚したり、東京で職を見つけたりするうちに、人口数千でコンビニすらない(本当にない)伏木の町で暮らす、と言う事の非現実性に気がつき始め、いつしか「僕は曳山を曳くことは出来ない、ずっと見学者のままなんだろうなぁ」という気持ちになっていました。
 しかしながら、過疎化の影響から、幸か不幸か、伏木の町の祭り参加人数も減少してきており、外部の人を受け入れるようになってきた、という声が聞こえてきたのです。
 祭りを愛する人間としては、外部の人を引き入れなくとも、地元の人たちだけで継いでいけるにこしたことはないと思ってますが、それはそれ、これはこれ。僕にとっては朗報でした。
 とはいえ、東京での仕事が忙しかったり、何かと入用で、祭りに参加すること自体は「いつか参加できるだろうな」という安堵感とともに、大人のオトコの夢としては、どこかに置き忘れてきたような心持になっていました。
 が、去年、震災があったり、自らも病に臥したりと身の回りが変化しており、「自分の夢も果たしていかないといけない」と思いはじめ、祭りの実行委員会にメールで参加希望の旨を伝えてみました。
 答えはアッサリしたもので
「曳山をひきたいという件については、各町制限はありませんから大丈夫です。ただ法被がないとひけません。私の町内は湊町ですが、よろしければ準備させていただいてもかまいませんが。」
ええええええええ。法被?そこ?そこ問題なの?いいから、法被とかいいから。何着でも買っちゃうよ。法被用意して参加できるならいくらでも用意するよ!
というわけで、なんと、38年の夢が叶い、僕は曳山を曳く事に。祭りに参加させてもらう事になったのです。これを幸せと言わずに何という。僕にとっては夢の舞台です。これ以上の幸福はありません。
けんかやまの写真
 いや、もう、祭りって本当に素晴らしいですね。ドーパミンやらアドレナリンやら、脳内物質が出まくりました。曳山を曳いているだけで胸にじーんとこみ上げるものがある。曳山のぶつけ合いをしていると生きてる実感が沸き起こってくる。もう多幸感溢れる、本当に素晴らしいひと時でした。38年生きてきて、今が一番幸せなんじゃないかと思ったくらい。曳山の上で舞っている時、真剣にそう感じました。(写真の「この人」と書いてあるのが、一番イっちゃってる時の私です。)
けんかやま 夜への情熱
 地元の公民館で食事をしたり、着替えをしたりというその一つ一つの所作がもう嬉しくて仕方ない。何度も書くけど、ここまで幸せなひと時はそう感じたことが無い。
 今、東京に帰ってきて、放心状態です。とはいえ、充実感満ち溢れていますので、明日からも元気にがんばります!