久々の運動です。大の運動嫌いの僕にとっては大きなチャレンジでした。
ポルタリング、いわゆるクライミングです。
以前から興味があって、やってみたいと思っていました。
きっかけは、やっぱり祭り(曳山)。
今年の曳山に向けて、筋トレとして綱を引っ張りながら壁を登るトレーニングを積んでいたところ、このスポーツの存在を知りました。そして、家の近所に大きなトレーニングジムがあることも。
今日、初チャレンジをしましたが、まあ自分の可動域の狭さ、筋力のなさを思い知る事か。そして身体が重い。
身体が重い、というのは全てに悪影響です。
一時間半ほどくたくたになるまで登り続けて、ふっと休憩したときに見える景色のなんと違うことか。
頭もクリアに、そしてその後の食欲もシャワーも非常に快適なものでした。本当に何年ぶりの経験でしょうか。育ち盛りの頃にバスケをしたとき以来20年ぶりの感覚です。
運動、おおっぴらに好きというのは気恥ずかしいものですが、身体を動かすのは良いものだと、改めて感じました。休みの日には寝てばかりでなく、少しでも身体を動かそうと思います。祭りのためだけじゃなくって。
月: 2014年6月
山口昌男
なんと。文化人類学者の山口昌男は昨年お亡くなりになられていたと。
高校~大学時代「季刊へるめす」が好きだった。
大学の同窓でも「未だにへるめす読んでるの?」みたいな、アンチ岩波一派も居たものだけど、どちらにしろニューアカ関連は基礎知識だった。否定するポーズを取るにしても「知るだけは知ってないと一緒に飯も食えない」みたいな風潮があった。前出の山口昌男氏を初め、中村雄二郎、大岡信、等々、興味深いメンバーが執筆する同誌はスノッブな「知識の背伸び比べ」には最適だった。いやもちろん、純然に読んでも充分面白かったのだけど。
デヴィッド・シルヴィアンと武満徹の対談とか、当時の新人・南條竹則の寄稿とかベルイマンの特集とか、今もわずかながら覚えています。
その書面を俎上にして議論をするなど、若気の至りといえばそれまでだけど、今思うとその突っ張り具合が可愛くも楽しい時代でした。
今の学生達って何をモチーフにしているのだろう。スノッブ大いに結構。
未だにスノビズム溢れる僕は、サッカーややじの話をシャットアウトして、僕は自宅の「象牙の塔」に篭って生活しているのです。(もっと世の中を見ましょう。)
RudeBones
先日のアニメーションに続き、こちらも友人のお手伝いにて参加させていただいたビデオクリップが公開になりました。ほんの少しのお手伝いにも関わらず、自分の名前もクレジットされてなんだか面映い感じです。
何より、良質なものを作り上げる人たち、演奏する人たちの側に居られることが、自分にとっての幸せなのだと実感する次第です。
カメラスライダー
最近はカメラ周りのアイテムを如何に駆使するか、如何に使いこなすかが重要と感じています。安価に手に入る世界になったからこそ、手業にすることが肝要なのです。職人気質のない僕も、何とか頑張るのです。
最近のお気に入り、師匠直伝のスライダーをいかに活用するか。まずは何より練習、練習。
近所の公園で撮影テストしてまいりました。その記録ノート代わりの動画をここに。
https://www.youtube.com/watch?v=HYCrm5pu4HE
天候:晴れ。午後15時くらいから1時間
カメラ:Canon 7D
レンズ:Canon EF50mm F1.8 Ⅱ
スライダー:SimpleSLIDER(多分Glidetrack HD-SS )
三脚:Manfrotto 701HDV
一脚:Manfrotto MVM500A
というラインナップでした。
ノートブック
昔のノートを整理する。延々と小説やら散文やらを書き写してた若い頃の拙い字が出てくるわ出てくるわ。山口瞳や丸谷才一のまあ好きなこと。軽妙洒脱な文章はいくら写しても書けるものではないと悟った三十代。
そして何を狂ったかその後はAfterEffectsのパラメータを全部書き写したり覚え込んだりしようとしたノートも発見。何を考えているのだ。力技にもほどがある。
でも、それが素地になってたりもするんだよな。こういう馬鹿で熱狂的な、努力とも思ってないチカラワザの気違い活動が。
最近、こういうバイタリティ溢れる、所謂「好きでやってる無駄な努力」が自分から失われている、と感じます。こういう行動こそ、五年後の自分を助けるというのに。(しかし、好きでやってるだけなので、自分を助ける、なんて見返りさえも求めてはいないのだ)
スマートになんて出来ないのだ。全部飲み込むのだ。胃袋を鍛えるのだ。
映像系の徒然三連
記事3つ分なので長いです。ご容赦を。
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1・才能の差
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最近、僕の経験を認めてくれて、いろいろ制作を共にしてくれる仲間が増えてきました。その中で、アニメーションの編集やアプリタイトルの作成など、僕自身も幅の広がるクリエイティブを任されはじめました。アニメに関しては全くのど素人ながらも、これまでの数少ない映像編集経験を活かして、我ながら(マダマダですが)満足のいく作品を作れたかな、この世界でも少しはやっていけるのかもしれないな、と少し達成感を感じていました。
その夜、僕と一緒によく映像現場を共にする監督から、先日撮影したミュージックPVのオフライン(仮編集)が届きました。
・・・なんだこの才能の差は。
持ってる引き出し、細部へのこだわり、映像への愛、何から何まで違いすぎる。自分も撮影現場をご一緒した作品だけに「自分ならどう編集するか」というイメージも持っていたのですが、その完成イメージをはるかに凌駕するクオリティ。
やっぱり、天才なのだ。僕の作る映像やタイトルなんて、まだまだなのだ。僕の達成感は見事にへし折られたのでした。思い出すのは08年12月8日。友人の披露宴ダブルブッキングの日。昼の披露宴では僕の作った映像が好評を得て、達成感をもって乗り込んだ横浜の披露宴では、この監督の作品に思いっきり鼻をへし折られたのでした。
悔しいけど、心地いい。まだまだ頑張らねば。
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2・制作進行
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僕は映像を作る中で、様々思うところがあって、何にもまして「段取り」を重要視しています。何をするべきかがクリアで、正解を常に共有できて、スムーズに進むものは、細部に魂を込めることが出来る。自分に余裕が無い時は、集中力よりやっつけになる性質が自分にあることを踏まえての処世術。とはいえ、進行はなかなか思うように行かないのも世の常。自分自身も解らなくなりドツボ・混乱・パニックになることもあるわけです。
その中、僕の制作サポートをしてくれている我が嫁が。
全ての素材を頭から整理して台本を全て打ち直し、どこにどの素材が当てはまるのか、何が足りていて何が足りないのか、どの素材に難が有るのか、全てを紙に落としこんで一覧表、そして作業手順を仕上げてくれていました。
・・・なんだこの制作進行スキルは。
一応、僕は新卒時代に「アシスタントプロデューサー」として三年、制作進行のイロハを学んできたはずです。でも、そんなレベルを一切凌駕したすさまじい段取り力。彼方が神か。いや本当に、ご信託レベルで、言うとおりに作業を進めたらあっという間に頭も制作物もクリアに。
改めて、制作進行は専門職です。そしてココにも才能の差が。僕はこの人のサポートと庇護を受けて生きていく事にします。
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3・萎縮
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1と2に絡みながらも、全然別の話で。
同様に自分自身がとてもプレッシャーを感じる依頼物がありました。引き受けたにも関わらずどうしてもその量と緻密さに恐れおののき、手が鈍り、ネガティブに後ろ向きになる自分がいました。変更や修正を怖がり、納期に間に合わないかも、という恐怖に捕らわれる珍しい状態。
ここでも嫁が
「貴方はなにをびびってるのだ!」と一喝。
「だれも貴方に正確精密なものなんか求めてない。この件、貴方の責任なんてどこにも無いんだから、彼方がのびのび作らなくてどうするの!何を頼まれてるつもりなの!」
「命がとられるわけでもないでしょ。弱弱しいクリエイティブなんざやめちまえ!」「出来ない事を訴えても聞く相手じゃないんだから、解らんものは解らん、でそのまま突き進みなさい」と相当に怒られました。
本件、気弱にネガティブ発言する自分よりも「もっと楽しもうぜ!」とのたまう悪友Katyが言ってることが正しい(ああ、名前出しちゃった)、と嫁に断言されてしまいました。
そして話は戻って監督の才能と嫁の段取り力。側にはたくさんの味方がいるのです。僕はまだまだ頑張らねばならない。まだまだヒヨッコの僕は、やるしかないのです。