「痩せるということは、知性的でありたいとのぞむ
素朴な行為なのだ。」
~ロラン・バルト~
さて、どうしてみんな痩せたいと思うのか?
痩せているという事はすなわち体内に脂肪がついていないという事であり、それは即ち緊急時のエネルギーが体内に確保されていないという事を意味する。仮にヒマラヤ山脈で遭難し、食べるものが無くなってしまったらそれこそ体内に燃焼物の無い輩から死んでいくはずだ。生きるということはバイタリティが豊富である事が前提条件だ。それにもかかわらず、体内に脂肪をつけ、エネルギーを蓄積し、いざと言う時に備えた輩、生きることに用意周到な頼りがいのある輩は「デブ」という一言で両断される。大いなる矛盾。生きるという行為に対する冒涜。
生まれた時は「健康に」「健やかに」と願われる。父母が汗水たらして手に入れた穀物を食べ、大きく育つ事を周り中から期待される。その希望に応えようと、父母の愛に応えようと、よく食べ、よく育ったものは、現代では「デブ」という一言で両断される。人生とは何だ。生きるとは何だ。
もう一度、生きる意味を考え直してみないか。
沢山食べ、健康に育つ事は大いなる善ではなかったのか?
何故貴方は痩せたがるのか?
それは神に対する冒涜ではないのか?
現代は、生きることに対する感謝を忘れてしまっている。
よく食べ、よく育つ者に敬意を払おう。大きくなろう。
つうわけで、何が言いたいかと言うと
生まれて初めて70Kgの大台突破しました。
そのうち髪の毛は100g位だと思います。
月: 2002年2月
生きてく意味を無くしたとき
自分の価値を無くしたとき
えーと、はい。
エロゲーにもよく在るけど、「幼なじみとH」って言うシチュエーションに萌える男性は結構いると思います。もしくは、幼なじみが誰かとHしてるシーンを目にする機会があるとあるのか?興奮するという男性も多いでしょう仮定で間違ってる言うな。例えばレンタルビデオ屋に行ったら幼なじみのあの子がデビューしてたとか。まあ、決して無いとは言い切れないですよね。でもそれは、あくまで幼なじみが異性の場合に限りますよね。そりゃそうだ。誰が同性の幼なじみのHを見たいモノか。つうか想像する人も余りいないでしょ特定方面の趣味を除いて。うん、想像したくも無いよ少なくとも僕は。無いでしょう。つうか無くて欲しい。いらない。
ちょっと前の話なんですが。
どう説明して良いか解らない出来事がありました。
えーと。単刀直入に言います。
幼馴染みがAV出てました。
男です。
顔にモザイクかけて、秋本某とか言う女優を揉みしだいてました。
その作品がコレ。
ヘルス経営して捕まった同級生やら生徒のパンツ盗んでスキャニングして捕まる変態教師やらAVに出る幼馴染やら、どうして僕の周りはこうなんでしょう。類は友を呼ぶ、ってことわざ、あれ嘘ですね。実感してます。いや、嘘だってば。嘘って言って。お願いだから。嘘でしょ。
しかも、これ、レンタルで見つけたものではなく、出演した男が堂々と貸してくれました。「かみさんと一緒に見てくれ」だって。
うちのかみさんアレ見て寝こんだよ馬鹿。
でも、幾ら幼なじみでも友人の物をかみさんに見せるほど僕も鬼畜生では無いです。そいつは御自身は出さずに、ひたすら女優さんといろいろしてました。ああ羨ましい。
でもそいつはその後で
「現場では、本番やっちゃっていいっすよ、って言われたけど、ありゃダメだ。あんなに人とカメラの集まってるところでは勃たん。AV男優って尊敬するよ。マジで。」
とか
「揉んでても感じないんだよ。なんか騙して悪いなぁって気がしてて。」
とか
「まあ、ピン(一人)で出たから、結構なはギャラ貰えたよ。まあでも、本格的な男優にならないとこの道も食えないなぁ。」
とか
「いや、でも、面白かったよ。いい人たちばっかりだったし。」
などと
聞いてもいないAV現場の体験談をじっくりと聞かせてくれました。
強いて言うなら
—————-
昨日、AV出たんです。AV。
そしたらなんかカメラとADが一杯いてそりゃもう大変だったんです。
で、よく聞いたら本番やっちゃっても良いですよ、とか言ってるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
こんなにカメラあるところで勃つかってんだ、ボケが。
撮影だよ、撮影。
なんか監督さんもいるし。クルーみんなで撮影か。おめでてーな。当たり前です。
よーし、女優さん、今日も良い顔してるねー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、僕はナイーブなんだからそのまま撮影してろと。
男優と女優ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
男優と女優がいつハメ始まってもおかしくない、挿すか挿されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。すぐハメる奴は、すっこんでろ。
—————
なんて話をしてくれたんです。彼。
それに対して僕は
————–
で、やっと話が落ちついたかと思ったら、その幼なじみが「いや、でもあれだけカメラいると勃たんな。」とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、インポなんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、「勃たん」だ。
お前は本当に、勃たんかったのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、我慢してただけちゃうんかと。
—————
とかくまあこんな感じです。
でもまあ、正直、聞いてて面白かったです。「地元の同級生がAV女優になっていた」って話はごく希に聞きますが、「野郎がAVにピンで出演。」というのは貴重な経験なので、大事にしするか馬鹿。でも現場の話は面白かったよ。マジで。何事も経験だな。
しかしながらこのビデオ、1視聴者としてみた場合、余りにも実用性が無かったです。いや、元々実用は考えなかったけど。幼なじみ(野郎)のカラミでできるか。正直、友人が出てる事を抜きにすると、企画が余りに寒くって痛々しかったっす。
あ、その中でも
「現役プロナレーター早坂さんのAV現場実況中継生収録」
は比較的痛くなく、面白おかしく拝見させて頂きました。でもできません。
かみさんと二人で布団に入って見てみたけど、その後二人とも無言で寝ました。つうか溶けました。
夜明けの町
最近キンモクセイの「二人のアカボシ」にハマってます。
あの曲が好きだ、って言うと「若いね」と言う人と「ジジイだな」と言う人と真っ二つに別れます。うん、解ります。つうか僕も三分前まで村下孝蔵の曲だと思ってました。今は70年代ポップがブームなのか?
でも、
僕「二人のアカボシって良い曲だよねー。」
某氏「そうだな。お前ハゲだからな。」
この返事にはなんですかオイ。ジジイは100歩譲っても「アカボシ」=「ハゲ」はどういうシュールなんだコラ。それ以外にもお前とかお前とか。本当に特定個人じゃないんだろうなキミら2人共。
さて、デマちんさんの波もほぼ完全に退きましたので、今日からは人目を気にはばからず書いていきたいと思います。
あ、でも今日のデマちんちんは面白い文章発表してますので、再度文中リンク。ちょっと読んでみ。
「文章力」とは!おおそうか。そんな言葉は存在しなかったのね。まあ、言ってみればそうか。言われてから解るんだけどね。いや、この人あったま良いわ。回転が速いとかそういう分野ではなく、きちんと言いたい事を平易に伝える能力があるという意味で。インテリともクレバーとも微妙にニュアンスの違う、もっとこう人格が揉まれているって感じの賢さを感じる。まあ、内容は賛否両論出てくるだろうなー。
唐突ですが、僕の本職は自分でも良くわからないのですが「パソコンスクール講師」「イベントのPやD」「映像のAP」「ロボットメンテナンサー」「企画書き」「営業」「Web屋」「システム屋」「エセ社長」「かみさんの尻敷かれ係」などなど沢山の仕事をこなしてます。その割に金が(中略)。んで、これ以外にも2年前から「プロの翻訳者を目指す人に日本語を教える教師」もやってるんだよね。こんな文章書いてる僕が。なんで?何か間違ってると思う人手ー挙げて。ひーふーみー(中略)。
当然、プロとしてモノを書く事を目指す人(あ、当然日本人ですよ)に日本語を教えてるわけですから、僕自身に理論だった日本語能力が無いといけない訳。だよね。でもまだまだ勉強中の身、なんとか考えながら授業しています…まあ、そんな環境だからこそ、ちょっとこの「文章力」「表現力」ってモノは気になるんだよね。
で、僕が思うに。
基本的に文章にしろ発言にしろ、言葉ってのは基本的に記号なんだよね。「山」っつったらアルプスだったり富士山だったりそれらを包括したものであったり、抽象的なものを論理立てて考えられるように置き換えたものなんだと思うわけ。で、言葉を発言する側と受け取る側で、ある記号に対してどんな意味を持っているかってのは微妙に異なってくるわけだよね。例えば、うちら(北陸人)にとって「山」つったら立山が思い浮かぶだし、静岡県民にとっては「富士山」が真っ先に出てくる人が多数を占めるだろうしね。
言葉一つとってもそうだし、言葉を構成して文章を作ったときなんかは尚更。言葉が連なり、ある論理構築をなしたときは、その文章が持っている本質ってのは発言する側と受け取る側で解釈が変わってくるんだよね。そりゃ仕方ないわな。記号に対する発想が違う上に、一人一人の読解力が違うわけだから。そうするとどうしても誤解や曲解が生れてきちゃうよね。言葉は人に何かを伝えるためのものであったはずなのに、なんでこうなるんでしょ。
ある文章を解釈する権限は読む側に存在すると僕は思ってるのね。結局は何かを伝える事が言葉の目的であるならば、受け手が手に入れたものが全てであって、発信した側はそれ以上どうしようも無いものじゃない?例えばプレゼントだって、受け取った品物が全てであって、「本当はソレじゃなくてこんな感じのものを送りたかったんだけどね。」なんつっても全く相手には伝わらないわけで。で、発言する側としては、イカに誤解を少なく文章を書けるか、誤解されないようにするにはどうするかに注意を働かせて書く必要があるんじゃないかなぁ、と思ってる。例えば「お前こんな悪口言っただろ」「イヤ僕はこういうつもりで言ったんだ。それは誤解だ!」って言うトラブル、あるじゃない。こう言う場合、僕は書き手側に責任があると考えてる。程度にもよるけどね(自覚的に悪意ある曲解する人も居るからね)。書き手側の責任として、自分の思いを過不足無く、間違いなく伝える技術を持つ事ってもっと重要視されても良いんじゃないかなぁ。それこそが表現力であり、論理構築の力であり。
確かに、難しい理論を上手く伝えたり、突飛で魅力的な文章を書く事が出来たらカッコイイよね。諸葛孔明が赤壁直前に呉の重鎮を論破したり、芥川賞作家の町田康みたいな独特の文章を書いたり出来るのって、かっこいいと思う(僕だけ?)。これも、表現力の一部分なんだろうけど、それは鉄棒で言えば大技「大車輪」をする事に近いよね。その前に懸垂がしっかり出来たり、逆上がりがきちんとできる事がまず必要になると思うなぁ。つうか、簡単な文章を誤解無く書くことができないまま、イッちゃってイケてる(と自分で思ってる)文章を書いてる人が時々目に止まります。気になります。いや、書いてる本人が気にならなければ良いんだけど。読む側としてはなんか、こう、尻の辺りがむずむずして。
でも基本的に誤解無く伝えるためのテクニックって「短い文章を書く」と「係り受けを意識する。」と「語順と助動詞を吟味してトゲと誤解を無くす。」の三つくらいしか無いと思うんだよね。うん、難しくないと思う。うわぁ、言ってる事が国語教師くさぁ。ええ、国語教師なもので。エセって言うな。
で、これを意識することで、(個人の)表現力の底上げがおきると、デマちんの言う「キャラクターの質」が問われ始めるんだろうな。うわ、面白そうだな。表現力が無ければ如何なるキャラクターでも誤解と難読(による嫌悪)に埋もれちゃうわけだからね(例外もあるけど)。逆に、キャラクターに自信の無い人は表現力つけたらボロが出る、っつうことか。表現力つけるのも問題だな。
とにかく、言いたいことを伝えるんであれば、思ったことをそのまま書けばそれでいいわけじゃないんだよね(特定個人に言ってません)。簡単で平易な文章を書いて、誤解を少なくする、ってことにもっともっと意識を向けても良いんじゃないかなぁ(特定個人に言ってません。)。意識してるつもりで、出来てないことって結構あるぜ。上の三点、ちょっと意識してみてよ。いや、僕だって出来てるわけじゃないけどさ(特定個人に向けていってません。)。つうか、僕上の3つ今初めて知ったところだし。これから意識して書いてみようと思います。はい。すいません。
良いお天気でした。
今日から北陸
今日からまた北陸での更新になります。ずず。
東京だとどうしても時間を気にしてのネット環境だから、思いきって楽しめないんだよね。ぐしょん。
今日がらばおぼいきってたぐさんごうじんじまず。ずず。
来た。
恐怖の季節。春。
春
それは
花粉の季節
正直言って、この時期はX-10こと山本、まるっきり役に立ちません。
いやホントに、大学卒業してからなんだけど、かなり重度の花粉症を患ってます。
ブタクサ、カモガヤ、ヨモギ、スギ、ヒノキと花粉症グランドスラムを達成。更にはスギでは反応測定値を振りきってます。2年前には花粉症からなる睡眠不足により過労で倒れるという事態まで引き起こしました。本気で鬱死。
今年は甜茶なるモノを毎日のみ続け、なんとか持ちこたえてますが、それでもヤバイです。マジで。びえくしょい。ずずず。
いや、オチつける元気も無いです。ぶぅ。
はっぴーばーすでー
今日はかみさんの誕生日。はっぴーばーすでーつーゆー。
つうわけでサイト更新どころじゃありません。すいません。
今日はかみさんも会社を休みにして、ゆっくりのんびり、幸せに暮らします。はい。まる。
たまにはこういう日記も書かせろや。下ネタばっかりじゃなく。
ゆあーん ゆよーん
簡単に感受性なんて言葉を使う奴を見ると反吐が出る。
お前は感受性を何だと思ってるのだ。感受性という言葉を頼りに自分を評価するその根性に苛立たしさを感じる。
「僕には優れた感受性がある」違う。感受性に優劣など無い。誰でも持っている、心の動きに他ならない。もし仮に優劣があったとしても、そこに意味はあるのか?競争するつもりなのか?感受性の競争?全く持ってばかげている。「感受性」という言葉を下手な言い訳や自己防御に使うくらいなら、優劣を無視したほうがよっぽどましだ。
受け止める力。愛する力。目の前の人を思いやる心。晴れた空に幸せを感じる事。朝食べたご飯に喜びを感じる事。感受性。
…音楽や絵画、舞台、文学から与えられる力、心の動き、感動は、2次的、人工的なものだ。いや、人工的に作られたものだからこそ、麻薬的に感受性に訴えかける巨きな力がある。そりゃ当たり前だ。感受性に訴えかけるため、その部分を愛撫してオーガズムを感じさせるために存在しているものが芸術なのだから。一度取り付かれると、マスターベーションに似た閉鎖的快楽となり、それは病み付きとなる。
麻薬的快楽しか知らない奴に感受性を語られると反吐が出る。さらにはそれを自慢げに語られる奴に遭うと、虚脱感に襲われる。
評価の基準も無く、権威も形も存在しない。だからこそ、実績の無い奴は好んで「感受性」と言う言葉を自己弁護に使いたがる。もういい。勘弁してくれ。そんな言葉で飾らなくても、お前に対する愛情は変わらない。無理にアピールしなくてもいい。外界から受け止めた感動は、そのまま人から滲み出てくる。「優しさ」や「思いやり」「逞しさ」と言った形を採って。それらを巧く捕え、訓練に基づいたアウトプットが出来るならば、それは作品と言う麻薬に加工できる。
素晴らしい作品を作ったからと言って、お前が偉いとは思わない。勘違いするな。その努力は評価する。諸手をあげて喝采しよう。心から労おう。また、その作品の力も認めよう。作り上げるまでの葛藤、ドラマも是非聴かせて欲しい。でも、お前と言う人間に対する愛情は一切変わらない。少なくとも僕は。作り出した作品によって変化するような人間関係は持ってない。
決して、生きる上で必要な力では無い。誰にでも当たり前に存在する力に過ぎない。それゆえに、それだけで金に転化することも無い。
そう言う僕自身、感受性と言う言葉に囚われて身動き取れなくなっている。そんなモノをわずかなりにでも頼りにしているから、全てが困窮するのだ。役にたたねぇ。この言葉は、今の我が家にはデメリットの方が大きい。
僕の感受性は、僕の人生を楽しく彩るための存在だったはずなのに…。それすら否定しなければいけない自分の生活が腹立たしい。
だから今、「感受性」と言う言葉を聴くと、羨望ややっかみで、攻撃的になってしまうんだろう。あぁやだやだ。
東京にいる間は56Kモデムでネットやる気がそがれて更新する気力も なくて(以下言い訳略)
ここ2日はヒロポンやQazとの飲み会や40ちゃんねる連中との飲み会etcetcといろいろやってきました。
むー閉塞感。
北陸を逃げ出したいと思う時に感じる閉塞感と同じ息苦しさを東京で感じてます。前が見えてない。様々な要因から、新しい刺激を享受出来ない。その原因が自分と解っていても、押し寄せる不可解な圧力は軽くなりません。
こういう時に文章書いても碌なもんにならないので今日は仲間への業務連絡のみで終了します。後は一人谷川でも読みながら悶々とします。悶々。
・読み方は「モンモン」であって「ムンムン」や「ハァハァ」ましては「ムラムラ」では無いので念のため。
・あ。でも後者の方がすっきりしそうだな。
・ピカリンの方が嫌だ。つうか誰だそんなネーミングした奴。刺すぞ。
・あ、でも僕とは関係ないのか。そうか。全く関係ないのか。関係ないよな。うん、失礼した。ピカリンでもハゲでも、僕には関係無い話だ。無いと言え。
・東京での披露パーティ、すると言ったまま、ほったらかしにしてました。すいません。やります。必ず。正式にみなさんに紹介します。5月くらいに(かみさんとの打ち合わせはまだ)。ただ正式連絡/実動は4月まで待って。3月中は僕の身辺がバタバタ。
・「最近テキストサイト向きになってからたすくさんの言葉じゃなくなった。つまんない。」(群馬県 T・Oさん)
えー。そんなことないよー。と思ってるんだけど。でも無意識にソトヅラ作ってるかも。3ケタアクセス/日に、気が浮ついちゃってたかもね。気をつけます。いや、気は付ける必要はないだろうけど、ソトヅラはとります。ええ、ちゃんと剥きます。初めは痛いけど。
・ヒロポンとの飲み会は腹が痛くなるほど笑いました。止めれ。いや、何がとかそういうレベルではなく止めれ。僕が笑い死ぬ。
お前はウチの掲示板を荒らすのを止めて、文章を書け。話した内容をそのまま文にしろ。その方が(僕の)タメになる (荒らされなくてすむ)。
100人乗っても大丈夫
もしこの世の中が100人のX-10だったら
そのうち100人が「ぼけ」で
そのうち100人が「はげ」で
そのうち100人が「早漏」でしょう。
じゃかましいわあほんだら。
ピアノ
ピアノ弾こう。
そうだそうだ。そうしよう。ピアノを弾ける男はかっこいい。かっこいい男は女にモテる。女にモテる男はウハウハだ。バレンタインデーにはチョコレートが沢山もらえそうだ。そうだそうだ。今からピアノを練習して、かっこいい曲が弾けるようになれば、バレンタインデーはとっても幸せな日になるだろう。(注:バレンタインデーは 今日です)
つうわけで、ピアノ練習することにしました。
うちのかみさんは元々ピアニストで、ピアノが上手です。素敵です。ぱちぱち。
それはそれで良いんですが、夜の生活に自信のない僕は指使いくらい鍛えておかないと離婚されそうなので、かみさんのために頑張って練習したいと思います。つうかこういう事を書くからケンカに。うん、バレンタインデーなんかはどうでもいいや。かみさんの為にピアノを練習したいんだ。かみさんの為に頑張る僕。なんという夫婦愛。僕かっこいい。イヤー、オウイェイ。
こんなにもかみさんを大事にするおいらに、全ての女性はチョコレートをくれたら良いと思います。
かみさんに聞きました。
「どうやったら弾けるの?」
かみさん曰く
「どんなのが弾きたいの?弾き語り?ソロ?」
いや、そんなのじゃなく、もっとかっこいい奴。女性にモテそうな奴。
僕はハービーハンコックみたいに弾きたいです。できれば今日中に。楽して。練習三十分程度で。カッコよく。斜め45度が映える様に。モテになれる様に。指使い?どうでもいいや。
かみさん曰く、それは僕が今日中にスマップに入って一番人気を取るくらい難しい事だそうです。つうか不可能だそうです。つうか死ねだそうです。「ぼけ」「はげ」「早漏」だそうです。
しょうがないのでかみさんの薦めてくれたモシュなんとかという教則本で練習を始めました。頑張ります。そのうち僕はX-10改めハンコックになりますよ。ふふ。誰だ今でも半コックとかいう奴。
えーと、右の指が、3、2、1、4、…で、左手が5、1、2、4…
あきらめました。
世の中の男性はかみさんの為に頑張ってて偉いなぁ。(晩御飯の湯豆腐をもぐもぐ)