Fool を生き抜くために

「世の中の物事を決める立場のおじいさんたちはそれほど頭が良いわけでもないし、いろいろな情報を集めて考え抜いて決断しているわけでもない。その場の雰囲気で決めている」
そう。その通り。だからこそ、雰囲気をコントロールできる人が最強であり、また賢い人間は雰囲気をコントロールする責務を背負うのだ。
愛嬌でも人脈でもなんでも良い。「まあ君がそういうのなら」と雰囲気で納得させる力は、ロボットが労働に入ってきた今だからこそ必要な21世紀型スキルである。
とチェスターフィールド卿の時代から言われてたよ。

学校も大詰め

僕が講師を勤めるHLYWDキャリアスクールの「モーションインフォグラフィックス講座」いよいよ7月生大詰めです。
今回はあの名物女将、スナック綾子の店長さんも受講しています。2月は良くのみに行きましたね。
その綾子さんの受講体験記です。
そして8月生は8日、22日、29日、9月5日というスケジュールで開催予定です。ご興味ある方は是非!

Unicorn

新卒で3年勤めていた神楽坂の映像プロダクション。
この時代は鮮烈過ぎて、今も僕の仕事観の根幹を成しています。Unicorn workstyle!! DHを知ったのも、退職後すぐに25才で独立できたのも(2年ほどだけど)、その後のご縁を作れたのもAdobeの使い方や映像編集を覚えたのもまさにココが原点です。
今日はその時代の先輩方と15年振りに再会して飲み会。この飲み会が予定されてからどれだけ楽しみにしてたか!ホントーにもうみんな変わってなくて感激。変わってないとはいえ、独立して会社を営んでる方、映像ディレクターとして世界に飛び回る方など、活躍レベルは尋常ではありません。僕もがんばらんと。
というわけで、今日はこの年になってなお、一番後輩の立場からお世話になってきました。
何より、自分が在籍した会社のほとんど全てと、今なお信頼のお付き合いをさせてもらってるということに感謝ばかりです。いやほんと、この社会不適合者が生きてこれたのは皆様のお陰です。すみません酔ってます。
厳しく接してくれた人ほど、今もお世話になってるんだよなぁ、なぜか。
※追記
書いてて思ったんだけど、自分自身が育ててもらった場所に本当に感謝するのであれば、そろそろ僕の年代は次にその場を作らないといけないのだなぁ、と。
あの頃のワークスタイル、仕事を是とするならば、そういう方針の環境を作らないといけないんだなぁ、と。
自分のことばかり考えてて良い世代では無いんだよね。

無節操

昨日は朝から翌朝始発までモーショングラフィックと格闘した後、仮眠を取って久々にスーツを着ておビジネスな舞台へ。地域の商工会の皆様ご発展のため、頑張ってまいりました。
その足で夜はAfterEffects研究会に参加。盛り上がって帰宅したら今週末授業の教材ブラッシュアップと中国語の勘取り戻し。の隙にデザインしたフライヤーの仕上がり確認。そして疲れたらArduinoイジリ。更に祭り妄想。仕事も趣味もない、この訳のわからない振れ幅の広さこそが僕の武器「無節操」です。
そんな僕の今日一番の喜びはかみさんの新作「夏パジャマ(鯉柄)」が僕の帰宅時においてあったことです。これから着て寝ます。

流しの編集屋

ココ数ヶ月の間に何回このようなご依頼をいただけただろうか。
「明日空いてる?事務所に来て編集(+AE)作業を手伝って!」。すなわち流しの動画屋。予約が入れば撮影補佐だろうが編集だろうがモーションデザイン担当だろうがどこにでも出没する河原映像屋とは僕のことです。
このスタイルは、非常に面白くも、気を配る部分も多いのですよ。それぞれの社風にあった制作スタイルに馴染むのにも数時間は掛かりますし、マシンのバージョンがCS6でもCCでもCC2014で、CC2015でも対応できる力が必要です。更には、特殊なプラグインは入ってないか、などなどいろんなことを意識しながら進めています。
でも、何より、楽しい。まずはいろんな方々と一緒に仕事できること。たくさんの新しい人たちから刺激を受けて作業できること。そしてそういう場所には、いつも僕を超えるスーパー映像アーティストが必ず居るので、知財やテクニックを吸収するチャンスがあること。こんな形で声を掛けてもらえるということに対して、本当に感謝の気持ちばかりです。
今日、以前一緒に仕事したことのある方から編集サポートに呼ばれたのは大きな大きな自信になりました。
それにしても、流しの動画屋、気に入ってます。ノートPCとカメラをもって、「へんしゅうややります」と。相変わらず本職わかりませんが、これから頑張ってまいります。

PLC シーケンサー

たまたま今年上半期、制御系なら誰でも触るPLC(みんな大好きMELSEC-F)と大格闘する機会がありまして。
これが面白いのなんのって。シーケンサーラヴです。ラダー図は朝まででも書き続けます。世の中はこうやって出来ていたんだと、この年になってまた世界が広がりました。
思わず自宅でも電気制御関係がやりたくなって、かの有名なイタリアのアレといちゃつき始めました。
こういうとき、小学生くらいの男の子が家にいてくれたら良いのになぁ、と思います。父親の特権を活かして電気工作一緒に触るのに。僕がやってるとただの仕事しない中年です。
仕事に活かそうとかビジネスにしようとかIoTに追いつこうとかセセコマシイことは思ってませんが「好きなことをアホみたいにやってるとたまに人様の役に立つ。立たんでも自分が楽しいからよろしい」というポリシーで遊びます。
 アプリは作ったことあるけど、やっぱり物理的に動くモノの方が僕は好きだなぁ。
 仕事には考えてないとはいえ、モーションや光(画作り)と電気制御、親和性高いよね。当たり前だけど。それを考えるだけでも夢が広がります。

大家族の一員むしろ末っ子

この連休は(僕は年中休みとも言えるが)10年来の友人宅に泊り込んで酒浸り飯浸りでした。(一応子供たちの顔は安全上 伏せ気味にアップ)
富山から酒肴を送ってもらい、みんなでつまみながらバスペールエールor森伊蔵。終電帰宅組を見送って、僕らは深夜の語り飲み&子供部屋で雑魚寝。
大学時代における多人数生活の忘れ形見か、その昔の実家=学習塾時代の大家族生活の望郷か、とにかく、親戚が集まったような大家族生活は僕の原風景なのです。ようするに寂しいの嫌いです。こういうの好きです。寮生活も苦にならないタイプです。
翌日に玄関でビールを飲みながら子供たちのプールを監視しているときに、涼しい風が吹いてきて「ああ、幸せとはコレなのだなぁ」と独りごちてました。
自由とは、家族とは、子供たちとは、仲間とは。
僕は社会とこういう形で繋がっていて、そして明らかに価値を生み出す基盤にしている、ということの重要性。僕は、そして僕らはまだまだ大丈夫なのでした。

偏狭読書情報


ビール飲みながら読んでたら一気に進んだ(理解してないとも言う)。
そう、この、理解してないということ自体を検証するのがこの本でした。我思うからと言って我あるとは限らない。
結局これがフッサールの現象学の基礎になるのだけど、前提に精神がおかれることがどうにも僕には落ち着きが悪い。これで僕に知性があればハイデガーに進めるのだろうけど、実存主義はまだまだ手ごわい。大学時代に手抜いたからね。
【以下引用】
この具体的な可能性を立証すること、つまり実際的な遂行可能性は-たとえ、当然のように、無限のプログラムと言う形態においてであるにしても-、必然的で疑うことの出来ない始まりと、同様に必然的に繰り返し実行される方法とを立証することを意味しており、この方法によって同時に、そもそも意味のある諸問題の体系が粗描されるのであった。