大丈夫

今まで大丈夫だったから今日も大丈夫!というのは何を担保していない。
昨日運転して事故なかったから今日も大丈夫。

昨日会社が潰れなかったから今日も大丈夫。

昨日家族が夜逃げしなかったから今日も大丈夫。

昨日逮捕されなかったから今日も大丈夫。

昨日地震起きなかったから今日も大丈夫。
ただ、全てにおいてこの担保を外すと発狂しかねないし、生きられないので、バランスは必要。しかもどのバランスで大丈夫と思うかは他者がルール化したり法整備したりはできない。
故に、昨日までの根拠を振りかざす老体(ここでいう老体は年齢では無く、意識が凝り固まった人材)が幅を効かせるのである。
50年前の運動神経のつもりで運転し続けるご老体も、新規事業に前例を求めるお偉も、勤続年数を元にお金を貸す銀行も本質的には変わらない。
それが悪いわけじゃないんだけどね。だって人間の頭脳と精神力は、それ以上の恐怖に我慢できないのだから。ああ、愛おしい世界。

久々に、ブログの体裁を整えなおしました。

久々に、ブログの体裁を整えなおしました。

いや、ね。僕にとってはブログがとても重要なアイテムなのですよ。かれこれ16年、途切れずに記載してきた重みを我ながら感じるのです。そりゃ27歳当時書いてた文章を開陳し続けることの恥ずかしさたるやないのだけど。でもそれも僕だ。今も僕だ。世の中の全てが俺を見よ刮目せよ僕に興味ない人間は二度とインターネットに接続するなという不遜極まりない態度でこれまでもそしてこれからも頑張るのです。

これまで、ネット上に限っても、テキストサイトやMixi、Facebookと自分のフィールドを転々とすることに対して、少し疑問を感じてまして。

自分の書く文章は、あくまで自分のメディア、いわば自分の雑誌のようなトータルな存在にまずトーナルコードがあって、そこから寄稿という形で他のメディアに乗せるのが筋ではないか、と感じていたのですね。

なので、基本的にはBlogがベース。ここにまず書く。

いや、それって精神的なものではなく、2つの理由があるのですよ。

たとえば有名SNSのFacebookを例にとると

1.Facebookにたくさん投稿するとうっとうしがられる。

いや、僕ね、思ったことを次々と吐き出さないときりがない人間で、その意味では1日に20も30も投稿したくなるわけです。ほっといたら無限に投稿するのです。

でも、様々な方々の文章と同時に流れるFacebook上では、一人の人間が書き続けていると鬱陶しいことこの上ないでしょ。僕だって他の方々の文章と自分の文章が並ぶのは本意ではない。

なので、自分のブログで好き勝手書く。

そして

2.Facebookに長文を書くとうっとうしがられる。

これまでも「たすくさんはFacebookに長文書くよね」と幾人かに言われたことがあります。特に悪意をもって言われたわけでもないのでしょうが、少し引っかかってまして。

「なんや長文書いたらあかんのか」という思いが常にありまして。

短文にして読みやすくして人の時間を奪わないようにしましょう。みたいなブログ論もあるけど、僕は真っ向から反対するのです。

「読みやすいか読みにくいかどうかではない。僕が書きたいかどうかであり、書きたい量は誰に制限されるものでもない。結果、僕の文章に興味ある人は読んでくれるかもしれないが、読んでくれない方はさようならで仕方ないビジネスじゃないんだから」という思いです。

そう、これが商業雑誌と個人メディアの大きな違いです。僕が主体です。誰に依ることもない、僕が好き放題遊んでいることに価値を感じてくれる方への僕からの鬱陶しいくらいの愛なのです。

でもFacebookに書くといやでしょ。いやでしょ。鬱陶しいでしょ。

だからってInstagramやTwitterは長文書けないし。長文が書けるメディアそのものが少ないのよね。時代がそっち方向じゃないというか。でもね、時代とかどうでもいいのです。僕が書きたいから、書きたい分だけ、書きたいように書くのです。

それゆえに、ここでひたすらグチグチ書き連ねるのです。

September

ぱーでぃやー。せいどぅーゆーりーめんばー。
ぱーでぃやー。だんしんいんせぷてーんばー。
ぱーでぃやー。ねーばーわずざくらーうでぃでえー。

モーリス様とフィリップ様のファルセットに魅せられて進む月。セプテンバー。
そして今年は、モーリス様が居ない。

 そうか。もう9月なのだ。去年の今頃は、あんなことやったりあんな事やったりしてたなぁ。

いや、昨年とは変わらない。一つ違うとすれば、昨年の9月10日に、僕は「彌榮制作」の屋号を立ち上げて、心身ともに独り立ちしたのだ。昨年の今日は、3段跳びの、踏み込みの段階だった。

17年間、この記事を毎年書きながら、一度として同じ立場にいたことがない。それでも、今年は、今年だけは「本当にやりたいことを思う存分やりながら全力で楽しく1年間を駆け抜けた」と言える。こんなことは本当に初めてかもしれない。そして、これから死ぬまでこのまま居続けてやろう、と覚悟を新たにする。

気がつけば、僕らは目の前を楽しむだけではなく両親をはじめとして家族のこと、自らの健康のこと、仕事における後進や社会のことを考えなければならないようになってきた。

ま、それはともあれ、本当に
My thought with you. Holding hands with your heart to see you.
Only blue talk and love, Remember the true love we share today.

でありますように。僕の周りのみんなも含めてね。
とにかく、9月は良い月だ。過ごしやすいし、酒は美味いし。
Happyにいきましょ。うん。
素敵な月夜くらい、みんなの幸せを願ってみてもいいよね。

Earth Wind & Fireの曲を聴きながら・・・。
原文:
Ba de ya- say do you remember
Ba de ya- dancin’ in September
Ba de ya- never was a cloudy day
September/Earth Wind & Fire

明日は始業式だね。
学校関連、その他夏休みだった人、頑張ってね。
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・・・
9月1日は、16年間ずっとおんなじ日記。
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201年/十年目

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さあ、17年目だ。書き始めた頃に生まれた子供がもう高校二年生か。信じられない。進歩していないのはこの世の中で僕だけではなかろうか。
毎年毎年、この季節が来ると、この書き込みをしながら1年前、5年前、10年前、15年前、17年前を思い出す。
26歳から17年。執拗なまでの執念で、ブログを続けてきて良かった、とこのときだけは思う。
アフィリエイトもやった。メルマガも出した。このブログから実験したことは全部今の仕事の足しになっている。あんまり得にはなってないのだけれど。いいのだ。僕は常に「何かをわめき続けないと死ぬ病」なのだ。諦めてくれ(僕が)。
若気の至りでわめいているのかと思っていたが、どうやらそうじゃないらしい。むしろ言いたいことは若い頃より沢山貯まってきた。
それにしても、僕の17年、あまりにもジェットコースター過ぎるので、そろそろ落ち着いていただきたい。明日から更にブースターが掛かることは承知の上で。
楽しい仲間と家族と、活き活きと過ごす。
それが僕のテーマです。

組織を離れて2年近く。想像以上に楽しく生きてます。
むしろ、ここまで楽しく幸せなものだったのかと。
そう思わせてくれているのは、みんなのお陰です。ありがとう。