悲報

(悲報)
サラリーマン時代の僕、17年間かかって稼いだ額が独立後の直近4年間より少ないことが判明。
(間違っても稼いでるんじゃないの。サラリーマン時代が異常に安略)

でも、アフターコロナ(withコロナ)で、これもどうなるかわからないからね。
僕の財産は収益よりも知見と技術と経験値と信頼。これは正直、サラリーマン時代の1000倍以上だ。このカードで、僕は生きていかないといけないのです。生まれてすみません。

オンライン卒業式

3月最終の週末。僕にとってはBYNDの卒業式。
年に8回あるという超絶時空空間の歪んだこの学校、これで…50回以上の卒業式を経験している。
が、今回はやはりコロナの影響があり、60人近い卒業生をひと場所に集めることは困難という運営判断により、全てライブ配信での卒業式となりました。

もちろん、皆さんが一堂に集まっての卒業式をやりたかった気持ちはありますが、現実の流れを悔やんでいても仕方ありません。

が、一旦会が始まってしまえば…
配信による作品発表、画期的でした。

チャットによる受講生の盛り上がり、我ら出演者チームのリラックスしてかつ楽しい進行(個人的には「空耳アワー」をやってる安西さんの気分でした)。最後を乾杯で締める斬新な卒業式!

ああ、アフターコロナの時代にはこういうスタイルも必要になってくるんだな。これを自在に操れて楽しめる人材が必要になってくるんだな、と改めて思いました。

そして、ビデオグラファー受講生の皆様、卒業おめでとうございます。
本当に本当にこの2ヶ月間(どのクラスもだけど)本当に楽しかった。
今回僕は全クラスを担当させてもらって、全員の顔を覚えて…こんなにたくさんの人に出会えて、その成長を見守ることができて、最後をこのような形で締めさせてもらって、本当に嬉しかった。

毎回同じことを言ってしまうけど、この駄目男、ペテン師野郎、生きててすみませんな僕がこんなにも皆さんに盛り立てていただけていることに、夢か宴かと見惑うばかりの仕事をさせてもらっています。

こんな僕で、皆様に喜んでいただけるならば。
こんな僕で、皆様に価値を提供できるならば。
映像の楽しさにちょっとでも足を踏み込んでもらえるならば。

なんだって頑張るよ。本当に楽しかったよ。

絶対もう一度、世の中が落ち着いたら、卒業証書を渡して全員集合写真撮るからね。
それまでは、みんなは卒業生でもありながら、現役受講生だからね!みんな待っててね!

生きていく術

あるところから、とあるクラシックジャンルでの「無観客コンサート配信」という依頼があった。

そうか。これか。これなのだ。

訳も分からず無節操に活動していた僕の武器は、これなのだろう。こういう有事に「誰に頼めば良いのか分からないふんわりした依頼に」「よく分からないけど知見ありそう(今回で言えばクラシック音楽と映像に)」でニコニコと引き受けてくれる存在として。
(知見があるとは言っていない)

こういう時に「誰かの役に立てる」みたいだ。
ええ、二つ返事で引き受けましたとも。僕ごときで役に立てるならば。

僕の知見を持って、良い画を撮って、良い編集するよ!アニメーションで音符とか飛ばしちゃうよ!モーションアニメの指揮者とか線画の奏者とか登場させちゃうよ!(誰もそんなことは求めていません)

…結局4月も嵐の中で忙しいままに過ぎ去りそうだ。

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そう、なのよね。結局「企画が出来てシナリオ撮影編集デザインイラストナレーションアニメそして仕上げまで。かつ喋りと制作意図説明も営業交渉も」一人でやっちゃうというのは、それぞれのプロからすると「噴飯もの」なのかもしれないけど、こういう時には「安く、コミュニケーションロス少なく、一人とリモートで意思疎通しながらプロの仕事をする」人間が重宝されるんだな、と改めて思った。
まあ僕は死ぬほど忙しく脳みそがあちこちに走り回るのだが(誰か僕の脳みそマネジメントお願いします)。

撮影のプロでも、ナレーションのプロでもない。
でも、なんのプロでなくてもいいの。僕が作る映像は、「お客さんの頭の中にあって、なんか形にしたいもの」を具現化するのが僕の役目なんだな、と。
それが今のお役に立ってるんだな、と。

経済に打撃がある中、僕のような個人でできることがあるなら、どんどん使って価値をアピールしてほしい。事態が落ち着いたときに、経済をまたぶん回せるように。収録だって配信だって、コンテンツの企画づくりだってお手の物だ。なんだったら自分でフレームの中に立つことも厭わない。なんなら紙媒体も作っちゃうよ!(何故かパンフレット系の仕事が増え始めてる…何故だ…)

有事には極力おとなしく、インプットに勤しもうと思っていたのだけれど。
でも、それは欲張りな話。この時勢で依頼が来るものを拒むほど贅沢言っていられない。この春夏もノンストップ!

コロナにおいて

辛辣であることを前提で書く。
気が緩んで外出して大繁殖、となってもそれは致し方ないこと。

個人個人に自粛を要請しても、様々な思想の人間がいる限り統制も抑制もできないし、行動をお互いの「思いやり」とか「国民が一体となって」という曖昧な言葉で強制することはできない。

そのために国家があって強制力を用いることが許される権力を民間が自ら選べる体制となっているのであって、その権力が強制力(そして補填)を行使しなければ、大繁殖は起こり得る。

何度だっていう。大衆はそもそも愚民なのだ。賢く一人一人が自制心をもって組織的に振る舞えたことなど、古代ローマ時代から一度たりともない。更には、そんな「自立したマスゲーム」のような社会を理想としたこともないはずだ。(オーウェルの時代から、思想統制された衆愚自体は揶揄される存在だったはずだ)

いや、「愚か」という言葉が強すぎるのであれば言い換えよう。
様々な思想、それこそ死生観さえ違う大衆に、だれが「健康と生命が最も大事」という思想さえも強制できようか。

「長寿と健康が一番大事ではない」という思想さえも、一つの思想として許されるのが「思想の自由」の根底である(それは医学や法学の規範を覆えすものではあるが)。そして、それはウィルスという媒介の元では「生命と思想」のどちらかを抑圧せねばならなくなった際にどのような選択をするかを求められる。

全体の生命のために、個人の尊厳思想に歯止めをかけるのか、自由思想をもったまま滅亡に向かうのが美しい自由社会の正しい在り方なのか、という大きな思索のタームに入るのである。

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と書いたけど、一つ追記がある。

僕は確かに権威とか権力が大嫌いな人間だけど、強いて書く。

「おい権力、ちゃんとしろよ。
あんたらが強制とサポートをちゃんとやれば、尊厳と生命をどっちも守ることができるんやで。あんたらが「できる限り大勢の納得する強制力」を発動すれば、みんな「民主主義で選んだあんさんの意見や。しょうがねえなぁ」ということ聞くはず(聞かなければいけないはず)なんやで」と。

そしてその「できる限り大勢の納得」が間違ってたら、残念や。あなたたちは権力の座から引き摺り下ろされて、別の「国民に選ばれし」別の権力が立つだけだ。それで被害を被ったとしても、選んだ国民の責任だから仕方ない。国民主権とはよく言ったものだ。思う存分やるがよろし。ただ保身は考えるな。精一杯「良かれ」と思った行動をとって、その上で間違ってたら退場するがよろし。

フライヤーデザイン

世界で何が起ころうとも僕の仕事はアーンストッパブール。いいの。僕には休みが年に1日(5月15日)だけあれば生きていけるの。

ありがたいことです。いや本当に。いつどんな縁で何が起きるかわからないとはいうものの、
「撮影の仕事が少なくなると編集やデザインが増える」
「イベント登壇の仕事が少なくなると執筆や取材が増える」

個人の中でいろいろ補填しあってなんとか今を生きてます。
来月生きていられるか解らないけど、皆様のご愛顧があり、身体が続く限りは生き抜きます。

映像ばかりじゃなく、たまには紙媒体のデザインも手がけます。
とある団体のフライヤーとチケット、縁あって担当させていただきました。
まだまだ、頑張るからね。明日も頑張るからね。

そうだった明日はAOM(Aftereffects online meeting)に登壇します。
https://aom03.peatix.com/
すでに満席になってしまいましたが、万一空席できた際は是非とも!
お待ちしております。