発表会@母

あまり父のことばかり書くと母が拗ねるから母についても語る。

嘘だ。両親のことを褒めると自分が「良い人」に見えるからだ。アクセス稼ぎだ。しかしFBでアクセスを稼いでもなんの利益もない。すなわちこれも嘘だ。露悪的だ。そして恥じらいだ。エイプリルフールだ。すなわちこの世は何が本当か、何が真実かなんてどうでもいいのだ。

少なくとも前の記事で「お父様素晴らしい」と賛辞をいただいたこと自体はとても嬉しく、息子としても嬉しい。皆様ありがとう。

が、同時に「父だけが凄いわけではない」と言わなければバランスが取れない。そんな父を支えてきた母はなお凄いと言わなければならない。

母本人は父を支える内助の功として、その姿を黙して語らぬが、父を支えていただけではない。

箏楽家として活動をしている。

同時に、箏の先生として留学生に向けて日本文化発信の一端を担っている。

このことは、誰にも話していなかったんじゃないかな。

それもそのはず、実は母が箏をプロレベルで演奏していると言うのを知ったのは他ならぬ(自分が)40を超えたあたりで…。母が練習してる姿なんて全く見たことがなかったのだ。

ほんのわずかに、僕が3歳になる頃までは、少し演奏する母の姿を見たことはある。僕は3歳の頃、箏曲「ロバサン」を母と一緒に演奏した思い出は残っているのだけれども。

ただの幼少期の思い出。ただの一日。それ以降二十年近く、母と箏の接点は何も無かった。日々、料理と洗濯、僕ら兄弟と父の世話をし続ける母だった。

しかし、妹も大人になり、手が離れたからか、いつしか母は再度、箏に向き合っていたようだ。

もちろん僕は既に社会人になり結婚もして、実家にほとんど帰らない不孝息子だったが故に、その練習姿を見たことはほとんどない。

不覚ながら、演奏活動をしていることさえも知らなかった。

確かに、自宅に箏は存在していた。ちゃんと手入れもされていた。そして職人の娘らしく、日々のルーティーンや練習をしっかり行える性格だとも知っていた。

純粋に驚き。「お母さんそんな上手かったんだ」と…。

それも一つ一つ教えてくれたのは父だった。

「お母さん頑張っているんだぞ」と。

まあ、父はあの通り僕と性格が瓜二つなため「こんなことやってる褒めて褒めて」と猛烈アピールが高じて周囲の人たちの頑張りも伝播してくるため、母の頑張りについても僕にこっそり伝えてくれていた。

端的に言おう。両親ともに凄い。

僕は…そりゃ生きるの大変である。生きててごめんなさいである。

ほんと地元あまり帰らない親不孝者でごめん。

この流れでは弟と妹についても語らねばならぬが、うぬらは現役なのだから自分たちで自己アピールしなさい。その筋でそれぞれ頑張っているのだから。Twitterはちゃんと見ているぞ。フォローはしてないが。

碌でなし人生はこの僕に任せておきなさい。

卒業式@父

一つ、人生の中でも痛恨の失敗がある。

お前いつも失敗ばかりだろうと言うな。

大学4年時、僕は卒業式に祖父を招く予定でいた。

祖父は僕の母校になんらか(よく分からないけど)憧憬があるようで、父も受験していたし、僕はたまたまこの大学を入学することになった。

祖父はもちろんのこと、両親も皆喜んでくれて、祖父はその日のために体調も整えて用意をしてくれていた。

で、蓋を開けたら…留年してました。

僕としても青天の霹靂。フランス語が不可になり、わずか二単位たらずの留年。

そりゃもうがっかりされましたよ。ええ。

とりあえず僕は翌年卒業したものの、流石に祖父の体力事情も変わっていて…。

その後、祖父はもう他界してしまって、この願いは叶わないものとなりました。

で、話は変わって。

それから25年、4半世紀の時を超えて。

いいか、話がややこしいから落ち着いて聞け。

ポルナレフのようなことを言うからな。

その祖父の息子、すなわち僕の父が、僕と同じ早稲田大学を本日卒業して、僕が保護者として父の卒業式に参加しました。

御年71歳。いったい何をやっているのだ。

66歳で何を思い立ったか早稲田に入学し、6年かけて卒業しました。

データサイエンス、教育工学…好奇心赴くままに学び続けておりました。

僕は僕で父が大学4年の時に生まれており、父の大学卒業式に参加するのはこれで2回目。49年越しで2回経験しております。

いやはや、僕は本当に追いつけない。この好奇心とバイタリティ。まだまだ僕も頑張らないといけない。

いや、もう、なんというか、子供がいない僕が保護者として卒業式に参加するなんて。

しかも僕の後輩が父とか、全く意味が分からない。

休憩所に並んでたら、どう見ても卒業生の父と祖父にしか見えなかったぞ。

父を見ていて思います。大学なんて、学問なんて、

就職のためだったり、お金のためだったり、メリットのためにやるものじゃないのです。

本当に父はただ純粋に好奇心のためだけに、データサイエンスと教育工学を学んでおりました。

仕事に活かす…というよりはそろそろ引退されなさい。僕が「疲れた」と言えないではないか。

ハロワ営業

独立初年度、僕は「ハロワ営業」というものをやっていた時がある。

まあ職業紹介所からすると噴飯物かもしれないけれど、生きるためだ許してくれい。

まずハローワークに行く。

映像関係のプロダクションを探す。できれば小さいところがいい。

最初の面接から社長レベル(決済者)が出てきてくれることが必要だ。

で、面接に行ったら、まず一言目「僕、就職する気ないんです」からスタートし、

自分の実績、技術を説明して「外注として使ったら社員にするより得ですよ。一緒に仕事しませんか」と持ちかけ、そのまま取引先になってもらう、という技です。

向こうには「必要な時だけ仕事を振れる」から不必要なコストはかからない。メリットしかない。僕も取引先が増える。メリットしかない。100社くらい社長に顔覚えてもらえれば、月1本〜2本くらいは仕事が来る。

だって紹介所って求人してるところが札を出してるわけでしょ。仕事があって人が足りないわけでしょ。営業先の宝庫じゃないか。スキルを売る個人事業主としては最強の営業先リストじゃないか。しかもメールアポとか全部すっ飛ばして最初から面接。使わない手はない。

当然、会社のマインドに合う「社員」を求めているところもあるわけですから、打率としては5割も行けばいいところ。

とはいえ、どの社長にも「面白いやつだな」と顔を覚えられていることには成功している。

意外と僕にはこういう図太さがある。多分自営の親譲りだろう。

仕事に困ることがあれば、またこういう仕掛けを思いつくであろう自分を(ちょっとだけ)信頼しているところがある。

真正面が渋滞してれば、脇道を選べばいいじゃない。

生きていくことはできるはずです。

確定申告

終わりました。終わりましたというか

レシートの処理>卒業生にお駄賃払ってやってもらう。

会計ソフトへのアップロード>卒業生にお駄賃払ってやってもらう

各種書類>税理士の先生に全部おんぶにだっこ。O先生ありがとうございます。

という、結論から言うと「僕何にもやってない」というあまりにも碌でもない駄目社会人っぷりを発揮して生きております。社会人としての責務放棄。すみません本当に。でもそれゆえに…自分に求められた芸(なのか制作なのか演出なのか)だけは務めを果たしていこうと思って生きております。ええ本当に生きててすみません生まれてすみません。

昨年対比ではなんとかちょっとだけプラス…。そして、8年間、なんとか生きてこれた。

ほんと、数値だけなんだけど、数値だけの問題なんだけど…頑張ってきたなぁ、と改めて感じるのです。

や、自分で自分のこと頑張ったなんていうのは趣味じゃないんだけどね。頑張るかどうかなんて他者にはどうでもいいことなのです。頑張らんと人並みになれない、人の役に立たんから仕方なく頑張ってるだけなのです。

決算書類を見ながら、今年やった仕事、依頼されたこと、喜んでもらえたことをふっと振り返って…。

同時に、自分のデモリールなんかも見ながらちょっと日本酒を空けたりすると…。

ちょっと涙が出てくるんですよね。

この仕事してて、誰かに喜んでもらえたのかな。僕はこの社会でちょっとだけ役に立ってるのかな。

僕の売り上げの一部を税金として、信号機の一つぐらい建てられたのかな。

あんな依頼があった。こんな相談があった。

僕は僕でワタワタしながら「僕にきた依頼はなんとかしなきゃ」とばたついただけなんだけど…。人並みにできることと言えば映像を編集して渡すくらいのこと。これで税金を作ることができたり、みんなに配るお駄賃を作ることができたのならば、僕の去年は役に立ったのかもしれない。僕机の前にいてPremiere触ってただけなんだけど。

そんなにいい人ぶるつもりはない。金は稼ぐし碌でもないこともする。

経済人じゃないどころか、金勘定はさっぱり分からない。

それでもなお、取引の間に立って、僕が何か映像を作ることでいろんな人が喜んでくれてお金が流れるのならば、僕はちょっとだけ社会の一員になれたのかもしれないな、と。

(ずっとずっと言い続けてますが、僕はまだ「社会人失格」のレッテルを心の底で剥がせないまま、コンプレックスを抱いたまま生きています。)

さあ、新年度、また僕にできることでお役に立っていきましょうか。何ができるか知らんけど!

ベースだって弾く!怪談師だってやる!役者もナレーションもYouTubeもなんだってやってやる。

自分が自分に全く期待してないんだから、誰かの期待くらい応えてないと生きてる実感がありません。