写真は僕のカツラを弄んで好き放題にいじりまくる職場の森内。その悪意の無い行動は相変わらず。そしてカツラはそんな風につけるものじゃない。つむじの位置はそこじゃない。
まあ、これは職場での日常なので、今更なんという事も無い。慣れたものです。
で、改めてまたカツラの事について連続で発言をしてしまうのですが、こればかりはどうしてもいっておかなければならない、と思って、敢えて筆を取ったしだいであります。
カツラに関する記事を書いたときに、様々な反響がありました。基本的には好意的に受け入れてくれる方、(何故か)僕の度胸を讃える方、ポジティブなご意見が多いのが現状です。
でも、もちろんながら、「こういう事を放言するのは如何か」「他の人の気持ちも考えなければならない」という意見も頂くのです。ええ、こういう意見がいただけること自体、私も承知の上、記事を上げました。
それでも何故このカツラであることの露出をするのか。
僕にはここに大きなポリシーが掛かっているのです。
まず、僕は何より、自分の選択肢・決定権を奪われる事を極端に嫌います。自分の人生は絶対自分の意思で決めていきたいと思っています。(と同時に、環境に流されている事自体も嫌いじゃなく、それは環境に漂うと言う自分の意思に沿っての行動なのです)
で、それがどうしてカツラに影響するのか。
それは単純。皆にばれないようにカツラをかぶることによって、僕には「ばれたらどうしよう」という弱点が生まれます。そして、「ばれないようにする為に」日々高額なカツラに買い換え続けないといけないという経済的な部分までカツラバイヤーに握られてしまうのです。言うなれば覚せい剤中毒者のようなもの。薬がなくなったらどうしよう、ずっと買い続けないといけない。
これ、僕が最も唾棄する生き方なんです。
僕は、カツラだろうがなんだろうが、嫌になったらやめる。はずす。着けたくなったら、つける。
何かを隠す為にぼくの労力を使う気などさらさらない。
自分自身が生きるうえでの選択権、決定権、人事権、決裁権は全て僕が手中に持つのです。
(その上で皆様に感謝し、皆様のご意見を募って方向を多少ずつ調整して生きていくのです)
わざわざ自分の弱点を作って、それを隠す為に大金をつぎ込むなんて馬鹿らしい生き方やってられるか。それくらいなら、つけてるメリットも甘受して、そうでない素の姿も楽しんで、生きてやる。
そのために、僕はカツラである事をある程度露出し、みなさんに「かぶっている」事も伝え、そのうえで僕自身が「今日はかぶる」「今日はかぶらない」というチョイスをする事で自分が頭髪のコントロール権を持つ事を自覚するのです。
なんだかちょっととがった文章になってしまいましたね。ごめんなさい。
とりあえずこの文章に対する反論は「そんなメンドクサイ事を言ってるからお前はモテないんだ」の一言です。看破されてます。なので、これ以上の反論は受け付けませぬ。モテないという意見以上に僕が傷つく反論はございませんので。